老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

富士山と菜の花

2013-01-30 15:00:07 | 

一面菜の花の向うに真っ白な富士山が見えました 菜の花です 吾妻山から望んだ富士山

東屋と菜の花です  

相模湾です。水平線あたりに太陽が当たって白く綺麗でした 何と言う鳥か分からないけれど、どんどん私の方に近ずいて来てくれました 帰り道で綺麗な水仙の群生を見る事が出来ました

先日大雪の為延期していた秦野行きが叶い、昨日の夕方からこちらに来ている。
秦野と言えば富士山、昨日も家に来る途中で綺麗なシルエットの富士山を見ながら運転して来たのだった。
そして今日、この間読売新聞に載っていた吾妻山の菜の花と富士山をこの目で現実に見てくる事が出来た。
一点の雲もなく真っ青の空、絶好の富士山見物の日和であった。朝8時に出発、約30分で現地に到着と言っても其処から更に展望台まで200メートル程の坂道を歩いて登らなくてはならない。娘は車を大分離れた駐車場まで置きに行ったので婿さんと二人で登り始めた。結構急な坂もありゆっくり歩くがそれでも心臓はパクパク、足はそれ程の辛さは無かったけれど!
「こんなにのろのろでいらいらするでしょう、すみませんね~」と言ったら「私だって疲れますよ、90歳でこんな坂道登れるなんてお母さん凄いです」と嫌がりもせず私の歩調に合わせて登ってくれた婿さんに感謝であった。
お陰で倒れもせず展望台にたどり着いた時は「着いた~」と声をだして喜んだ。

一面黄色い菜の花は素晴らしかったし、その遥か向うに綺麗な真っ白い富士山を見る事が出来た時の喜びはたとえ様も無かった。富士山は何度見ても見飽きる事のない日本一の素晴らしい山である。

見終ってさて帰りは如何しょうと言う事になった。と言うのは近道があってそれは急な階段を降りるのだが短時間で下の道まで行く事ができるのである。下りだから心臓の負担は軽いしと言う事で手摺があれば掴まりながら、ない処は娘の腕に捕まりながらアッと言う間に下りてくる事が出来た。

明日は一日家でゆっくり娘とお喋りして過ごす事だろう。夜には東京に帰ります。

 


芽吹き!

2013-01-26 11:48:42 | 

梅の木です クリスマスローズ

クロッカス これもクロッカスです

あの大雪以来10日振りでやっと庭の雪が全部消えた。雪の重みですっかり倒れ掛かった大小の木々も頭をもたげつつある。梅の木に沢山の小さい蕾が膨らみ始めているし、地下で春を待ち望んでいた花々が芽を出し始めた。この寒さで多分枯れてしまったであろう植物の姿も多い。でももしかして生きているのではないだろうかと思う植物もあるから一縷の望みは持ち続けている。
梅の木は沢山の蕾を付けているが、普通2月には咲くのだが去年は3月19日頃が満開だった事を思えば今年は更に寒さが厳しいから3月に入ってからの開花になるのだろうか!
上の柑橘は何だろう?  今日久し振りで庭に下り写真を撮りながら一巡し南側の大きな木々の間をくぐりふと見上げたら何と今迄全然気が付かなかった一番奥のコンクリート塀に夏蜜柑程の大きさの柑橘が一つぶら下がっているのを見付けた時の驚き!
4・5年前に確かこの場所に柑橘の小さい苗を植えた事は覚えている。その後木は徐々に大きくなり今1メートル半位に成長しているが実は付いた事がないから最近は気にも留めていなかった。何時の間にこんなに大きくなったのだろう。実がなったのだから花が咲いたはず、でもそれさえ気が付かなかったのだ。
家にはゆず・キンカン・ブッシュカン・レモンと4種類の柑橘があるのだからこれらではない筈、では何だろう?取って食べて見れば分かるかしら?と思うけれど何時が取り頃かも分からない。早過ぎれば酸っぱいであろうし、今悩んでいる真っ最中。
いずれ何であるかつきとめようと思っている。驚きと愉しみの胸中である。

あの雪から又降る様な予報があったりして心配していたが、幸い降らず昨日今年2回目の教室に車で行く事が出来た。一回目から暫くipadの使い方の勉強をすることになっている。いろんな事を教えて貰い出来る事が増えとても愉しみである。私の携帯はドコモのらくらくホ-ンなのだがそろそろ買い替えの時期が来ている。今度はアイホーンに買い替える積りでいる。
現在の世の中、刻々と文明の利器が想像し難い程に進んでいる。若者は当然の事の様にそれらに取り組み楽々とこなしている。年寄りはこの変わりように驚きの気持ちを禁じ得ない。そしてこの変わりようについて行くのは至難の業である。然し私は命のある限り難しい事にも取り組み様々な事を沢山経験してあの世に行きたい。

私の夫は常々「より良い人生、人の役に立つ人生を送り最後まで働いて死にたい」と言っていた。その思いは少なからず叶えられて逝ったと思う。仕事の事になると病の床にあっても気分が生き生きしてくる様子を私は嬉しく思ったものであった。
私も夫の亡くなった年齢まで後3年になった。もっと長く生きられるかもしれないし、明日にでも死ぬかもしれない時期に来ている。夫の様に大きな望み、技量は全く持ち合わせないけれど、人様の為には何もできないけれど、私なりに自分の人生が最後までチャレンジ精神でありたいと願っている。

あの大雪の日に階下のお父様が車で出掛けられ、大変な目に遭われた事(人身事故ではない)を娘から聞かされた。家の近くであったらしく娘も現場に行って大変な思いをしたそうだ。雪の日には絶対車での外出(老人は歩いてでも)は避けるべきと更に更に肝に銘じた。

2・3週間おきの金曜日に赴任先から戻って来る婿さんが折よく私の教室の日と重なり、9時半頃帰って来た。新年会後始めて会う事が出来た。私が作った夕飯を美味しいとお腹一杯食べてくれた。孫二人は夫々用があって留守、大人3人で久し振りの会話が弾み気が付いたら11時半を過ぎていた。


 


大雪のその後

2013-01-19 14:58:10 | 

玄関から門にかけての状態  車を回転するコンクリートの上の雪もこんな状態です
昨日始めて庭に下りた時の私の足跡です 駐車場の屋根にまだこんなに積っています 一昨日凄い音がした原因は二階の屋根に積もった雪が一回の屋根にドサッと落ちた音だったようです

東京に大雪が降ってから5日経ったが、期待に反して中々雪は溶けてくれない。勿論秦野行きは中止。表通りへ出る狭い私道は5日経っても地上の姿を現さない。そろそろ動かせば出られるのかも知れないけれど矢張り怖い。昨日止むにやまれず西荻窪駅のスーパーまで買い物に出掛けた。往きは何時も通る結構広い道が雪が降ると中々溶けず滑りそうで歩くのが怖いから他の道で行った。帰りは荷物が重いのでタクシーに乗った。その怖い道をタクシーは通るのだが一台車が止まっていて、其処までもゆっくり走っていた運転手さんその場では更に更にゆっくりと「車にぶつかったら大変ですからね~」と言いながら慎重に運転していた。
無事に帰り着いて一安心。この低い気温では暫く我慢するしかない様である。来週の火曜日には又雪が降るとの予報、溶けない内に又積もってはたまったものではない。金曜日は教室の日だから是が非でも行かねばならない。荷物があるから車で行きたいが車が駄目なら電車で、歩くのも怖い様だったらタクシーで行こうか?なんて・・・・今から心配したって仕方ないその時になって最善の方法を考えて行動すればいいんだ、という結論に至った訳である。先々の事を心配するのが私の性分、もっと大らかな性分になりたいな~と何時も思ってはいるけれど!!

雪国の方のご苦労を思わずにはいられない。


東京に初雪が!

2013-01-14 19:12:48 | 

午前9時半頃雨が雪になり始めました 10時半頃にはもうこんなに積もっています 正午には一面真っ白です
同じ時刻、サクランボの木も雪に覆われました 雪は大粒で降り続けます 午後1時半の映像です
風がないので木の枝に高く積もっています 枝垂れ桜の枝にも真っ白に 午後2時半、ipadで撮った写真をパソコンに移し始めてブログに載せました

毎日寒い寒いと思いながらも東京には雪が降らなかったが、とうとう降った。然も我が庭で計ったら積雪10センチもの大雪!今日は雪なのよとは聞いていたけれど新聞では雨の予報、確かに朝起きた時は雨だった。あ~良かったと思っていたら9時半頃から雪が混じり始め間もなく本格的な雪になった。風がなかったので枝に積もった雪は飛ばされもせず積もって行くさまは素敵であった。降り続いた雪も2時半頃から小降りになり出し4時半頃には止んだ。

雪は真っ白で本当に綺麗だ。家の中で見ている限りでは至福のときであるが、外出となると大変な事になる。8年前までは雪が大嫌いな私であった。何故って!  その頃は夫を車で送り迎えしていたから雪の降る冬が来るのが嫌で雪が降らないで欲しいと常に願っていたものであった。雪の日は運転が怖いから絶対乗らないと決めていたから夫の送り迎えが出来ないその辛さが私の心に重くのしかかっていたのであった。
家から五日市街道に出るまでの3軒分の長さの車一台だけが通れる市道の雪掻きをお隣のご主人と二人で苦労してやった事を思い出す。そのご主人も既に亡き人であるけれど!  最後に雪掻きをしたのは80歳位の時だった。それ以後は何処にも出なくて良いから雪掻きは一切せず溶けるのを待って車の運転をしている。今私の年齢、体ではあの頃の様に雪掻きするのは無理である。(是が非でもと言えばやるけれど・・・・)
現在は綺麗な雪景色を見るのが大好きになった。「もっと降れ、もっと降れ!」なんて思ってしまう。人間なんて本当に自分勝手なものだ。

然し今回は明後日秦野に行く予定にしているので、もしかして行けないかもしれないとは思うけれど日を改めれば良い事だから気は楽である。

庭の方は何の心配もないけれど、玄関から門までのスロープはそのままにして置くと凍って滑るから、雪が止んだ時点でお湯を沸かし一応通れる範囲だけ雪を除きお湯を流して歩けるようにし、新聞取りと門の鍵を開け閉め出来る様にして置いた。3・4年前玄関先で滑って転んで頭を打ち「私、死ぬ!」と思った時の教訓である。


主治医さんのご病気が心配

2013-01-04 20:28:20 | 

  
   今年のカレンダーです。1月は庭の雪景色、後は庭の花です。

早3が日も過ぎ今日から仕事始め。私も仕事ではないけれど、今年始めての内科診察予約の日であったから、冷たい風の吹く中初外出した。
先生はご病気を抱えていらっしゃるので、再発なさらない様にと願って来た。毎回診察室の前に先生のお名前があるとホッとしていたものである。ところが今日「代診」と書かれてあり「あ~お悪くなったのだろうか」とショックであった。代診は女医さん、優しい方であったので一寸ホッとした。 「先生お悪くなったのでしょうか」とお聞きしたら「再発なさって入院しておられるんです、3月頃まで!それ以上夏頃まで復帰なされないかも知れませんよ」と仰っていた。2か月前にはお元気だったのにと非常に残念に思ったし、あの笑顔を見られないと思うと寂しい。
頼りにしている主治医さんであるだけに、どうか快復して頂きたい そして再びあの笑顔で診察して頂きたいと切に祈り願っている。
私の体調は血圧も136と65、こんなに寒いのに上がる事もなく嬉しい事である。この一年もこの調子で元気に過ごせそうであるし、まだまだ外出も可能であると思う。唯、去年の暮れに長男の嫁の妹さんが(63歳)全くお元気であったのに急死なさった悲しい出来事があったので、私も何時何処でコロっと死ぬかも知れないとの思いを強く抱いた。これは如何しょうもない事だけれど、出来得る限り自分の体の管理には万全を期したいと思っている。
パソコンもipadも、近く携帯電話もアイホーンに買い替え全て使いこなしたい、暖かくなったら勿論方々に出掛けたいし、動けるうちに何にでもチャレンジしたいと欲張った思いでいる。

主治医さんのご病気を知って一寸落ち込んだ一日であった。


新年会

2013-01-03 14:19:50 | 

 

 

   

 
おせち料理の残ったもの、干し柿、カレンダー等を持ち帰ります。全ての事を上の6人がしてくれました。
お料理も娘・嫁が自分の受け持ち分を作って持って来てくれ、皆の力の結集で新年会は成り立っています。交ぜ寿司の写真を撮り忘れました。

明けましておめでとうございます。
世界が平和であります様に、各人が健康で実りある一年であります様に心から願います。私は今年90歳を迎えます。命のある限り日々を大切に精一杯過ごしたいと思っています。 今年もどうかよろしくお願い申し上げます。

新年会
2日は恒例の新年会、昨年暮れに長男一家に不幸がありその家族7人と、次女の旦那さんが体の不調やその他で4人が来られず、今までで一番少ない22人が集まった。 
相も変わらず集まれば笑い声の絶えない一族である。一年に一回必ず来れば皆に会える嬉しい時であり、小さい曾孫達は子供同士仲良く家中を駆けまわったりして遊び、微笑ましい情景であった。
女性群は私が何をしなくても率先して何から何までしてくれ、台所は女性で一杯。
先ずお雑煮から始まる。一人二切れとして44個のお餅を焼かなければならない。昔だったら本当に大変だったろうが、今は電子レンジがあるから比較的楽ではあるが、それでもよそった先から食べて貰わないとお餅が固くなってしまう。お重箱や大皿に盛ったおかずを回し取るのも大変である。女性たちが一生懸命作ったお料理はどれも美味しく、皆喜んで食べてくれた。
最後に当日私が作った米一升の交ぜ寿司(煎りごま・しらすぼし・いくら・スモークサーモンを交ぜその上に卵・しそ・海苔をのせる)を食べ、最後の最後に長男の嫁が作ってくれた美味しいケーキを食べて終りである。
それから残った物を7家族に分ける大仕事を女性たちは愉しげにやってくれる。塊で残ったものはジャンケンして好きな物を取って行く。そして今年は上手に出来上がった干し柿(一家族35個程)と私が教室で作ったカレンダーを貰って(勿論お年玉も)10時半頃皆満足して帰って行った。
潮がひいた様な一人っきりの寂しさを暫し感じたけれど、その思い以上に今年の新年会が愉しく無事終えた安堵感に浸ったのも本音であった。
一族が皆健康で仲良く交じあえる事、夫々の立場で有意義な一年を過ごす事が出来る様心から願っている。