老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

西荻に、今年もやって来ました風の舞

2013-07-29 11:45:55 | 

                          

  

7月最後の日曜日。午前は教会へ「平和を求める礼拝」の時を持った。

昼食は教会が毎年行う流しソーメンを広いお庭で皆と美味しく頂いた。付け汁に薬味を入れ天ぷらも入れて、眞っ二つに割った青竹の中を流れてくるソーメンを箸でヤッと掬いあげ汁に付けて食べるのである。子供達も大はしゃぎで中々上手につかめない子もいるけれどとても愉しそう。久し振りのお汁粉やスイカも頂いて満腹であった。

去年から始まった「越中おわら風の盆」が今年も西荻窪で開催された。メイン銀座通りの西側にある「乙女ロード」(こんな名前が付いていたとはこの地に50年余住みながら始めて知った)で6時から踊り始めると聞いていた。家から5分程の場所であるから家着そのままの格好でカメラだけを持ってぶらりと出掛けた。出発点近くで来るのを待つ間北の空が真っ黒で雷もゴロゴロ鳴り始め今にも雨が降り出しそう「時間を繰り上げて早く始めたらいいのに」なんて勝手な思いであったがそう簡単に時間を変えるる訳にはいかないらしい!幸い雨も来ず踊りが始まった。ほんの小規模なイベントであるからあっという間にお囃子を中心に男女のおわら風の舞は目の前を通り過ぎてしまった。駅近く最終地点で留まって踊ったり一般の人も一緒に踊る事が出来るのだが混むだろうし其処まで行って見る熱意もなかったので、ほんの短時間で帰って来てしまった。
中央線の高円寺では阿波踊りが盛んだし、阿佐ヶ谷では七夕祭りをやっていると聞いていた。西荻窪は今迄何にもない一番寂れた商店街だったので「風の舞」がこれからずーっと続いていくらかでも活性化出来るといいな~と思っている。
この行事はまだ始まったばかりなので観客は多分地元の人ばかりだと思うけれど沢山の人で賑わった。心配された雨も終わるまで降らず幸いであった。

東京で今年始めて打ち上げられる筈だった花火大会は雨で中止、隅田川の花火も30分で雨が降り出し中止になったとか、この処朝は凌ぎ易いけれど日中は蒸し暑く、夜になるとゴロゴロと雨も降りだす始末、本当に変な天候である。天候の所為か何かは分からないけれど、この時期に風邪を引く人が私の見内にも多い。体の自己管理を怠らない様にしたいと思う。


4日間連続の外出

2013-07-22 10:25:14 | 

18日    姪とその仲間のミニコンサートへ

「私と仲間のピアノミニコンサートへ母を連れて行きたいのだけど叔母さん来てくれる?」との電話が大分前に来ていた。往きは姪の婿さんが姉の世話をしてくれるが、帰りは婿さんは別の処に用事があり連れ帰ってくれる人がいないからと言う事の様であった。姉は最近車椅子に乗る状態になっている様だ。今年1月に姉を訪れて以来会っていなかったし、私も姪の演奏を聴きたかったから行く事に決めた。
久し振りで会った姉、車椅子になってしまった事は残念であったが、頭はそう衰えを感じなかったし半年前と大した変わりはなかった様に思い嬉しかった。
会場は日比谷公園近くのビル内。100名程入れる小さな会場でであった。武蔵野音大を卒業した60代の女性が仲間を作り毎年ミニコンサートを行って来たとか、皆夫々自分の教室を持ちピアノを教えている人達である。
一人が約15分間演奏するので11人で約3時間掛かった。
先ず最初の方が演奏始めた途端私にとんだハプニングが起こった。咳が止まらなくなったのだ。直ぐ近くに扉があったので急いで飛び出し暫く咳込んで治まったが演奏の途中で中に入る事が出来ず、廊下にあったモニターで聴きながら終わるのを待った。
11人の演奏は中々のものであった。平常は教える身である方々が自身が演奏する立場になれば練習にも気合が入った筈、私の知らない曲が殆どであったが、眠気を催す事無く3時間充分聞き応えがあった。

演奏会が終わり婿さんと別れ、姪ともその後仲間との集まりがあるので別れ、姉とタクシーで施設まで戻り別れそこに置いてあった自分の車で家に帰り着いたのは8時頃であった。
こうして音楽に耳を傾ける第一日目がおわった。

19日   主治医が亡くなられたと知った日

2カ月振りの内科診察日。主治医先生がご病気再発で入院なさってからもう長い。でも快復されてこの夏頃には診察を再開されると伺っていた。もしかして今日お目に掛かれるかもしれないと思っていたのに、代診の先生のお名前が!!
今はまだ暑い盛りだから涼しくなったら戻っていらっしゃるだろうと思った。然し「先生は6月に急変なされ亡くなられました」と代診の先生から知らされ唖然とした。また診て戴けると確信していただけに私の悲しみは大きかった。本当に良い先生であったから私が死ぬまで私の体は先生にお預けしょうと思っていたのに残念でたまらない。あの素敵な笑顔に接する事は再び叶わないその寂しさを今噛みしめている。人には夫々の寿命があるから致し方ないけれど今一度お会いしたかった。
先生のご冥福を祈るばかりである。

前の主治医先生には30年余お世話になったし、今の先生にも10年余診て戴いた。お二人とも私よりお若いのに逝ってしまわれるなんて如何してって思わずにはいられない。これから如何しょうと思った。幸い代診の女医先生が何時もにこやかに接して下さるし、よさそうな方なのでこれからお世話になろうと決心しお願いした。前のお二人の先生と違って未だお若いし、転勤でもなさらない限り私より先に逝かれる事はまずない筈、安心してお任せしょうと思っている。
今日は悲しい日だった。

20日   ギリシャ・イタリア旅行の写真交換会

この旅行に参加した東京近辺の方々と約一カ月振りに再会し蒲田教会で愉しい語らいの時を持った。
ある男性の方が帰りの飛行機内で17人位の方が摂られた旅行中の写真をご自分のパソコンに取り入れ、帰国されてから5000枚ほどの写真を編集されてDVDに入れて皆さんに送るべく努力されている。まだ完成していないがパソコンで見せて戴き旅を思い出し懐かしかった。

昼食を共にし話しは尽きず、3時頃まで愉しい時を過ごしたのだった。DVDが送られて来るのが待ち遠しい。
今日は愉しい懐かしい気分を味わった日であった。

21日   花火大会に誘われて

 

 

 

中々気に入った素敵な写真は撮れません。丁度花火が打ち上げられる位置に月が雲間から見え隠れしていました。

打ち上げ花火を見るのは大好きである。私達一族は夏お盆の頃に一週間軽井沢に滞在している。丁度その期間内に南軽井沢のレマン湖で花火が打ち上げられ毎年見に行ったものであった。然し10年程前レマン湖はレイクガーデンに様変わりし私にとっては嬉しい花園になってしまったが、それ以来花火を打ち上げる事はない。故に今回の花火は10年振りに見られる事になったのであった。

ブログ仲間で親しくなったTさんのお誘いであった。PC教室のO先生・Tさんの職場友達・Tさんのお友達のNちゃんとその友達と私の6名、別行動でTさんのすらっとスタイル抜群の美人な可愛らしい素敵なお嬢様とその友達の大勢で繰り込んだ。

。埼玉県大宮にお住まいのNちゃん達が買って来てくれた様々な美味しいご馳走を食堂の様な場所で6人でワイワイ言いながら愉しく食べ、7時半から打ち上げが始まった。その席は朝早くTさんが確保してくれたものであった。

開催場所は府中競馬場。故に席は競馬を見る観覧席、芝生で寝転がって見る事も出来るらしいが、私は椅子の方で良かった。花火を打ちあげる時間は僅か30分であったが様々な花火が大空に打ち上げられ舞い散り素晴らしい光景を堪能した。

この花火大会は府中市が、競馬場で市の皆さんにご迷惑をかける御礼として無料で始められたものであると言う。始めの頃は近辺の人々だけで観客は少なかったそうであるが年々増え始め、今年は一番大勢だったそうで座る場所もなく立って見ている人も多かった。

私以外の方はもう何回も見ておられるらしく私は今年始めてお仲間に入れて貰ったのだ。
私を除いた5・60歳前後の熟女達のパワーは何とも物凄い、話しには聞いていたが正しくその通り、ポンポン喋りまくり笑いまくりその凄さには到底ついて行けない私だったけれど、その輪の中に身を置けた幸せを感じたのであった。

終わって府中競馬場駅まで延々と人の波は続きゆ~っくりした歩調でしか進めない程の混み様であった。
賑やかな愉し~花火見物の夜であった。  Tさん他皆さん本当に有難うございました。来年もご一緒お願いしますね。

以上で4日間の外出記録は終りです。今日からは又一人で静かに過ごします。

 

 

 

 

 

 

 


私の近況!

2013-07-17 10:02:59 | 

サルスベリ アサガオ
この猛暑で庭に出られず草茫々、植物の枝も思いっきり伸び放題、草取りしたい!枝の剪定もしたい!との思いは山々なれど、グッと気持を抑えて家の中で過ごす日々であった。その上風邪を引いて哀れなこの10日余でもあった。
寒い冬には全然引かなかったのに、この暑さの中で引いてしまったのだ。そう言えば5日にクラシック音楽会に一緒に行った三女が風邪を引いている最中で、中々治らずこの日も咳をしていた。それが染ったのかどうかは定かではないが、次の日の夕方からおかしくなり始めたのである。私は風邪を引いても絶対熱が出ない。だからどんなに咳が出ても喉が痛くても床には就かず普通の生活を送っている。風邪で医者に掛かった事もない。重い病でない限り人間の病気には自然治癒力があるのだからそれで行こうと、但し私になくてはならない特効薬(昔亡き父が開業医であった頃自分で考え作って患者さんに与えていた薬、私が助手として薬作りをしていたから分量も作り方もお手のもの)を一日3回飲み、紅茶で嗽をするそれだけ、喉の痛さも和らぎ気分も良くなる薬である。でも治り際に濃い鼻水が出るのは如何しょうもない。かめども噛めども次から次ととめどなく出てくる鼻水には往生するのである。普段は鼻など噛む事のない私であるが風邪を引いた時だけはすざましい。屑籠が忽ちのうちに真っ白い散り紙で一杯になるのだ。

風邪を引いていても13~15日まで暫く振りで秦野に行く予定にしていた。が先ず婿さんが風邪を引きそれが長女にも染って熱を出したと言う。その上婿さんが結膜炎になり、細心の注意をしたにも拘わらず長女にも結膜炎が染ってしまったと言うではないか。風邪は3人ともなっているから染る染らないの心配はないけれど、18日から4日間続けて外出の予定がある私にもし結膜炎が染ったら大変な事になる。「お母さん如何する?来る来ない?」って娘は言う。私は考えるまでもなく「悪いけど今回は止めるわ~」と言う事になり残念ながら中止となった。12日にPC教室に行っただけでこの10日余は家でのみおとなしく過ごしたのであった。
いよいよ明日から活動開始。咳も殆ど出なくなったし鼻も大丈夫そうである。愉しみが待っている。

最近私の周辺で風邪を引いたと言う方がとても多い。如何してなのか原因は知る由もないが治るまでの日数も長いと言うし、この暑さの中では一層難儀な思いをしていらっしゃる事とと思う。お風邪を引いていらっしゃる方はどうかお大事に。お元気な方もくれぐれお気を付けられます様にと願わずにはいられない。

 


PC教室に新しい友達が!

2013-07-13 13:57:55 | 

今年始めて蕾を付けたショウマ、蕾が開くまでにとても日数が掛かります コエビソウ

ユリ ユリ

梅雨らしくなく凌ぎ易い季節だった。その上2週間ほども早く梅雨が明けてしまったのでこれ又非常に快適だっただけに、梅雨明け後のこの何とも凄い猛暑には日本中が難儀している。昔は熱中症、等と言う言葉は聞いた事もなかったし、水分の補給などと敢えて考えた事もなかった。冬は軒先に出来た素敵なつららの姿も現在では見られないし、この温暖化はこの先どうなるのだろうと考えてしまう。この自然現象は(人的要素も多々あると思うけれど)人間には根本的には如何する術もないとは思うけれど、何とか知恵を絞って対処して行けたらと思う。

庭に出てしたい作業は山ほどあるのに、この暑さではものの5分と耐えきれない。故に植物は伸び放題、雑草は生え放題、もう凄い事になっている。私が外に出て耐えられる暑さに早く戻って欲しいと願わずにはいられない。

昨日は第2金曜日のPC教室の日であった。今回から新しい生徒さんが入られ4人になった。年寄り3人組であったがぐんとお若いKさんは、先日ギリシャ旅行をした時私と同室であった方で、パソコンの話しになった時「私も習いたい」と仰り前回の教室で先ず体験勉強をなさり気に入って下さり教室の一員になられたのだ。旅行では本当に仲良しになったし、お若いだけに理解力も早くこれから私達のクラスを引っ張って活性化させてくれる生徒さんになられるのではなかろうか!と思う。
4人仲良く愉しく勉強する事が出来たらそれが何より嬉しいと思っている。

勉強が終わって三女の住まいに行った時には孫息子はいたけれど、夕方バイトに出掛けてしまったし、孫娘も遅く帰ってくるとの事で夕食は三女と二人っ切り、相変わらず「美味しい!」って言って食べてくれた。特に人参・玉ねぎの冷えたポタージュは私も「美味しい」って思った。

10時頃孫娘は帰って来た。後40日余にアメリカへ、一年間の留学を控えた孫娘、最近はめっきり大人っぽくなって中々しっかり自分の思いを言う事が出来るようになったな~と、感心している。「可愛い子には旅をさせ」と言うけれど、来年の今頃はきっともっともっとしっかりした大人になって帰って来る事だろう。一年間可愛い娘と離れて過ごす母親の気持ちは察するに余りあるけれど、これも人生試練の時であろう。
10人の孫達は夫々に立派に成長し歳老いた私をどんどん追い越してゆく。こんな嬉しい事はない。


三女とクラシック・コンサートへ

2013-07-06 10:31:46 | 

カサブランカが立派に咲きました 桔梗の紫色が鮮やかです

ショウマが始めて咲きました 小さい苗なのに可愛らしい花が一杯咲いています

 ユリの一種です

昨夜6時半から三女と共にオペラシティー・コンサトホールでクラシックの音楽を聴いて来た。
私はクラシック派だけれど三女は一寸違うジャンルに夢中である。でもクラシックが嫌いなわけではない筈。小さい時叔母から中学生の頃までピアノを習った経験もあるし! 先日テレビでヴェートーベンのピアノ協奏曲第5番(皇帝)を聴いて痛く感動したと三女から聞いていた私は、生の演奏を聴かせてあげたいと思った。丁度このと皇帝と、ヴェートーベンの交響曲第6番(田園)他のコンサートがある事を知った私は早速チケットを2枚購入した。勿論三女と一緒に行く為である。そして昨夜それが実現したと言う訳であった。
チケットはあらかじめ渡してあったので席で落ち合う事になっていた。私は開場時間丁度に着き席を探し「ここが私の席だ」と思ってひょいと顔を上げたら目の前に三女の顔が!!待ち合わせても何時もぎりぎりに来る三女故こんなに早く来ているとは夢にも思わず「へ~もう来ていたの早いね~!」ってびっくり・・・・・  前置きはこの位にして本題へ。

スペイン人の若いピアニストと読売交響楽団の演奏。最初に短いピアノのソロ演奏、しっとりとした曲だった。次がコリオラン序曲、そして愈々ピアノ協奏曲「皇帝」の演奏。私は大好きな曲、生でももう何回も聴いているが、最近はipadに入れて眠れぬ夜などに良く聞いている。三女は解説を読みながら熱心に聴いていた。満足の様子がうかがえる。次が「田園」これも又私は娘時代から昔の蓄音機で良く聞いた曲であり好きな曲。三女も知っていたらしい。両曲とも本当に聴き応えのある素晴らしい演奏であった。「クラシック・コンサートで眠気を催さなかったの始めてかしら!」と言う。この言葉は満足したと言う証であると、誘った私は嬉しかった。

9時頃終り夕食が未だだったのでオペラシティーの中にあるレストランで食べ、私は車で来ていたので三女を家まで送り、帰宅したのは11時頃だった。久し振りに三女との外出は私の心を和ませてくれたひと時であり、何よりも満足してくれた娘と共に嬉しさひとしおの私でもあった。又何時の日かクラシック音楽を共に愉しむ日が来る事を願って・・・・・・

 

 


ギリシャ・イタリアの旅(5) 最終回

2013-07-01 21:37:10 | 

6月14日(12日目)

朝早く起き帰国の途に就く。何分スト中であるから何が起きるか予想できない。リヨン空港までは地下鉄(?)に乗りリヨン空港からドイツのフランクルフルトまで飛ぶ。フランクルフルトから日本への乗車時間は決まっているし、チケットも持っている。フランスで乗り物が動かなければ日本行きの飛行機に間にあわずチケットも無効になってしまう。不安だらけであったし駆けずり回って大変な思いもしたが!!時間は遅れたが何とか予定の飛行機に乗る事が出来ホッとした。もうじき90歳になるおばあさんがよくも皆さんに付いて行動出来たものと自分ながら感心してしまう。3人は必死になってW牧師の後を追っただけであったが、全責任を負われたW牧師のご苦労は如何ばかりであった事だろうと心から感謝している。  
機中ではばらばらの席だったので話しも出来ず、私は機内で眠る事は決して出来ないので目を瞑り、テレビも見ず、NP3で音楽を只管聞きながら過ごした11時間余であった。

6月15日(13日目)

成田空港に無事着陸したのは午前7時50分、荷物が中々出て来なかったので空港にいた時間は長く掛かってしまい、長女にも随分待たせてしまったが、皆さんとお別れし、迎えに来てくれた長女と家路に就いた時は正直何にも優る安堵感を味わったものである。
私は疲れ果てていて携帯も持っていかなかったから長女が成田エキスプレスの中から子供達に母親無事帰国の報告を携帯からしてくれていた。

終りに!!

今回の旅を省りみてギリシャ・イタリアの何と遺跡の多い事か、又世界遺産の多さ等をこの目で見て実感した。数千年も前にこんな素晴らしい文化が存在した事に驚きを感ぜずにはいられなかった。実地の体験を通して様々感じる事もあったし、この歳になっても勉強する事は尽きない事を如実に感じ参加出来た事を心から嬉しく思った。同行者の皆さんなくしては成し得なかった事を肝に銘じて感謝している。

同室であったほんの最近知り合ったKさんには本当にお世話になった。ご自身も厄介なご病気を抱えておいでなのに私の事を何くれとなく支えて下さり私は甘えっぱなし、腕を組んだり手を繋いだり本当に楽をさせて頂いた。本当に有難うと感謝の気持ちで一杯である。

実は私の体は何事もなかった訳ではない。二回ばかり転んだが傷にもならない程度のもので良かった。もう一つは眩暈であった。
何日だったか忘れたが、一日観光してホテルに戻り1時間ばかり休んでから夕食にバスでレストランに行く事になっていた。
ぞの間横になっていようとベットに上を向いて寝ていたが何故か急にパッと頭を右を向けた途端ぐるぐる回り始めたのである。今迄4回の海外旅行で眩暈を起こした事はなかったのに。「如何しょうこの眩暈が治らなかったら大変な事になる」って心配になった。先ず心を落ち着けようと精神安定剤を飲んだ。眩暈に直ぐ効く薬はないのであるがこうと思ったものを2・3飲んで寝ていた処へ買い物に出掛けていらっしゃったKさんが戻って来られ私の眩暈を知ってしまわれ心配して夕食に行かないと言われる。「私は大丈夫だから行って頂戴」と拝み倒してやっと出掛けてくれた。兎に角治さなければならない、耳鼻科の先生に教えて頂いた動作を試みる事にした。ベットに横になり頭を叩きながら一回転したら何と眩暈が治ってしまった。 嬉しかった~  只何時も眩暈が起こると同時に片頭痛も起き目玉が少し硬くなる様な変な痛さを感じる。家では氷で目を冷やすと案外早く症状が良くなる。然し此処ホテルには氷が無い、如何しようと考えた。「そうだ!部屋の冷蔵庫に冷えた缶ジュースがある筈、缶を開けなければ使用料を払わなくて済むだろう」と缶を出して来てKさんが戻られるまで5本使って懸命に冷やした。お陰ですっかり治ってしまった。その後は何事もなく元気で過ごす事が出来た。

私の他にも気分が悪くなり夕食を抜いた方、軽い眩暈を起こした方などいらっしゃったそうだが大した事にならず快復されたようだ。高熱を出された方も旅の最後だったので辛うじてご一緒に帰国される事が出来幸いであった。
高年齢者が多かった旅にしては一寸過酷な旅程ではあったが、皆が仲良く支え合って長い旅を終える事が出来た事心からの感謝であった。
日本からの添乗員もなく、お一人で25人のお世話をなさって下さったW牧師のご苦労を思わずにはいられない。本当に有難うございました。

5回に亘った長いご報告になり不備な点も多々あると思いますが、お読み下さった方々に心から感謝致します。

 

 

 

 


ギリシャ・イタリアの旅(4)

2013-07-01 05:32:46 | 

6月12日(10日目)

愉しかった旅を終え帰国の日を迎えた。
W牧師他3人はこれからフランスのパイプオルガン工房へ行く事になっているので、ミラノ空港で21人の方とお別れした。昨日入院された方も熱がすっかり下がり自力で歩かれ皆と共に帰国する事が出来た事は非常な喜びであった。

さて、これから4人の旅は大変であった。この日からフランスはストライキに突入、私達が工房に辿り着くまでのミラノ空港からリヨン空港までの飛行機が飛ぶか如何かが先ず気掛かり、幸い飛び立ってくれた。

  
ミラノ空港               遥か下にミラノの街が        雲の合間にアルプスを見た

今回の旅で6回飛行機に乗ったが、窓側に座れたのはこの1回だけ、然し雲が多く気に入った写真を撮る事が出来なかった。イタリアとフランスの国境付近にアルプスが見えると聞いていたので楽しみにしていたが、雲の間から僅かに見えただけ、雲が無かったらどんなにか素晴らしいアルプスを見る事が出来ただろうととても残念であった。  然しこんな悠長な事を言っている場合ではないのだ。これからが未知の闘いの始まりであった。
多分飛行機も遅れてフランスのリヨン空港に着いたと思う。そこからオーベルタン氏のオルガン工房のあるクルトフォンテーヌという場所まで行くには電車で、途中乗り換えて相当の時間を要するのであった。W牧師も行き方をしっかり把握していらっしゃる訳ではなく、沢山あるホームの何処から乗ったら良いのか人に聞きながら、あちらでもないこちらでもないと右往左往、おまけに団体ではないから大きなトランクを自分で運ばねばならない。日本では何処の駅にもエレベーターがあるが、ここでは有るのか無いのか探せばあるのかもしれないけれどそんな時間はない。エスカレーターがあったので自分と荷物も載せ上がったり下りたり容易な事ではない。エスカレーターが無ければ階段をあの重いトランクを抱えての行動、私には到底出来ない事である。途中から見かねて男性のOさんがご自分のと私の二つを抱えて運んで下さった。W牧師は兎に角電車に乗らなければならないから早足でどんどん先に行ってしまわれる。後の3人はW牧師を見失わない様必至な思いで付いて行った。やっとの思いで電車に乗る事が出来た。が又乗り換える時も大変な思いをした。大分時間が遅れたが最後に下りた駅にオーベルタンご夫妻が2台の車で出迎えて下さった。
昨年スイス旅行の時は一行16名がバスに乗りスイスから国境を越えてこの工房を訪れたのであった。故に私は二度目でありパイプオルガン製作者の巨匠と言われているオーベルタン氏に握手して頂いた時は感激の思いであった。

ここからはお二人の運転でその夜泊るホテルまで送って頂き、オーベルタン氏と共に遅い夕食をし一先ずお別れした。
本当に大変な一日ではあったが、明日工房を訪れる愉しさを胸に床に就いたのであった。
                                                      クルトフォンテーヌ泊

6月13日(11日目)

朝再びご夫妻はホテルに迎えに来て下さった。ホテルから15分位田園風景を満喫しながら最後の目的地オーベルタン氏の工房に到着。
蒲田教会に備えるパイプオルガンを製作して下さっている工房で、去年はまだ製作が始まっていなかったが、今回は最終打ち合わせの為であった。もう殆ど外観は出来上がっていて音が未だ半分くらいと言う事であったが、パイプオルガン奏者のフランシス・ヤコブ教授が蒲田のオルガンで何曲も弾いて下さったり、これはまだ半分の音色だからと、完成していたある個人に納める大きなパイプオルガンでバッハの曲など沢山弾いて下さり、音楽会に行ったような気分で至福の時を過ごさせて頂いた。
去年オーベルタン氏のパイプオルガン製作に対する情熱溢れるお話を聞いて感動した私、今年もその様な思いを抱いて製作者としても又お家族への温かい思いが溢れるお顔を近くに拝しながら何とも言えず和やかな温かい気持ちで過ごした一日であった。

昼食は奥様手作りの美味しいお料理をご馳走になり、昔作られたと言う小さいオルガンで奥様が演奏して下さった。
それからご夫妻とご一緒にとてつもなく広い土地を案内して頂いた。馬を5・6匹も飼っていらっしゃり糞が一杯落ちている中を踏まない様気を付けながら清々しい良い空気の中を歩き回り気持ち良かった。
オルガンに使う小さいパイプをお土産に頂いた。大事な宝物として家に飾りたいと思っている。
帰る時間が来たので又駅まで送って下さりお別れを惜しんで再び握手をして下さった。本当に懐かしい愉しい一日であった。
パイプオルガンは今年の11月末には蒲田教会に据え付けられる事になっている。

 

  
蒲田のオルガン        フランシス・ヤコブ教授の演奏     オーベルタン氏の工房

  
昼食をお嬢さんも交えて和やかにご馳走になりました       奥様の演奏です

  

お別れして再び電車に乗りこの旅最後のホテルがあるリヨンに向かう。来た経路を戻る訳だが電車が途中で長い時間止まってしまったりして、やっとの思いでリヨンに着いたら 雨が降っていた。ホテルは近いと言うが方向が分からない。ある人に聞いたら間違って教えてくれ、あっちに行ったりこっちに行ったり雨の中を傘をさし、重いトランクを引っ張りながらこれ又必至でW牧師の後を追った。やっとの思いでホテルに着いたのは10時を過ぎていた。夕食はまだなのに食堂はしまっていて夕食抜きであった。
                                                         リヨン泊

   後一回で終わります。