老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

今年もあと1日!

2010-12-30 20:19:46 | 

 
 

今年も一年変わり映えしない家の花をご覧いただき有難うございました。
来年も季節毎に又同じ花々を載せる事になりますが、見て頂けたら嬉しく思います。
今年最後の花です。菊が咲き揃いました。左下は白い実が付く万両です。秦野の長女の庭から根の付いた赤と白の2本を3・4年前に貰って来て植えたのに赤はどんどん成長し庭中のそこかしこに根を出していますが、白は全く見えず駄目になってしまったのかと思っていたら、最近植えた別の場所で実っているのを発見し嬉しかった事、娘に「あったわよ~」って大声で叫びたい気持ちになりました。
南天は実が付き出してから年ごとに実の数が多くなっています。たわわに垂れ下がる程に実を付けて欲しいと期待しています。

今日は30日。この日は毎年三女が娘を連れて正月料理の鶏の串焼きを作ってくれる。私が80歳を過ぎた頃から「お母さんが一人で作るのは大変だろうから皆でおせち作りの一部を受け持とう」と申し出てくれた。それ以後女性3人が一品づつ家で作って持って来てくれる。三女は実家に来て作ってくれるのだ。鶏肉を切って調味料に漬け込むまでは私がして置く。串にさしレンジで焼く(今回は孫娘が来られなかったので)私も手伝って45本の串焼きが美味しそうに出来上がった。
その後エアコンの掃除をしてくれたり、高い処の埃が気になるのか拭いてくれたり、門松を一緒に立てたり本当に助かった。娘とは有難い存在だとつくづく思う。

私も最後の3日はおせち料理に専念するのが娘時代からの習慣になっている。2日の新年会の為に約30人前のおせちを作らねばならず、材料の調達が結構重く大変とは思うけれど、作りだせば早々に出来てしまい、今夜はブログを書く事も出来た。明日はお雑煮の用意と卵焼きそして夕方お重箱に詰めれば終りである。夜はゆっくりテレビでも見ようかという大晦日になるであろう。

今日で今年のブログ投稿も終りです。一年間お付き合い下さった皆様本当に有難うございました。来年もよろしくお願い申し上げます。
来年一年も皆さまの上にご健康とお幸せが豊かにあります様心から願っております。良い新年をお迎えなされます様に。


クリスマス会

2010-12-25 19:07:56 | 

クリスマスの献立 西荻窪にある「こけし屋」で買い持参したクリスマスケーキです

24日のイブは丁度この日が授業の日だったので、クリスマス会をする事に決まっていた。何時もの事だから料理は私が受け持つ。昔は良くデコレーションケーキを手作りしたものだが、子供等がいなくなってからついぞ作った事がない。このケーキも買ってしまった。
婿さんは会社が終わってから新幹線で帰って来たので、8時半から会は始まった。次男も誘って参加したし、下のご両親もご一緒に8人である筈だが、孫息子は「クリスマスイブに若者が家にいるなんて!!」と言う事で出掛けてしまい7人で本当に愉しい一夜を過ごした。

食事が終わってお腹一杯だったけれど、時間も遅い事だしとケーキに蝋燭の灯を灯し「ジングルベル」の歌をなにやらいい加減に口ずさんで蝋燭を消し、孫娘が上手に切り分けてくれ美味しく食べた。食べ終わった頃以外に早く孫息子が帰って来た。「早かったね~会えてよかった~」と喜んだ。
時間の経つのも忘れるほど話しは尽きず、解散したのは11時半。私が家に着いたのは12時を過ぎていた。
今年の笑い収めの日であったろうか。

 

22日に産まれた9人目の曾孫を荻窪にある東京衛生病院へ見に行った。「私も行きたい」と秦野から長女も馳せ着けた。3週間も早く促進剤で出て来たため体重は2350グラムと小さい。30分程ガラス越しに見ていたがスヤスヤ眠っていて目を開けてくれなかった。おっぱいを飲む力も弱い様である。未だお腹の中に居る筈だったのだから仕方がなかろうけれど、5体満足に生まれてくれた曾孫、これから日々成長する事を心から願っている。孫娘もとても元気であり安心した。身二つになりこれからが正念場、子供を育てると言う事は並大抵の事ではない、周囲の助けを借りながら我が子を一人前の人間に育てる責任をしっかり果たして欲しいと願わずにはいられない。

 

 


9人目の曾孫誕生!

2010-12-22 21:35:15 | 

菊が咲き出しました 一寸大振りの真っ白い菊、毎年咲いてくれます

9人目の曾孫(女の子)が誕生した嬉しい日。
予定日は来年1月11日であったが、逆児でそれは正常に戻したが再び逆になる可能性があるので、促進剤を使って自然分娩での出産を無事終える事が出来たそうだ。20日も予定日より早い出産なので少しは小さいのではと思っているが、親子共に元気であると聞いて安心した。3日前にこの様な状況下での出産である事を長男から知らされていたので、一抹の不安があったが今は嬉しさ一杯である。
長男夫婦にとっては初孫でありどんなに嬉しい思いでいる事か、心からおめでとうと言いたい。

私も次男が逆児でおまけにその頃の35歳と言えば高齢出産であったので、帝王切開であった。三女も逆児、戻しても又ひっくり返ってしまう。故にこれ又帝王切開で生れて来た子であった。だから私は生みの苦しみを味わった事がない。二人ともお乳が出なかったので授乳した経験がない。これは今もって残念に思う事の大なる一つである。これらはもう50年前後の昔話になるが・・・

今日生まれた曾孫がお母さんのおっぱいを沢山飲んで逞しく成長して欲しいものである。この子の成長を私は何歳になるまで見守る事が出来るであろうか。
孫娘の始めての出産、孫息子の時とは又違った嬉しさであった。

今週の土曜日に孫娘を見舞い、赤ちゃんに初お目見えして来ようと楽しみにしている。

 


人との出会い!

2010-12-12 20:08:28 | 

ニシキギの紅葉です パンジー、余り好きとは言えない花だけれど、一鉢買ったら中々綺麗です

W牧師との出会い。

今日は会員である市谷教会ではなく、蒲田教会に行った。
話せば長くなるが、私はキリスト教の精神である自由学園で学んだが、洗礼を受けた事はなかった。姉の娘がルーテル教会の信者であった事から、20年ほど前姉と上の弟(故人)の嫁(私達姉妹と同じ自由学園を卒業した人)と3人で当時市谷教会の牧師であられたW牧師に洗礼を受けたのである。以後毎日曜日姉と礼拝に通ったものであった。
1005年の3月をもってW牧師は市谷教会を去り、蒲田教会に移られることになった。丁度その3月28日に私の夫は天に召されたのである。死の前夜夫は病床洗礼をW牧師にしていただいた。移られるお忙しいさ中夫の葬儀の司式をして頂いたのである。本当に良い葬儀で有難かった事を思い出す。その3日後に蒲田教会へ赴任なさったのであった。その後も納骨式・一年祭すべて取り行って頂いた。
上の弟も姉の夫もW牧師に葬儀をして頂いている。
私個人としては夫が亡くなって次の年から一年おきにドイツ・トルコ・フィンランドと3回教会関係の方と海外旅行をし、すべてW牧師が団長で私も参加させて頂いたのであった。
蒲田教会へ移られてからも私は年に3・4回は礼拝に出させて頂いている。いつもにこにこと迎えて下さり心が温かくなる。今日も「ひと月に一回はいらっしゃい」と仰って頂いたが中々思う様には行かれないのが残念である。
W牧師は堅苦しさのない自然体の温かい素晴らしい牧師である事に、私は傾倒し尊敬の念を抱き、何時までも心の内で慕い続けたい牧師先生なのである。

人との出会いは良い人ばかりとは限らない。でも心を温かくしてくれる様な良い人との出会いは一生大切にしたいものだと思う。

 


美味そして満腹!

2010-12-11 17:20:14 | 

ビデンス、聞いた事のない名前。真っ黄色で綺麗です 秦野で買って来たポインセチアです。赤が一般的ですがこの色も素敵です
万両です 千両、お正月の花として多く使われます 十両、「ヤブカラシ」とも言われます

昨晩新宿の高野フルーツパーラ内にある「なだ万」で夕食をした。
ある教室の方3人と三女、その日は私の授業の日であったので「先生のお母様もご一緒に」との嬉しいお誘いで参加させて頂いた。
和食であったが、その味付けの美味であった事、そして盛られた器が今まで見た事もなかった様な形、趣きがあり本当に素晴らしかった。「次から次と運ばれて来る料理を口にする度に「美味しい、美味しい」の連発であった。最後のコーヒーを飲み終えた時には皆のお腹は満杯、私は胃の上まで詰まっている感じすらし苦しい一歩手前、「今日は体重計に怖くて乗れないわ~」と思った。

参加者中、お一人は私の家に一度来て下さった方でお親しい。お二人にお会いするのは始めて、でも三女もいるし皆さん良い方で食事しながら愉しい話しは尽きなかった。

三女とのたまの外出は私にとって貴重であり、嬉しいものであった。駅での階段は必ず手摺に頼る私だが昨夜は三女が手摺変わり、平地でも常に手を組んで歩いていた。長女・次女は有無を言わせず私のバッグを持ってくれる。三女にはその気配すらなかった。でも私の大切な3人の娘達、3人3様で夫々頼もしい存在である。

三女の家に車を置いて来たので、そのまま電車で帰る訳にはゆかず、再び明大前から歩いて娘の家に戻った。孫達に金曜日の夕食を作っては上げられなかったが、朝お母さんが作り置いてくれた夕食を食べ二人の帰りを待っていてくれた。
帰宅の途に付いたのは11時半になっていた。何時も帰る時は皆で車の所まで出て送ってくれる。孫二人とは必ず車の中から私が手をだし手と手を叩き合ってさよならをするのが慣わしになっている。こんな小さな動作の中からでも心は通い合うものなのであろう。


腰痛に耐えながら!

2010-12-09 10:39:18 | 

庭のサザンカが真っ盛りです 小振りの菊が咲きました

昨日は久し振りに娘二人と外出を共にした。
第一の目的は長女の婿さんが出品する「和の会」と言う写真展を見る事。73人の会員全員の作品が並び、私等と違って流石先生に習っていらっしゃる方々の写真は被写体の捉え方が素晴らしい。じっくりと見て回り目の保養になった。

昼食をしてから次なるは、日比谷公園の特設会場で行われている「特別展ダ・ヴィンチ~モナリザ25の秘密」であった。ひと味もふた味も違う超体験型のイベント。画家・発明家・医学(人体解剖図、解剖スケッの細やかさ、正確さは見事であった)
正当な教育も受けず、67年の生涯でこれだけの事どもをやりおおせたダ・ヴィンチ、これは正に驚異である。必見の価値ある展覧会であろう。(20日まで開催されている)

さて題目に腰痛と書いたがそれはこの様な次第である。朝起きて間もなく坐っていて腰にキイーンと来る痛みを感じた。何時もなら何ともないのだが今回はだんだん悪くなり歩いても痛い。一時は今日の出掛けは無理かなと思ったが、出掛ける時間頃になり楽になって来たので出掛ける決心をした。皆に会って愉しく工程を進めダ・ヴィンチの展覧会を熱心にゆっくり見て回っていたら、中程から腰が辛くなり始め何処か坐る処がないかと見回してもない。もうゆっくり見ている気持ちはなくなり早く外に出たい一心で二人の娘を後方に残し早足になっていた。多分娘達もこの辛さを察してくれたのだろう。早足で進んでくれたようである。
園内に松本楼と言う食事処があったので、急行しやっと坐る事が出来た。30分位ゆっくりお茶をし、もう一か所行く予定だったが「私はもう行かないわ、二人で行ってらっしゃい」と何時になく弱気の発言。 東京駅で娘等と別れ珍しく明るい時間に帰宅した。途中で最後の美術館は棄権したが実りある一日であった。

日比谷公会堂を遠くから目にした時、70年ほど昔全校生徒で一年に一回音楽会を催した事を思い出し懐かしかった。一流のソロ歌手を迎えてべートーベンの「第九、歓喜の歌」の楽章を演奏したのだ。私はヴァイオリンを弾いたが、今から思うと入場料を頂いて生徒達の未熟な演奏がよく出来たものだと冷や汗が出るが、これも遠い昔の懐かしい思い出であった。


旅行 その2

2010-12-02 14:27:58 | 



一回目の投稿が余りにも長すぎ、入らなくなってしまった事が分かり、新規投稿し直した。これも一つの良い経験となった。

6日間子供等と一緒に過ごせ愉しかったし、綺麗な紅葉も満喫出来たし全て感謝であった。
今夜長女と一緒に東京に帰ります。
とてつもない長いブログになってしまいましたが、お暇の折にでもご覧頂けたら嬉しいです。


続けて2泊3日づつの浜松・秦野にて

2010-12-01 12:22:53 | 

  
  
  

11月27日から29日の2泊3日を浜松の次女の処で過ごした。今回は珍しく三女と一緒、娘は授業を終えた土曜日の午後、私は指定席、三女は自由席の同じ列車で浜松駅のホームで顔を合わせた。駅には次女夫婦が迎えに来てくれていた。
私は次女の家に4・5回来ているが、三女は始めて。単身赴任の三女の婿さんも豊川から来てくれ直ぐ近くの中華料理店で美味しい、楽しい夕食の時を過ごし皆で次女の家に行き暫くの時を賑やかに過ごし、三女夫婦は車で豊川に帰って行った。
私は次女の家に泊る。

28日は次女夫婦と3人で7時15分に家を出て「小国神社」(此処は森町と言い昔森の石松が住んでいた処だそうだ)に紅葉見物に行った。上の写真であるが素晴らしかった。1時間半程見て回り次なる場所に向かったが紅葉見物の車が延々と連なっており、早起きして来て良かったと胸を撫で下ろした。

昼食を「カフェ・ド・ジジ」と言うレストランでした。此処は豊橋の駅近くにある私の姪の長男がオーナーである小さな店なのだ。常々姪から「一度行ってやってよ」と言われていたので三女を豊橋駅で拾い4人で押し掛けた。営業成績は中々大変なようであるけれど、にこやかに元気で働いていた。
豊橋の駅で別れ三女は東京へ帰って行った。私はもう一晩泊った。

29日浜松城にて
  
  
  リスがピーナッツを男性に貰って3匹位チョロチョロ走り回っていました

浜松ガーデンパークにて
  
  
ひめりんごです サフランの素晴らしい群落です 真っ白な可愛いオキザリスです
今年家で一輪も咲かなかった皇帝ダリアを見る事が出来ました 変わった実、これは何の木でしょうか? 

最後の日、婿さんを仕事場に送りその足で浜松城へ行った。私はお城を見るのが好きである。でも天守閣まで登るのは苦手だ。娘夫婦は毎早朝城内を1・2周歩くのを日課にしている故、勝手知ったる場所、娘の案内で未だ綺麗に咲いている紅葉を見て回る事が出来たし、可愛いリスが走り回っているのを目にする事が出来た。

この日は娘の運転で次に行ったのは浜松ガーデンパーク。此処で娘はボランティアをしている。奥まで全部歩いては時間が掛かるし草臥れもするので往きは乗客二人きりの貸し切りボートで船長さんの説明を聞きながら楽しんだ。
色々の苗が植わっており来年4月頃には綺麗な花を見る事が出来る。現在でも結構楽しめた。

4時10分のひかりに乗り東京の我が家に着いたのは6時半頃だった。愉しい2泊3日の浜松行きは無事終わった。

浜松より帰った次の日30日午後秦野に向かう。此処も2泊3日。
二日目に秦野変電所付近の紅葉が綺麗と言うので3人で出掛けた。