21日
3年目の嬉しい柿取りの日、幸い天気も良く男女各々6名づつの12名が集まり愉しい柿取りが始まった。男性は柿もぎ、女性は渋柿剥きに只管励んだ。
甘柿は今年余り生らず私が何度も下から数えて40個位と思っていたら何と約100個も取れた。
渋柿は300個、これは数えた訳ではないけれど、こんなにあるとは思はなかった。剥けども剥けども次から次と運ばれて女性群は夢中になって剥いた。一本の紐に7個づつ結び二階の洗濯干し場に運んで吊るすのは次女の役、途中から長女も加わって、これは中々大変な仕事なのだ。私、三女、長男の嫁それに大きなお腹を抱えた孫娘は坐ったきりで一所懸命剥いた。
男性軍は一足早く終わり、枝や葉をすっかり片附け庭も綺麗にしてくれた。それにしてもあの遥か高い処に生っていた柿をよくぞ取ってくれたもの!流石男性と感心せずにはいられない。孫娘の婿さんは皮むきも器用な手つきで手伝ってくれた。
三女の息子が甘柿の分配役、大きさを按配し7家族分7列に綺麗に分けて並べてくれた。
午前1時間半位で甘柿取りは終り昼食。私が作った交ぜ寿司、サンドイッチ等を食べて午後は渋柿取り、剥きに2時間半位掛かっただろうか。全て終わってお茶の時間、久し振りにフルーツポンチを作ったのでそれとお菓子、双子の弟孫が入れてくれるコーヒーを飲みながらひと団欒、12人の一寸早いお正月が来た様な気分であった
。
仕事を一生懸命しながらも常に話しは弾み、笑いは絶えず本当に愉しい半日であった。4時半頃一列づつ甘柿を袋に入れ残った寿司やサンドウイッチを分けて持ち帰って行った。 皆さん本当にご苦労様でした。有難う。
あの沢山の干し柿、どうか上手に出来上がってくれるよう願っている。お正月に立派な吊るし柿を皆に上げる事が出来、喜んでもらえる様にと、私の腕ではなく、天候の良好を祈っている。
柿取りの夜泊った次女夫婦、婿さんは仕事で長野に出掛けた。雨が降りそうだったけれど紅葉が見たいとの思いから次女と二人で六義園に向かった。まだ満開とはゆかないけれど、紅葉が綺麗だった。殊にハゼの紅葉は絶品、目を奪われた。徳川綱吉の信任が厚かった柳沢吉保の大名庭園で、明治に入り岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年東京都に寄付され貴重な文化財であると言う。
大きな池の周りを一周し途中の心泉亭で薄茶を頂いたりし、今年最初の紅葉見物を気分よく果たす事が出来た。
次はゴッホ展へ。(没後120年)
メトロ千代田線の乃木坂駅すぐ傍にある国立新美術館で開催されている。月曜日にも関わらず大勢の観客であった。ゴッホと言えばひまわりの絵を思い浮かべるが、僅か37年の生涯の中でこれ程の作品を模索しながら真摯に取り組んで描き続けた人である事を知った。没後、偉大な画家として世に知られる様になった。
その他有名な画家の絵も多く見る事が出来た。
愉しい、嬉しい、有難い二日間、身も心も満ち足りた時間であった事に感謝している。
一枚の写真に手を加えたら変になってしまいました。如何しょうも出来ないのでそのまま載せます。三女に聞いて後で直します。お見苦しいでしょうけれど悪しからず。