老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

3年目の柿取り

2010-11-23 14:14:07 | 

甘柿です。約100個取れました 渋柿の皮を剥いています
二階の物干し竿に増えて行く吊るし柿です 庭から撮りました。真中の空いている部分は洗濯物を干す場所様です。柿の重さで竿がしなっています。危ないっ!

21日
3年目の嬉しい柿取りの日、幸い天気も良く男女各々6名づつの12名が集まり愉しい柿取りが始まった。男性は柿もぎ、女性は渋柿剥きに只管励んだ。
甘柿は今年余り生らず私が何度も下から数えて40個位と思っていたら何と約100個も取れた。
渋柿は300個、これは数えた訳ではないけれど、こんなにあるとは思はなかった。剥けども剥けども次から次と運ばれて女性群は夢中になって剥いた。一本の紐に7個づつ結び二階の洗濯干し場に運んで吊るすのは次女の役、途中から長女も加わって、これは中々大変な仕事なのだ。私、三女、長男の嫁それに大きなお腹を抱えた孫娘は坐ったきりで一所懸命剥いた。

男性軍は一足早く終わり、枝や葉をすっかり片附け庭も綺麗にしてくれた。それにしてもあの遥か高い処に生っていた柿をよくぞ取ってくれたもの!流石男性と感心せずにはいられない。孫娘の婿さんは皮むきも器用な手つきで手伝ってくれた。
三女の息子が甘柿の分配役、大きさを按配し7家族分7列に綺麗に分けて並べてくれた。
午前1時間半位で甘柿取りは終り昼食。私が作った交ぜ寿司、サンドイッチ等を食べて午後は渋柿取り、剥きに2時間半位掛かっただろうか。全て終わってお茶の時間、久し振りにフルーツポンチを作ったのでそれとお菓子、双子の弟孫が入れてくれるコーヒーを飲みながらひと団欒、12人の一寸早いお正月が来た様な気分であった

仕事を一生懸命しながらも常に話しは弾み、笑いは絶えず本当に愉しい半日であった。4時半頃一列づつ甘柿を袋に入れ残った寿司やサンドウイッチを分けて持ち帰って行った。  皆さん本当にご苦労様でした。有難う。

あの沢山の干し柿、どうか上手に出来上がってくれるよう願っている。お正月に立派な吊るし柿を皆に上げる事が出来、喜んでもらえる様にと、私の腕ではなく、天候の良好を祈っている。

21日:六義園にて
  
  
  これ何だと思われますか?花弁の散った後のおしべだけなのです。余りにも可愛かったので

柿取りの夜泊った次女夫婦、婿さんは仕事で長野に出掛けた。雨が降りそうだったけれど紅葉が見たいとの思いから次女と二人で六義園に向かった。まだ満開とはゆかないけれど、紅葉が綺麗だった。殊にハゼの紅葉は絶品、目を奪われた。徳川綱吉の信任が厚かった柳沢吉保の大名庭園で、明治に入り岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年東京都に寄付され貴重な文化財であると言う。
大きな池の周りを一周し途中の心泉亭で薄茶を頂いたりし、今年最初の紅葉見物を気分よく果たす事が出来た。

次はゴッホ展へ。(没後120年)
メトロ千代田線の乃木坂駅すぐ傍にある国立新美術館で開催されている。月曜日にも関わらず大勢の観客であった。ゴッホと言えばひまわりの絵を思い浮かべるが、僅か37年の生涯の中でこれ程の作品を模索しながら真摯に取り組んで描き続けた人である事を知った。没後、偉大な画家として世に知られる様になった。
その他有名な画家の絵も多く見る事が出来た。

愉しい、嬉しい、有難い二日間、身も心も満ち足りた時間であった事に感謝している。

一枚の写真に手を加えたら変になってしまいました。如何しょうも出来ないのでそのまま載せます。三女に聞いて後で直します。お見苦しいでしょうけれど悪しからず。


心臓エコーの結果

2010-11-16 19:18:35 | 

四季咲きのバラが次々咲いています。盛りの時よりは花弁が小さいけれど綺麗です サザンカが咲き始めました。蕾が一杯です
ヒガンバナ科の花が一輪だけ突然咲きました オキザリスだと思います。黄色が可憐です

この処秋晴れが続いている。夕べは雨が降ったが今朝は止んでいてよい天気、でも一寸寒く冬が近付いているな~と感じた。

先日心臓の超音波検査を受けてから丁度10日経った今日、主治医さんからその結果を宣告(大袈裟!)される日であった。この間、私はその事に付いて極力考えない様にして来た。きっと大丈夫とは思っていてもいざ結果が分かる当日となると気にせずにはいられなかった。子供達の為にも元気でいなくてはならない母親なのだ。皆が心配してくれている、どうか良い結果である様にと祈った。

「エコーの結果は何ら異常ありません。良かったね~」と仰って下さった時本当に嬉しかった。先日来娘等が心配してくれ、長女は先週の火曜日に「どうだった?」「来週の火曜日よ」こんなやり取りもあったし、昨日は次女から「明日分かるのね」と電話を貰ったし、娘等の気持ちが有難かった。

家に戻り電話しょうと思ったが昼をとっくに過ぎていて、お腹も空いてたので先ず食事をしてから次女にメールし、長女に携帯で結果を報告「良かった、良かった~」と喜んでくれ長電話していたら、メールを見たらしく固定電話に次女から電話、私は両手に電話器を持って「なんて幸せな私!!」と思いながら「今よっちゃんと電話しているの」と一応電話を切った。長女とはもう長話したので「有難う」と言って電話を切り、次女に電話をしこれ又長電話。子供等は喜んでくれたし、私の心も晴ればれであった。

先日クラス会を行った報告を皆に送る作業を今日もう一人の方と家でする事になっていたが、今朝体の具合が悪く行けなくなったと電話があった。「私一人で出来るから心配しないで、お体お大事にね」といった手前是が非でも一人でやらなければならなくなった。
娘との電話が済んで直ぐ取りかかり4時半過ぎ頃終わった。今日中にポストに入れたかったのでA4のプリント用紙が4枚入っている分厚い封筒を42人分持ち抱え郵便局に急いだ。5時一寸過ぎていたので42枚もポストに入れなくてはならないかと覚悟して行ったら未だ郵便局が開いていた。(5時までだと思っていたら5時半までだった)中に入ったら「こちらに下さってもいいですよ」と言って受け取ってくれた。いちいちポストに入れる手間が省けて助かった。これで正委員は終わった様なもの、来年からは助っ人でお役に立ちたいと思っている。

この処結構暇な毎日であったので、今日は久し振りに充実した一日であった。

 

 


一先ず外出最後の日!

2010-11-09 14:39:39 | 

庭に咲いたもう一つのアブチロンです 名前は分かりませんが真っ赤な実がなっています

先週日曜日から続いた外出の最後の昨日はクラス会で新宿まで出掛けた。
何分老人なので体の都合で委員が再三再四変わり、最初決めた人と全く違うその一人が私だった。集まって見れば変わった筈の三人の内お二人は元気になられご出席。「これってなあ~に」と思ったがお元気になられたのだから喜ぶべき事と皆で喜び合った。87・88歳の後期高齢者14人の集まりは、だれしもが体に何がしかの異常を持った人々である。動作は鈍いし食も細く昔学校時代のあの溌剌とした若さは何処えやら!!でも口だけは達者である。昼食を食べながら全員の話しを聴く事が出来た。
最近はクラス会費は集めず今迄溜まっていたお金で会が続けられていたけれど、今回で僅かしか残らず次のクラス会が出来ない事を話した「どうしましょう、もう止めにしますか?」と言ったら止めようと言う方は一人もいない。「又お金を集めて続けましょうよ」と言う事に決まった。然し次の委員になってくれる人がいない。「Tさんが補助してくれるならしてもいい」と二人の方がおっしゃり3人でする事になった。私はあくまで助っ人でパソコンを使う仕事だけすればよく、文章を考えたり会の実行には一切携わらなくてよいから気楽。来年だけでなくクラス会が続く限り補助員をやらされそうな気配である。パソコン出来る人は私以外いないので、お役に立つなら気持ち良くお手伝いしようと思っている。
集合写真も撮ったし、往復ハガキで地方の方々の近況の返事も殆ど届いているのでそれらを載せ、クラス会の様子なども入れて45人の人々に送る仕事が待っている。

秋晴れが続いているこの季節、菊展にも行きたいしその内紅葉も見に行きたい。でも先ずクラス便りが第一の仕事である。今日だけは久し振りにのんびりした気分で過ごした。


まだ続いています!

2010-11-06 22:08:14 | 

 

秋になると庭のあちこちに蜘蛛の巣が張りうっかりすると顔は蜘蛛の巣だらけになることがある。今年は女郎蜘蛛が多い。この蜘蛛は私の父がとても好きだった蜘蛛で大切に飼っていた。だから私も女郎蜘蛛には思いが強い。皆さんは「なーにこの蜘蛛気持ち悪い!」と思われるかもしれないけれど、見ていると綺麗で巣を壊してはいけないと言う気持ちになる。
右のホトトギスは去年沢山咲いたのに、今年はあの暑さですっかり枯れてしまいこの写真だけが咲いてくれた貴重な一輪。

昨夜遅く秦野から帰って来た。何時もは1時間5分で全然混まず快適なのだが、昨夜は東名道路をスイスイ走って用賀で降りた途端、環八は物凄い渋滞、止まっては一寸走りの状態が続き退屈であった。音楽を聞いているからま~いいけれど、隣に誰か乗っていてくれたら退屈しないですむのにな~、なんて思いながら渋滞を辛抱して走ったと言うか!はたまた早足で歩いたと言うか!であった。

そして今日は心臓をエコーで見て貰う日。朝8時半には家を出なければならなかった。洋服をたくし上げて胸を出し器械を胸のあちらこちらに動かしながら20分ほどやっていた。余り長いのでどこか悪いのかなと思ったりしたけれど、結果が分かるのは16日、主治医さんからの診断を伺う日である。

明日は「故人を偲ぶ礼拝」が教会で行われる。教会員で亡くなった身内のある方は写真を持参する事が出来る。私の夫もその中の一人であるから写真を持つて行こうと思っている。夫を強く思いだす日でもある。

明後日はクラス会。私は今年の委員であるからのほほんと出席していればいいと言う訳にはいかない。良い会にするため全力を尽くしたい。
この日をもってこの長かった連日の外出は一先ず終りとなるのだ。


毎日外出しています!

2010-11-04 14:24:09 | 

  
  

二日続いた悲しい通夜の翌晩は、偶にしか出掛けられない三女と共に四谷区民センター・ホールで始めてエレクトーンの演奏を聴いた。三人の(うら若きではないが!)女性(この内お二人はパソコン教室の卒業生だそうだ)の素晴らしい演奏、ドラマ・映画の主題曲13曲、昔私が結婚した頃夫と共に映画館で見た「道」という外国映画の曲懐かしかった~ その他も知っている曲ばかり、力強いエレクトーンの演奏そして沢山の解説付きでとても楽しめた。この「アンサンブル・フローラ」は来年外国に進出し演奏活動をなさるとか、更なるご成功を祈っている。

次の朝は6時半に車で家を出秦野へ。車は家に置き、長女と共に次女夫婦と小田原駅で待ち合わせ、鎌倉まで行き次女の先輩である阿見みどりさんの「阿見みどり万葉野の花お話会」に行った。今迄3回位阿見さんの野の花の展覧会に行った事があるけれど、この方の描かれる野の花はとても優しくその素晴らしさには心が和む。今回は始めてお話会と言う事で万葉歌に付いて等1時間半に亘る興味深いお話を伺った。その後参会者の感想なども話し合った。
次女夫婦とは小田原で別れ秦野の家に帰り着いたのはもう真っ暗な7時頃であった。

昨日も秋晴れ、今日も素晴らしい秋晴れの一日であった。今回は長女に仕事があり午後出掛けるので午前中に何時も行く園芸店(ビーバートザン)に行き5種類位の植物と肥料を買った。
午後近くの公民館で菊展が開かれていたので、婿さんと出掛けた。上の写真であるが見事な作品であった。見終って直ぐ隣の公園内を歩きハナミズキの紅葉や色付いた桜の葉、未だ黄色くなっていない枝ぶりの素敵な銀杏の木等を見て回った。

明日は夫婦とも外出する。依って私がお留守番役を務める。多分パソコンの前で過ごす一日になりそうである。夕食を済ませ何時もの決まりで9時には帰宅に付く筈である。


2夜続いた通夜

2010-11-02 14:26:18 | 

先日も載せましたがピラカンサの実が真っ赤になり、外出先から帰って来ると我が家の玄関先は見事です ペンタスです

暫く雨もしくは曇りの日々が続いたが、今朝起きたら雲一つない真っ青な空であった。これが秋晴れなんだ~と嬉しい気持ちになったが、午後には薄雲が出て来ている。予報は暫く天候が良いらしいから「秋晴れっ!」と言う日が続いて欲しい。

31日・1日と二夜続けての外出。31日は私の通う市谷教会員であられるI氏の前夜祭であった。ルーテル教会でも重き位置におられ、毎日曜日は敬虔な一信徒として出席される事を最上の喜びとされ、また奥様もお子様・お孫さんもご一家が信者であり、家では良き夫、親、お爺ちゃんとして皆に愛された偉大な方であったと言う。図らずも7月にご夫妻と共に市谷教会から参加したフィンランドの旅で毎日13日間I氏のお姿に接したのが最後であった。
400人程の大勢の方々が集まられた前夜祭、会堂には入り切れず、私は別の部屋のスクリーンで天に召されたI氏の在りし日を思い出しながらご冥福をお祈りした。

次の日は従弟の通夜であった。私の実母の妹の息子で4人兄弟の3番目の子、兄と弟に先立たれ83歳の姉と二人だった。私はこの姉とは結構交流はあったが、従弟とは疎遠であった。故人が生前こよなく愛したと言う「ドボルザークの交響曲4番」を葬儀中聞きながら一昨夜とは打って変わった60人ばかりの人々と静かな良い通夜のひと時を過ごした。

人の死とは辛く悲しいものである。でもこの世で精一杯生きた人が神の身元に召され、天国で残された人々をきっと守ってくれるであろうことを信じている。