老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

昭和記念公園のコスモス&マラソン

2012-10-21 11:19:21 | 

箱根駅伝予選会の模様です  コスモスの向うにマラソン関係の賑わいが!

原っぱ西花畑のコスモス
  
私の大好きなシェーシェルです  八重です

原っぱ東花畑とコスモスの丘他
一面黄色いコスモスばかりでした  コスモスの丘
青空に映えて綺麗でした  バンパース、近くに行けなかったので遠くからズームで撮りました
あちらこちらに金木犀の大木が沢山満開でした 私の大好きなススキはどこにでもあります シオンです

20日昭和記念公園で箱根駅伝の予選会が行われる事を新聞のチラシで知っていた。私はマラソンを見るのが好き、去年コスモスが余り綺麗ではなかったので今年は行くまいと思っていたが、マラソンを見たついでにコスモスも見て来ようと前日決心した。先日巾着田に行って娘夫婦に迷惑かけたし遠い処まで来て貰うのも気が重いので一人で行こうと決めた。

マラソンは9時半スタート、20キロなので約1時間でゴールすると時間を見計らって家を9時に出た。着いたのが10時20分頃でゴール地点まで行っていては間に合わない、何処かでみられないかな~と見回したらすぐ右手の道の方に人々が行くではないか。私も皆の後を追って道路に出、走者を待つ事5分、先頭を走るランナーが見えて来た。日大の外人選手ダントツに早かった。その後も次々に目の前を通り抜けて行く。20キロの最後あたりだから選手の顔は疲れに歪んでいた。でも自分の学校の為に一生懸命走る姿は美しい。各学校から10人づつが走ってその合計点で勝敗は決まるらしい。去年のシードに残った10組とこの予選で勝ち抜いた9組が箱根駅伝に出場出来るのだ。最後の走者まで見皆で拍手で送った。

マラソン見物を終わってここからはコスモス見物である。原っぱの東・西に分れて夫々素敵なコスモスが咲いていた。原っぱの真中ではマラソン関係の人々が一杯集まり、成績の発表を聞いていた。コスモス見物の私達の耳にも「1位日大、2位帝京」というアナウンスが聞こえて来た。

私の大好きなシェーシェルが西花畑に沢山咲いていた。一寸離れて東花畑は全て黄色のコスモスこれも見事であった。
コスモスの丘までは大分歩かねばならない。お昼時でもあったので焼きそばで腹ごしらえをし、コスモスの丘に向かう。

去年とは全く趣を異にした素晴らしい景観であった。広さはもとより高低差のあるお花畑は見る人々を魅了する。私も大満足であった。来て良かった~おまけにマラソンまで見ることができて最高って言う思いで~~さて問題は帰り道である。西立川駅から園内の一番端まで歩いて来た訳であるからまた同じだけ戻らなければならない。パークトレインに乗るから帰りは歩かないで良いと思い込んでいた私であったが、何とこの日はトレインの運行が休みである事を知り打ちのめされた。休み所で隣に座っていらっしゃった熟年のご夫婦「トレインに始めて乗ろうと思っていたんですよ、仕方ない歩くよりないか」と残念そうであった。私も勿論残念至極、仕方なく歩き出した。一人だと全くマイペース、往きも結構ゆっくりの歩みであったが、帰りは更に更に亀の如くゆっくりの歩行、だから人一倍時間は掛かる。携帯した水を絶えず飲みながら最後の方でアイスクリームを食べ元気を取り戻し、西立川駅に無事到着。この前の様な事にならずに済んだ事が有難かった。


秦野にて

2012-10-17 13:52:18 | 

    
  すすき
ふじばかま 菊です。コスモスのシェーシェルを思わせます コキアと言います。箒草です
クレマチス、もう殆ど咲き終わっていました コスモスが一寸咲いていました マリーゴールドが綺麗でした

先月秦野に来た時にも行った花菜ガーデン(カナガーデン)に今回も娘と二人で出掛けた。一カ月しか経っていないのにガーデンに咲く花は全然違っていた。秋に咲くバラが今真っ盛り、とても華やかで見事であった。
このガーデンは平塚にあり,家から車で30分弱で行ける場所にある。春夏秋冬季節に応じて様々な花が見られる。花好きな私にとっては私にはもってこいの嬉しい処なのである。これからもきっと何遍も行く事だろう。

昨日の午後こちらに来たので今夜もう一晩泊って明日夜帰ります。


 


今日、この頃!

2012-10-13 19:57:03 | 

天ぷらの夕食ですこの写真は三女が撮りました。

最近庭に咲いた花々
芙蓉の花ももう終わりです シュウカイドウ ニラの花、このにらは食べられます
タマスダレ 色違いのタマスダレ ムラサキシキブ
クジャクソウ 曼珠沙華 白の曼珠沙華です

月2回最初の金曜日、同じ教室の方とお会いできる日である。2時間の中頃のお茶の時間も愉しいけれど、新しい事を教えて頂く時間もとても嬉しい時間である。何分年寄りの組みなので教えて貰っても直ぐ忘れてしまう事がもどかしい。この時ばかりはもっと若かったらな~と思う。

この日は娘の家の夕食を作る決まりになっている。月2回ちゃんとした料理を作る日だ。平常は一人だから手間の掛かる料理は決して作らない。夕べは夫が亡くなってから始めて天ぷらを作った。娘の家で作り始めてもう7年余になるがその間肉料理が多く、此処でも天ぷらは始めてであった。材料はエビ・いかその他種々野菜で全部で10種類。余りの多さに娘はびっくり、でも美味しい、美味しいと喜んで食べてくれた。私は揚げただけでお腹が一杯になった様な気分になったが、久し振りの天ぷらはとても美味しかった。10時頃帰って来た孫娘も一目見るなり「美味しそう!」と満面の笑みであった。
美味しいとと言って食べてくれる人がいると言う事は本当に嬉しい。何時もは一人で味気ない気分で食べているから殊更幸せを感じる。

夕方三女からメールが入った。「あの大量な天ぷらの残りは「なつ」の弁当と、昼には「りょう」と私の天丼に使って見事完食しました。もうしばらく天ぷら見たくないかも、でも久々で本当に美味しかった!有難うございます」って書いてあった。そしてその時三女が撮った天ぷらの写真が添付されてあった。
「食べた分だけ走らなくちゃ~」とも書いてあったので「しっかり走りなさいよ」って返信した次第。
 


巾着田曼珠沙華公園

2012-10-06 20:13:24 | 

  
  昭和記念公園のコスモスには敵わないけれど一面の綺麗なコスモスが咲いていました
 花がピンク色の蕎麦の花です ヒガンバナ科の花です
高麗川です。キャンプ場ですがこの季節はキャンプとしては使用禁止だそうです 看板を撮りました。巾着の形をしているでしょう 高麗川です

今年は暑さの所為かマンジュシャゲの開花が遅い。先日の読売新聞に埼玉県の巾着田に咲く綺麗なマンジュシャゲの写真が載っていた。私は如何しても見たくなり一人ででも行こうと決心したが、一応長女に都合を聞いたら「行くわよ」との返事を貰った。婿さんもかねがね行きたいと思っていたそうで、3人で行く事になった。新宿・池袋・飯能と電車を3回乗り換えて、家から約3時間弱掛かって現地に着いた。
日高市内を流れる清流高麗川(こまがわ)の蛇行により、長い年月を掛けて作られ、その形が「きんちゃく」の形に似ていることから巾着田と呼ばれるようになったそうだ。
日本一を誇る曼珠沙華群生地、約100万本の曼珠沙華が赤い絨毯を敷き詰めた様なその光景は本当に素晴らしかった。今迄で一番感動を持って見た様な気がする。来て良かった~と私の心は喜びに満ち溢れた。
新聞でもテレビでも放映していた効果か、観賞する人々で一杯であった。習い始めたipadやパソコンで道順などをしっかり調べて行ったが、高麗駅から巾着田に向かう人の群れに付いて行けば迷う事もなかった。
パソコンで調べたらコスモスも咲いているとの事だったので探し回り、最後に背丈が短く昭和記念公園のコスモスには敵わないが一面のコスモス畑も見る事が出来た。
2時間余結構暑い中を歩き回り、満足々々の気持ちで帰途に就いた。

さてここからとんでもない事になったのである。恥を忍んでお話しします。
往きは高麗駅から15分位だらだら坂を下ったのだから、帰りは当然上って駅に向かうのである。さんざん歩きまわって相当疲れてもいるから大した坂でもないが辛い。でも頑張ったがもうじき駅と言う当たりの道端に座れる様な石の場所があり娘が座ったらと言ってくれた。座って兎も角精神安定剤でもと思い飲んだが、その内に周囲が定かでなくなり暗くなって行くようであった。困ったなあ~と思いつつ私の意識は遠のいていったようだ。体が静かに仰向けに倒れていったらしい。娘も横に座っていたので私を支えてくれたらしく何処も打つ事はなかった。ほんの暫くだったらしい、意識が回復した時「え!私何でこんな処に寝ているんだろう!」って思った。巾着田から帰る人々が倒れている私を見て「大丈夫ですか」と問いかけて下さるのに対し「娘が「大丈夫です、有難うございます」と何度もいっているのが聞こえていた。直ぐ近くで交通整理をしていた警官に何方かが通報して下さり、その警官に私の名前や年齢その他を聞かれ私ははっきり答えられた。呂律が回らない言い方だったら大変だがそれはないなと安心した。救急車を呼んで下さり私は寝たまま担架に移され救急車に乗せられた。救急隊員の方が血圧を測ったり、足を触って「感じますか?膝を自分で立てて下さい、手を握って下さい」など指示され全て異常なし。
5分位で武蔵台病院に着いた。病院でも色々な検査をし「大した異常はありません、点滴をしますから済んだらお帰り下さい」との事だった。私の気分はもうとっくに平常になっていた。点滴などしなくてもと思ったが先生の指示に従い1時間半の点滴に耐えた。その間に「レントゲン写真の結果をお話しますから御身内の方どうぞ」と言う声が聞こえて来た。後で聞いたのだが先生曰く「お母さんは心臓が少し肥大しています、その上89と言う歳なのに4時間近くも連れ回すなんて駄目じゃありませんか!」と叱られたそうである。娘は心臓肥大なんて知らなかったし、レントゲン写真を見せられてもてんで分からないし、へ~ってぽかんとしていたそうな。そして「母はとても元気なんです。私達が連れまわしたんじゃなくて母に誘われ母が連れ回したんです」って言ったそうである。
その後点滴している私の処にその先生がいらっしゃって、「貴方は決して万全の体ではないんですよ、今日の様な事をしていたら何時又何処で倒れ打ち所が悪ければ死ぬかもしれませんよ、絶対無理な行動は慎んで下さい」と言われてしまった。
行こうと思ったら直ぐ行動に移さなければ気のすまない私、矢張りこの歳になったら先生やみなさんが言って下さるように充分自重しなければいけないと痛感している。 「喉もと過ぎれば!!」と言う事のない様肝に銘じたいと思う。
点滴している間に3・4台の救急車が病院に入って来た。「巾着田に行って気分が悪くなった人達かな?」と思ったりした。

付き添ってくれた娘夫婦には本当に申し訳なかったと思っている。心配だから今夜泊って上げると言ってくれた長女さん本当にお世話になりました。有難う。

悲喜こもごもの長~い一日であった。

 

 


曾孫のお宮詣り

2012-10-01 10:28:02 | 

 

孫娘の二番目の子が生まれて早100日が経とうとしている。最初の曾孫の時も招かれたが約一年半経った昨日、二番目の曾孫のお宮詣りに招かれ行って来た。前の時にも書いたと思うが、両家の曾ばばが4人勢揃い、84歳から91歳までの元気なおばあちゃん達である。ま~当然の事であろうが、4人とも既に夫は亡く、3人は家族と一緒に暮らしているけれど私だけ一人暮らしである。
大正生まれの4人腰が悪かったりと言う事はあるけれど、食欲は旺盛、一番お若い方は京都で着物関係のお店で未だ働いていらっしゃる。一筋も二筋も真の通った老婆たちである。「4人の曾おばあちゃん達が何時までも元気である様、これからも7・5・3の祝いなどに皆で又集まりましょう」と婿さんが最後に言ってくれた。
私は実家でも結婚してからもお宮詣り、7・5・3の祝い等々全くしない主義であったので、この歳になって初めて経験する事であった。子供の健やかな成長を祈る行事であり、両家が集まって和気あいあいの雰囲気は中々良いものであると、一日愉しく過ごす事が出来た。4人の曾ばばが揃っている事は本当に珍しい事であり、こう言う会が長く続けられる事を心から願っている。


場所が千葉県市川市の「葛飾八幡宮」だったので船橋から孫娘の婿さんが車で送り迎えしてくれた。昨日は台風が日本を縦断するとの予報、往きは太陽が照っていたけれど帰りは空が黒い雲に覆われ、風もだんだん強くなり出し、帰り着いた頃には雨も降りだしていた。東京住まいの4人の祖父母を送り家に戻る頃には台風の影響を受けるのではないかと、婿さんの身を案ずる気持でいたが無事帰り着いた様でホッとした。

相当強い台風の襲来を懸念し、凄かったら桜の枝が折れたりしないだろうか、まさか倒れたりしないだろうなとの一抹の不安はあったけれど!台風が去って見ればこの当たりは大したことがなかった様であり、やれやれと胸を撫で下ろしている。
昨日は一寸暑さを感じたけれど、台風一過秋晴れの真っ青な空ではあるが今日も蒸し暑い。