老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

PC勉強そっちのけで!

2010-02-27 18:34:40 | 

クリスマスローズがこの暖かさで急に成長しました 同じくクリスマスローズ

昨日はPC教室の日だった。私のクラスは1時~3時、然し丁度折悪しく1時からフィギュアスケートの最後の5人の演技が放送される時間であった。見たい皆の気持ちは同じ、総合1で放送するのでパソコンでは見られず、かろうじて見られる携帯電話を持っていた一人のを台に置き5人でくらい付いて見た。なにしろ画面が小さいのでドンと大きいテレビを見る様な迫力はなかったけれど、皆で勝手な事を言いながら観戦した。真央ちゃんを応援したが惜しくも銀、でも皆素敵だった。日本は男女とも全員が8位以内に入賞し何と素晴らしい事か。金は逃したけれど本当によくやった、お疲れ様と言いたい。

後の1時間は一生懸命勉強に打ち込んだ。

夜は単身赴任先から帰って来た婿さんと、金曜だから私もいるし下の階のご両親もご一緒に2日遅れの三女の誕生日会をした。婿さんはこの為に会社を一寸早びけし7時半頃手には綺麗な花束を抱えて現れた。「わ~綺麗!私お父さん(夫)から花束なんか貰った事ないわよ~」って言ってしまった。昔の人はそんな事しなかったんですよ。今では当たり前の事でしょうけれど!娘は喜んでいた、なんせ月に1・2回しか会えない旦那さんからの贈り物ですものね。
ご両親からはマフラーを貰って「凄くいい~」って喜んでいた。私からは何にもなし、でも誕生会のお赤飯から全ての料理を作ったからそれで許して貰おう。
子供達二人が昼間何かごそごそ話しあっていたのを耳にしたが多分お母さんへの贈り物の事に付いてだったようだ。孫息子が用事があっていなかったし私が帰る頃帰宅したので、何であったかは分からなかった。
10時過ぎまで大人5人で楽しいおしゃべりの時を過ごした。

 


三女の誕生日

2010-02-24 15:47:46 | 

可愛いいクロッカス プリムラポリアンサ

今日、2/24日は三女の誕生日。私達夫婦は5人の子供の誕生日には必ず電話して祝いの言葉を言う習慣になっていた。私がたまに忘れる事はあっても夫は決して忘れた事がない。これにはほとほと感心したものである。
さて今日の私はどうであったろうか?

昼過ぎ長女から電話があった。私の体の状態など聞いてくれた後「お母さん今日は何の日?」と、私は咄嗟に 「あっそうだ典ちゃんの誕生日だ、夕べは覚えていて明日電話しなきゃ~と思っていたのにすっかり忘れていたわ~」という具合。長女は 「私はメールしたのよ」と言う。その時、「アッ典ちゃんからメールが入った」と言って文面を読み上げてくれた。「典ちゃん昼は忙しいから今晩電話するわ」でこの話しは一件落着。
三女は今年、年女である。つまり干支は寅であり4周り目を迎えたのである。
5人の子供の末娘、赤ん坊の時お乳の時間になっても目を覚まさず、すやすや良く眠る子であった。(勿論起こして授乳はしたが・・・)私は「楽でいいわ~」と思っていた。でも中々首も座らず足もピョンピョンしない力のない子である事に気ずき、変だと思って医者に見て貰った。医者は「小児麻痺かもしれませんよ」とこともなげに言った。私はこの子の将来を考えて半日泣きくらした。次の日医者であった兄に診て貰いにいった。兄は1時間位赤ん坊の様子をじっと見た後に「これは小児麻痺ではないよ」と断言してくれた時の私の喜びはたとえ様もなかった。兄の診たて通り三女はすくすくと成長し、立派な大人になったのである。
沢山の生徒さんに守られながらパソコン教室の先生として一生懸命日々を過ごしている。親としてこれ以上の喜びはない。

今夜忘れず電話しなければ!! (メールを私はあまり好まない。思う事の半分も書けないし、やはり電話で声を聞きながら話がしたいから!)


久し振りに温かい日

2010-02-23 19:44:18 | 

先日家に泊った娘から「アイリスが咲いているわよ」と教えられ気が付いたのでした 葉がないのに花だけが季節外れに咲いたブーゲンビレアです

随分長い間寒い日が続いたが今日はホッとする様な暖かい一日であった。

今年始めての診察日。先日思わぬ事故で他の科の診察は受けたけれど!主治医さんには私の体の状態は全て知って頂かねばならないので、雪の日の転倒で頭を打った一件を詳しくお話した。あれからもう20日経ったけれど、幸い何の異常も起こってはいない。脳の中の細い血管から徐々に血が出てそれが溜まると色々な症状が現れるのだそうだ。「少しでも変わった事があったら直ぐ私の処にいらっしゃい」と言って下さり少し気が楽になった。そのような状態になったらレントゲンを撮り出血の箇所を確かめ、血を抜き取るのだそうだ。私は頭を丸坊主にして手術するのかと思っていたので、「あ~よかった」と安心した。「多分大丈夫と思うけれど2カ月位は注意して下さいよ」と言われた。
何事もなく2カ月が経過してくれる事を祈るばかりである。


仲道郁代のピアノリサイタルを聴いて!

2010-02-22 11:51:29 | 

 

昨日午前は教会へ、その足でサントリーホールで1時から開かれる仲道郁代のピアノリサイタルに向かった。
今年はショパン生誕200年に当たる年でオールショパンの曲目であった。1部~3部ありその2部が私の心を強く捉えた。と言うのは普通はモダンピアノ(スタインウェイ)なのだが2部ではピアノを「プレイエル・ピアノ」に換えて弾いたのだ。(上の写真で色は茶色、プレイエル・ピアノをショパンは愛して弾いたと言う)
仲道さんもこのピアノに惹かれ今回この様な企画で演奏された。
1部の後の休憩で席を外した私はその間にピアノが変わっている事に気がつかなかった。演奏を始めたら全く音色が変わっている。音が弱音になっていて含んだような何とも口では言い表せない様な魅力ある音色であった。
「ヴァイオリンに弱音器を付けて弾く時の様な!」と一瞬思った。今回一番の収穫はプレイエル・ピアノとの出会いであった。もっと多くの曲を聴きたかったが、3部は再びモダンピアノでの演奏、それはそれで力強い素晴らしい演奏ではあったが!
この方の演奏会に行けば又何時かプレイエル・ピアノに出会えるかもしれないと期待している。

大演奏会で奏者が聴衆に向かって発言なさる事はまずないが、今回は2部を演奏される前に「第2部が始まる前にお客様にお願いしたいことが2っあります」と仰った。

 ① プレイエル・ピアノは湿度を保つた状態で保管する必要があり、第2部に限り、
   ホール内の照明を暗くさせていただきます。

 ② プレイエル・ピアノは、大きなコンサートホールで演奏されていたものではあり
   ません。モダンピアノより音量が小さいので、どうぞ耳をすませてお聴き下さい

と。私には内容が聞き取れなかったが後で刷り物を読み 分かった事だった。これもプレイエルならではの事である。  


娘と過ごした2日間

2010-02-20 10:14:38 | 

クリスマースローズ展にて

 
 

世界らん展にて

大賞です 
 
  

18日  浜松から上京して来た次女夫婦は東京駅で別れ、婿さんは仕事に。長女・次女・私の3人は先ず昼食をし二子玉川駅から静嘉堂文庫美術館に行き「茶道具名品展」を見た。茶道では千利休が有名だが信長・秀吉・家康等も茶道を大切にし、高価な茶道具をこよなく愛した事等はよく知られるところである。日本・中国・朝鮮・オランダ等13世紀~19世紀に亘って使われた様々な古式ゆかしき茶道具を興味深く見て回った。長女はお茶の先生をしているから流石色々な事を知っている。その説明を聞きながらであった。


次は井の頭線駒場東大前から少し歩いた所にある「日本民芸館」にて「編み・組みの手技(籠・蓑など)」の特別展を見た。朝鮮・アメリカ等の作品もあったが私は日本古来の作品に惹かれ心が和んだ。
当館の創立者は柳宗悦でその奥様が柳兼子と仰る声楽家と知りびっくり、私の小学校時代の音楽の先生だったからだ。人の繋がりの不思議さを実感した。

婿さんも交え4人で手巻き寿司の夕食。「美味しい!」の連発。笑いの絶えない愉しい一夜を過ごした。私の隣、いつも空の夫のベットに長女が寝てくれた。

19日  毎年行くのだが今年も懲りもせず「クリスマスローズ展」と「世界らん展」をはしごした。花大好きな3人であるから何度見ても飽きない。年々種類の増す多さには驚くばかり、植物を愛し細々と世話をしなければこんなに綺麗に咲かす事は出来ないと痛感するが、それが中々出来ない私である。

仕事を終えた婿さんと見終わった三人が東京駅で一緒になり、丸の内ホテルでお茶の時間を1時間ほど過ごし、愉しい話は尽きないが名残を惜しんで別れた。私にとっては嬉しい賑やかな2日間であった。


グッピー全滅!

2010-02-10 11:15:05 | 

梅が満開間近になりました 今年も沢山の実を付けてくれる事でしょう

先日2泊3日で秦野に行き帰宅したらグッピーが全部死んでいた。「何故?」ってその驚きは何と言ったらよいだろうか。
グッピーを飼い始めてから約3年半、一匹ずつ死ぬ事は当たり前の事だった。でも全てがいっぺんに死ぬなんて有り得なかった事。
原因は水温であった。グッピーは熱帯魚であるから水温を25度前後に保たなければならず、その為に水中にヒーターを入れてある。水温計を何時も見て安全を確認しているのだが、留守中だった為ヒーターが効かなくなっているのに気付く術はなく、水温が下がって死んでしまったのだ。水温計は10度になっていた。「冷たかったでしょう~可哀そうに」
この家の生き物は私とグッピーだけだったから(ネズミもいるらしいけれど!)水槽の中で泳ぎ回っている姿を見るのが愉しかった。でも何にもいない水槽だけを見るのはとても寂しい、又飼おうと思った。そしていなくなってから5日目の今日遂に買ってしまった。2ペア頼んだらおまけ付きで10匹もくれた。すっかり水を取り換え綺麗になった水槽の中で元気に泳ぎ回っている。お腹の大きくなったメスもいるので、間もなく幼魚が次から次と生まれる事だろう。私の楽しみが再び戻って来て嬉しい。


新しい人との出会い

2010-02-09 15:17:38 | 

去年三女から貰った変わったオンシジュームが咲きました。人様から頂いた植物が次の年も咲いてくれるのはとても嬉しい事です

一昨日長男の娘(10人いる孫中貴重な二人の孫娘の一人目)A子の婚約式の集まりに同席した。長男から出席して欲しいと言われた時「こんなおばあさんが出席させて貰っていいのかしら~」と言ったら「あちらの両おばあさんも出席されるからこちらも二人に出て欲しい、結婚式ではお互い語しも出来ないし、この機会に皆で集まれたらいいと思う」とのことだったので喜んで出席させて貰うことにした。
婚約者と両家の父母・おばあさん4人・婚約者の兄妹の12人の集まりだった。親は60歳台、おばあさんは米寿を迎えられた方と87歳・86歳・80歳、4人とも80歳台、然も全て未亡人(この歳なら当たり前の事かも知れない!)が  皆さんお元気で気のおけない良い方ばかり、いろんな話しで盛り上がりあっという間に2時間余が過ぎてしまった。
勿論婚約式だから素敵な指輪をはめて貰って孫娘の顔は輝いていた。
集合写真も「赤くならない内に撮りましょう」と最初に撮ったし本当に親近感溢れる心に残る良い会であった。
この歳になってもなお、新しい人との出会いが得られる嬉しさはひとしおである。


富士山と梅

2010-02-05 14:28:48 | 

秦野にある香雲寺の梅並木です 秦野から見た富士山です
丹沢山系です 周囲の梅はまだ3分咲き位です

秦野で今回は怪我の後でもありおとなしくしていようと思っていたが、今日は余りにも空が真っ青なので外に出掛けたくなった。
婿さんは割と近くにある香雲寺の梅を見に行こうという。車なので外出してもいいだろうということで、3人で朝9時出掛けた。
上の富士山は前に掲載したと思うが、再び途中同じ場所で撮ったもの。前回より白さが増していて綺麗だった。

香雲寺の梅はまだ開花には程遠く蕾の方がはるかに多かったが、上の写真で香雲寺に向かって歩く両側に立つ梅並木は始めて見る光景だし、梅に並木があるなんて知らなかったから興味深かった。全開したらどんなに素晴らしいことだろう。婿は全開の頃に又来ると言っていた。

秦野は一方は海でその他はぐるっと丹沢山系に囲まれた盆地である。東京より2・3度気温は低いそうだ。だから私は家の中でも沢山着こんで過ごす。
体は寒くても長女夫婦と共に過ごす3日間は心は至って温かいのである。今回は怪我の後であったから殊に私の体を気遣ってくれたし、二人の存在の有難さを一層感じた2泊3日であった。 
私の体の状態は打った頭の部分を触れば痛いし、自発痛も時々あり、背中も一寸痛いが気分は正常である。痛みも序々に引いて行く事と思う。

昨日立春を迎えた。まだ厳寒であるけれど一日一日春に向かって温かくなって行く筈である。希望を抱いて春、そして桜の開花を待ちたいと思う。
今夜、夕食後に我が家へ帰ります。


雪の日の惨事!

2010-02-04 09:51:24 | 

朝一番に撮った庭の雪景色です 真冬なのに可愛い花がちらほら咲いているギョリュウバイに雪が・・・

夕べから降りだした雪、今朝起きたらもう止んでいたけれど、結構真っ白に積もっていた。雪景色の綺麗な内にと何を置いても真っ先に写真を撮った。そして門の鍵を開け新聞をとるため玄関へ、そこでとんでもない事故を起こしてしまった。
家の玄関先は夫が車椅子を使う為斜めに傾斜が付いている。雪の時は気を付けなければ滑って危ない。でも今までは滑った事がなかったし、今回も一歩一歩気を付けていたのに今までと様子が違う、怖いな?と思いながらでも門の鍵は開けた。次に新聞を取ろうと一歩左足を横に出した途端滑って転倒した。倒れた処に折悪しく玄関口のポーチの高さ数十センチの角がありそこに後頭部をもろにぶつけてしまったのだ。一瞬頭が「グアーン~~」となり「私もう死ぬ!」と思った。でも即座に起き上がり頭の後ろに手を当てたら凄く大きな瘤が出来ているが血は出ていない。直ぐ家に入り心を静めるため精神安定剤と痛み止めを飲んだ。氷で頭を冷やし15分程横になる。頭以外なら大した事には思はないのだが、頭をひどく打ったのだからのほほんとしてはいられない、診て貰わねばと思い河北病院に電話した。「それは脳神経外科にいらっしゃい」と言われ直ぐタクシーを呼び10分してきてくれたので病院に向かった。倒れて1時間15分後に私は病院にいたことになる。
診て頂いた結果は「体の何処にも異常を来していないので暫く安静にしている様に」との至って簡単な診察であった。
「頭部外傷後の注意事項」なる刷り物を渡され「お家の方にお見せしてください」と「私一人住まいなんですけれど、子供は沢山いますけれど!」と言ったら「じゃ~子供さんに渡して下さいね」と仰った。
背中も一寸打ったらしいので整形に行きレントゲンを撮って貰ったが異常なし。
瘤が出来た処は触れば痛いが大した事もない。家に帰り刷り物を読んで一寸心配になった。受傷後24時間(特に6時間)気を付けて経過を見る事。これはもう大丈夫だけれど、高齢の場合1・2カ月掛けて頭の中に血が溜まることがある。「頭が重い」「手足が動きずらい(つまずいたり、転んだり)」「惚けが進んだ」などの症状が良く見られるのだそうだ。そうなった時には頭を切り開いて血を取り除く手術が必要との事。でもそれさえすればすっかり治るのだそうである。皆が皆そんな症状になる訳ではなし、今から心配しても始まらない。なったらなった時の事と割り切って今まで通り過ごしていればよいのだ。
何はともあれ、一時は如何なる事かと思ったが、今、元気でいられることに心から感謝している。

次の日(3日)は秦野に行く予定になっていた。何ら変わった自覚症状も起きないし、長女が安心の為に迎えに来てくれると言うので有難く受け(自分で運転はしたが)昨日から秦野に来ている。
婿が何処かえ行こうと考えてくれていたが、今回は家でおとなしくしていることにした。怪我した当日と昨日2日間パソコンは開けずじまい、今日は全く暇なのでパソコンに向かい大変だった惨事を長々と書き連ねた次第です。

子供等にもとても心配を掛けてしまった。「打ちどころが悪かったら今頃お葬式だったかもね!」などとと言って長女と笑ってしまった。こうして笑い飛ばす事が出来るなんて物凄く幸せ。
今後更に気を付けて過ごさねばと身に沁みて思う私です。