今年、梅の時期花が密にとても綺麗に咲き、沢山の実が付いた。梅干しを作るのも面倒だし梅シロップを作っても余り飲まないし、実が落ちるに任せるのは勿体ないな~と思っていた時、次男から「僕に頂戴よ、シロップを作るから」との申し出があった。「うん、いいよ、いいよでも自分で取るのよ、高くてお母さんには取れないからね」と言う事で取れる時期を待っていた。実が小さい頃沢山落ちてしまい「少ししかないかも!」と電話したのだったが、実が大きくなって木を見上げたら沢山生っているではないか!再び訂正の電話「沢山生っているわ~」と、でもその時期次男は音楽活動が忙しく取りに来られないと言う。気を揉んでいる内に実がひとりでに落ちる様になった。毎日落ちた分をビンに入れ砂糖を入れる破目にになった。やっと土曜日に行くと電話があったその前日大風が吹き次男が来る朝見たら一杯落ちていた。次男が午後来た時には殆どが落下していて次男の仕事がなくなっっていた。一寸は残っていたので一応二人で庭に出、拾ったり落としたりしながら「もうないね、これだけあれば充分だ」と言う事で引き揚げた。
次男がきっと美味しいジュースを作るだろう。「 梅さん役に立って良かったね~」と言う心境である。
次男は現在高知県で活躍している中学生位の女子グループの歌の作曲やアレンジの仕事をしている様だ。現地に度々行ったりでとても忙しいらしい。インターネット上でもそのグループの詳細を見る事が出来、パソコンを前にし次男の説明を聞きながら暫しの時を過ごした。
次男は小さい時喘息に悩まされた子である。人見知りの激しい子でもあった。そんな子が大学を卒業した途端自分から家を出て自立すると言いだした時私共夫婦は正直驚いた。サラリーマンには絶対なりたくないと言い、時間が自由に使えるアルバイトの収入を生活の糧とし、好きな音楽の道に進んだのであった。家を出て以来30年近くになるだろうか、次男の住み家に私が訪れたのはたったの2・3回である。無情な親と思われるかもしれないけれど、これが成人した子への接し方と言うのが私の理念である。あのおとなしかった次男が自分の進むべき道を横道に反れず確実に歩んでくれている事を嬉しく思う。16年前頃結婚していたが別れ、ずーっと一人暮らし故長期間に亘って音沙汰がないと心配にはなるけれど!「お互い一人身だから何時死んでもいいよね」と言いあう事もある。そうは言っても次男はまだ50歳だからこれから一仕事出来る年齢、私は歳に不足はないけれど、もう少し一族と共にこの世で過ごしたいと言うのが本音であろうか!