老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

富士山と菜の花

2014-01-31 13:52:28 | 

  

  

 マユミと言う木です、花が終わった後 水仙が一杯咲いていました

一昨日から今年初めての秦野に滞在。
行った日は寒かった。二日目は曇り雨模様で当然寒い。昨夜の内に雨は上がり強かった風もおさまり今日は晴天、そのうえ気温も上がって暖かであった。今回予定していた吾妻山行き絶好の日和であった。
一昨日写真仲間と吾妻山に行ったという婿さんだったけれど二人の為に今日も同じ場所に一緒に行ってくれた。
此処に来るのは今回で3回目である。家から車で30分、そこから延々坂道を30分位かけて上らなくてはならない。私にとっては非常に辛い大変な事である。が、展望台には大好きな富士山が待っているのである。菜の花畑の向こうに素晴らしい富士山が聳えているのだ。長女と腕を組んでゆっくりゆっくり上りきった。この前来た時は富士山が真っ青の空にくっきりと素敵な光景であった、しかし今日は晴れているのだが富士山の周辺に雲が掛かり、去ってくれるのを待ってやっと上の様な写真しか撮る事が出来なかった。残念ではあったが私の大好きな海、相模湾の素晴らしい眺めを目にする事が出来た。
富士山は寒い冬が一番綺麗に見えるらしい。今日は暖かったし大分もやって真っ白には見えなかったようだ。

帰りは行きの坂道ではなく10分位別の坂道を下った後直線の階段を300段下るのである。往きに此の階段を昇ってゆく事も出来るが昇りの階段は大変だろうという事で坂道を上って行った次第。私は下るのは案外平気なので300段の階段も難なく下る事が出来た。婿さんが車を駐車場に取りに行っている間下で待っていたら、救急車が来て数人の隊員がタンカーなどを担いで昇って行った。体に変調を来した人がいたのであろうか!3年ほど前巾着田へ曼珠沙華を見に行った時気分が悪くなり救急車のお世話になったことを思い出した。
朝9時頃出掛け12時近くに戻って来た。正月以来初めて本当によく歩いた。これなら3月の海外旅行は大丈夫だなと安心感を持つことが出来た。その前の2月中頃に母娘3人で四国へ二泊三日の旅行が予定されている。

今夜東京に帰ります。明日は長男のピアノ発表会に午後出掛ける。この歳になっても様々な行事に一人で出掛けられる健康な体を与えられている事は本当に感謝である。


「永遠のO] を見て!

2014-01-22 09:44:38 | 

  

庭にただ一つ咲いている椿、今満開です。

先日のブログで445さんがご覧になり感銘を受けられたという「永遠のO」の映画を私も見て来た。
結婚した当初2回くらいは夫と映画館に見に行ったことはあるけれど、それ以来約50年映画館で映画を見るという事はなかった。インターネットで検索し吉祥寺オデオンでやっている事を知り、近くはあるし数日後から連続しての外出予定があるので今日しかないと急遽出掛けることにした。インターネットでは3時から始まるのがあったからその時間に間に合うように行ったのに、3時50分からだと言う。約1時間唯待つのも嫌だから私がよく行っていた伊勢丹が3年前に閉店したその場所に行ってみた。伊勢丹と同じようなと感じたお店になっていた。見るだけと思っていたが結局2点ばかり買ってしまった。

445さんは指定席で満席と仰っていたが、ここオデオンはがらがら一番見やすい席で2時間半、何時もパソコンやテレビの小さい画面でしか見る事のなかった映画を、大きなスクリーンで臨場感溢れる大満足の映画鑑賞であった。

「永遠のO] あの辛い太平洋戦争で戦地に赴き命を失った一人の若き特攻隊員を軸とした国を思う気持ち、肉親を思う気持ち、さまざまな場面すべてに真実な思いが込められていた。特攻隊員の心の中には命を国に捧げるという愛国心は確かにあったと思う。しかし秘めた心の奥には肉親を思う切なる気持が誰しもにあったであろう。飛び立つ凛々しい姿を画面で見る度に私は胸を抉られるうな切ない気持ちになり涙を禁じ得なかった。
あの戦争で肉親の一人も失うことのなかった私ではあるけれど、この若者たちの尊い死によって今の私達があることを決して忘れてはならないと思う。
映画館を出たら外はもう真っ暗になっていた。心の中に深く重く残った「永遠のO」であった。


三女、お友達と共に

2014-01-18 14:15:28 | 

今年になってもまだ咲いている庭の菊です 去年暮れに買ったポインセチアです。赤ではないピンクが気に入りました

昨日は午後から2か所に外出。
3時に予約の今年最初の内科診察、血圧はこのところ至って順調な数値であり大いに安心している。但し頸椎の損傷からくる指の違和感は相変わらずである。何にもしなければ痛くも痒くもないが、ひとたび物に触れると何とも言えぬ違和感を感じ嫌だな~と思う。腕のある部分がある動作によっては痛みがくる事もあるが、それは私が作る痛み止めで治ってしまう。そんな状態を先生にお話しし兎も角ビタミン12の服用を続けることにし様子を見る事になった。死に至る病ではないからこの違和感に慣れるしかないと思い変な感じを抱きながら普通通り仕事をやっている

今まで何度も海外旅行に行っているが、歳を取っていても医者の診断書を要求された事はなかった。然し今回3月に行く予定の海外旅行では行っても良いという診断書を貰って欲しいとと言われた。「何故かな?90歳からいるのかな?それとも旅行会社によって違うのかな?」って考えた。何はともあれ貰ってくれば良いのだと先生にお願いし診断書を書いていただいた。
2か月後に迫った旅行のため心身共に大丈夫であるよう自分流に鍛えたいと思って努力している最中である。

次は三女と教室の生徒さんお二人と共にコンサート(ライブ)を聴きにいった。何時も病院では長く待たされるので直接会場に向かう積りであったし間に合うかな?つても思っていたのに何故か今回は待たずに直ぐ終わってしまったので、一旦家に戻り1時間くらいして出直した。
新橋駅より徒歩3分の所にある「ヤクルトホ-ル」が会場。6歳の時から85年間東京に住みながら新橋駅に降りたのは初めてである。地図は手元にあったが見てもさっぱりわからない。「銀座口」に出ればよいのだと思って「此処だ!」と確信を持っていたのに反対側に出ていた。例の如く人に聞きまくって会場に無事たどり着いた。皆もう来ていて私が最後だった。

この会には夫が亡くなった後、三女からの誘いで始まったものである。夫とはひたすらクラシック音楽会に通ったものであるが、ジャンルの違う音楽会に行くようになって今回で7回目、3人のグループであるが他の二人は現在事情があって休止中、ジノ君一人でのコンサートの2回目、この方の音楽に対するひたむきな情熱、態度また全てにおいての考え方行いに私は共感を覚え、又素晴らしい歌唱力に惹かれている。今回は400人と少人数の会場ではあったがマイクが無くても充分に聴き得ることが出来ると思った。私の心を一番大きく満たしてくれたライブであった。

その後4人は「えん」というお店で夕食を共にした。Kさんは何時もご一緒する方であるが、もうお一方Yさんはお写真ではお見受けしているし三女からもお人なりは聞き及んでいた。でもお目にかかってお話するのは初めてであった。こんなおばあさんになってからでも新しく良い友達を与えられる今の自分は本当に幸せだと嬉しくなる。食事をしながら4人のおしゃべりは続き店を出たのは11時を過ぎていた。
新宿駅で別れ私は例によって出掛ければどんなに遅くなっても買い物をするし、遅い時間でバスもないせいかタクシー乗り場は長蛇の列、家に帰りついたのは1時半になっていた。

 


今年のカレンダー

2014-01-13 13:55:50 | 

                      

   

   

   

今年のカレンダーには一族皆の写真を入れようと思った。かねてからバックなしの顔形だけの写真を入れたいとの思いはあったが、私には不可能な作業と諦めていた。 が今年教室で習うカレンダーの図柄を背景削除をする操作があった。「これなら私の願いは叶う!」と思って早速利用することにした。12か月を規定通り入力し、その上に皆から届いた写真を誕生月に夫々入れ背景を削除したのである。さっと出来るのもあるがなかなか思い通りに出来なくて苦心したけれど何とかやりおうせた。ただし12月の次男の頭が髪の毛が少なくて削除すると坊主に見えてしまう。可愛そうだからクリップアートから帽子を持ってきて被せた。丁度クリスマスの月であるし「いいね!」なんて言いながら!!
新年会に皆に渡した。喜んでくれたし私も概ね満足している。
今は亡き夫・次女の婿も入れて総勢36名の私にとって大切な大切な人達である。この一年間皆の顔を毎月変りばんこに見ながら過ごせるのは嬉しいことである。

ポートランドに留学中の孫娘と初めてのラインで交信ができた。私が夕方5時半頃メールしたので(17時間位の差)多分夜中12時過ぎに届いたはずだが、ものの5分後に「おばあちゃん、ついにライン始めたんだ!!」と返信があった。月二回教室のある日に母・娘の間でのライン交信の様子を目にしてきた私、「私もなっちゃんとラインしたいわ」と言ったら娘が早速出来る様にしてくれた。
昔は飛脚というものしかなく、何日もかからなければお互いの様子を知ることしか出来なかったが、今はどんなに遠くても瞬時に知ることの出来る何とも不思議な驚くべき時代になっている。
親元を離れて遠い異国で過ごす娘の事はやはり何かと心配であろう。でも常に手に取るように状況が分かる時代だから親の不安も多分に和らぐ事だろう。何はともあれ留学中の無事を祈るのみである。私も今後時々ラインしたいと思っている。

 


2014年新年会

2014-01-03 13:44:19 | 

たの   

 混ぜ寿司の上にしそ・錦糸卵・のりがのります エビフライと伊達巻は長女が、肉巻きは長男の嫁が作ってくれました

長男の嫁が毎年作ってくれます。皆が楽しみにしています 最後のジャンケンです

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

2日恒例の新年会に23人が集まって賑やかで愉しい半日を過ごすことが出来た。去年の暮大黒柱を亡くした次女一家7人と現在アメリカに留学中の孫娘、もう一人の孫息子が集れなかった事は残念であった。

90歳から1歳半のひ孫までの一族が毎年お正月に集まって和気藹々過ごせる事を心から嬉しく思う。
小さなひ孫達は走り回って楽しく遊んでいるし、大人の男性はソファーで語り合っている。女性7人は台所で所狭しとひしめき合いながらお雑煮の準備、23人のお雑煮のお餅を焼いたりよそったりの仕事は並大抵ではない。楽しいおしゃべりをしながら、私は口だけで指図したり皆が分からない事を聞かれたり、それはそれは大変なのだ。でも嬉しい悲鳴である。

お雑煮とおかずを食べ終わった頃、次はお寿司、一人分ずつ取り分け、しそ・錦糸玉子・のりを乗せて配る。一応後片附けをしてからケーキとお茶の時間となる。ケーキは二つだから一つを11に切らなければならない。3・4年前長男の所の孫娘が切る役を受け持ったが凄く下手な切り方で皆で大笑いした事を思い出した。今回はその孫がとても上手に切り分けてくれた。とても美味しかった。紅茶とコーヒー、コーヒーは43歳の孫息子の受け持ち、何を言わなくてもコーヒーのあり場所も分かっていてさっさとやってくれる。何時も皆でよく集まるから状況が分かっていてツーカー何事もスムーズに運ぶのだ。家族が常に交流を持つということは一番大切なことだと思う。小さな子供たちにとっても成長の過程において重要な生活の一部であると思う。

沢山の残り物を9つに分ける作業は大変。今年は少なかった干し柿も含めてジャンケンで取ってゆく。これも楽しいことの一つ。次は私が教室で作ったカレンダーを配る。今年は誕生月に夫々の写真を入れた。それも背景抜きで顔形だけの素敵なものであった。一年間楽しく見てくれることと思う。
そして最後は子供らにとって嬉しいお年玉をもらう時間。「ハイ、お年玉」「有難う」の声があちこちから聞こえて来た。
楽しかった新年会も終わりそれぞれ帰途に就いた。折角貰ったすべてを置き忘れて大分経ってから取に戻ってきた車組もあったりしたが!!何時もの事ながら次男は一人最後まで残り暫く話して11時過ぎ帰って行った。

今年の新年会も無事終わり私は正直ホッとした気分に浸っている。今年も親族一同が健康であるように、それぞれの進む道を精一杯歩むことが出来るようにと心から願っている。