老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

墓詣り

2012-03-28 20:28:38 | 

ワビスケ(椿)が今年は沢山咲いている   カランコエ

今日は夫が逝って丸7年目の命日であった。
お彼岸には関係なく、命日にお墓参りをしたい私の思いで今日と決めた。毎回来てくれる長女に声を掛けた。秦野からは家まで2時間位掛かるけれど喜んで応じてくれた。休日ではないので二人だけで行こうと思っていたら、長男から「お墓参りはどうするの?」と電話があったので「命日の28日に行く予定なの」と言ったら「じゃ~僕も行く」と言ってくれ10時半に西荻の家に集合し私の運転で出掛けた。
お彼岸も過ぎ多磨墓地は殆ど人がいない。春は雑草など余りないので草抜きも楽である。その上最近長男の長男が一人で墓参りをしてくれたらしく、綺麗になっていた。この孫(35歳)は毎回私達より早く参ってくれ草取りもしてくれる感心な子であり何時も感謝している。去年は2回とも大勢の人数が墓参りしてくれ愉しかったし嬉しかった。今回は普通の日だったから声も掛けなかったし、3人だけであったがそれなりに命日の墓参りは意義あるものであった。

共に過ごした48年間に終止符を打った7年前のこの日、私にとっては様々な思い出が心をよぎる。
5人家族の中に飛び込んで来た私、新婚生活などとは程遠い毎日ではあったけれど、歳老いた姑の世話、いっぺんに多感な年頃の3人の子の母親となった私、34歳と言う結構な年齢であった私ではあったが、頼もしい夫なくしては成し得なかった日々であったであろう。夫の設立した会社で共に働けた事、これは私の人生で一番意義ある30年であった。「僕は死ぬまで仕事をしたい」その切なる願いが叶えられた事は本人は勿論の事、私の心を非常に嬉しくさせてくれた事であった。

夫との思いは尽きる事はないけれど、常に夫との思い出を胸に抱きながら5人の子供等に支えられ、人生最後の時を幸せに過ごせる今を心から感謝している。


長引いています!

2012-03-26 20:45:00 | 

又違うスイセンが咲きました   サクランボの花です

手袋をはめたい様な寒い一日であった。
今回の眩暈は本当にしっこい、先日眩暈で倒れてから3週間が経つ。今日は耳鼻科に行く日。平常普通に生活する事に支障はないが、寝たり起きたりする時が一番気を使う。そろりと寝起きするのだがそれでも一瞬ぐらっと目がまい嫌な気分が何時までも続いている。今日の診察の結果は如何だろうと思っていたが、やはりまだ目玉が動いているらしい。「前よりは大分良くなっているが、もう少し様子を見ましょう」と同じ薬をくれた。薬がそれ程効く訳ではなさそう。今回は耳石が後半器官に入り居座って中々定位置に戻らないのだそうで、人によっては2・3カ月かかる事もあると仰った。これで死ぬ事は絶対ないので耳石さんの思うに任せ私は普通通り生活すればいいのだ、その内にはきっと前の様に治ってくれると信じている。
今月末から3泊4日、姉と一緒に姪(姉の長女)の婿さんの実家(三重県鳥羽)に行く予定であり、5月には海外旅行をすることにもなっている。気弱ではいられない。眩暈なんて吹き飛ばす積りで愉しんで来たい。

耳鼻科の帰り美容院に寄って髪も旅行に備え整えた。頭を洗う時寝起きするので美容師さんに眩暈の事を話し、そっとしていただけたので何ともなかった。家に帰ったのが2時半お腹が空いていた。娘等と外出すれば必ず昼食は外でするが、一人食堂に入って食べても味気ないからお腹が空いても家に帰って遅い昼食となるのが慣わしである。

 


長男に誘われて!

2012-03-24 10:39:35 | 

3月も終わろうとしているのにまだまだ寒い。風邪を引いているが熱もなく咳もそれ程でなく、気分も悪くはない。ただ鼻声そして大量の鼻が噛めどかめど如何してこんなに何処から湧いてくるのと言わんばかりに出てくる。それも徐々に少なくなって来てはいるけれど!医者にも行かず自己流で対応しているが、こんな中でも秦野に行ったり昨日の夜は長男が誘ってくれた音楽会に行って来た。
見応え、聴き応えある非常に面白い音楽会であった。ピアノ、ヴアイオリン、チェロのトリオ。ピアノの及川浩司さんの名前は知っていたが演奏を聴くのは始めて、他の二人の方は全く知らない。お三方の技術は抜群。途中で曲の紹介やら面白い話しも交えたいわゆる普通の音楽会とは違った雰囲気で終始された。ヴアイオリンの方が「今日はとても愉しい気持ちで演奏しています」と言われ、チェロの方に向かって「君はどうですか?」と問いかけたら「僕もメッチャ愉しい~です」と仰った。音楽を愉しんで演奏する事は何より大事な事と思うし、演奏者のその気持ちが聴衆者にも伝わり、素晴らしい音楽会にする事が出来るのだと私も長男も時には声を出して笑ったりし、演奏は勿論音楽会そのものに酔いしれ愉しい2時間余を満喫する事が出来た。 長男さん有難う。

一昨日の夜は秦野から帰宅したのが11時頃、夕べも音楽会から戻ったのが11時過ぎこんな生活をしていては風邪も長引くのは当たり前。今日は一日ゆっくり家に籠って養生しょうと思っている。

そう言えば昨日の午後1時からはパソコン教室の日だった。夜は音楽会なので何時もの夕食作りはせず一旦家に帰ってから音楽会に出掛けたのだった。
教室では今回から「フォトショップエレメンツ」を習い始めた。東北災害で多くの思いでの写真が汚くなってしまった物をこの方法を駆使して綺麗にしご本人に返す働きをこの教室でも始めたと伺った。早く習得し私達でもお役に立てるなら嬉しい事である。

 


河津桜も一カ月遅れで満開を迎えました

2012-03-21 14:00:23 | 

河津桜と富士山、綺麗でした。   
桜と菜の花です   
    桜の右手はハーブ園です

クリスマスローズです   

50日振りに昨日から秦野に来ている。こちらも今日は肌寒い一日である。
今年は梅の開花も一月遅かったし、何時もは2月中頃に咲く松田の河津桜も一月遅れで今真っ盛りであった。
私がこちらに着くなり婿さんが「明日は朝早く河津桜を見に行きましょう、今見頃だそうですよ」と言っていた。皆桜の開花を待ちわびているのであろう。遅く行くと駐車場に入れなくなるからと8時に家を出た。お陰で悠々車を止める事が出来一安心。車を降りた途端素晴らしい富士山を見る事が出来、桜を手前に最初の撮影が富士山であった。
早かったので人も少なく、満開の桜を小鳥たちの可愛い鳴き声を聞きながら ゆったりした気分で見て回る事が出来た。勿論写真はばっちり撮った。
此処はハーブ園もあり、斜面に植えられた種々のハーブも見たし、クリスマスローズが見事に咲いていた。一時間余見て回っただろうか!帰る時間にはもう人が一杯駐車場も満杯で入場待ちの車が列をなしていた。

 


遠来の客

2012-03-19 10:17:20 | 

梅の花満開です  クロッカス。白い花も咲いています

遠来の客とはカナダのトロントに住んでいる甥(私の亡き姉の長男)の事である。
先日この甥の弟から「兄が仕事で日本に一週間ばかり帰って来るのだが、おばさんに会いたいと言っている、18日は都合如何ですか」とメールがあった。勿論大歓迎愉しみにこの日を待っていた。
朝10時兄弟で我が家を訪れてくれた。弟とはたまに会う事はあったが、兄の方とは5年振りであっただろうか。玄関で会うなり「おばさんちっとも変っていない!」との発言「Sちゃんも全然変わっていないわね~」と言い合いながら3人で久々に話しあった。その内次男がそして三女も(大学入試を終え現在遊びまくっている娘を連れて)現れ賑やかに会話は続いた。
Sの人生談を断片的には聞き知ってはいたけれど、こんなに詳細に聞いたのは始めてであった。大学を卒業し会社に就職も決まっていたのに、飛び出して人生への模索が始まったらしい。豆腐屋で働いたり、モダンダンサーになったり様々な方面で経験を積み、終にアメリカに行ってしまったのだ。そこでも又様々な体験をし現在はカナダのトロントで20人ばかりの社員がいる会社の経営に携わっている。多分其処に行き着き生き甲斐を感じたのであろう。「もう日本には帰って来ないの!カナダに永住するの?」って聞いたら「今回の帰国は今の仕事を九州のある場所にも拠点を置き、行ったり来たりしながら続けたい考えがあって来日したのだ」と言う様な事を言っていた。「親達には凄く心配を掛けたけれど」と、両親に対する真情溢れる胸の内を吐露し、私には理解でき涙が出る程Sの心が嬉しかった。両親が今生きていたらどんなに安堵し喜んだ事であろう。生きていて欲しかった。
明日は母親の命日なのでお参りするのだといっていた。

人の人生は種々様々である。一つの会社でサラリーマンとして生きる人。何にも得ないままに一生を過ごす人、Sの様な過程で最後に自分の生き甲斐を見付ける人、S見たいな人生もあるんだな~と。どれがいい悪いの問題ではなく、人に迷惑さえ掛けなければ、そして自分の心が満足であるならそれで充分な人生であるのではなかろうかと、皆との話し合いでとても心のいい勉強をした様な気がする。

次男と三女を呼んだのは弟の方(Kと言う)が次男が中学の頃家に来て勉強を見てくれたり、二人を連れて水泳に行ってくれたりして親密な間柄であったから、Kが家に来る時は何時も二人は呼んでいた。二人はSとは殆ど関わりを持った事がなかったけれど、其処は従弟同士だから今回の話し合いで絆が強くなったようだ。Sと次男との間で「これから仕事上での関わりを持とうよ」との会話がなされていた。

昼食を挟んで6時間懐かしい愉しい貴重な時を持てた事は本当に嬉しい事であった。貴重な短い時間を割いて私に会いに来てくれた事、本当に何にも替え難い嬉しさであった。
何時もはT家一族の事ばかりが私の頭の中にはあったが、今回は実家関係の人々の事中心に話しは弾んだ。
二人の甥はもう還暦を越えた年齢、Sには今度何時会えるだろうか、老い先短い私ではあるけれど健康に留意し又会える日が与えられる様願っている。


再び一日置いての外出!

2012-03-16 21:11:25 | 

クリスマスローズが咲き始めました  白い花の縁に色が付いているクリスマスローズ

一日置いて今日は3回目の甲状腺エコーの検査の日。
未だ完治していないめまいで横になる時など殊に注意しているのだが、病院で横になって下さいと言われた時眩暈の事すっかり忘れていてサッと横になったら眩暈が起こった。然しそれは直ぐ治った。それから検査が始まった。首を見る為に枕を背中近くに置き頭がぐんと下がる様にして40分位そのままの姿勢でいたのだった。「終わりました起き上がって下さい」のお声が掛かったので今度はソロソロ起き上がったのに、ひどい眩暈思わず目を瞑ってしまったが「目が回った時は目を瞑ってはいけません大きく開けて」と言われていたこと思いだしガッと開けた。「横になられたら?」と仰って下さる、「いいえ横になったら又眼が回ります」と言って暫く寝台の上で座っていた。首を長い時間下げていたのが原因だったのかと思った。暫くして治ったので心配して下さった方に丁寧にお礼を言って検査室を出た。治まればもう何をしても平気、会計をし阿佐ヶ谷駅まで10分位歩き西荻窪では買い物までして帰宅した。
「眩暈が起こっていなければ何をしても旅行しても構いませんよ」との耳鼻科の先生のお言葉を頂いているから心強い。
今日の結果は4月5日に主治医先生から伺う事になっている。「これからも定期的にエコー検査する事になるでしょう」と検査をして下さった方が仰っていた。

日本女子サッカーの澤選手がどうも耳石が動く眩暈を起こされている様に聞いているが、これは選手生活に多大の支障を来すのではないかと、人事とは思えず心配である。私は何もしなくて済むから良いけれど、澤選手は激しい運動をされる訳だから今後どうなさるのだろう。何とか良い治療法はないものかと気になって仕方がない。


音楽会をはしごした!

2012-03-15 10:50:09 | 

昨日は二つのコンサートを梯子して聴いて来た。
梯子となった成り行きから・・・
清水和音のピアノコンサートは大分前にチケットを購入し手帳に書き入れておいた。割と最近になってパイプオルガン&トランペットの演奏会がある事を知りどうしても行きたいと思い、後先を考えずにチケットを買ってしまったのだ。買ってから「はてな?確か3月に一つ音楽会の予定があったっけ」と思いだし早速手帳を見たら何と同じ日ではないか!「しまった~」と良く良く見たら前に買ったのは昼の部、今回のは夜と分かり「あ~助かった両方とも聴けるわ」とホッとした。もしかしたらどちらかを無駄にしてしまったかもしれない私のドジな行動であったのだ。手帳に書いても見なくては何にもならない事を痛感した。

先ず清水氏のピアノコンサートへ行く。会場はオペラシティー、今迄は此処は駐車場が沢山あるので車で行っていたが、次の会場があるので電車で行く事にした。初台を降りれば直ぐの処にあるのだが初めてのこと故大分苦労した。新宿駅から京王新線に乗ってひとつ目の駅なのだが、京王新線に乗るのは始めて、このホームに辿り着くまでが結構歩かねばならない。何人かの人に聞きながらやっとホームに着いたら、急行が来るというアナウンサーの声、急行に乗ったら初台に止まらないのではないかと「初台に止まりますか?」と聞く始末、80年余東京に住んでいるのに何と田舎者なのだろうと情けなくなった。

清水氏の演奏は始めて聴く。演目がOLLベートーヴェンに惹かれて聴きたいと思ったのだ。「悲愴」「ワルトシュタイン」「月光」「情熱」全て良く知る有名な曲である。技術的にも素晴らしかったが、最後の「情熱」はその演目通り清水氏の情熱をすべて注がれた素晴らしい演奏であった。

4時過ぎ演奏会は終わった。さてこれから次なる会までの2時間余を如何過ごそうかと考えた。一寸早いが夕食を食べてしまおうと新宿の東急百貨店の12階で時間が早い所為もあり人もまばらな店でゆっくり蕎麦を食べた。未だ時間があると百貨店内を歩き回ったらアッと言う間に時間が過ぎてしまい、慌てて山手線で目白駅下車其処からバスで椿山荘前で降りたら其処のすぐ傍が会場である。バスに乗ったら同じ教会員であり、ドイツ・トルコと二回ご一緒に旅行した84歳の男性の方が座っていらっしゃり「こんな処で!」とお互いびっくりした。

会場である東京カテドラル聖マリア大聖堂は素晴らしい建物であった。この礼拝堂で聴いたトランペットとパイプオルガンの演奏は本当に素晴らしく約2時間を荘厳な気持ちで聴き入ったのであった。パイプオルガン奏者(女性)は市谷教会のオルガニストであり、私とも親しい方である。バスでご一緒だった方はこの方のお父様である。
知った方々にもお逢いする事が出来お話しも出来た事は嬉しかった。

遅く家に帰り入浴を済ませたのが11時40分、もう床に入ろうとした時今日が長女の誕生日である事に気が付いた。何時もは電話をするのだが、この時間ではもう寝入っているだろう「間一髪!今思いだしました。お誕生日おめでとう」とメールした。

最近一日置きではあるが外出が続いている。明日も又外出の予定がある。する事があると言う事、つまり刺激のある生活を送る事が出来る今を感謝している。


遅咲きの梅満開!

2012-03-12 17:22:25 | 

梅の花がやっと綻び始めました。3月5日撮影  満開近しです。3月12日撮影

居間の窓辺です。インコ・グッピーは元気です

3月も半ば、ようやく梅が満開になった。まだまだ寒い日が訪れている現在の気候からして、多分桜の花も相当遅いのではないだろうか。

この冬まだ一度も風邪を引いていない私だったが、一昨日の朝方一寸喉の痛みを感じ風邪の始まりかな!と思った。ひどくなった時の喉の痛さは耐え難い、一刻も早く対処し本物の風邪になる前に治してしまおうと行動を開始した。
先ずうがい、私は外出先から帰宅した時手は洗うが嗽は殆どした事がない。然し今はそんなこと言っている場合ではない。昔イソジンと言ううがい薬で嗽した事があったが、家にあったその薬は使用期限が2007年であった故これはまずいと止め、紅茶で嗽をすると良いと聞いていたので実行した。ヒマさえあれば・・・
次にした事はマスク、これも普段は殆どする事はなかったが、自分の口から出る蒸気で喉が潤うから良いのではないかと、薬は入れなくても吸入の効果がある様に思い、食事以外の時は就寝時も付けて寝た。
首を温かくしようとマフラーをぐるぐる巻いた。
薬は医者だった亡き父が考えて私が作り患者さんに上げていたもの、もう70年近く昔の薬だが未だに2種類の薬を10グラムづつ調合し薬包紙30包に分け三角に折って包むのである。この薬は痛みにも効くし、風邪にも効く。これを朝・昼・夕三回服用。その他にこの前口内炎に効くとブログに書いたが、ルミンと言う薬を普段より多めに服用すると良いと薬やさんに言われていたのでそれも飲んだ。熱はないから普通の生活で・・・・
これらが効いたのかどうかは定かではないが、兎も角やるだけの事はやって今日は喉の痛みもすっかり治ってしまった。
「それって風邪ではなかったのよ」と思われる方もいらっしゃると思うけれど、やれるだけの事は自分でやって見ようと言うのが私の思いなのである。

確定申告の期限が迫って来た。最近は収入がないから提出しなくても良かったが、父の遺産でアパートを建て人にお貸ししていたが(3姉妹で)老い先短いしこの際きれいサッパリ売ってしまおうと言う事になり、何がしかの収入があったので、確定申告をしなければならなかった。譲渡所得と言うもので私等にはどう書いて良いのかさっぱり分からない。税務署で教えて貰おうと朝9時から出掛けた。もう既に大勢の列が出来ていた。昔行った時は座って待ったし教えても貰えたのに、今日は待つのも教えて貰うのも立ちん棒、最後に出来上がった書類に判を押して貰う10秒間位だけ腰掛けられた。
「パソコン打てますか?」と聞かれたので「打てますが遅いし良く解らないからやって下さい」ってお願いしたら優しそうなお兄さん全て入力してくれた。e-taxとやらで。その場ですべて完了しホッとした。

今日はもう一箇所、耳鼻科に行かなければならなかったので、2時間ばかり掛かった税務署を出たその足で桜上水の耳鼻科に向かった。久し振りの眩暈から一週間経ったが今度の眩暈はしつこい。体を起こし動作に気を付ければ平気なのだが寝起きの時に一寸くらっとくるので気分が悪い。「まだ目が動いています」との事。「如何なっちゃっているのでしょう」とお聞きしたら「耳石が何処かにつっかえてしまっているんです」そうな!!2週間後に又行くのだが、早く何も考えずに自由に行動できるようになりたい。「普段の生活をしていればいいんですよ、旅行も大丈夫」と言っては下さるけれど・・・・・

税務署では立ちん棒、帰宅したのが2時半だからお腹はペコペコ、それに電車を待つホ-ムは寒い、夕べ3時間位しか眠れなかったから目がしょぼしょぼで眠い、いい事なしの一日であった。


姉を訪ねて!

2012-03-07 19:39:42 | 

水仙が咲き始めました   これもスイセンです

今日の午後姉を訪ねた。この前会った時より元気でとても良い顔をしていたので安心した。物忘れは相当なものだがこれは歳の所為で致し方ない事であろう。
今となっては二人にしか分からない昔々の共通した話題を3時間ばかりに亘って話しあった。
今月末から3泊4日の予定で三重県鳥羽に新居を建てた姉の娘夫婦からのお誘いで姉と私は行く予定になっていた。姉はとても喜んでいたのに、いざ日にちが決まると「私行く自信がないわ~」と渋っていると知り「これではいけない、今姉に必要なのは刺激のある生活なのだから何とか説得しよう」との気持ちで私は出掛けたのだった。姪も「叔母さん頼むわね」と言っていたので良い返事が出来る様努めた。楽しみだと思う気持ちの反面、この年寄りが皆に迷惑を掛けるのではないかとの思いが大であるらしい。「そんな心配はいらないのよ、「老いては子に従い」って言うでしょう!子供達もお母さんが来てくれる事を喜んでくれるのだし私とも一緒だし愉しんで来ようよ」と一生懸命話したらその気になってくれたようだ。私自身姉と旅行出来る事が嬉しくてならないのだから、説得にも気合が入る。今日は良い返事を得たが又何時なんどき気が変わるかもしれないとの不安はあるが、一緒に行ける事を切に願っている。

姉の処にいた時、三女から携帯が掛かって来た。「お母さん如何したの大丈夫?」って。10か月振りに眩暈で耳鼻科に行った事は先日ブログに書いた。多分三女は読んでいないとは思っていたが!「何で知ったの?」と聞いたら「今日の教室でS生徒さんが「先生お母さんが大変な事知っていらっしゃる!って言われて何にも知らず恥かいたわよ」と言う。
一昨日に次いで昨日も大変な事が起こったのだ。朝起きたら未だ一寸ふらついていた。魚に餌を与えようと下を向いた途端クラクラっときてそのまま倒れてしまったのだ。眩暈でも倒れるなんて初めての事、幸い何処も打たなかったけれど、倒れたまま30秒位で眩暈は治まった。(30秒位で治れば心配ないが、眩暈が治らなければ脳の病気の疑いがあるかもしれないそうだ)兎も角大したことはないと思ったが体がふらつくし、昨日の今日だけれどもう一度診て頂こうと長男に電話し一緒に行って貰った。
最初の日は診察台で急に起き上がらせたり、寝かせたり、下向かせたりさせられた時凄い眩暈が起きたけれど、昨日はそれほどでもなく「大分良くなっていますよ」と言われた。でも一日中普通の状態ではなかった。
今朝起きたらすっかり良くなっていた。それで予定通り姉の処に出掛けた訳だが・・・そんな経緯を電話で三女に話したら「車運転して行ったの?」っていうから「うんそう~」と言ったら「駄目じゃないタクシーで行けばいいのに」って叱られた。
私は自分の体の状態は良く分かっているから何とも思わないが、他人から見ると無謀と思われるらしい。余り人様に心配かけてはいけませんね。そう思いつつ無謀に走ってしまうこの性格如何したら良いのであろうか!!
何時なんどき起きるか分からない眩暈困ったものではある。


後輩の活躍!

2012-03-05 20:38:31 | 

先日のラン展で買った胡蝶蘭   ピリムラ、ピンク色が何とも可愛いです

昨日は教会に行った。市谷教会で6カ月研修をなさった方の最後の日。T研修生は自由学園男子部の卒業生であるから私の後輩である。4年前学園を卒業後神学校で勉強され、この6カ月の研修を終えて、愈々4月から任地の門司教会で牧師として働かれるのである。
昼食会で送別会が催された。半年共に過ごした教会員の方々からの送る言葉、Tさんの感謝の言葉、そして心からの贈り物を貰ったTさんのお顔は喜びと感謝に満ち溢れ、和やかな本当に良い会であった。
時代は違うけれど共に学園で学んだ者同志として、親しみを覚え会が終わってから暫くお話しする事が出来た。
思い返せばこの6年間に私より遥かにお若い自由学園卒業生3人もの方(一人は女性)がこの教会で研修をされ牧師として巣立って行かれたのである。お二人はもう既に牧師として良きお働きをされている事と思うけれど、T さんの上にも神様のお恵みとお守りがが豊かに与えられる様にと願いつつ、牧師としてのお働きを全うされる事を心から祈っている。

昨日はもう治ったと思った眩暈が今朝から又始まった。早く日々を快適な気分で過ごしたい気持ちから医者に行こうと決心した。雨も降っているし、体もふらつくから危ないと思いタクシーを呼んで出掛けた。10か月振りであった。「あ~目が回っていますね~」が先生の第一声。今迄は左の耳石が飛び出していたのだが、今回は右の耳石が三半規管の中の後半規管と言う部分に入り込んでいます、治してしまいましょう」と今迄とは違った頭の部分を叩きながら反対方向に回転した。ある場所に来ると猛然と回り出す。「あ~目が回りま~す」と何度も声が出てしまった程だった。でも前の様にすっきり治ってはいない。「一週間分薬を飲んで又来て下さいちゃんと治っているか見ますから」と言う事であった。「又耳鼻科通いか!」と情けない気分ではあるけれど、この眩暈で死ぬ事はないんだしこの歳まで我慢して来れたのだからと割り切って平常の生活を明るく過ごそうと思っている。