老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

三女の誕生日会!

2011-02-26 16:04:09 | 

庭の梅が満開になりました

三女の誕生会、祝い膳です 子供二人からのプレゼント、これ何でしょう?

25日夜遅く秦野から帰宅した翌日はパソコン教室の日。同じクラスのTさんが大腿骨折をなさり手術をなさって現在ご入院中、杖をついて歩けるまでになられたと知り安堵した。暫くは教室に来られないそうで寂しい。すっかり良くなられる様祈っている。

今日からwindowsムービ-メーカーの勉強が始まった。私は撮りためてある庭の春の花を使って、後のお二人は飼っている猫ちゃんの写真で楽しく教えて頂いている。

昨日(2月24日)は三女の誕生日、(ばらしちゃいますが49歳になったとか)ほんの小さい頃「小児麻痺かもしれません!」と医者に言われ悲嘆にくれた時の事を思い出すが(そうではなかった)その三女が人生半ばを迎えたなんて感慨無量である。
昨日はPC教室の日でもあったし、婿さんも赴任先から帰って来る日でもあったので誕生会をしょうと言う事になった。全て私の手料理で、お赤飯は近頃炊飯器で炊く様であるが、私はむかしながらの蒸し器で蒸す方法で作った。
婿さんは仕事を終えてからなので帰宅は8時半頃、それまでお腹を空かせて待った。塾のある孫娘は何時ももっと遅い帰宅であるが今日は早く切り上げて間に合った。5人揃って祝い膳に付く。「わ~美味しそう」娘は「3回分位食べられそうな分量だ~」と言い皆美味しいと食べてくれた。
9時半頃から階下のご両親も加わってお母様が買って下さった美味しいケーキを前に誕生日の歌を歌って祝った。
此処で子供二人からのプレゼント贈呈。夕方孫息子が私に「お母さんが手袋が欲しいって言っていたからこれから買いに行って来る」と言って出掛けた。てっきり手袋だと思っていたら、上の写真の様な「アロマディフューザー」なるものであった。こんなもの良く見つけて来るわ~と感心した。気持ちをリフレッシュさせるものらしい。娘は嬉しそうに早速試していた。液を入れ、電源を入れるといい香りが漂ってって来る。
下のお母様からは既に花鉢(デンドロビューム)を頂き置かれてあった。
今日は旦那様が何か買ってくれるそうで、午後から二人で出掛けた筈である。平常は主人の居ない留守を多感な二人の子供と守り、教室での苦労(楽しみも大いにある様だが)もある中懸命に生きている三女にとって、今日の誕生日は最高に幸せな時であったに違いない。親としてもこの様に嬉しそうな娘の顔をみることが出来幸せであった。


梅・雛・桜、盛り沢山の一日!

2011-02-24 10:08:09 | 

湯河原梅林にて
  
  

一昨日一ケ月振りの内科診断を受け、午後何時もより遅めに家を出て夕方秦野に来た。
今回は湯河原梅林に行くのが第一の目的であったが、ブログである生徒さんが松田の河津桜が8分咲きであったと投稿されていたのを見、これは是非行かねばと思ったのである。
昨日は晴天、朝8時に婿さんは写真仲間と松田の河津桜を撮りに出掛ける前々からの予定だったので別行動、長女と私はやはり8時に出発し現地に9時過ぎに到着。此処に来るのは今回で3回目、最初は車椅子の夫と来たのであった。何分傾斜になっている高い所まで梅の木で一杯、夫を娘が下で見ていてくれ婿さんと私で相当高い所まで行った覚えがある。
6・7分咲きであろうか、以前と変わらず素晴らしい景観であった。
其処の売店でゴールデンオレンジ(柑橘系の女王様)を買い求めた。小さいけれどジュウシーで適度な酸味と甘さがあり美味しい、今日誕生日の三女にお土産にと思って買ったのである。(明日PC教室の日、三女の誕生祝いをする予定)

さて次は例の河津桜を見るべく車を走らせた。多分駐車場は満車で入れないだろうと覚悟はしていたが、やはり満車であった。「明日早く来ようか!」と決め折角此処まで来たのだからと近くで催していた「瀬戸屋敷の雛飾り」を見、此処よりもっと豪華に展示してあると言う「南足柄市郷土資料館」にバスで20分ほど乗り足を延ばした。江戸時代から今日に至るまでの様々なお雛さんが沢山飾られ見事であった。

此処で終わりにする筈であったが、「もう駐車場空いているかもしれないわよ、行って見ようよ」と再び河津桜目指して進む。思った通り空いていて入場可。此処は松田ハーブ園で円筒の白い建物が建っていてその斜面下にハーブ園そして更に下がった斜面に河津桜が処狭しと林立している。正に8分咲き、まだ蕾も多くありこういう光景が私は好きである。お雛様・河津桜のおまけ付きで大満足の一日であった。

お雛様

松田河津桜
  
  下に見えるのは松田市、酒匂川が流れています

今日は朝から雨、「昨日桜見て置いて良かったね~」と娘と喜び合った。
一日ブログに入力したり娘とお喋りしゆっくり過ごした。
今夜東京に帰ります。雨が止んでくれると良いが!!


5日続いた外出最後の日!

2011-02-19 08:52:15 | 

  
  

池袋サンシャインで開かれているクリスマスローズ展に行って来た。この展覧会には次女の友達が関わっており毎年私達(3姉妹)に入場券を下さるのだ。もう何回も行かせて頂いている。
様々な種類のクリスマスローズ見事である。写真下の2枚は雪割草、とても愛らしく3人とも買ってしまった。「誰が上手に育てる事が出来るか競い合いね~」と言い合った。小さい苗でたったの500円、次女は1000円、えてしてこういうものは消滅しがちなので頑張らねば!

池袋で昼食をし次はステンドグラス展へ向かう。教室のある生徒さんの先生である「能登はる美さん」の個展。会場が何と西荻窪の私の家の近く「へ~こんな処に(ギャラリー彦)があったんだ~」とびっくりした。先生にご挨拶し「以前にも一度伺った事があるんです」と言ったら「お見かけした様なお顔だと思いました」とおっしゃっていた。素晴らしい作品ばかりで欲しくなった。次女は前から習っていて自分の作品が家にいくつも置いてある。興味深々と言った顔で先生に説明を求めていた。

もう一寸時間があり、私の家に行き車で、「小金井公園の梅が素晴らしい」と聞いていたので行こうか?と思ったが一寸時間が足りないので止めにし、其処で別れ私は家に帰った。娘二人はそれからサントリー美術館に行ったと二人からの電話で知った。意欲・行動力満点の娘達、その子等に引っ張られて私も行動を共に楽しんでいる。

忙しい、愉しい5日間は終り今日から3日間は一人家で過ごす。来週の火曜から先日雪の心配で行けなかった秦野に行く予定。又雪にならねば良いが!!
今週は珍しく4人の子供に会えた。次男は此処一寸ご無沙汰であるが多分元気で音楽活動に精を出している事だろう。


5日続けての外出続きます

2011-02-18 20:12:07 | 

  まんさくの花です
福寿草が綺麗に沢山咲いていました  温室の華やかな球根ベゴニアは見事でした

3日目  夕べも泊った次女と長女も加わり、何回も行くが又神代植物園に行った。
第一目的は梅、白・ピンク・濃いピンク・枝垂れ梅・枝ぶりの素敵な木・未だ蕾・5分咲き位の花・もう終り掛けている花等々広い敷地内にこれでもかと言わんばかりに咲き乱れていた。
福寿草は広い場所に真っ黄色に地面から可愛く花を咲かせていた。椿は今年病気に罹り、蕾を沢山付けているのに咲いても花は汚いとか、これからの手入れが大変な様だ。

私達母娘は3人姉妹と言われている。3人とも適当に皺が出ている年頃だが(私は相当多く)3人寄ればあ~だ、こ~だと話しは尽きず笑いも絶えない。ゆったりと散歩している様な気分で歩き回ったから疲れを全然感じなかった。長女は一声掛ければ2時間近く掛けて秦野から駆け付けてくれるし有難い事である。



4日目  上二人の娘とは一昨日別れた。昨日は三女との暫く振りのお出掛け。ある3人組のライブ。私が良く行くのは音楽会もしくはコンサートと言う。これは場内がシ~ンとして咳をするのもはばかれるのだが、ライブは興が乗ると立ちあがりペンライトを振りまくり、体を動かして壇上の演奏者と一体になり楽しむものなのだ。三女に誘われて今回で3回目になる。私は熱狂的になることはない。若い人(と言っても相当なおばさん達)の様に立ちあがる事はせず(疲れるから)一人でんと坐って聞くのだ。皆が立ちあがると舞台が全く見えない。たまに立ち上ったりもしたが!!
たまにはこういう雰囲気の音楽も悪くはないと思っているし、何よりも殆ど一緒に外出の出来ない三女と出掛けられるのが嬉しい。行き帰り、歩く時は常に手を組んで楽ちんだし、昨日は生徒さんもご一緒だったので終わってから3人で夕食をし話しが弾みレストランを出たのが10時半を過ぎていた。

電車に乗る時私は何時も「おもいやりぞーん」の場所に行くのだが昨晩は若い人が坐っていたのに誰も立ってくれない。娘曰く「若い人も草臥れているんだわ~」と、そして立っている私のバッグを持ってくれた。


5日連続の外出始まる!

2011-02-17 09:13:49 | 

夜7時頃帰宅直後に摂りました。雪が凄く降っています 早朝5時半、雪は止んでいました 午前6時半、雪が溶け掛かっています

1日目  私は3回目になるが、丁度東京出張で来ていた次女と一緒に孫娘の赤ちゃんに会いに行った。次女は始めてなので「可愛い、可愛い」と言いながら写真を撮りまくっていた。もう52日目になるので目も見えるようだ。この前行った時よりずっしり重くなっていた。一日45グラム位ずつ体重が増えているとか、黄疸が少し出てはいるが順調に育っている様だ。日一日と赤ちゃんの成長は目覚ましい。

午後3時頃長男の家に着いた頃は雨さえ降っていなかったのに、帰ろうと玄関を開けたらなんと、どか雪が降っているではないか、嫌だな~と思ったがバス亭まで10近く滑らない様娘の腕にしがみついて歩いた。寒~いと震えつつバスを待つけれど中々来ないしタクシーも、来たと思えば途中で止まってしまうバスが3・4台続いて約30分後にやっと吉祥寺行きのバスに乗る事が出来ホッとした。
降りてからも少し歩かなければならない。滑らない様しっかり娘と腕を組んで我が家に辿り着いて見れば、あの恐怖のスロープの玄関には2・3センチの雪が積もっていた。此処でも娘の力を借りて玄関に無事入る事が出来た。

カーテンを開けて見れば庭は一面真っ白、「明日の朝は銀世界を見る事ができるはね~」と言いながら兎も角写真を撮ろうと窓を開け「お~寒」っと言いながら何枚かの写真を撮った。

2日目  朝5時半に目が覚めた。雪の状況が気に掛かる。どうも止んだような気配、やはり雪は止んでいた。このままでは銀世界どころではなくなる!一刻も早く写真を撮らねばと寝巻のまま窓を開けて撮った。6時半に再び目覚めた時には木に積もっていた雪も殆ど落ちてしまっていたがもう一度写真を撮った。待望の素晴らしい銀世界を見る事が出来ず残念であった。

午前中外出は無理なのでケ-キでも作ろうよと言う事になりマーブルケーキ作りに精を出した。昔は良く作ったものであるがここ20数年まったくしていないので上手に作れるかが心配、でも娘がいるから気丈夫であった。暫く振りに出来上がったケーキは昔ながらの自家製の味で結構美味しかった。

午後、世田谷の羽根木公園の梅を見に行く予定だったので、PC教室が近いしケーキの半分を三女に上げた。「美味しかった、お二人の愛を感じましたわ~」と言うメールが入っていた。

羽根木公園の梅祭りにて

 
 

羽根木公園には一度も行った事がなかった。教室からも近いのに!ある生徒さんから「是非行って御覧なさい」とコメント頂いたので次女と行く決心をしたのであった。
普通の日だったし雪の次の日だったせいもあるのか閑散としていてゆっくり眺める事が出来た。始め一寸狭い場所の梅を見て「これだけなの?これで梅祭りなんて変ね~」と思い人に聞いて見たら運動場の向こうだと教えられ、ぬかるんだ道を歩いて向こう側に行ったら綺麗な梅が処狭しと一杯咲いていた。心行くまで堪能した。
夜は仕事に忙しい婿さんも交え愉しい一夜を過ごした。

この場所で三女はジョギングをしているそうな!そして先ず5キロのマラソン競技に参加するんだとか!  又次女の三男は大阪マラソンに挑戦するとか!参加する事に意義ありとは言え「二人とも大丈夫なの!」と思わざるを得ない。お二人さん頑張って初志貫徹願ってますよ~!!


本格的な雪だ~~

2011-02-11 11:45:18 | 

スノードロップが咲きました。今年は背丈が低くとても可憐です

梅がやっとほころび始めました。満開には程遠いけれど待ちに待ったので嬉しいです

予定通りなら今頃秦野に居る筈だが、天気予報では帰る日辺りから雪模様である事に不安を感じていた私「雪になりそうだから今回は行くの止めにするわ~」と長女に電話した。案の定行く筈だった朝雪がちらついて来た。「あ~止めてよかった」と思っていたら間もなく天気が回復し出し太陽まで照って来た。そして次の日も晴れ、「あ~行けば良かったかな~」と後悔しだしたその日の夕刊で金・土は大雪になると知った。やっぱり止めて良かったんだとホッとする思いを味わっていた。
そして今朝目覚めたらまさしく雪が降っているではないか、細かい雪で中々積もるには至っていないが、一日中降るらしいし、今夜寒くなればきっと積もるだろう。明日の朝は暫く振りの銀世界が見られるかもしれない。

何故私が雪を気にするかと言えば自動車の運転に影響するからだ。今でこそ絶対車で出掛けなければならないと言う事はない、然し夫が生きていた頃は毎日車での送り迎えをしていたので、雪の日の運転は絶対嫌だった私は冬になると雪になる事が一番の気掛かりであったのだ。車が多く走る道路は直ぐ溶けて走行に支障はないのだが大通りに出るまでの裏道の雪は中々溶けてくれない。お隣のおじいさんと良く雪掻きをしたものである。当時の雪への恐怖感が現在も頭を擡げるのであろうか!

去年の今頃大雪が降った翌日、新聞を取りに出て滑って転び後頭部を強打し「私、も~死ぬ」と思った事を思い出す。大きな瘤だけで済んで命拾いしたが、以後雪の日は絶対外出は禁止と言い聞かせている。新聞も取りに出まいと!!
こんな勝手な事をいっているが、雪国の方達の事を思えば本当に申し訳ない言い草でしかない私をお許し頂きたいと思う。

家の中は暖房が効いているからぬくぬくな筈、でもやはり何となく寒く膝掛けを使ったりしている。火の気のない玄関の温度計を見たら8度である。暖房の部屋は20度、外気は如何なんだろうと寒暖計を外に置いて見た。30分程して見たら0度だった。やはり寒いんだ~と確認した。

冬になると大雪が何回も降り、洗濯物を干せばたちどころにピーンと氷り付き、軒にはつららが出来た大昔の事を思えば何と幸せな世の中である事か!87年を生きた私は大方の事を経験している訳であり、辛かった時はこんなものであると我慢し、現在はぬくぬくと文明の進歩を当たり前の事の様に享受しているのである。様々な事を考えさせられる長く生きた老人の戯言である。


大失敗の翌日!

2011-02-05 14:08:47 | 

葛西臨海公園にて

蝋梅が満開でした 12000株の日本水仙が見事に咲いていました
鳥類のエリアです 
園内の観覧車 東京湾の向こうにディズニーランドが見えました

大失敗をしでかした二人は次の日、葛西臨海公園に出掛けた。私が数日前読売新聞で水仙が沢山咲いていると言う記事を見て行きたいと思っていた。でも遠いのかしらと言ったら次女が早速インターネットで調べてくれ東京駅から15分と近い事が分かったので出掛けたのだ。駅を降りるとすぐ隣が園内、東京湾を見渡せる広い広~い敷地内。
先ず目的の水仙を見て回る。コスモスの様に様々な彩りはないけれど、楚々とした日本水仙が一面を覆い始めて見る素晴らしい景観であった。

園内に入った時から観覧車が高く聳えているのが見えていた。、「あれに乗ろうか」「乗りたいわね~」と話し合っていたので次は観覧車に乗車。ゆっくりと一回りして17分間。ただ乗り降りは動いている最中にしなければならない。若い人なら何と言う事はないだろうが、87歳のおばあさんにとっては一寸怖い感じがした。乗る時はエイっと飛び込み平気だったけれど、降りる時は職員さんの手を借りた。案外近くにディズニーランドが見えたし中々の景観であり気分上々の17分間であった。

次は野鳥のエリアへ向かう。名前は分からないけれど沢山の鳥類を自然の中で目にする事が出来た。三脚にカメラを付けたおじさん達があちらこちらに鳥の来るのを待ち構えていた。一人のおじさんに「あの鳥何ですか?」と聞いたら「のすりですよ」と教えて下さった。天気は上々、風もなく寒くもなく長~い長い道程を良く歩いたものである。

唯一つ難を言わせて貰うと、同じ駅構内で乗り換えの場所までが遠いと言う事である。今回は中央線で東京駅に降り、凄く長~いエレベータで降り、其処から京葉線のホームに行きつくまでが10分ほど掛かるのである。エレベータを2箇所下って更に動く歩道を延々と(歩き)「もう嫌」って思う頃やっと目的ホームにつく始末。今迄も駅構内を延々と歩かなければならない経験はしばしばであった。如何にかならないものかと思ってしまうが、通勤で毎日繰り返し歩いている人の事を思えばたまに遭遇する私なんか文句が言えたものではないのだ。

東京駅で次女と別れた。自分の荷物も相当に重いのに私の鞄まで持ってくれ、二日間愉しい思いをさせてくれた次女さん本当に有難う。


大失敗の巻!

2011-02-04 11:34:15 | 

上野東照宮にて
寒牡丹 
福寿草 ピンクの梅が綺麗に咲いていました

2日  浜松から上京して来た次女夫妻、婿さんは仕事場へ、次女と上野駅で待ち合わせ先ず上野東照宮にて寒牡丹を観賞。8・9年前夫と娘二人で見に来た事があるが、当時より場所が広くなり沢山の素晴らしい寒牡丹を心行くまで観賞する事が出来た。「あの頃はお父さん元気だつたわよね~」と当時の夫の姿を偲びつつ!

昼食を挟んで次に行った処は同じ上野の博物館で開かれていた平山郁夫展へ。私はこの方の絵を始めて生で見たが、線が非常に鮮明に描かれている事に心を惹かれた。ひたすら描く事に情熱を注ぎ、楽しんで描き続けた等のご夫人の手記を読み幸せな生涯を終えられたのだな~と思う気持ちを強く持った。

さて今夜泊る次女達の夕食を手巻き寿司にするべくご飯が6時に炊けるからそれまでに家に戻ろうと二人で帰途に就いた。
この途中でとんでもない大失敗をしたのである。
例によって電車に乗っても二人の話しはとめどなく続いていた。山手線に乗り新宿で乗り換え総武線で西荻窪まで行くのである。全て、娘に任せていた私、「此処で降りるのよ」と突然言われ「あっそう、気がついてよかった~」と(時々失敗するので)言いながら娘に付いて下車した。階段を降りてホームを変えなければならない、何時もだったら乗るホームが直ぐ見つかるのに何処を探しても総武線が見つからない。娘が職員さんを捕まえて盛んに話しているが解らないらしい。私も其処に加わり「総武線は何処の階段を登ればいいんですか?」と、職員さん納得いかない妙な顔つきである。「総武線、つまり中央線に乗りたいんです」と食い下がる私。職員さん「新宿に行って下さい」と言う「此処新宿じゃないですか」って言ったら「此処は池袋です!」って「えっ池袋~~~」私等二人は新宿と思いこんでいるから職員さんと話しが噛み合わないはずだ。「このばあさん達何を言っているんだろう」とあきれ顔の職員さんにお詫びを言ったかどうかも忘れた程に、ほうほうの体でその場を逃げ去り再び山手線に乗り正真正銘の新宿駅に着いた。「なんで此処が新宿って言ったのよ~」「人が沢山降りたからてっきり新宿と思ったのよ~」「池袋じゃ~総武線も中央線も通っていない訳よね~」って二人で大笑いしながら目出度く西荻窪に到着した。

一人で出掛けたら決してこの様な間違いは起こさない。いくら歳をとっていても私も気を付けるべきであったと、反省しきりであった。正に珍道中と言うべき出来事であろうか、遅く帰って来た婿さんにこのいきさつを話しながら3人で大笑いしたものである。笑うと涙の出る私、何度も眼鏡をはづし涙を拭ったものであった。