老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

ギリシャ・イタリアの旅(3)

2013-06-29 11:01:00 | 

6月9日(7日目)

 ローマからアッシジそしてフィレンツエへ。

先ずローマ市内を観光。

  

  

バチカン国は世界で最小の独立国家である。

上はバチカン王国で撮った写真。上の真中がバチカン宮、その左はバチカン宮に隣接する世界最大のカトリック・サンピエトロ教会、サンピエトロ広場もあり、内部の写真撮影は可であったので撮ったが「キリストを抱くマリアで有名なピエタ像」はぶれてしまった。カラフルな衣装を着た衛兵の姿もあった。
コンクラーベ(教皇選挙)可否が決まった時、白か黒の煙が出る煙突らしきものも目にした。


ローマを後にしアッシジそしてフィレンッエに向かう。

アッシジに向かうバスの中からのどかな田園風景が見られた。



アッシジのサンタ・マリアデッリ・アンジェリ聖堂等を見学。この日は日曜日であったので、ある教会をお借りして聖餐式を行う事が出来感謝であった。

フィレンッエにバスで向かう途中夕陽が沈む処を撮りたかったが、雲が出てこんな写真しか撮れず 残念であった。
フィレンッエのホテルに着いたのは8時を過ぎていたがそれからの夕食であった。中々の強行軍である。
                                                         フィレンッエ泊

6月10日(8日目) 

  
                                                                          アルノ川に掛かるヴェッキョ橋
フィレンッエのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂等を3時間位歩いて見学。相当きつい。
観光後イタリア最後の観光地ミラノに向かった                                                       ミラノ泊


6月11日(9日目)

 イタリア第二の都市ミラノ観光。

  

  
      ミラノ・ドゥオーモ  の外観と内部                          サンタ・マリア・テツレ・グラツィエ教会 
 ミラノ・ドゥオーモ見学。  サンタ・マリア・テツレ・グラツィエ教会に隣接するドメニコ修道院の食堂の壁画、レオナルド・ダヴィンチが画いた「最後の晩餐」の原画を見る事が出来た。キリストと12人の弟子が画かれキリストが「この中に一人私を裏切る者がいる」と言った瞬間を捉えた絵なのだそうだ。弟子達のその時の表情が表されていると言う。淡い色合いで何とも素晴らしい絵画であった。こんな貴重なものを見る事が出来た幸せを感ぜずにはいられなかった。30人位ずつがその部屋に入り15分間観賞する事が出来る。私達は3組に分かれ私は最初の組で見た。その他の人は近くを見物しながら順番を待つ。最後の組が見る番になった時私はトイレに行きたくなった。でもそこらには入れる処はなく修道院の中にあると言う。でも絵画を見た後にでなくては入る事は出来ない。如何しょうと思っていたらW牧師が「券が一枚余っているから上げるよ」と言って下さった。何と名画をを2度も見る事が出来るなんて、そしてトイレにも入れるんだと本当に嬉しかった。

終わって暫く自由行動私は教会の直ぐ近くにある「ミラノ・スカラザ」に数人と入り舞台だけでも見たいと思っていたら 管弦楽団が練習している場面を見る事が出来た。その劇場の隣が音楽に関する博物館で、有名な音楽家達の写真が沢山飾られていたし楽器やオベラの衣装なども展示されていて愉しく見て回る事が出来た。

この日の朝大変な事が起きてしまった。Sご夫妻のご主人様が40度近い熱を出され観光に加わる事が出来ず幸い今夜も同じホテルであったのでご夫人が付き添われホテルに残られた。観光しながらもどうなさっただろうと皆心配だった。途中経過で入院なさったと伺い次の日が帰国なので如何なるのかと思っていたら治療の甲斐あってかその夜退院なさったと聞いて安心した。が又悪くなられるのではないだろうかとの一抹の不安はあった。良くなられる様心からの祈りで床についたのである。
                                                        今夜もミラノ泊

 

 

 

 


                                                                     

    

 

 


ギリシャ・イタリアの旅(2)

2013-06-26 17:43:24 | 

6月6日 (4日目)

 アテネからコリントスへ。5時間位掛かった長~いバスの中から左手に広いエーゲ海を飽く事なく見ながら。

  

  

エーゲ海とイオニア海を結ぶ全長6メートル、幅25メートルのコリントス運河。普通橋の下を船が通過する時は橋げたが真中から上に広がるがるのだと思っていたが、橋を通る時雨も降っていないのにびっしょり濡れているので変だなーと思っていたら、この運河は橋全体が海面から下にさがる様な構造になって居た。丁度船が通った後沈んだ橋げたが上がって行く処を順次撮った写真である。

コリントスを観光後ケンクレアに移動。

  

 

ケンクレイア港のヘライオン遺跡。   海岸にはこんな面白い日よけがあった。

観光後アテネに向かう。                                             アテネ泊

6月7日(5日目)

 アテネ市内観光

  

アクロポリスの丘のパルテノン神殿等を見学した。此処は丘だから登るのが大変であった。相当歩き回ったが下るのは私は案外平気なのである。丘の上からアテネの町が一望でき昔の城壁も見る事が出来た。

アテネのオリンピック競技場。6万人の観客席があるという。表彰台が見えた。

午後アテネを飛び立ち空路2時間15分でローマに着いた。ギリシャとの時差は1時間。

                                                            ローマ泊

6月8日(6日目)

ホテルを7時半に出発し高速道路で200キロを南下しポンペイへ。
ベスビオ火山が大爆発しポンペイの町は埋没した。2000年以前の街並が残るポンペイ遺跡を歩き回り、30余年前夫と来た事を思い出しながら感慨深く見て回った。あの時は8月で非常に暑かったが今回も結構暑く日本の様にジメジメしていないのでその点は楽であった。これだけのものを掘りだす作業は並大抵の苦労ではなかったであろうと、人間の知恵と力の凄さを感じずにはいられない。 

 

 

 

                                 ベスビオ火山は大噴火して二つの山になったそうだ。3000メートルの山が噴火して1280メートルになった。ポンペイの人口は日本の約半分、土地は日本より一寸小さいとか。

ポンペイからナポリへ行き市内を観光する。そして再びローマに戻って来た。 

ローマでは市内をバスの中からの見学だったので有名なコロッセオ・カラカラ浴場・映画で見たベンハーの馬車の物凄い競技をした場所等はしっかり見られなかった。
カタポンペ(古代キリスト教徒の地下墓地である)此処にはバスから降りて地下へもぐった。下へ下へと掘り下げ死体を葬むる棚が数多く見られた。暗い中を一歩一歩踏みしめながらの相当きつい行程であった。
何千年も前のキリスト教徒の何とも重い苦しみを まざまざと思わされた時であった。
夫と共に来た場所と言う事で私にとっては忘れ得ぬ場所であった。                  今夜もローマ泊

 


ギリシャ・イタリアの旅(1)

2013-06-25 09:51:13 | 

夫が亡くなってから8年、この間に教会関係の海外旅行に今回で5回目の参加であった。年々歳を重ね肉体的にも徐々に大変になって行くが、誘われれば何処にでも行きたい私故、今回も去年のスイスに次いで参加を決めた。88歳頃より足腰の弱さを感じ始め、今年は出発する一週間前に歩行困難な程の腰の痛みを来し、もう行けないかと思ったが幸い回復し参加出来た事は本当に嬉しかった。

今回はギリシャ・イタリア、遺跡の多くある国である。ギリシャは始めて訪れる。イタリアは約三十数年前ツアーで夫と共に行った事があったが、普通のツアーとは異なって教会関係での旅は違った意味で心に残る良い旅であった。
専用バスでの移動だからその点は楽であるけれど、バスに乗っている時間ははんぱではない。5時間掛かって行く事もあり、バスから降り歩いての見学はこれ又坂を上ったり下ったり、兎に角こんなに沢山歩いた事は始めて、道路は日本の様に歩き易くなく石が敷き詰められていて足元を良く見ながら歩かなければつっかえて転ぶ危険性があり、回りもしっかり見たい、写真も撮りたいと思うと本当に大変。その国に長く住まわれガイドして下さる日本人の説明は至って流暢、説明をしっかり聞きたいと思っても89歳の私は歩きも遅く、着いた頃には説明が終わっていると言う始末。写真は沢山撮ったものの家に帰りパソコンに取り入れ見ても何が何やらさっぱり分からない。買って来た各地の日本版の本やインターネットで調べ照らし合わせながらやっと分かると言った具合故、間違った説明も多々あると思うけれどお許し願いたい。
13日間もあるので何回かに分けてご報告したいと思うので気長にお読み頂ければ嬉しいと思う。

前書きが長くなりましたがこれから本題に入ります。「パウロの足跡を訪ねて」 ~キリスト教の源流を訪ねる度~ である。

6月3日 一日目

総勢25名、午前10時半に成田空港に集合。毎回空港の一室で団結式を行う。方々の教会から集まるので先ず自己紹介をし、引率者である蒲田ルーテル教会のW牧師の「皆仲良く良い旅にしましょう」等々のお話があり祈りがあって愈々出発である。

長男夫婦が成田まで見送りに来てくれ嬉しかった。

 12時40分、ルフトハンザ機は成田を飛び立ち約12時間、ミュンヘンで乗り継ぎ約2時間でギリシャのテサロニキ空港に到着した。日本との時差は7時間であるから夜11時であった。そこからバスに乗りホテルに着き荷物を開けたり入浴したりして床に着いたのは12時を過ぎていた。
                                                      テサロニキ泊

6月4日 二日目 (以後は現地時間で記入)

 ホテルを8時出発  旅行中朝バスに乗ったら簡単ではあるが礼拝の時を持つ。マケドニア王国の中心地テサロニキ観光。

                

博物館にて遺跡から発掘された様々な物が展示されておりゆっくり見て回った。野外にはこの様な素敵な場所もあり、牧師さんが少ない人数だったがお話されている最中の場面にも遭遇した。

 テサロニキ観光を終えフィリッピ へ移動。

 

此処は広大な遺跡でパウロが捕えられていた岩穴も見られた。広いので随分歩いた。 

 

教会です。後ろの山、ギリシャの山はこの様に岩肌が見えまばらに小さい木が生えている。日本の様に緑で覆われた山ではない事が印象に残った。

移動してカランバカへ。右の写真はカランバカの町、大きな木はパイナップルの木でしょうか!
                                                      カランバカ泊                                                                       

6月5日 3日目

カランバカからメテオラへ移動。

  

  

何処までもオリーブの木が続く。

高速道路でメテオラに向いひた走る。高速道路・町の向こうには紺碧の海(多分エーゲ海)そして山・雲、素晴らしい景色を見ながらメテオラの奇岩に向かった。奇岩とは615メートル程もある岩山であり、その一番上に建っている修道院、これは正に感動ものであった。こんな処に如何やって家を建てる事ができたのだろう!との思いは切実。今では人が登れる道は出来ているが当時はしっかりした網に建材等を入れて吊り上げたそうだ。その労力は如何ばかりであった事だろう。
急な坂道であったので、私以下4人は下で待っていた。上で手を振っていらっしゃるのはW牧師、私達も手を振った。多分声は届かないだろう。戻って来る人達の写真を次々撮った。相当大変だった様で行かなくて良かったと思った。

ギリシャはスペイン・イタリアに次ぐオリーブの産地、何処に行ってもオリーブ・オリーブが目についた。植えてから5・6年間は実が生っても使わずその後は2年間に一回収獲するらしい。あの小さい実を収獲するのは容易な事ではないだろうと人事ながら気になった。

奇岩を後にデルフィーに向かう。

 

アポロンの神託をうけた聖地デルフィーの遺跡。此処も広大で素晴らしかった。
その後も観光を続けギリシャ最後のアテネに向かう。                              アテネ泊

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 


只今~

2013-06-17 10:59:21 | 

一昨日ギリシャ・イタリアの旅から無事元気(実はへとへとになって)に戻って来ました。
13日間の長旅でしたが肉体的にはかなり過酷でありましたが、精神的には非常に有意義な実のりある旅でありました。
早速ご報告をしたい処ですが、何分数多い写真であり作業が大変である事、又同行者に写真をプリントして送る作業もあり、暫くしてからゆっくりご報告したいと思います。故に今日は無事に帰国出来た事と、約2週間留守にした間に咲いていた花を載せたいと思います。

きゆうりがこんなに大きくなっていました。長さ約20㎝です アブチロン、15センチ位の苗が2倍の高さになって綺麗な赤い花を一杯咲かせていました ハンゲショウ

クチナシ 花の名前は分かりませんが、赤い可愛らしい実を付けていました アジサイ

ガクアジサイ 真紅のバラの2度目が折り重なって咲いていました 黄色いバラも2度目咲きです

サフラン サンダーソニア(クリスマスベル)とも言います アスチルベ

クレマチス カタバミ

帰国前夜のホテルで眠れなかったし、飛行機内でも全然眠れず眠気は最高に達していました。
皆さんとの道中はとても愉しかったけれど、成田に迎えに来てくれた長女の顔を見た時の嬉しさはひとしおでした。身内の存在は大きなものである事を痛感したのでした。私は緊張から解放されどっと疲れを感じ家に着いても何もしたくなく、長女が昼ご飯を用意してくれ後片付けもしてくれ、自分がいるとお母さんが休めないからとの配慮で家に帰って行きました。何と有難い事でしょう。1時から6時までお陰でぐっすり眠り、その夜も早く寝て一晩眠る事が出来昨日の朝は我が家で爽快に目覚めたのでした。私は時差ぼけを経験した事がないのでその点は有難く午前は庭の写真を撮ったりし、午後届いたトランクを片付け洗濯をし、夜は預けたインコを三女が届けてくれたので旅の話しなどして10時頃帰って行きました。(ささやかなお土産を貰って!)
そして今日帰国後始めてパソコンを開いた次第です。


旅の前に!

2013-06-02 12:59:44 | 

ムラサキツユクサ アジサイ テッセン

カワラナデシコ モミジバフウゼラニューム カシワバアジサイ

キンシバイ バラ、2回目が咲きました ビヨウヤナギ

豪華に咲いていたバラの花もすっかり散り、庭はめっきり寂しくなった。でも百合があちこちに大きく育ち蕾を一杯付けている。
一応春4・5月に咲いた花は以上で終り。

明日から去年に続いて海外旅行にギリシャとイタリアに出掛けます。
昨日トランクを預けたし、その後インコを三女の家に預けに行こうと思っていたら、夜取りに来てくれ大助かりした。

5日前、朝起きたら腰が痛く歩くのも一寸困難、屈んでも痛くこんな状態では旅行に行けないのではないかと非常に不安を感じた。一日様子を見たが良くならないので、意を決して病院に行った。思い当たる原因はなかったので「圧迫骨折」や「腰椎ヘルニア」だったりしたら嫌だな~と思っていたが単なる老化による腰痛と言う事で2本注射を打って貰い痛み止めと貼り薬を貰って帰って来た。この時点で屈む事も平気になったし、歩く事もほぼ平常になっていた。兎に角旅行が近いので絶対無理な姿勢は禁物、庭の手入れもやりたいけど金輪際やるまいと決め旅行の準備だけに没頭した。お陰でその後は元に戻った状態を保っており一安心している。愉しい旅行を取りやめる事なく決行出来る事本当に感謝している。
今回は一寸長く15日に帰って来ます。腰の痛みが再発しない様、元気で帰国出来る事を心から願い祈っています。
では、行って来ま~す。