老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

新しいカメラで!

2013-11-30 14:32:56 | 

井の頭公園の紅葉

   外人さんが撮ってくれました
   桜の木です
 ススキの風情も素敵です  
   

最近カメラの電池が直ぐ消耗してしまうようになり困っていた。娘に相談したら「もう大分長く使っているしこの際買い変えたら!」と言われもっと軽いのが欲しいと思っていたし買い変えようと決心した。昨日娘は授業がないし昼食を友人と吉祥寺でする事になっているからその前に一緒に行って吉祥寺のヨドバシカメラ店でと決まった。ヨドバシカメラと言えば新宿と思っていたのに5・6年前吉祥寺にも出来たらしい。私にはどれが良いかさっぱり分からない。娘の薦めで軽くてズームが22倍、お値段も手頃でお安いソニーのカメラを買った。デジカメを持つようになってからこれで3台目、もう壊れない限りこれが私の持つ最後のカメラになる事だろう。

さて、吉祥寺まで来ているのだからこれから新しいカメラを持って井の頭公園の紅葉を見に行こうと思った。然し前のカメラは下取りしてしまってないし、新しいカメラは電池が入っていない、「10枚位は撮れますよ」と店員さんは仰るけれど、折角行って10枚しか撮れないなんて嫌だ今日は帰って明日来ようと思った。

そして今日新しいカメラを持っ午前9時いそいそと出掛けた。門を出たらお隣のご主人様が車でお出掛けの所だった。「駅を通りますから良かったらどうぞ」と仰って下さり有難く乗せて頂いた。忽ち駅に着いてしまい電車で次の吉祥寺駅で下車歩いてすぐが井の頭公園であるから家を出て25分で着いてしまった。新しいカメラを首に掛ける、前のカメラはずっしり重かったが今度のは首からかけている事を感じない様な軽さ、前のは連写したり最近非常に使いずらかったから、物凄くいいな~と大満足。パシリパシリ撮っていたら、外国人のご夫婦と目があった。「綺麗ですね~」と上手な日本語で声を掛けられた。其処で一寸お話し、「写真撮って上げましょうか?」って言って下さったのでカメラをお渡しして撮って頂いた。私も「お撮りしましょうか」と言って撮って差し上げた。写真を見て「good!」って喜んで下さった。心が温まる様なひと時であった。池を一回りしている内に何処からともなく良い音楽が聞こえて来た。何だろうって思っていたらある場所で大分お歳の男性がオカリナを吹いていた。「あ~これだったんだ」と納得。何時までも何時までもその素敵な音色はだんだん小さくなりながら私の耳に心地よく聞こえていた。

約2時間弱ゆっくりゆっくり歩いて思いのままに写真を100枚程撮り、本当に素敵な時間を過ごす事が出来た。欲を言えばもう一週間くらい前に来たらさぞかし綺麗であっただろうな~と思う場所が多かった。もみじの綺麗さに劣らず沢山の桜の木が池に向かって素敵な風情で枝を伸ばしており、桜の季節にはさぞ素晴らしかろうと何度思った事か、来年は何としても桜を見に来ようと思った。

紅葉ももう盛りを過ぎたし6箇所も見た事だしこれで終わりと思う。


紅葉3か所巡り!

2013-11-29 16:04:32 | 

小石川後楽園

   

   

   

六義園

  

 ドウダンツツジの紅葉です 松も素晴らしいでした

もむじではありません。はぜかな?  

古河庭園

  

  銀杏の木です

昨日は紅葉見物三昧の一日であった。
午前10時半水道橋の駅改札で長女と待ち合わせ先ず東京ドーム隣にある小石川後楽園に行った。以前桜の季節にきたことがあったがもみじは始めて、今が盛りである素晴らしい紅葉を堪能した。

昼食を挟んで次はJR駒込駅にある六義園へ。此処は駅から見える処に裏門がある。何時もは閉っているそうだがこの時期は開いていて駅から近いので非常に助かる。此処も何回も来ているが池を巡ってとても綺麗だった。高低差が一寸あったが左程辛くはなかった。

駒込駅を降りた時、左300メートル六義園、右800メートル古河庭園と表示されていたので「此処まで来たのだから古河庭園にも行こうね」って言い合った。六義園を見終って駒込駅を通り過ぎ古河庭園に向かった。800メ-トルなんて如何って言う事ないと思っていたのに中々門が見えて来ない。石の塀が見えて来て中は確かに庭園である様子なのに門がない。「まだなの!800メ-トルなんて嘘ね、遠いね」などなど愚痴を言いながら重い足を運んだ。ようやく門に辿り着いた。着いてみれば此処は大分盛りが過ぎていてそれ程素敵とは思えなかった。その上上がったり下ったり高低差が激しく長女に腕を組んで貰ったので転びもせず無事回りきる事が出来たが!!4時くらいになっていたので写真も満足のゆくのが撮れなかった。

体全体的にはそう草臥れてはいなかったが、足の腿がだるくなって「もう歩くの嫌だからタクシーに乗ろうよ」と私が言いだした。無理すれば歩ける距離ではあるけれどこの歳だから無理は止めようと思った。駒込駅まで最初の料金710円で楽をしてしまった。

又又沢山の写真を載せてしまいましたが、大変でも一つ一つクリックして大きくして見て下さったら綺麗さが違いますので、そうしてご覧頂けたら嬉しく思います。


殿ヶ谷戸庭園の紅葉

2013-11-26 16:51:32 | 

  

  

  

 萩のトンネルです 竹林です

今日午前中国分寺駅の近くにある殿ヶ谷戸庭園に行って来た。長女を誘おうと思ったが秦野からでは余りに遠く来て貰うのは申し訳ないなと思い一人で出掛けた。もう何回もいっているからその美しさは知っているが、入った途端「わ~綺麗!」と思わず声が出る程だ。但し高低差が激しく段差も高いので年寄りには難儀である。お連れがあると手を組んで歩くので怖いと思わないが今日は一寸怖い感じを持った。だから慎重にゆっくりゆっくり歩を進めた。
一寸盛りを過ぎたと言う感じ一週間くらい前だったらもっと綺麗だったかもしれないと思った。
一生懸命観賞し写真も多く撮ったが、こんなに知らない人と親しくお喋りした事は始めて。普段知らない人と余り話す事のない私であるが、今日は何故か!!最初はもう相当なお歳の男性の方と写真の事など15分位立ち話をした。大きな写真機を持った方でこれから小石川後楽園と古河庭園・六義園に行くのだと仰っていた。次は70歳位の女性の方、ベンチに座っていらっしゃったが私がその横に座ったら話しかけてきて私が応じるものだから話しが途切れず又15分位延々と喋り続けた。
花見とお喋りの中々面白い半日であった。


豪徳寺の紅葉&柿取り&遠来の客、盛り沢山の二日間

2013-11-24 11:04:08 | 

豪徳寺のもみじ

  

  

  

一昨日は第2金曜日PC教室の日であった。授業を終わってから豪徳寺の紅葉を見に行く事にしていた。先日マークス様がプログで豪徳寺の紅葉をご覧になり綺麗だったと書かれていたので、教室からなら多分近いしと思っていたからだ。
同じクラスの方が車で通っていらっしゃり、送って上げると言って下さった。 最初梅が丘の駅までと言う事になっていたが豪徳寺駅までいって上げると変更になってから道に迷いカーナビで検索してもなかなか分からない、もたもたしていると後ろから車が来てブーブー鳴らされる。どうにもこうにもお手上げで、もう豪徳寺付近に来ているんだし友達に申し訳ないからと私は降りる事にした。降りたって私にはちんぷんかんぷん全く 行く先が分からないのである。先ずお店に入って「豪徳寺には如何行ったらよいんですか?」と聞いた。親切に教えて下さったが「ローソンまで行ったらそこでもう一度聞いて下さいください」だった。10分位掛かると言う。大分歩いてローソンに行き着くまでにもう一度道行く人に聞いてみた。丁寧に教えて下さったが此処から更に15分位掛かると、観念して歩き始めた。もう御寺近くに来ている筈なのに入口が中々見えて来ない。もう一度聞いたら「直ぐ其処ですよ」と言って下さりやっと門に辿り着いた。25分は掛かっただろか。もう4時近かったから夕日は当たっていたが一寸明るさが足りなかった。「午前中が綺麗なんですよ」と言って下さった方があった。
40分位歩きまわり写真を撮った。今年始めての紅葉見物であった。

さて帰り道である。全然分からない、何かと話し掛けてくるおじいさんに聞いてみた。事細かに教えて下さった。まず「こう行くと近くに世田谷線の宮の坂駅があるからそれに乗って下高井戸(終点駅)で降り京王線に乗り換えたら一つ目が明大前ですよ」と。もうこれからは誰にも聞く事なく三女の家に帰れるなと安心したのも束の間、宮の坂駅に着いてみたら線路を挟んで両方にホームがある。さて!どちら方面に乗ったらよいのかな?と、此処で又聞く破目に。男性の方がこちらですよと仰るからホームに上り始めたら女性の方が駆けよって「明大前は線路を渡って向こう側ですよ」って。あ~良かった反対方向に行くところだったとホッとした。然し此処で疑問が!!駅に改札口がないのである。こんな事ってあるの~と思い又聞いてみたら「この電車は一番前と後ろの乗り口にスイカ・パスモならタッチすればいいんです」と教えて下さった。小さい子供を連れた若いお母さんで「改札がないから電車が大好きなこの子を連れて毎日ホームに上がって1時間位いるんですよ」と言っていた。今時こんな電車もあるんだ~まるでバスみたい!と思った
下高井戸に無事到着、でも此処でも京王線に乗るには?との疑問にぶつかる。教えて貰ってやっと明大前に到着。何回かこの駅から歩いて三女の家に行った事があるから大丈夫と思っていたのに、どうも改札口の様子が一寸違う感じがする!でも多分大丈夫と思い歩き始めた。然しもう薄暗くなっていたが、周囲の感じも違う気がする、あんな坂はなかった様な目印のマンションも一寸違う気がする?  早く聞く方が良いかなと思い三女の家の住所の番地を自分の携帯で出し聞ける人を待った。丁度其処に一台の車が止まり女性の方が降りた。この方に聞いてみたが分からない、次に運転をなさっていた男性が出て来たので聞いたらご自分の携帯をだされて私が言う番地を入れて検索して下さり地図をあれこれ見て下さったが今いち確かではない、「方向としては間違っていないと思いますよ」と仰るので「有難うございます、行ってみます」といって歩き始めたら三女から電話、「如何したの?遅いじゃない今何処?」って「こうこうで一寸迷って今此処」とい言ったら「それでいいのよ」と言うので良く見回したら何時も目にする笹の木が一杯立った女優さんの家が目に入った。あ~この道で良かったんだ~」と確信した
本当に長く感じた道中であった。口さえあれば何処へでも行けるとの思いを強く抱いた。約2時間一度も座る事無く歩き回った。流石の私もとても草臥れた。三女は授業が終わって渋谷まで出掛けていたので一人ソファーで暫く横になって疲れを癒した。紅葉見物をするからと夕食は殆ど家で作って持って来たので娘の帰宅7時半頃までゆっくり休めた。

今回も婿さんが帰って来たので話しが弾み家に帰り着いたのは1時を過ぎていた。

柿取り

  

23日
今年も柿取りの季節がやって来た。甘柿、渋柿共沢山の花を付けたが、天候の所為か多くの花が落ちてしまい実となったのは去年も全く少なかった甘柿も又少なく、昨年300個取れた渋柿も程遠い少なさ、柿取りを行うか如何か迷いに迷った毎日であったが少ない人数でやる事に決まった。三女の家族3人と長女とその息子一人の5人が来てくれた。
柿取り役の男性は3人、一番若い三女の長男は22歳、大学最後の今を謳歌している。柿取り一番の立役者である。隣家の二階の屋根よりも高く大きな木に上り結構長く伸びる挟みを器用に使って天辺の柿の実まですっかり取り頑張ってくれた。
後二人の男性はもう若いとは言えない50歳前後、でも上ったりして大いなる力になってくれた。甘柿は20個ばかり(一カ月前私が数えた時50個はあったのにその後小鳥に半分以上食べられてしまった事になる)渋柿は今迄になく小さく長細い実が多く立派なものは数少なかった。
午前中教室のある三女は、柿取りを終え遅い昼食を始める頃やって来た。美味しいパンの昼食を皆で歓談しながら愉しい時を過ごした。
柿剥きは男性も少ししてくれたけれど、殆どは長女がしてくれたようなもの、美味しい干し柿が出来るかどうかまだ分からないけれど、数が少ないから去年のように皆に喜んでは貰えないだろう。お正月料理の残り物をジャンケンする時その中に干し柿も加えようと思っている。来て下さった皆さんご苦労様でした。有難う。
今朝起きて実一つない柿の木を見て心がすっきりした。もう悩まなくてすむから!!
甘柿は一人3個位ずつ持って帰った。

遠来の客

トロントに住んでいる甥(私のすぐ上の亡き姉の長男)が10日ばかり日本に帰って来る、叔母さんに会いたいと言っているとその弟から先日電話があり愉しみにしていた。去年3月に会って以来一年半ぶりである。もう一人やはりバンクーバーに住んでいる弟も今日本に帰っていて一緒に来たかったけれど用事があって来られないのを残念がっていたとか、弟の嫁さんも少し遅れて来てくれた。この前の時にも書いたと思うが少ない来日の期間中にわざわざ逢いに来てくれようと思う気持ちが私には非常に有難く嬉しい事である。
2時に甥たちはやって来たので、柿取りの人達と重なって皆に会い自己紹介などし、一室の片方では柿剥き、片方では私の実家の思い出などで話しが盛り上がり両方の声が交ざり合って非常な賑わいであった。柿取り組は一人去り、二人去り最後まで残った三女も長女も帰り、仕事で最初から来られなかった次男が加わって写真の5人となり夕食を共にして一杯話し会う事が出来愉しかった。甥の嫁さんは「叔母さんは皆とお話していて下さい、私がやりますから」と後片附けからお茶の出し入れまで全て初めての台所に立つた人とは思われない様なてきぱきした仕事振りをみて私は感心してしまった。私は何にもしないで話しに夢中になる事が出来本当に有難かった。殆ど会う事も話す事もない人なのに溶け込んで何でもしてくれる人って滅多にいないな~ととても近親感を抱いた。
2時から10時近くまで8時間に亘ってよくも話し合ったものである。まだまだ話しは尽きなかったけれど次の日帰国する甥と別れを惜しんだ。
この甥たちのお母さんが今生きていたらどんなに喜んだ事かと思うと余りにも早くこの世を去った姉が偲ばれてならない。父親も亡くなっているし日本に帰って来る度に兄弟で両親のお墓参りをすると言っていた。

次男は皆が帰ってから30分程いて帰って行った。一昨日の夜4時間足らずしか眠っていないので夕べは早く、と言っても11時半には床に就いた。今朝6時半に目覚めるまで7時間ぐっすり眠れた。
今週は何も予定はないから紅葉見物だ~と思っている。

 

 


姉を見舞う・・内科診察

2013-11-16 14:25:17 | 

オンシジューム 渋柿 ジュジュサンゴ

現在我が家の庭は誠に寂しい。柿の季節であるが今年も甘柿は実が少ないし、渋柿も 去年の300個には程遠い少なさ。
でも勿体ないから少人数で柿取りは来週行う予定である。オンシジュームはもう駄目と思っていたのに3・4年目であろうか今年蕾を付け今綺麗に咲いている。これは驚きであり非常に嬉しかった。可愛い真っ赤な実を付けたジュジュサンゴと共に居間に置いてある。

一昨日4カ月振りに姉を見舞った。施設に電話をし会える事を確認した上で出掛けた。丁度施設の方々と一部屋に集まりテレビでビデオを見ていた。私を見るなり嬉しそうに立ち上がったので」ビデオ見なくていいの?」って言ったら「いいのよ、部屋に行こう」と言うので手を繋いで部屋に行った。私の心の中には一寸老いが進んでいるかなとの思いがあったが、杖は付いているし背中はますます曲がって小さくなってはいたがとても元気そうに見え安心した。頭もしっかりしている。同じ言葉を繰り返すのはやはりひどく、何十ぺんも 同じ事を言われると「もういいよ」と言いたくなるが其処は必死に堪えて昔の私達二人でしか話せない事を3時間位話し合った。耳が遠いので大声で話さなくてはならないのが私にとっては大変な事で、喉が枯れてしまいそうだったし草臥れた。でも後にも先にも只一人になってしまった姉である。膝も腰も全然痛くなく内臓も丈夫。眩暈こそ起こらなくなった私だが、腰が痛い手足の先に違和感のある私よりず~っと元気そうである姉嬉しい限りである。
後半月で96歳を迎える姉は「私何時まで生きるのかしらもう嫌になっちゃうわ!」とぼやいているけれど「100歳までも生きられるわよ」と言ったら「あなたは90歳にはとても見えない、元気だから長生き出来るわよ!」と「おねーちゃんは後4年だけど私は10年生きなければならないんだから、しんどいね~」 こんな他愛もない話しをしながら姉妹は愉しい時を過ごした。
エレベーターの所まで見送ってくれ手を握って「又来るね!」って言って別れた。

続いて昨日は2カ月振りの内科診察日。午後丁度折悪しく雨が降り始めた中を出掛けた。
足の指先の違和感はもう夫が亡くなった頃から未だ良くならず続いているが、最近痺れと言うのか右手に違和感を感じる様になっている。一カ月ほど前からで一応先生に診て頂き頸椎の損傷からくるものであることは分かり薬を貰ったが副作用で飛んでもない事になり、以後薬の服用を止め如何したら違和感を緩和出来るかを模索しながら過ごしてきた。昨日は内科診察の日であったから手の状況も良くお話した「副作用を起こした薬が効いて良くなる方もあるんですよ、でも貴方には合わなかったようですね、ビタミン12だけを続けて見ましょう」と言う事になった。「手・首を温めるのも良いでしょう」と仰ったけれど、私もそう思いその方法をこの一カ月試みて来たが何の効果もないようである。死に至るものではない様だし、薬などで直ちに治るものでもない様だから気長に構えようと思っている。一番よく使う右手の親指、次が人差し指に違和感が強いのが難儀な事だ。一頃違和感のある指に布のサックをはめたら違和感が緩和された、が仕事をしている内に知らぬ間に取れてしまい探すのが一苦労「もう嫌っ!」と言う思いを抱いた。もう一生治る見込みがないものならこの違和感に慣れるしかないと思い以後素手で何とかやっている。左手だったら良かったのにな~ってつい愚痴心が頭をよぎる。
手の辛さの一方、血圧は上々でこんなに低い事は始めて、これは非常に嬉しい事である。血圧の値の如何によっては死に至る危険性があるから手の違和感など問題外であると思う事にしょう。


悲しみ

2013-11-10 10:49:05 | 

                                  

11月6日次女の婿が亡くなった。T家一族の中で大きな存在であった婿の死は非常に悲しいものであった。
6年前ガンを宣告されて以来、余命5年と言われていたと言うが6年目に治療の甲斐なく今年の夏以来急激に病状は進み天国に旅立ってしまったのである。
この6年間次女は今日ある事を覚悟していたのであろうか、まだ元気に会社勤めをし方々へ出張したりしていた頃から夫を支え何処へ行くにも常に一緒について行き、入院すれば必ず泊り込んで起居を共にし只管夫一筋に励んで来た次女であった。
もう8年半も前になるが夫を亡くした時の気持ちを経験している私だけに、次女の悲しみ辛さが察せられ婿の死の悲しみと共に私の心は2倍の悲しみに満たされた。一族は年に2回は皆で集まるが此処2年程は次女夫婦に殆どの者が会う事が出来なかった。然し去る9月14日私の卒寿の祝いを浜松で子供等夫婦全員で集まれた時が婿との最後の別れになったのである。その時点で病状は相当進んでおり大分辛かった様だと後で知ったが、精一杯元気な姿を私達に見せてくれた婿であった。死の近くに会う事が出来た事が唯一の慰めである。

浜松で行われた8日の通夜、9日の葬儀ともに泊まり掛けで一族殆どの者が参列する事が出来た。沢山の花に囲まれ横たわっていた婿は苦しい闘病の影もなく穏やかに安らいだ顔であった。この世でもう会う事も語らう事も叶わぬ婿ではあるが、先に逝った夫と共に次女の家族そして一族を何時も天から見守っていてくれると思っている。

次女には3人の息子がいるが夫々独立し家庭を持っているから、多分これから一人住まいになると思う。私も一人だから配偶者を亡くした者同志共に過ごす時間を多く持ちたいし、夫を何時までも偲びたい。次女は意欲旺盛な性格だから共に外に向かって大いに羽ばたきたいとも思っている。

今回殆どの者はホテルに泊まったが私と次男は豊川の三女の婿さんの住まいに三女とその長男と共に泊めてもらった。単身赴任で一人住まいの婿さんはマンションの一番上の階の広々とした部屋にもう5年近く住んでいる。自炊もするし快適な様子、三女はも一晩泊って家の掃除などしてから帰ると言っていた。泊った夜畳の部屋で私、次男、孫三代が川の字になって寝た。こんな事って後にも先にも先ずない事であろうと心温まる思いで眠りに就いた。
この一夜は悲しみの中で一寸くつろげる愉しい時であったであろうか!!

婿さんの冥福を心から祈りたい。

                     


鎌倉へ

2013-11-03 16:41:51 | 

  

  

秦野から帰る日鎌倉に行って来た。もう何回も行っているが、次女の大学時代の先輩が万葉野の花を主題とした絵の展示会をなさっている。何時もは3姉妹!で行くのだが次女は旦那さんの介護で行けないから二人で行ってよと言われ、丁度秦野に来ていたので「此処から二人で行こうよ」と言う事になった。何時もは夫々の家から出掛ける。鎌倉までは東京からでは相当な時間が掛かるが、秦野からなら近いと私は思い込んでいたのだがとんでもない。朝9時10分に家を出て着いたのが11時を過ぎていた。次女は行けなかったけれどとても喜んで下さった。淡い色の素晴らしい野の花の絵に心は癒された。二人で次女へのお土産を買い「又来年ね」と言い合って阿見さんとお別れした。

昼食後「此処まで来たら鶴岡八幡宮に行かなくちゃね」と言う事で寄り道をした。7・5・3の祝いや結婚式など大勢の人で賑わっていた。その昔頼朝の前で静御前が舞ったと言う場所(勿論屋社は昔のままではないが)で結婚式が行われていた。
菊の季節でもあり綺麗な花を見る事も出来た。

鶴岡八幡宮の銀杏の木が台風で倒れ、あれから何年経つのだろうか、挿し木したと言う銀杏がどんなに成長しているかしらと楽しみにしていたが、まだほんの小さくしか育っておらず一寸残念であった。昔の雄姿が見られるのは程遠い事かと思われた。

 


「月下美人」開花の過程

2013-11-01 12:52:40 | 

 

10月28日、20時撮影 29日夜中12時です 29日夕方4時、もうそろそろ咲きそうです

31日、20時今夜咲くと思ったのに咲きませんでした 31日20時、蕾が開く寸前です 31日20時45分開き始めました

31日20時30分、どんどん開いて行きます 31日21時、終に満開です 11月1日、朝8時すっかり萎んで垂れ下がっていました

以前に一度月下美人の開花状況を載せた事がありますが、今回もう一度載せたいと思いました。
8・9月に咲くものですが、11月にもなろうかと言うこの季節に開花したのは珍しい事です。これも温暖化の所為でしょうか!

毎年夏に咲く月下美人、今年は8月終り頃一つ蕾を付けた。温室で育てているのだが開花を愉しみにしていた。小さい蕾から約一カ月位で開花する。月下美人は一夜限りの花だからもう開花するなと思った頃に家の居間に取り込む事にしている。明日頃開花かなと思い温室に行って見たら何と 夕べ咲いてしまったのか萎れて垂れ下がっていた。本当にがっかりし今年はもう見られないなと思った。然し10月に入ってもう一つの鉢に蕾を見付けた時の喜びは大きかった。「今度こそしっかり見るぞ!」と心に誓った。そしてだんだん蕾が膨らみ始めた28日に家の中に取り入れたのである。真っ直ぐ下向きに蕾は成長し直角を通り過ぎてUの字型になり再び下がり始めて直角になった時点で開花するのである。

今回は10月の31日から秦野に行く事になっていた。30日の夜に絶対咲くと私は思っていたから秦野行きも大丈夫と思っていたのにその夜とうとう開花してくれなかった。「如何しょう一日行くのを延ばそうか?それとも9時頃写真を撮り見終えてから出掛けようか!」と考えあぐねた結果「そうだ車なのだから持って行けば良いのだ!」と思いは決した。そして昨日車に積み込んで私と一緒にここ秦野に来ている。一昨夜は直角に一寸足りなかったようで昨夜は正に直角になり開花したのである。
何時もは私一人にしか見て貰えない月下美人、今年は3人に見て貰えて喜んだであろう。勿論私は写真を撮りまくったが、娘も婿も一生懸命撮っていた。

婿さんは今朝早くから写真仲間と東北へ紅葉を撮りに行った。今朝早いし二晩泊まりだからもう私とは会えないので夕べ9時頃お休みなさいとさようならを言い交わして就寝したのであった。故に今回は娘と二人っきりで過ごす事になる。
明日は鎌倉まで出掛けるけれど家にいれば話は尽きない。私は元来そう喋る性格ではないのだが、自分でも呆れるほど良く喋る。矢張り常日頃一人でだんまり過ごす事が多い所為か、その反動であろうかとも思う。昔の事から何でも気軽に正直に話せる相手がいると言う事は本当に幸せである。配偶者を失っても私には話し相手が沢山いて何とも嬉しい限りである。