老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

今年最後の授業&クリスマス会

2009-12-26 16:14:50 | 

クリスマスケーキ 通常は年が明けてから咲く筈の水仙が、早12月の初旬から咲き始めました。温暖化の所為でしょうか?

昨日は今年最後のPC教室の授業、カレンダーも完成し今年は一枚のカレンダーにしたので、去年までは12部(144枚)の印刷が大変だったが、今回は13枚(来年多分一家族増えるので)だけプリントすればよく、それに紙のサイズが大きいので家では出来ず、教室のプリンタで他の事を教わっている内に皆のが刷り上がってしまった。
来年の干支は寅、三女が年女となる。「ウオーッ」と更に元気に力強く生徒さん方の為に頑張って欲しいと願っている。

丁度25日、クリスマスの日だったので毎度の夕食作りどうしょうかと思っていたら、「クリスマス会をするからお母さんも一緒にね、鶏肉も買ってあるから」と。「じゃー私何にも作らなくていいの? スープでも作ろうか」と言ったら「それは嬉しいお願いするわ」で決まり。人参と玉ねぎに少し米を入れ、やわらかくなったらミキサーでペースト状にしコンソメと塩・胡椒で味を整えポタージュが出来上がる。更に生クリームを加えれば最高。美味しいと評判だった。主食はパン、鶏の骨付きももをオーブンで焼き付け合わせは娘が既に作ってあった。ケーキはスポンジの台を買ってあったので、周りにデコレーション(いちごが少なかったので切って横にして乗せたから余り見栄えは良くなかったけれど)を娘・孫娘と私で楽しんでやった。
二世帯住宅なので階下のお母様もご一緒に(お父様はお具合が悪く入院なさっているので残念ながら不参加)楽しいクリスマス会のひと時を過ごした。

夕べ娘の家から帰る頃から一週間前に痛めた足の一か所に自発痛が起こり始め、歩いてもひどく痛い。捻挫の方はとても良くなったのに、この痛くなった方は始めから大した事なかったのに、この突然の痛みは何なんだろうと不安になった。
いろんな事が頭をよぎり痛みもあって眠れず、考えた挙句医者に行く決心をした。
捻挫と打撲2箇所、内出血が何でもない箇所までさがって紫色になり見られた足ではない状態。
整形外科に行き経過をお話し兎も角3か所レントゲンを撮った。その結果全く骨には異常なしとの事に安堵した。病院に行く時はタクシーに乗らなければならない程の痛みだったのに、何故か着いた頃には痛みが殆どなくなっていた。「来なくてもよかったかな~」と思ってしまった程。飲み薬はいらないと仰る。「塗り薬にしましょうか?」「塗り薬は靴下に付いたりするから嫌なんですが~」と私。「じゃ~貼り薬を沢山あげましょう」と言って下さった。薬局で貼り薬を貰った時「わ~重いっ」とつい口走ってしまったほど沢山の分量だった。レントゲンを沢山撮って、診て頂いて、薬をどっさり貰ってたったの1020円(収入もない事だし、高齢者医療の恩恵を蒙って一割なんですから何と有難い事か)
病院からの帰りは電車で、西荻窪に着いてこの時とばかり正月用の品物を一杯買い込み、余りの重さにタクシーに乗る破目になった。
これで安心して暮の仕事に没頭できるし、心も晴れやかになった。

今年はこの投稿で多分最後になると思います。皆さま一年間有難うございました。後5日で今年も終わりますけれど、お忙しい年の瀬をどうかお元気で過ごされます様に、そして良い新年を迎えられます様祈っております。


高度620メートルより

2009-12-20 11:20:12 | 

乗った飛行機です 調布飛行場の傍にある「味の素スタジアム」
夫の眠る多磨墓地の全景 建設中の「東京スカイツリー」 私の住む中央線西荻窪駅の赤い屋根が左下に見えました
遠くに中野・新宿・池袋・トウキョウタワー等が、その手前に建設中のスカイツリーも見えています 多摩川が見えます 高速道路もはっきりと見えました

16~18日までは秦野で。東京より2・3度低い気温の秦野は寒がり(暑がりでもある)の私にとっては一寸住み難い処ではあるが、娘夫婦と共に過ごせる嬉しい場所でもある。
3晩泊って19日は朝8時、長女と一緒に次男の操縦する飛行機に乗せて貰う為、車を走らせ現地に向かう。去年始めて乗せて貰った時は調布飛行場であったが、今回は埼玉県桶川の「ホンダ・エアポート」。秦野から東名に乗り用賀で降り環八へ、途中千歳船橋駅で次男を拾い、谷原まで行き目白通りから関越に乗るのだが、環八が渋滞していそうだったし、トイレにも行きたかったので家に寄り用を足しそこからは裏道を通って難なく関越に入った。関越の鶴ヶ島で圏央道に乗り終点(この先も建設中)の川島で高速を降りた。其処からはカーナビが活躍し飛行場に着いたのは11時頃、出発してから約3時間を要した。
この周辺は田舎と言う感じ、都会とは違った空気を一杯吸う事が出来る。飛行場は広く各人所有の小型機が沢山並んでいたし、空中から何人もの人がパラシュウトで降りてくる姿も見られたし、飛行船・ヘリコプターも置いてあった。

丁度1年前の12月21日に始めて息子操縦の飛行機に乗った時の事などを思い出しながら、前回は孫息子と一緒だったが、今回は長女と共に。
天気は最高、風も余りなく飛行には問題なしとの事。次男の横にはベテランの方が座って下さるので安心、この方のお墨付きが出ないと一人ではまだ飛ぶことができないそうだ。今回は気流の所為で前の時より揺れが強かった様に思った。全て息子の操縦であったが恐怖感は全くなかった。娘は途中で気分が悪くなったそうだ。

飛び立って先ず多磨墓地を目指す。この墓地に眠る夫を思いつつ2回ほど旋回、次は私の住まいがある西荻窪方面へ、「あの赤い屋根が西荻窪駅ですよ」とベテランの方に教えられ見えた時は感動した。家は分からなかったけれど・・・そこから都心の上を飛んだ。その現場では余り何処が何処なのか分からなかったけれど、パソコンに入れて見てこんな建物があったんだ~と感激、とにかく写真を撮りまくったからその中にはいい写真の2・3枚はあろうかと念じつつ1時間を空中で楽しく過ごした。
東京は空から見下ろすと所々に緑はあるけれど、家・家・家が折り重なっている密集地帯、この中でいろんな問題が起きているんだわ~とか、大地震が起きたらどうなっちゃうんだろう等々写真を撮る一方では考えたりもした。でも心は豊かで気持ち良いひと時であった。

ベテランさんが帰りの運転をして下さり大助かり、西荻窪駅で長女とベテランさんは降り、次男と私は5時近く帰宅した。 そして例の如くパソコンに取って来た写真を入れ、あれやこれと楽しい談議は続いた。

失敗談・・・空港内で2段ある階段を一段と思い違いし転んで膝に怪我をしてしまった。大して血も出ていないし、大丈夫と思っていたら足首を捻挫していたらしく、家に帰り着いてから痛み出し、膏薬を貼るやら冷やすやら大変だった。長女から電話があり「お医者さんに行かなきゃ駄目よ」と言われたがこれしきで行く私ではない。今朝結構痛かったが膏薬を貼り替えたり足首をきっちり巻いて固定させ、びっこを引きながら必要最小限度歩いていたら朝より良くなった様だ。
但し今日は教会のクリスマス礼拝があり、たまにしか行かれない姉と行く約束になっていたが、この足では到底行けず残念であった。

又一つ、嬉しい思い出が増えた。これからも一年に一回は飛びたいな~と思っている。
次男さん、有難う。

 


次男の誕生日会

2009-12-14 17:29:36 | 

12月12日は次男の誕生日である。
この日は次女夫婦が泊るので、「マーちゃんの誕生日会をしょうよ」ということになり長女も呼んで親子5人で楽しい一夜を過ごした。
大きな5本、小さな1本の蝋燭を立て、つまり51歳のお祝いであった。
最近次男が「お母さんが昔作ったケーキが食べたい、あれって買ったのとは違って独特の味で美味しいんだよね~」ってしきりに言っていた。そう言えば昔ショートケーキ・シュークリーム・クッキーを良く作ったものだが、ここ2・30年近く全く作っていない。折角の良い機会だったのに今回も作る気になれず、こけし屋で買ってしまった。でもお赤飯は炊飯器で炊くのではなく、昔ながらの方法でささげを煮、その煮汁にもち米を浸し、蒸し器で蒸した。この方法が一番美味しい様に私は思う。鳥の骨付きもも肉を焼き、野菜類の煮付け、他を心を込めて作った。皆美味しいと言って食べてくれた。
ケ-キは次男が自ら切り分け6ッに切ったので次男は2切れをペロリ。

次男は産まれたときから湿疹・喘息で苦しんだ子供であった。女の子と間違えられるほど可愛い子でもあったが、親から離れられない弱い子でもあった。そんな子が大学を卒業した途端自立し一人で生活を始めたのには正直親としてはびっくりさせられた。
アルバイトで生計を保ち、好きな音楽の道に進んだ。この道も苦労であろうが好きな事であるから厭わずに、我が道に邁進している様である。
あの子が飛行機の操縦免許を取るなんて思いもしなかった。ましてや子供の操縦する飛行機に乗れるなんてこれっぽっちも思わなかった。人間って変われば変わるものなんだ~と次男を見てつくづく思う。そんな次男に最近は教えて貰う事ばかりである。

自然教育園にて

  
  
  
 

一昨日泊ったっ次女夫婦と目黒白金台にある「自然教育園」に出掛けた。「今年はまだ紅葉見物をしていないから行きたい」との私の要望に、インターネットで調べてくれ此処に行く事になった。
自然教育園の生い立ちは、今から4~500年の中世の豪族から始まり、その後高松藩主松平頼重の下屋敷(江戸時代)、陸・海軍の火薬庫(明治時代)、白金御料地(大正時代)と歴史を重ねて行った。昭和24年に全域が天然記念物及び史跡に指定され一般に公開されるようになった。

園内は非常に広く紅葉はとても綺麗、様々な鳥がいても姿は見えず高い木々の間から鳴き声だけが聞こえてくる。からすが沢山いてその鳴き声には一寸へきへきさせられたが・・・
11時45分頃から1時半まで園内を歩き回った。大した人出でもなくゆっくり思う存分紅葉を楽しみ森林浴を味わった。こんな素敵な場処があるなんて全く誰も知らなかった。

お腹もすいた事だし昼食を済ませ、次は新装なった根津美術館に向かう。「根津青山の茶の湯」と題して12月23日まで展示されている。根津青山とは、初代根津嘉一郎の事を言う。茶の湯に関したものが多く展示されていたので「よっちゃん(長女)も来れば喜んだのにね」と次女と話し合った。
多くの人が来ておりそれに付いて見て回っては時間も掛かるし、疲れもするのでへばり付いている人々の間から適当に見て回った。腰が痛くなり時々椅子に座ったりしながら・・・
展示品は中々素晴らしい物ばかり、昔からこんなに精巧な技術を用いて一流品を作る事が出来たのかとつくづく感嘆せずにはいられない。
私には批評したりする見る目はないけれど、只素晴らしいとしか言いようがない。

目黒駅で二人と別れ西荻窪で買い物をし家に着いたのはやはりすっかり暗くなった7時近かった。腰の痛みは和らいでいた。楽しい、心豊かな2日間であった。

 


久し振りの運転!

2009-12-11 16:16:03 | 

たわわに実ったゆずの木 ジャングルの様だった庭の左から、柿・梅・枝垂れ&ソメイヨシノの桜の木はすっかり落葉し全く異なった姿になりました

夕べは今年最後の音楽会に行った。
母の日に4回分の音楽会のチケットをくれた長男に、せめてものお礼にと3人分のチケットを買い求め、長男夫婦を誘い紀尾井ホールへ。

イタリアのエンリコ・オノフリと言う方が指揮&ヴアイオリンをなさった。一頃テノール歌手として活躍もされた音楽性豊かな有名な方である。
「イマジナりウム」と言うアンサンブルでコンサートマスターはイタリア人、日本の方も多くおられ、音合わせをステージの上でこんなに入念にする場面は始めて目にした。一人一人の技術の素晴らしさもあいまって、全く狂いのない音が一つになって素晴らしいメロディーを奏でていた。コロラトゥーラの森麻季さんの透明感あふれる美声も素敵だった。長男夫婦も喜んでくれ嬉しかった。

一夜明け今日はパソコン教室の日。来年のカレンダー作りに熱中し2時からのお茶の時間も忘れて気がついた時は2時半を過ぎていた。こんなこと始めて。カレンダーも印刷まで出来たのでそれから一寸の時間だったけれどお茶にし、雨の中をお二人は帰って行かれた。

11月は都合が悪く三女の家の夕飯作りはしなかった。今日は久し振り、単身赴任の婿さんも仕事を終えてからこちらに向かい8時半ごろ家族の元に帰ってくるそうだ。
今6時過ぎ、三女はまだ教室から戻ってこない。 アッ、今戻ってきたようだ!夕食作りの合間にと思い書き始めたが、もう終りにしょう。


パイプオルガンとトランペット演奏

2009-12-09 11:05:34 | 

私の大好きなニシキギの紅葉、ここ4・5日で急に真っ赤になりました キンカンが黄色を増しつつあります。数か所に見えるしわのある柑橘類はぶっしゅ柑、酸っぱくて食べられません

夕べ、日本福音ルーテル東京教会でパイプオルガン&トランペットの共演を聴いた。トランペット奏者は山本英助さん、ヨーロッパでも日本でもソロ活動、管弦楽団でも大活躍をなさっている優秀なトランペット奏者である。パイプオルガンは市ヶ谷教会のオルガン奏者で私とも親しくお付き合いしているYさんである。この方も優秀な方で各方面でご活躍をなさっておいでだ。

パイプオルガンとトランベットと聞いた時 ええっと思った。この様な組み合わせ聞いた事もなかった私は興味深々の思いで聴いた。
トランペットの透き通るような力強い音色と、荘厳なパイプオルガの音色は心地よく調和して何とも素晴らしい演奏であった。
「トランペットとオルガンで祝うクリスマス」と言う会であったので、2週間程早く礼拝堂でクリスマスの気分を味わう事が出来た。

演奏は勿論素晴らしかったけれど、この会の企画が面白かった。司会者はYさんのご主人様で曲の合間にトランペット奏者との会話などもなさったりしてとても良かったし、譜めくりと鍵盤の両横にある24個のストップボタンを押したり引いたりする役をご長男(ジャズをなさっておいでとか)が懸命になさっていらっしゃった。そして聴衆の中にはYさんのお父様もいらっしゃった。家族ぐるみで何とも微笑ましい感じを抱いた。

ストップボタンは一つ一つ押す事に依って弾いた時の音色が変化する。パイプオルガンの中ってどんな構造になっているんだろうと不思議に思う。
それにしてもストップボタンを押したり引き間違えたら大変な事になるのだから!ご長男さんのあの真剣そのもののご様子が今も目に浮かんでくる。大役を果たされてホッとなさったことでしょう。

4年前と2年前ドイツ・トルコにご一緒したS牧師・Yさんのお父様ともお話が出来嬉しかった。「本当に良かった~」と言う聴衆の方々の声を聞きながら新大久保の駅に向かい家路に就いた。


滅多にない三女との外出

2009-12-05 18:50:59 | 

真っ白な菊が咲きました 水仙の花芽です。2月頃に咲く花がこんなに早く花芽が付くなんて異常です

昨日の夕方6時前渋谷駅で三女と待ち合わせ音楽会に行った。
上二人の娘とは良く一緒に方々へ遊びに出掛けるが、三女は教室があり忙しいので殆ど外出を共にする事がない。

先日、と言ってももう2カ月ほど前「○○○の音楽会に行かない?」と誘いがあった。いつも行く私の音楽会とは全く異なった会である。但し今までに2・3回は行った事があるからその雰囲気は分かっている。普段は一緒出来ないしこんな機会があっても嬉しいな「全然嫌いなわけでもないし」とOKした。普通誘ったらチケット代は払ってくれるのかな?と思いきや結構高い金額をちゃっかり取られてしまった。三女も手元不如意なのだろうと思いながらも、今年家の修理で思わぬ高額の出費をした私もなるべく出費を避けたいところだったもので・・・(三女さん変な事暴露してごめんなさい)

渋谷駅から二人で手を組んで歩く事15分ばかりで昔の渋谷公会堂(現在はP・Pレモン?と言う)に着いた。 3人組の歌でその中の一人に私は興味をそそられている。シーンとしたクラシックの音楽会とは雰囲気が全く異なる。音量もすざましいし観客の熱狂振りも私から見るともの凄い!  終始座ったままの私(当たり前の事ですよね)でもこの場では皆が立ち上がると人の合間を通して何とか演奏者の姿が見られる状態であった。
熱狂的ではないが3人の中でも私が一番好きな方が怪我をされ、松葉杖をついて熱唱された。その歌う時の動作は熱烈で聴衆の心を捉えてやまない感がある。

2時間ほどであった。お茶でもしたいところであったが、留守番をしている試験最中の二人の子供の事をおもんばかって、そのまますぐ帰る事にした。
三女さん有難う。楽しかったよ!


まだ生きられそうです!

2009-12-03 11:03:01 | 

お正月になくてはならない千両、今年は背丈も伸び沢山の実を付けている。もう一寸赤味が増してくれると有難いのだが!生け花に使えそうなので嬉しい。

昨日気になっていた腎臓のCT検査結果を主治医さんに聞きに行った。過去に於いて自覚しない内に腎盂・腎炎などを経過しその時の瘢痕であることが判明、「なんとも有りませんよ、塊もないし良かったね~」と先生も共に喜んで下さった。
思い返して見れば小学生の頃風邪を引いた後必ず腎臓炎を起こし、辛いものは一切与えられなかった悲しい思い出が浮かんできた。多分その時の瘢痕だったのかと思う。
私のブログを読んで下さる方々に、余計な事を書いてしまったばかりにご心配をおかけしました事お詫び致します。お心に掛けて下さって有難うございました。まだ暫くは生き長らえそうなので今後もどうかよろしくお願い致します。

子供達も心配してくれていたので、結果オーライに皆とても喜んでくれた。

元来思わなくても良い事柄に思い悩む性格の私、今回も塊があると知った時点でこれは入院して手術を受けなければならないかもしれないとも思った。入院の用意をしなければとも(しなかったけれど)思ったりした。何処か悪くなると先ず「ガン」かもと思い医者に行こうか如何しょうかと迷ってっている内に治ってしまうのが常であったが、今回は何の症状も感じないのにエコーによってもしや?と言う状況になってしまったので心穏やかではいられなかった。やっと安心、安心。

昨日あんなに暖かだったのに、夕方まで青空だったのに今日は一転して雨、気温も下がり寒~い一日。でも私の気持ちは温かく上々!!


お爺さんとの会話

2009-12-01 16:38:22 | 

市ヶ谷の桜が綺麗に紅葉していました。カメラを持ち合わせなかったので、携帯電話で撮りました こちらは家の庭の桜、今年は結構赤く紅葉しましたが、市ヶ谷のには敵いません
一杯花芽を付けた椿  ピラカンサは見事に真っ赤な実を一杯付け、玄関は賑わっています

昨日音楽会の帰り、西荻窪駅の隣にある西友に寄って買い物をしていた。沢山の品物を入れた籠を持ち、何時も買う独立しているパン屋さんに行った。パンを入れるお盆を取ろうとしたら其処に私の好きなガーリックパンを2本お盆に載せていたお爺さんと出くわし目が会った。私がこのお爺さんもガーリックパンがあ好きなんだな~と思って見ていたら「このパン美味しいんだよね~」と仰る。「ハイ 私も大好きなんです、何時も必ず買うんですよ」「僕もこれがないと駄目なんだよ~」ってお互い意見があったところでお爺さん、私の荷物を見つめて「沢山買ったんだね~」とにこにこして仰った。
何という事もない会話ではあったが私の心は暖かくなった。このお歳で買い物をなさるなんて奥様に先立たれお一人暮らしなのかしら!話し相手が欲しいのかしらなんて余計な事まで考えてしまった。


昔はスーパーなんてなく、個々のお店で其処の方といろんな話をしながら買い物をしたものだ。現在はお店もだんだん廃れ、殆どはスーパーで誰とも話す事なく寂しい買い物をせざるを得ない。
お鍋を抱えて買い物にいった昔が懐かしい!人と会話して買い物が出来た昔も本当に懐かしく思う。