老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

行事のない1週間が続きます!

2011-05-31 15:23:51 | 

クレマチス 庭の花々です クレマチス
アザレア ユリ きうりが沢山生っています
ヤマホロシ シャクヤク ムラサキツユクサ

一年中で庭の花々が一番賑わう季節です。三日に上げず庭に下りては綺麗に咲いてくれる花の写真を撮ります。
外出すれば其処の花をブログに載せますので、家の花が後回しになってしまい、出番を今か今かと待っています。今週は何ら外出の予定がないのでこの機会に撮りだめした花の写真を載せご覧頂きたいと思います。
何時も長たらしい文章を書く私としては、こんな短い文は始めてかと!!今週後2回程家の写真だけ載せたいと思います。
 


三女の家で!

2011-05-27 16:21:26 | 

蕾だったピラカンサが真っ白に花が咲きました ジャーマンアイリス 同じく、ジャーマンアイリス 
フタリシズカ チェリーセージ ブッシュカンの花
ベニサラサドウダン クレマチス ニオイバンマツリ

第2金曜日PC教室の日。4人の生徒さんとご一緒に愉しく勉強して来たが、お一人が今日を最後にお止めになる事になった。ユニークでお話し上手な明るい方だっただけに残念でならない。

今晩の夕食は手巻きずし、婿さんが帰って来ると聞いたので奮発したのに、二人の孫はいらないと言う。孫息子はバイト先で夕食が出るし、孫娘は塾などで帰りが10時頃になるので、最近は2食お弁当持参だそうだ。婿さんも仕事を終えてからなので遅くなるらしい、待って一緒に食べたいけれど今(午後5時)の処未定。余りお腹が空いたら「先に食べようか!」と言う事になるかも・・娘と二人きりで!!
手巻きは酢飯とお汁を作ればよいだけで至極簡単では有るけれどご馳走なのだ。家で一人食べる事は決してない、せめて三女の家で皆と食べたいなと思っていたのに残念。

6時過ぎ三女は教室から戻って来た。婿さんからは連絡がない、7時頃になって「先に食べようか!」と言う事にななり食べ始めて5分位経った時電話が入った。「9時頃そちらに着く」と、「どうしょう待とうか!でも食べ始めちゃったからね~いいや食べちゃおう」と言い合い申し訳ない気持ちを抱きつつお先に失礼した次第。
例により娘は美味しいと言いながら「何時もは腹5・6ぶ程度で止めるんだけどね」と「たまにはお腹一杯食べてもいいのよ、もっと食べて食べて!」と私、そして二人でお腹一杯食べた。 「今日の手巻きは格別美味しかった!」と娘は言った。私も同感、作った訳ではないから具が良かったのだと思うし、酢飯の味具合も丁度良く美味しかった様に私は思った。

丁度9時婿さんが帰って来た。2時間半弱掛けて帰って来るのだからさぞ大変な事と思う。でも愛する家族にたまに会えるんだから嬉しいに違いない。早速特別美味しい手巻きを食べ始めた。婿さんも今日のは美味しいとお腹一杯たべてくれた。然し必ず飲むビールを娘が冷やし忘れ、ぬるいと言いながらも怒る訳でもなく夫婦和気あいあいの様子は何時もながら微笑ましい。
婿さんが品川駅で買って来た中央にたっぷりクリームの入ったロールケーキを頂いた。お腹は未だ一杯だし、あの沢山のクリームは一寸辛いかなと思いきや、そのクリームが冷たくてアイスクリームの様な爽やかな味、娘が切る時「薄めにね」と頼んだが「美味しい!」と言いながらペロリと食べてしまった。

10時過ぎ、孫娘が塾から帰って来た。大きなリュックを背負っている、中には学校で使う教科書と、そのまま塾に行くのでその教材も、その何と重いことといったら凄い。お母さんも背負ってみて「重いね~でも持つよりはずっと楽だよね~」私も「どれどれおばあちゃんにも」と背負ってみた。ずっしりと重い、でも背負えば何とか歩ける。「大丈夫転ばないでよ~」と二人は心配顔、下ろす時は食卓にリュックを先ず乗せそれから肩から紐を外した。そして手で持って見たら重くて上がらなかった。こんな思い物を毎日背負って一生懸命勉強している孫娘の健気なさに感心した。来年は大学受験を迎える孫娘、この努力がどんな形であれ必ず報われる事と思う。

孫息子には会えなかったけれど、愉しい一夜を過ごし家に帰り着いたのは12時近くであった。


懐かしい場所!

2011-05-26 16:06:55 | 

ギョリューバイ 赤い実が無くなったと思ったら、もう蕾が一杯のカルミア 一寸しか咲かなかったカルミアです
アジサイ 一重のシャクヤク 可愛いアブチロン
モッコク、大きな木です 母の日に三女から貰ったカーネーションです 八重のシャクヤク
上段中央の説明のカルミアは間違いでピラカンサです。
外出の花が続いて、庭の花をお見せ出来ませんでした。5月は一番花で賑わう庭です。これから徐々にご覧頂きたいと思っています。

5月は年に1回だけ夫の創立した会社の株主総会に出掛ける。今年で37回目の 総会、31年間夫と共に通った場所であり親しい方々と会える日でもある。会社の為にもう何にもすることは出来ないが、せめてこの日はお茶の時間にでも食べて貰おうと西荻のこけし屋でお菓子を買って持って行く。
肝心の株主総会は出席者7名、女性は私一人。社長の報告もたったの10分、異議なしで終わってしまった。大会社では考えられない事だろうけれど、何分小さな中小企業だから誠に簡単なものである。
今年の事業成績は非常に悪く大きな損失であった様だ。社員も十数名退職して貰わざるを得なかった状況であったそうで残念に思った。夫がもし未だ生きていたら如何対処しただろうかと考えてしまう。夫は元気なうちは60歳になっても働く事を容認した人であった。バブル崩壊の年一度だけ大赤字を出した事があった。ボーナスも出せない、給料も下げた。「こんな状況だから止めたい人はやめてください」と言ったそうだが誰一人止める人はいなかった。社員を愛し大切にした人であったから今の状況を私なりに切なく思う。でも皆一生懸命働いていてくれるのだから現在の状況では仕方のない事と思うし、天にいる夫もきっと分かってくれると信じている。

総会が早く終わってしまったので、昼食までの(毎年昼食を頂く)時間を私が退職する前の一年半位一緒に経理をした方(女性)を呼んで貰い沢山お話しをする事が出来た。この会社は私の人生の中で決して忘れる事の出来ない大切な存在なのである。又来年も生きていてこの嬉しさを味わいたいものと思う。


薔薇を堪能!!

2011-05-24 09:36:49 | 

生田緑地ばら苑の全景です  
  

  
  
  

  
  
余りにも綺麗だったので122枚の写真を撮り、取捨選択し沢山載せました。クリックし大きくして是非ご覧ください。

秦野から帰った次の日、次女の旦那さんは珍しく仕事がなかったので秦野から長女を呼び4人で薔薇を見に行った。
小田急向ケ丘遊園が閉園された時、園内にあったバラ園を存続し大きくし川崎市が引き継いで「生田緑地ばら苑」としてばらの季節春と秋の2回開園しているそうだ。約530種、4700株が多くのボランティアの方々の手助けもあって素晴らしいバラ園を造形している。
向ケ丘遊園駅を降りタクシーで行ったのだが、ばら苑に着くまで相当登らなくてはならない。苑に向かう人々が延々と歩く中タクシーは苑の入口まで行ってくれた。歩いて行ったら行き着くまでに草臥れてしまいそう!と思った。
ばらの見事さは言うまでもない。今迄見たばら苑では一番素晴らしいと思った。2時間近く歩き回り写真を撮りまくり大満足で苑を出た。さて・・・帰りはタクシーがない。歩き回って相当腰が重くなっている、が坂を下らなければタクシーがつかまらない。勇気を絞り出してタッタッタと下った。下まで行き着きやっとタクシーに乗る事が出来た。もう午後1時近く、これから新宿で昼食をしてもう一か所に行くのであるが、もう体は限界を感じ何時もの私に似合わず「私、お昼食べたら帰るわ」と言った。皆と行動を共にしたい気持ちは山々であったが!!  然し昼を食べ最後に大好きなアイスクリームを食べ終わった頃には元気が回復し、「やっぱり私も行くわ~」と言う事にあいなった。上野の東京国立博物館で行われている「手塚治虫のブッダ展」に行くので、「鴬谷駅からタクシーで行くのならね」と言う条件付きで・・・・

ブッダ展を非常に興味深く見て回る事が出来た。来て良かったと思う程に!手塚治虫が10年以上かけて描き彼の最高傑作と称えられた漫画「ブッダ」が売り場に14冊並んで置いてあった。漫画を読んだ事のない私だけれど、読んでみたいな~と思った。婿さんが2冊買い「読み終わったら貸してあげますよ」と言ってくれたので暫し待つ事にした。

上野駅・新宿で夫々別れ家に帰り着いた時は相当に草臥れていた。でも先ず写真をパソコンに入れようとバッグを見たらカメラがない!「えっ、どうしたんだろう」って顔は真っ青。バッグは常に誰かが持っていてくれ、私はカメラだけを首から下げているのである。「ばら苑でトイレに行った時置き忘れたのかな~、でもその後も写真を撮ったからそれはない。苑を出る時確か長女にカメラを預けた筈だが・・・」などなど思い悩みながら皆に電話した。ありました、ありました、長女のバッグの中に!嬉しかった~
私がカメラを長女に渡した時私のバッグは婿さんが持っていてくれたので、長女は自分のバッグに入れてそのままになっていたと言う訳であった。私が電話した時長女は小田急線に乗っていてバッグを見てくれ「あった~ごめん、宅急便で送るわ」と言っていたのに暫くして電話があり「今からそちらに持って行くから」と言う、新宿・秦野間の中央付近まで行っているので「もういいから送ってくれればいいのよ」と言ったけれど「もう降りて戻っているから」と言うので仕方なく「ごめんね」で電話を切った。6時半頃だったので夕食でも食べて行って貰おうと用意して待ったが着いてカメラを渡すなり「お父さんが夕飯待っているから」と言って直ぐ帰ってしまった。返って長女には申し訳ない事をしたと悔いる気持ちが残ってしまった。皆さん本当にお世話になりました、有難う。

次の日は教会に行く積りだったが、何時もなら一晩休めば疲れは取れるのに、今回は3日間外出が続いたし、腰の具合も本調子ではなかった故か疲れが残り教会にも行かず午前中ごろごろしてしまった。でも午後にはすっかり元気を取り戻す事が出来、ばらの写真の整理などにいそいそと励んだ。


箱根にて

2011-05-23 09:37:18 | 

箱根に行く途中富士山が真っ白ではないけれど見えました サワオグルマ アヤメ
エゾルリソウ おだまき くろゆり
サワオグルマ 愛子さまのお印、ゴヨウツツジ 遠くの方にドウダンツツジの白が映えていました
箱根湿生花園には様々な植物が咲いていました。

「箱根山のホテル」の庭に咲いていた見事なツツジです。
ツツジの向こうにも富士山が見えました 素晴らしい全景です 
  
 ホテルから見下ろせた芦ノ湖 最後にもう一度見事な全景を載せます

  
  
ホテルの上の方にシャクナゲが咲いていました。

18日~20日まで秦野に行っていた。
十数年前、夫と一緒に行った「箱根山のホテル」のツツゾの素晴らしさが忘れられず、又何時か行きたいと思っていた。今年こそと思ったが何やかとあってツツジの時期を逸し、もう今年も駄目か!と思ったが2・3年前このホテルに咲いていたカルミア・シャクナゲでも見れたらと思い長女と二人で出掛けた。
ホテルに向かう途中、冬の様に真っ白ではなかったが綺麗な富士山を見る事が出来た。山のホテルへの道を間違えてしまったので湿生花園に寄り1時間半程を様々な植物を愉しく見て回り、山のホテルに向かう。
駐車場は殆ど満杯、何とか停める事が出来た。ツツジは諦めていたのに、一歩足を踏み入れた途端あの十数年前の見事なツツジの庭を其処に見る事が出来た時の嬉しさはたとえ様もなかった。丸く刈られ花をびっしり付けたツツジが折り重なる様に連なり非常に見事な光景であった。「来て良かったね~」と大満足な心を喜び合いながら暫しの時を歩き回った。
一寸上った場所にシャクナゲが綺麗に咲いていた。然しカルミアは少し時期が早かった様で6月に入らねば咲かない様だ。

次の日何時もなら家に帰るのは夜遅くなってからなのだが、今回は午後内科の診察予定が入っていたので午前中に戻って来た。診察の結果は血圧148で一寸高め、でも「これ位なら大丈夫でしょう」との先生のお言葉。夫がいた頃160・170は当たり前であったから心配は無用。例によって病気以外の話しをしお互い「お大事に」と言い合って診察を終えた。

この日、夜は次女夫婦が泊る事になっていた。婿さんは仕事先で夕食を済ませる。娘はそちらで食べると電話があった時「診察で帰りが遅いわよ」と言ったら「私が作ってあげるわよ」と嬉しいお言葉。
西荻窪駅に着きもしかして娘の姿がないかと見回したけれどいない。私も買い物があったので西友に入ったら娘とばったり出会い驚いた。二人で買い物をし、夕食を作り久し振りに一人ではない愉しい夕食の時を持つ事が出来た

四方山の話しをしながら時間が経つにつれ、何時もなら「今此処、これから帰る」とか「今西荻に着いた」とか電話が必ずあるのに何の音沙汰もない。次女が何度電話しても応答なし、娘はいてもたってもいられない様子。その心配そうな姿を見て大昔夫が夜中になっても音沙汰なく戻らず眠れなかった事を思い出した。
11時過ぎ、ピンポーンとベルが鳴った時「あ~良かった~」と二人で玄関に飛んで出た。「心配したのよ、如何したの」と聞いたら、携帯電話を家に忘れて来たのだと言う。婿さんは平身低頭何度も何度も頭を下げて上に上がろうとしない。「大分酔っていらっしゃるんじゃないの?」って私。「いいえ、ほんの少しです、すみません」と又お辞儀する。やっと部屋に入り「お母さんに電話したけど掛からなかった」と言う、娘が旦那さんの手帳を見たら私の家の電話番号が間違えて書かれてあったのだ、道理で通じない訳だ。その手帳に肝心の奥さんの携帯番号がのっていないのだ「けしからん!」と言いながら間違えを直し自分の番号を書き入れていた。そんな夫婦のやり取りを見ていて、心配したり、心配させたりする相手のある二人が羨ましかった。
何か事が起きると色々な場面が想像されて心配になるんですよね~兎に角無事であった事に感謝した。
今日もせわしない日ではあったが 、充実感を感じた1日でもあった。

 


ミュージカルを観賞

2011-05-15 11:47:12 | 

ズアーマンアイリスなど 白花のシランです 紫欄 
ペチュニア アイリス ミヤコワスレ
アイリス ガーベラ 名前分かりません
庭の花々が次々と綺麗に咲いています。

教室の生徒さんが出演なさるミュージカルを、三女と両母3人で観に行った。
始めて観るミュージカルは「劇団ステージドア第20回記念公演」題目は「人生はいちどきり」というものものだった。
カラフルな衣装には目を瞠るばかりだったし、熟年、老年(81歳の女性も)勿論若い人もいたけれど、直ぐ目の前にこれらの出演者の一生懸命な演劇を観られただけでも良い経験になった。

下のお母様(二世帯住宅の階下に住んでいらっしゃるので)は買い物があるからと途中で抜け出し帰られた。私達二人は最後まで観て帰途に就いた。渋谷駅で京王井の頭線に乗った時意外な事に遭遇、「此処ら辺でいいわね」と私がおもいやりぞーんの空いた席に座り前の席を見たら何と下のお母様が坐っていらっしゃるではないか!お母様も私にきずかれ二人して「うわ~!!」と思わず叫んでしまった。何台もある電車の中で同じ車両然も目の前に!!こんな偶然ってあるんだ~と驚きであった。

時間が5時から7時過ぎという変な時間帯だったので、夕食を摂る時間がなかった。娘は「子供二人が待っているから何か買って帰るわ」と言っていたが、「今日は私が奢るから子供等を呼んで明大前で夕食しようよ」と言う事になり長男の要望によりイタリアンの店で異なるメニューを4つ注文し皆で分け合って食べた。「お爺ちゃんが死んでから家でスパゲティ作った事無いんだ」と言ったら「へ~!」って言っていた。濃厚だったけれど美味しかった。

月2回三女の家では私の作る夕食を孫達とするけれど、この4人で外食する事は始めてかな! いろんな話で盛り上がったけれど、青春真っ盛りの孫達には切っても切れない男女交際の話題になった。孫息子には高校時代付き合っていた友達が居た事は聞き知っていた。「お兄ちゃんは羨やましいな~」と言っていたという孫娘の事も聞き及んでいた。然し孫娘にもアタックして来た男性がいた話しをこの場で知り「なっちゃんにもいるんじゃない~」と肩をつついて笑いあった。「おばあちゃんなんて貴方達の歳頃異性なんて感じた事もなかったわ~、今から思うと残念な青春だったな~と思うよ!」そんなこんな話しで愉しい夕食の時を過ごし別れた。

 


母の日

2011-05-09 11:08:39 | 

六義園の全景です 真っ白に覆われたつつじ
  
つつじが一番綺麗に咲いていた場所でした 松の古木、見事でした 池に掛かった風景

5月第2日曜日は母の日。私には母と呼べる人はもういない。然し私を母・義母と呼んでくれる人は9人もいるのである。何と幸せな事か!
次女と三女からは私の大好きな鉢花が贈られて来た。次女からは綺麗なサーモンピンク色のリーガーベゴニア、花が大きくて素晴らしい。でもベゴニアは育てるのが難しいので又来年咲かす事が出来るだろうかと心配、頑張って何とか育てよう。
三女からはカーネーションの鉢植え、あの大災害に遭った宮城県から送られて来たので如何してかなと思っていたら、あちらで栽培されたもので、災害の助けになったらとの思いで頼んでくれた物と分かった。これも来年咲かすのは難しい、贈られた嬉しさは大きいけれど、一寸困惑気味でもある。
次男からは前日電話があった。「明日は母の日だよね、何にも上げられないけどね!」って。電話を貰えるだけで嬉しい。次男とは結構長い電話を何時もする。昔の思い出話し、現在の世相の事なども、次男が小学校1年生の頃2年弱住んだ事のある小金井、「あの家まだあるんだよ、一度行ってみない?野川公園にも行こうよ」と(野川公園は昔ICUゴルフ場であって、亡き夫が会員でしょっちゅう小さかった次男・三女を車に乗せ送り迎えした処)調布飛行場も傍にあって次男にとって懐かしい場所であるらしい。
長男とは良く音楽会に行くし、娘とは花や美術館等に行く。次男とは余り出掛けないけれど、昔を偲ぶ場所へ行くのもいいなと思っている。

さて、本題に入ろう。昨日は教会に行く日だった。朝8時半頃長女から電話があり「お母さん今日何か予定ある?」「教会に行こうと思っているけど、何で~」と聞いたら「母の日だし何処かに一緒に行こうかと思ったけど、駄目ね~」と言う。「午後なら大丈夫よ、つつじ見物にでも行きたいな~」と言う事で12時半に市が谷駅で待ち合わせ六義園に行く事になった。ツツジの季節は何処も殆ど終わっている事は承知であった。案の定殆ど枯れていた。綺麗なのも少しはあり貴重な写真を撮った。奥の方の一寸した斜面一面にもう枯れてしまったツツジの木が密集した場所に着いた時、「わ~これが素晴らしいツツジだったんだ~」と過去形の言葉を発していた。
柳沢吉保が1702年に築園した日本庭園が、明治に入り岩崎弥太郎の別邸となり、昭和13年に東京都に寄付され現在に至っている。
一回目に行った時は園外に長い列をなして入場を待った事を思い出したが今回は直ぐ入る事が出来た。3月11日の大震災でこの場所も被害を蒙り見られない場所も多々あった。東京のど真ん中にこうした趣のある庭園が散在していることを貴重な国の財産として存続される事を願った。

長女との半日はとても嬉しい贈物であった。
時間が余ったのでもう一か所と思ったが、最近一寸腰の痛い私故無理をせず家に帰る事にした。「私も西荻へ行くわ」と言う。「お母さんの庭も見たいし、ハンゲショウとジュジュサンゴが駄目になったので苗が欲しいのよ」と。実はハンゲショウは長女の庭から貰って来たものでそれが今年繁殖してあちこち芽 を出しているのだ。つまり里帰りになるのかな?ジュジュサンゴは次女が二人にくれたものだが長女は駄目にしてしまい、私のはすくすく成長し繁殖していたので一鉢上げた。1時間足らずの時間だったけれど誰にも見て貰えない庭を見て貰えただけでも嬉しかった。


姉を見舞う

2011-05-05 10:21:03 | 

コデマリ、挿し木した小さい苗に咲きました シャクナゲ、花が大きくて見事です
すずらん、今年は株数も殖え花も良く咲きました つつじ ヒメウツギ(ウノハナ)ともいいます
ブーゲンビレア 裏庭に咲いたバラ サボテンの仲間、温室で毎年咲きます

大腿骨骨折でリハビリ専門の病院に移り療養中の姉を見舞いに行って来た。
板橋にある中々綺麗で大きな病院の4人部屋、私が部屋に入って行った時姉は眠っていた。「お姉ちゃんこんにちは!」って声を掛けたら直ぐ目を覚まして私を見上げ「来てくれたの!」ってとても嬉しそうな顔で起き上がった。「どうなの?」と聞いたら「手術した所も全然痛くないし杖付いて歩く事も出来るしね、でも退屈なの」と言っていた。3月の手術後見舞った時は髪も乱れ、これはと思ったのだったが、この病院に来てから染めてくれたらしくとても綺麗な素敵なおばあさんになっていた。「歳取ってもおしゃれ心は持っていないとね!」と姉らしい言葉。93歳になってもリハビリは看護師さんが驚くほど頑張るし、病人臭くならずに身だしなみにも気を配る姉、私の子供に「叔母さんには花を感じる!」と言わせる様な人なのである。
遠い昔を知っている姉と私、私の小さい時の事を唯一知っていてくれる姉との話しは尽きず、2時半から5時半まで時間を忘れて語り合った。
姉も私も8年前・6年前に夫を亡くし現在は子供等も独立し、身軽な一人暮らし、そして幸せな時を過ごさせて貰っている。「貴方は凄く苦労したからその御褒美に今の幸せがあるのよ」と姉は何時も言ってくれる。「私は全然苦労しなかったからね~」と「苦労なしで幸せなんだからそれもいいんじゃないの」と言い合ったりして!! 「 又来るね!」と言って病院を後にし帰路に就いた。

家に帰り携帯の歩数計を見たら9000歩近くになっていた。見舞うだけで何で~こんなに~と思った。考えて見れば交通状況に依るものである事に思い至った。西荻窪~新宿まで総武線、乗り変えて山手線で池袋で下車又乗り変えて東武東上線で上板橋まで、そこから15分位歩く。乗り換え毎に階段を上り、下りを何度繰り返した事だろう、そして構内を歩く。震災後節電でエスカレーターは使用不可能(エレベーターは動いているが私は乗らない)その上帰途で又間違いを犯し新宿で総武線に乗るべくホームに上った処同じホームの山手線に飛び乗って反対方向へ戻ってしまい、直ぐ気付き一駅で再び新宿にとって返し階段を又上下、そんなこんなで余計歩いたからこんな多い歩数になったのだと納得。歩く事は体に良い事と思えばいいのだが、然し階段は一寸辛い。歳も歳だし万が一足を踏みはずしてはならないと必ず手摺に捕まるようにしているし、少しは楽なのだ。こうして出掛ける度に間違いを犯す事が多いけれど、一人で何処にでも行く事が出来る今を有難いと思っている。