老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

松田の河津桜

2015-02-25 16:32:10 | 

   

   

  
                       菜の花が綺麗でした         吊るし雛が飾らてていました

何時もは水曜日から金曜日だけれど、今回は金曜日が教室の日だし娘の都合も良いので火~木曜日に変更し秦野に来ている。このところ大分寒さが和らぎ寒い秦野でも寒い!寒い!と思わずに過ごしている。
昨日は松田の河津桜を見に行った。開花は一寸早めの3・4分咲き、蕾が多い分見渡すとピンクの色が濃い目であった。駐車場は満杯が予想されたから酒匂川の河川敷の駐車場に車を止め、そこから15分専用バスに乗って現場に着いた。平日でも大勢の人で一杯。此処は相当な斜面に咲いているので上り下りが結構大変、現在足の痛い私はあまり下まで降りず足の状態の許す限りの場所まで下り鑑賞した。菜の花も桜の木の下で綺麗に咲いていた。

今日は曇りから一日雨になる予報、気温も下がって寒さを感じる。秦野に来ると何にもせず外出以外は座ってばかりなので動かない分寒さを感じるのだろう。娘とのおしゃべりは尽きず楽しいけれど、気温に関しては東京の家の方が暖かく過ごし易い。世の中全て良い事ばかりは有り得ないのが現実である。
今夜多分雨の中車を走らせ帰宅する事になるだろう。気を付けて帰ります。

 

 

 

 


クリスマスローズ展&らん展

2015-02-23 10:00:05 | 

クリスマスローズ展

  

  

  

  

 雪を頂いた背景に白樺の木とチューリップが素敵でした 

らん展

 大賞です

  

  

  

  

去年は一人で行ったクリスマスローズ展、その日にらん展にも行く予定だったが 行く途中で気分が悪くなり急遽取り止めたのであった。今年は親娘3人で行くことが出来た。
クリスマスローズもランも年々種類が多くなりその発展の速さは驚くばかりである。
花々を愛で、親娘での会話で盛り上がった楽しい一日であった。

次の日は長男のピアノ発表会に府中まで出掛けた。去年は子供の部と大人の部が分かれていたので大人のだけしか聞くことが出来なかったが、今年は全部一緒だったので子供の演奏も聞くことが出来た。子供たちは年々進歩が著しいが老年に入った大人は中々上達しないようだ。長男も老人の部だがもう10年習っているにしては中々上手に弾くことが出来ないようだ。今回も何回もつっかえて嫁と私はハラハラさせられた。本人は大してめげていない様子、また来年頑張ると言っていた。来年の発表会には嫁も出るらしいので楽しみである。上手下手は別として何にでもチャレンジする気持ちが大切なことだと思う。

明日から先週雪を心配して止めにした秦野に行くことになっている。河津桜はまだ一寸早いらしいが菜の花が満開との事、何処に連れて行ってくれるか楽しみだ。

  

 


会話を持てた二日間

2015-02-18 11:29:29 | 

春が待たれる我が家の庭には写真のスノードロップのみが凛と咲いている。

このところ寒かったし何の行事もなく一人静かに家の中のみで過ごしていたが、15・16日は三女以外の4人の子供らと会う機会を得、平常は独り言のみであった私の口はこの時とばかり開きっぱなし、皆との会話が弾んだ嬉しい二日間であった。
先ず、15日は長女、次女と共に渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開かれていた キャプテン・クック探検航海と「バンクス花譜集」展を見に行った。
第一回太平洋航海(1768~1771)でキャプテン・クックに同行したジョセフ・バンクスが描いた植物120点が展示されていた。今から約250年前寄港地、ポリネシア・ニュージーランド・オーストラリア・ジャワ等に咲いていた花は現在の様な豪華絢爛とは程遠く地味で花の色も僅か楚々とした感じであった。花の名前も殆ど知らぬものばかり、でも「これハイビスカスみたい」とか現在と似通ったものもあった。花好きの私にとっては興味をひかれる展示会であった。

丁度この場所で開かれていたイギリスのある美術館の裏方のあれこれを克明に描いた映画を3時間にわたって見た。美術展を最高のものにする為の関係者の心・技はなかなか素晴らしく興味を持って見る事が出来た。

長女と別れ二晩我が家に泊まる次女と帰宅した。この夜は次男も来て3人で夕食を挟んで語り合った。
次の日次女は用事があって一日外出。夕飯時には長男夫婦が来て手巻き寿司を食べながら愉しい時を過ごした。

「明日の朝は早く出掛けるからお母さん寝てていいわよ」と次女が言ってくれたので、寝る時にさよならをした。朝7時に起きたらもう次女の姿はなかった。

今日から秦野に行くことになっていたが、今夜あたりまた雪になるような予報、もし積りでもしたら車だから心配、長女と電話して今回は止めることにした。
今日から再びだんまりの日々が続く。


445さんを偲んで

2015-02-02 11:25:46 | 

余りにも突然の死、驚きと悲しみの中、昨夕代代幡斎場にて行われた通夜に参列した。早めに到着したのに既に大勢の方々が来ておられた。
私は長く生きているのでお年寄りの葬儀には多く行っているが、名ある方の葬儀は別として普通の歳を取られた女性の方の葬儀の参列者はとても人数が少なく何時も寂しく思ったものであった。然し昨夜は違った。PC教室の方も多かったし、町内会の方々、445さんの交流の広さ深さを物語る様な大勢の方々で式場は親戚の方のみ、その他は別室で長い時間待ち、お焼香をするほんの1・2分間だけであった、。ゆゅくりご遺影を拝む事も出来ずせかされて式場を後にしたのであった。

私が445さんと初めてお目に掛かったのは松原教室10周年記念の時であったと思う。娘に紹介され好感を持った。生身のお姿に接したのは教室の行事があった時のみの4・5回だけであったが、その都度何時もお会いしているような気持ちで嬉しさ一杯であった。ブログ上での交流は長く続いていた。何時もお優しいお心のこもったコメントを頂き本当に嬉しかったし励まされた。そのコメントももう決して頂くことは無いその寂しさを今切実に感じている。

445さんはご入浴中浴槽の縁に手をかけ眠っておられるようなお姿で亡くなられていたそうだ。もう間もなく80歳になられるご長寿を生きられお苦しみもなくあっというまに逝かれたと聞いて、ご親族には申し訳ない事とは思いつつも、私もこのような死に方が出来たらいいな~と思った。445さんのお人柄だから神様がこのような最後をお与え下さったのだろうか。445さんは沢山のグループと交わりをお持ちになり、お住まいの町会ではご自分より人の為に一生懸命尽くされた素晴らしい人生を生きられた方であったと聞き及んでいる。445さんのご仁徳がすべてを物語っているように思え、その足元にも及ばない自分を反省させられた。

パソコン教室では一期生であられた445さん、18年?経つた現在も通っていらっしゃった。20名余の生徒さんを教室に誘って下さり娘の力になって下さったと聞くし、私の卒寿の祝いを計画してくださったのも445さんはじめ一期生の皆様だったそうだ。人の為に惜しまず真心を持って真摯に行動なされた方と尊敬の念を今、更に思いを深くしている。

人の死とは悲しいものである。ましてや親族を失う事ほど辛い事はない。
家長を亡くされた445さんのお家族様のお嘆きは如何ばかりでしょうか。これからもお母さま、おばあ様が天国でいつも守っていて下さることを信じお元気を出されるよう祈っている。
愛するご主人様のお傍に行かれさぞご満足の事と思います。天国でどうか安らかに過ごされますよう心からご冥福をお祈りいたします。
445さん本当に有難うございました。