老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

長男の家に招かれて

2010-09-29 13:37:03 | 

ヒガンバナの赤が咲きました 一寸ピンクがかった白のヒガンバナも同時に咲きました

昨日招かれて長男の家に行った。午前物凄い雷雨、困ったな~と思っていたが午後には弱まり出掛ける時には雨は止んでいた。

夫と共に車で訪れたのがもう10余年前だから久し振りの訪問であった。今は駐車する場処もないので家の近くからバス(無料)でいった。バス停に長男が迎えに来てくれていたので迷うことなく10分ほど歩いて到着。

現在この家には長男夫婦と孫息子、妻のお母様と妹さんの4人が住んでいる。
この日は妻は仕事で留守、孫とは一寸顔を合わせただけで、老人の施設で働いていて今日はこれから夜勤だと言って出掛けてしまった。

このお母様は私と同い年の87歳、長い間高校の教師として働らかれた方退職後は子・孫の為に家の中で働かれたが、最近はお体の方々を悪くなさり病院通いが日課になっていると仰っていた。腰の痛みで歩かれるのも痛々しい程、そんなお体でも年に2回は私の家においで下さり、二人で四方山話しをしたものであった。何時も来て頂くばかりなので「今度は私が伺いますよ」と言うと「家が汚いから」と遠慮なさる。仕方なくお出で頂いていた。

来年1月娘の出産を控えその為に家を整理し綺麗にしたので、今回私へのお招きとなったようだ。
夕方になり「近くに食べに行ってもいいし、僕が料理作ってもいいよ」と言うので「家で食べたいわ~」と息子に夕食を作って貰い美味しく頂いた。
愉しい半日を過ごし又バス停まで送って貰い別れた。私が帰ったのと入れ違いに嫁(マリさんと呼んでいる)が帰宅した様で「もう少しいれば良かった~」と残念だった。
「今度は私のいる時に来てね!」と後から電話があり、お互い会えなかった事を残念がった。

二人の娘とは方々に出掛けるし、三女とは月2回夜話し合える、次男は時々訪れてくれる、この度は長男の招きを受けたし5人の子供とこうして何時も交流を持てる私は本当に幸せ者である。


昨日も外出!

2010-09-23 21:06:39 | 

何時までも綺麗に咲いているオミナエシです お彼岸の頃になると咲くヒガンバナ、赤色は何処にでもありますが、黄色が咲きました。白もあるそうです。

昨日は又、又一日外出となった。
教室で携帯電話の使い方等、専門の方が3人も来て下さりマンツーマンで教えて下さると言うので10時半~12時までの部に行った。携帯電話は7・8年前から持っているが全然使いこなしていないし分からない事だらけ。1時間半はアッと言う間に過ぎてしまったが、2・3の質問に答えて下さり一応分かった積りである。又この様な時を作って欲しいと思った。

何時もは車で行くのだが、午後他の処に行くので電車でいった。昨日は暑さのぶり返しか35度位の非常な暑さ、途中年配の女性が倒れていて救急車が来ていた場面に遭遇した。こんな日は殊に老人は家にいる方がいいのだが、仕方なく暑い思いをして出掛けたのであった。

午後2時半に教室を出ればよいので、朝作ったおにぎりと卵焼き等を涼しい教室で娘と一緒に食べ、1時半から~3時までの2部でまた1時間教わり、次なる場所に向かった。

4月に結婚して船橋に住んでいる孫娘を訪ねる為であった。西荻窪駅から総武線一本で乗り換えもなく行けるし、下総中山と言う駅で降りれば直ぐのマンションである。「おばあちゃん遊びに来てよ」と言われていたので一人で行く積りでいたが、先日孫の父親から「お母さん連れて行ってあげるよ」との電話がありこの日に決まったのだった。私は明大前まで来ていたので新宿で待ち合わせ4時前に着いた。夏、軽井沢で会った時はまだ余り目立っていなかったが、1カ月余で大分大きなお腹になっていた。もう産休に入っているA子は甲斐甲斐しくお茶など出してくれ、一人前の主婦とまでは行かないが娘時代とは異なる感じで頼もしく思った。途中から母親も仕事場から駆け付け、婿さんも夕食時には帰って来て愉しい時を過ごした。

マンションの10階の窓から「中秋の名月」が雲一つない空に綺麗に見る事が出来た。カメラを持っていなかったので残念ながら撮影は出来なかったが大きなお月さまに見えましたよ。

 


沢山の家族と過ごした3日間

2010-09-20 15:15:08 | 

ダリア パンパスグラス

17日  二人の娘と先ずお墓参りに行った。先日自転車遠乗りの孫が2時間かけて草取りをしてくれたお陰で綺麗になっていた。只,笹の根っこが残っていたので二人で懸命に取ってくれた。私は木陰で人様のお墓の石の上に座り(「老いては子に従い」で娘達に甘え)3・40分何もせず楽をさせて貰った。
お墓参りを終え、帰る途中に神代植物園があるので寄り、昼食にお蕎麦を食べそれから園内を見て回った。この時期花は殆ど咲いていない、上の写真が綺麗だった。秋咲きの薔薇は一寸早過ぎ未だ咲いていなかった。温室に入ろうかと思ったが暑いから(今年は暑さにこりごりしていたので)止めようと言う事になり、生け花が沢山並んでいるのを見て帰った。
長女は「軽井沢の記録」を貰って帰って行った。次女は7時ごろ来た婿さんと泊った。以前は婿さんの仕事で月2回は泊ってくれ、次女と方々に遊びに行ったものだが東京での仕事がなくなり、共に過ごす事が少なくなっていた。今回はお墓参りと言う事で次女は来てくれ、長野で仕事を終えた婿さんも東京へ直行してくれたのだ。

ノコギリエイ ペンギン

18日  早めの昼食を済ませ、仕事のない婿さんも一緒に外は暑いから家の中でとと言う事で、品川の駅近くにある水族館に行った。割と近くに住んでいる次女の次男一家を誘い(幼児二人)行動を共にした。イルカショー・アシカショーを愉しく見物したり、色とりどりの綺麗な珍しい魚を見て回った。幼児を連れているので、孫を抱いていたお爺ちゃんがおしっこを漏らされてズボンが濡れてしまったり、私にとっては昔々の経験を、「若い孫夫婦は今が一番大変な時期なんだな~」なんて思いながらも曾孫を見て微笑ましく愉しい時間を過ごした。

最近殆ど会う事のなかった次女の長男が小田原での仕事の帰りに合流し、品川の駅近くで夕食を一緒にした。私一人だけが別で後は全部次女一家(三男以外)であった。小さい子供がいるから殊更賑やかな愉しい時を過ごしこの日も私の家に泊るので皆と別れ三人で帰宅した。

清澄庭園 この石で一軒の家が建つ程の値打ちがあるそうです 池の面に水藻がびっしり、緑色に映えていました

19日  次女夫婦と3人8時半に家を出る。この日は清澄庭園に行った。次女の次男の嫁のお母様がボランティアで園内の案内役をなさっているので、私・次女夫婦・孫一家・嫁のお父様・妹さんの9人がお母様の素晴らしい説明を聞きながら2時間近く園内を一周した。以前娘二人と来た事があったが、説明もなく只見て回るだけだった。岩崎家が全国から集めた名石がふんだんに置かれている庭園、その由来などの説明を聞き飽きる事なく、興味深く見て回る事が出来お母様に感謝であった。
始めて奥様の仕事振りをご覧になったと言うご主人様、尚一層奥様に惚れなさったのではないでしょうか?

昼食は清澄白川駅の近くにある店でどじょう鍋をご馳走になった。始めて食べたが臭みもなく美味しく頂いた。

昼食が終わり皆で孫の住むマンションに行き、夕食を挟み愉しい語らいに終始し、お腹も心も満たされて、私とご両親・妹さんは家路に就き、次女夫婦は泊った。

16日焼酎事件のあった日から4日間連続の外出、多くの人と喋り、笑いは絶えなかった。3日目は1万歩も歩いたが左程の疲れも出ず愉しく過ごせた日々に感謝であった。


一人延々と歩いた日!

2010-09-16 20:35:13 | 

  

35度~20度に急降下した今日の気温、あの暑さは何処へやら!一日中雨が降り肌寒さを感じた日であった。
そんな中私は耳鼻科の予約の日であったし、ついでに免許更新に成城警察署へ行く事にし午後出掛けた。先日貰った「高齢者講習終了証明書」を持参して。この間は3時間位掛かったが、今日は簡単な目の検査(2分位で終わる)次に写真を撮り暫く待ち新しい免許証を貰い、30分位で終わってしまった。これでまた3年間運転する事ができるので嬉しい。

次は耳鼻科へ、此処でとんでもない事にあいなった。耳鼻科は京王線の桜上水にあるのでタクシーで行こうと警察の前で待っていた。車はじゅず繋ぎに走っているけれどタクシーが中々来ない。やっと空車が来たので手を上げたが止まってくれず行ってしまう。3台位そんな調子で行き過ぎてしまったので歩くより他ないと思い込んでしまった。私の頭の中には京王線だけしかなく、行きずりのおじさんに「京王線の八幡山の駅は何処でしょうか?」と聞いたら教えてくれたが「大分遠いですよ」と、傘を差し風も結構吹いている中を只管歩いた。途中トイレに行きたくなったのでスーパーに入り用を足し、水分を摂らなくちゃとウーロンチャと言う字が目に入ったので買って店の中で飲んだ。二口位飲んだ時「これ何だか変な味がする」と思いよく読んでみたら、何と「ウーロンチャ味の焼酎」と書いてあるではないか。「これはお酒だ、こんなもの飲んだら大変だ~」と直ちに缶捨て箱に捨ててしまった。二口でも酔って来るような気がして暫くは心穏やかではなかった。其処からまた延々と車の騒音の中を歩きに歩き駅に着いたのは約1時間後であった。其処から電車に乗る積りで歩いて来たのに、草臥れた体は「もう歩くのは嫌っ!」と駅に止まっていたタクシーに引き寄せられ乗ってしまった。乗車賃890円で気分良く疲れも吹っ飛び耳鼻科に着いた。
もっと他に行き様があっただろうに、飲み物の事にしても何と馬鹿な私なんだろうと反省しきりであった。1時間で5000歩だった。歩きながら「こんなに沢山歩いたのだから今日は家で自転車こぎの運動はしなくていいんだ」と思ったりして!!!

肝心の診察は「未だ一寸眼は動いているが大丈夫です」との事。
帰りはちゃんと駅まで歩き電車に乗りましたよ!  西荻窪では沢山の買い物をしたので重いし、雨も降っているし無理をせずタクシーに乗りましたけれど。

珍道中と言おうか滅茶苦茶な行いではあったが、何事もなく無事帰ってこられたのだから、こんな経験も決して無駄ではなかったと自分に言い聞かせている。


外出可否の迷い!

2010-09-13 13:16:56 | 



庭を覆い尽くす様な繁殖力旺盛な花ニラではなく、裏庭にひっそり生えている食用のニラに真っ白い花が咲いています。

3カ月近く猛暑の為に行く事を控えていた教会に、もうそろそろ行こうかなと、前の晩は思っていた。朝起きた時には左程暑くなかったので外出の洋服を着、ストッキングも履き用意万端整えていたが、時間が立つ内にだんだん暑くなり出し、家を出る間際まで行こうか、止めようか大いに迷った。9時20分最後の決断は行こうであった。駅まで15分位歩かねばならない。市ヶ谷駅駅を降りてからも10分位歩くかな!帽子を被り、日傘も差したけれど暑かった~。久し振りの教会で牧師先生始め皆さんにお会い出来お話しも出来勇気を出して来て良かったと思った。

夕方長男夫婦が毎年くれる巨峰(葡萄)を持って来てくれた。この葡萄凄~く甘く美味しいのである。弟妹達4家族にも送ってくれるので今頃皆美味しく頂いている事だろう。
次男も来る事になっていたので、丁度時間が合って4人で6時近くまで愉しい時間を過ごし長男夫婦は帰って行った。

二人になり夕食の時間になった。皆が来る事が分かっていたので前もって食事の用意は済ませてあったから、食卓に並べるだけ。次男が来れば献立の品数を多く作るのが慣わし、何時もはペロリと食べてしまうのだが、「もうお腹一杯だ~一寸前にあんなに沢山食べちゃったんだもの~」と言う。お茶の時間が遅かった所為もあるが、最近少し体重多目の私は間食を控えていた為、冷凍庫にあったアイスクリームの2種類をここぞとばかり皆出し食べて貰って自分は「助かった~」と思っていたのだ。「も~食べられないお茶を一口飲んでも出そう」って言いながら、「枝豆を食べなくちゃ~これは別腹だから」と言って一つ口に入れ「駄目だ~」と言う。「もうよしなさい!ソファーで横になったらいいよ」と言って寝かせ、私は後片附けに掛かった。

私もソファーに座り「ダーウインが来た」と言う番組と竜馬伝を見終った。次男が「さ~何か食べようか」と言う。「お腹一杯なんでしょ、もう何も食べないでいいよ」とすげなく私は言ったのに「食べる」と言い残した枝豆をお皿一杯全部平らげてしまい、「桃なら食べられるよ」とまだ言うのでむいたら殆ど一人で食べてしまった。もう50歳になるのに消化力が早いのか驚くべきお腹である。

それからひとしきりパソコンを前に二人の話しは続く。
4・5日前に「軽井沢の記録」が完成し皆に送った。今年はプリンターを買い替えたのが原因か一寸暗めにプリントされ不満足であった。三女に聞こうと思っていたが次男は「こうすればいいんだよ」といろいろ教えてくれた。三女にも聞いて見るが来年はきっと満足のゆくものが作れる事だろう。

最近一寸太り気味の次男、重たいお腹を抱えて10時半頃帰って行った。

今日は良く口を開いた一日であった。

 


まだまだ続くこの暑さ!

2010-09-07 21:00:27 | 

 

この暑さ、庭の植物は水を貰えず枯れかかっている。殆ど花が咲いていない庭に昨日咲いてくれたピンクの芙蓉に続いて今日は赤の芙蓉が咲き寂しい庭に彩りを添えてくれた。

最近余り外出の行事がない。この暑さだから87歳の老人にとっては駅までの15分の歩行もなるべく避けたい折ではあるし、家にいられる事が有難かった。
然し今週そうはいっていられない。火・木・金は出かける用事があり、昨日はここ2カ月近く起きなかった眩暈に見舞われ耳鼻科に行く破目になった。今回の眩暈は原因がはっきりしていた。先週の金曜日、ジャングルの様になった庭の手入れに来てくれる事になっていたのに寝坊し、時計を見たら何と9時、大変!と思いパッと勢い良く起き上がった途端眩暈がはじまったのである。急な動作がいけない事は分かっていて何時もは静かに起き上がるのに、後のまつりであった。昔の様にぐるぐる回る事は無く頭をあまり動かさないようにすれば起きていられる程度。
庭の手入れもして貰ったし、孫達も突然きてくれたし一寸変でも対応は出来た。何もなければ横になっていたと思うけれど!
次の日は一日何ともなく三女の家に車で行けたのだが、日曜日起きたら再び悪くなっていた。寝るほどでもないので一日「軽井沢の記録」のプリントで過ごしたら寝る頃になって少し回り始め、昨日の朝も治っていなかったので、耳鼻科に行くしかないとタクシーを呼んで出掛けた。頭をトントンして貰い新しい薬を貰い今日はすっかり良くなった。

今日は内科診察日、相変わらず外は暑かった。先日一年に1回受ける健康診断の結果を持って先生に見て頂いた。大した変わりもなく大丈夫ですと言って頂き一安心。血圧も上が126でこんなに低い数値は私にとって稀有である。
5年持つと言う肺炎予防の注射もして貰った。これは金額が高いが区に申請すると補助金が出て半分位で済んだ。全ての肺炎菌に効果がある訳ではなく50%位に効くそうだがやらないよりはいいかなと思い始めて受けた。

明日は一日家にいるが小冊子を13部作り終えたいと思っている。
テレビである天気予報士がこの暑さはまだ1カ月位続くだろうと言っていた。でも台風が来て雨も降るだろうし、今迄の様な物凄い暑さは徐々に解消されて行くのではないだろうか。是非そうあって欲しいものである。


嬉しかった3日間!

2010-09-06 13:59:33 | 

  

昨日9月5日は私の誕生日。87歳を迎えてしまった。悲喜こもごもの長~い年月を振り返り感慨深い思いで過ごした一日であった。夫が生きていた時は二人とも9月の14日と5日が誕生日なのでどちらかの日に一緒に誕生会をしたものであった。
今年は三女の息子が13日の誕生日で単身赴任のお父さんのや息子の都合により4日に祝いをする事になったそうで、三女から「4日にお母さんの誕生会も一緒にしたいから来てよ」と招かれていた。月2回私が夕食を作っているのでつい「何か手伝おうか!」って言ったら「今日はお母さん座っていていいの」との娘の言葉に従っておとなしく座っていた。婿さんもステーキを焼いたり甲斐甲斐しく手伝っていた。私達夫婦には有り得なかった光景を微笑ましく眺めていた。
「おめでとう」の乾杯は運転して帰る私はウーロン茶で、ステーキは固くて苦手なのだが、この日のはとても柔らかく何もかも美味しくペロリと食べてしまった。フランスパンに本物のバターを沢山付けて美味しかった~  やはりマーガリンとは雲泥の差の美味しさ。本物のバターって言ったら「じゃ~嘘のバターって何?」「マーガリンよね」って言う会話もありましたっけ!

9時からは階下のご両親も加わりケーキで再びお祝いして下さった。娘からは婿さんが選んでくれたアンスリュームを貰った。これは私がかねがね欲しいなと思っていたもので嬉しかった。次々赤い可愛い花が咲いてくれるだろう。枯らさない様大切に育てなければ!!
大人4人で話しは尽きず、家に帰り着いたのは12時になっていた。
以上は「嬉しかった3日間」の真ん中である。

一日目は金曜日の3時頃、長女の次男(孫)から「おばあちゃん、これから行ってもいい?」と電話があった。「ええっ!今日は勤めの日じゃないの」って思わず言ってしまったら「4・5日上海に出張していたので今日休みを取った」との返事だった。
この孫は約1年半位前からサイクリングをするようになり、去年突然自転車で我が家に現れびっくりさせられた事があった。二回目は今年7月私が海外旅行の最中に来たらしく心配を掛けた。今度で3回目、朝10時に家を出て多磨墓地に行きお爺ちゃんのお墓の草取りを2時間近く掛けて綺麗にしてくれたそうだ。私も近く娘達と行こうと思っているが、「おばあちゃん達が行ったら綺麗になっているよ、でも笹が一杯生えていて大変だった~」と言っていた。小さかった孫がこんな事をしてくれるようになったのだと嬉しい気持ち一杯になった。Tちゃん本当に有難う。
この猛烈な暑さの中さぞ大変だったのだろう、家に着いて冷たい梅酒を5杯立て続けに飲んでいた。足が一寸つったらしいが熱中症にならなくて良かった。

長男の処の孫息子は仕事が忙しく、今夏軽井沢にも参加出来ず久しく会っていないからおばあちゃんに会いに行くとの電話が朝あった。折角だから会ってから帰ろうと言って自転車の孫も従弟が来るのを待った。夕方になって来た孫と3人で話しは弾み愉しいひと時を過ごし、二人とも自転車で帰って行った。
孫が単独でおばあちゃんを訪れてくれる時代になったのだな~と幸せを感じる一日であった。

3日目(昨日)は長男夫婦が来てくれた。今年娘が嫁ぎ来年1月にはおじいちゃん、おばあちゃんになる幸せ一杯な二人である。
始め午後に来ると言っていたが、暑いから夜行くと変更の電話があった。この長男夫婦とは一緒に暮した事は無いが、嫁・姑と言う感じを持った事がない。何でも話し合えるし気楽に付き合って来た仲である。最近韓国に行って来たそうで綺麗なベンダント・と可愛いいストラップを誕生祝いに貰って嬉しかった。遅い時間に来たので長くは話せなかったが、嬉しい時間だった。

会う事の出来なかった3人からは「お誕生日おめでとう」の電話を貰い夫々と長話をした。こうして何かがある度に皆が一人身の私を思い遣ってくれる気持ちが嬉しく有難い。皆を煩わせないですむ様、一人住まいが何時までも出来る様、体に気を付けてこの先も元気に生きてゆきたいと思う。