老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

大好きな音楽に触れた夕べ

2009-09-29 16:20:26 | 

ホトトギス ツルバラが次々咲きます

つい1週間前日本ピアノ界重鎮中村紘子さんのソロを聴いたばかりなのに、昨日はデビュー5年の若手ピアニスト河村尚子さんの独奏会を紀尾井ホールで聴いた。将来を嘱望されているという彼女の演奏は、小さい音から力強い音色まで自由自在の手の動き、素晴らしい技巧を身に付けた演奏であった。これから更なる研鑽を積み中村紘子さんの様な人々に感銘を与えられる奏者になって欲しいと思った。

以前ヴアィオリン奏者の諏訪内晶子さんの演奏を聴きに行った時、男性の聴衆が多かった事に驚いたが、昨日はそれにも増して男性が多かった事に再び驚きを禁じ得なかった。何故だろう?演奏の魅力か、はたまた女性としての魅力か、その両方であるかもしれないし、そうであって欲しいと思った。

この会場からすぐ近くにホテル・ニューオオタニがある。長男夫婦と其処の喫茶室に閉店30分前に入りゆっくり話す時間もなく急いでお茶を飲み帰途に就いた。

こんなに遊び呆けて良いものか、一寸気がひける思いなきにしもあらずの今日この頃ではある。が、音楽は私の心の一番の癒しである。

 


姉と会えた日

2009-09-28 10:32:34 | 

ラン科とばかり思っていたら、ヒガンバナ科のマユハケオモトだそうです。どんな花が咲くかも知らずほったらかして4年目に始めて咲きました。 シュウメイギク
コムラサキ、紫色が綺麗です この場所にはサワギキョウが咲いていたので苗が大きく成長し楽しみにしていたら全然違う花が咲き驚いた。植えた覚えはないがクジャクソウだそうです

一昨日姉から「明日教会にゆく?」と電話があった。「行くわよ」と言ったら「じゃ~私も行くわ」との返事。姉は老齢だし殆ど行っていない。行くなら私が行く日にと思って電話を掛けて来た様だ。たまに長電話する事はあっても中々会う事はない。
私の近辺に昔の事を語り合えるのは姉だけ、礼拝が終わって皆で食事をする間中いろんな話が出来た。
私は何時もはJRに乗って帰るのだが寄る所も有り、少しでも長く姉といたくもあり、姉が乗る市ヶ谷の地下鉄有楽町線のホームまで一緒に行った。そこで乗る方向が違うので手を振って別れた。「転ばないようにね、元気でね」が最後の言葉。
大正生まれの姉妹が思いを共にするひと時であった。

別れた後私は銀座の松屋へ行った。教室のTさんから頂いた「ヨーロッパアンティーク美しきくらし展」が28日までなので今日しかないと又々行事が二つになってしまったが、一人で見た。約440点の見事な手仕事に依る刺繍等々の素晴らしさを感嘆の眼で見て回った。

娘達と一緒なら見終わって「お茶にしようか!」と言う事になるのだが、一人ではその気にもならず、帰途に就く。

さて帰り道、来た通りに戻ればそう歩かなくてもすんだのに、違う地下道路に下りたら三つの地下鉄線が表示されていた。その中に赤丸の丸ノ内線があったのでこれで荻窪まで行けると一安心し歩き出した。然し歩いても歩いても赤丸の改札口が見えない。地下鉄内は相当長く歩かなければならない事は分かっていたけれど、今回は「もう嫌」っていう程歩いて三線の内の最後にやっと丸ノの内線の改札口にたどりついた。足先は痛いし足は重いし、でももう大丈夫という目途はついたし、座る事も出来たのでホッとした。

夫が在世中は殆ど車での外出だったので、地下鉄などに乗った事は数少なかった。近頃は良く地下鉄に乗りその便利さを味わっているけれど、もう少し歩かなくてすむ方法ないものかと何時も思ってしまう。これも歳を取った所為であろうか!


月下美人

2009-09-24 09:52:28 | 



 

今夏、4回目の月下美人が咲いた。
そもそも月下美人が我が家にある様になったのは、かれこれ7・8年前次女から貰った苗だった。然し中々咲いてくれない。「どうして咲かないんだろう~」「その内に咲くわよ」こんな会話を繰り返していたら、3年前ようやく念願叶って一輪の花を咲かせてくれた。天にも上る程嬉しかった事を覚えている。
ブログにも沢山の写真を載せたと思うが!!
次の年は一杯蕾を付けてくれ尚一層嬉しかったが、時期が悪かった。夏休みで9日間家を空ける時であり水不足になってはいけないと家の中に移動した。まだ蕾が小さかったのに環境を変えたのが悪かったのだろうか、家に戻って見たら大事な蕾が全部落ちてしまっていた。なんと悲しかった事か。でも一つ勉強になった。花にとって環境が如何に大切であるかという事である。
この年は諦めた。今年は元の鉢からも、私が挿し芽して育った苗からも次々に咲いてくれとても嬉しい。
3回目の一輪は軽井沢から帰った前夜に咲いてしまっていた。
写真にも写っているがもう一輪、Uの字型の蕾があるが直角になって多分今夜咲く筈。
温室にもまだ2輪ぶら下がって咲く日を待っている蕾がある。
我が家の月下美人の経歴です。


子供達と過ごした2日間

2009-09-20 15:36:04 | 

萩のトンネル、素敵でした 綺麗な色彩の鯉でした
赤い実を一杯付けたウメモドキ ワレモコウ
私の大好きなすすきがあちこちに咲いていました 白い萩も綺麗でした
  向島百花園にて

18日は夕べから泊っていた次女と秦野から来てくれた長女夫婦と4人で お墓参りに行った。一寸早目だったのでお参りの人はまばら、笹が一杯生えていて取るのに一苦労したが、すっかり綺麗にした。

午後は女性3人だけで向島百花園に行った。萩が真っ盛り他にも様々な花が咲いていた。植物の名前を一番よく知っているのは長女「なんでそんなに知っているの?」と思う位聞けば何でも教えてくれる。その次が次女、一番知らないのは私。聞いてもすぐ忘れてしまう。「綺麗と思えばそれでいいんだわ~」と思う事にしている。

夕方長女と別れ次女と家に戻り今回は仕事先から早く帰って来た婿さんと一緒に3人で夕食をし、11時頃までいろんな話をし愉しい時を過ごした。

次の日婿さんは仕事に出掛け、午後から二人で新宿で買い物をしてからサントリー美術館で「和紙の美しさ」という催しを見に行き興味深く見て回った

私は6時からコンサートに行くので次女が分かる所まで送ってくれ地下鉄、溜池山王の駅で別れた。コンサートには長男の嫁と次男の3人で。

サントリーホールでのコンサートは中村紘子のピアノ独奏会。私は多くの音楽会に行っているが、この方のピアノは一度も聴いた事がなかった。
ピアノ界の重鎮である中村紘子さんの演奏は、さすがと思うほど素晴らしく魅了された。花束贈呈の中に男性の方がおられ「あれっ何処かで見たようなお顔!」と思ったら何と前官房長官だった。拍手鳴りやまず5・6曲アンコールに応え弾いて下さり大満足で演奏会は閉じた。終わって帰る際周りを見回したら政界のお偉方を2・3人お見掛けした。これ又中村紘子さんの知名度の高さを思い知らされた感じであった。

3人とも夕飯を取っていなかったので、すぐ隣のビルで愉しくおしゃべりしながら食べ別れた。

何処へ行くにも娘達は必ず私の鞄を持ってくれる。「何にも持たないと変な感じ!」なんて勝手な事を言いながらも楽をさせて貰える事に何時も感謝している。
有意義な愉しい2日間だった。又暫くは一人の生活が続くであろう。


多くの人々と接した日々!

2009-09-17 13:39:34 | 

月下美人、まだ5・6個の蕾を付けていて楽しみです。 彼岸花が咲き始めました
こんな色のハイビスカス、珍しいでしょう 芙蓉の一種です。家に来ていた職人さんが小さい苗を下さりまさか今年咲くとは思ってもいませんでした

先ず13日の日曜日から、午前中夫が創立した会社の社員の方ご夫婦(私達夫婦が仲人をした)が来られ、会社の事やいろいろ楽しくお話した。
夜には長男夫婦と孫娘が毎年くれるのだが、とても美味しい巨峰(ぶどう)を持ってきてくれ賑やかに数時間を過ごした。

月曜はだれとも会う事はなかった。この日は亡き夫の誕生日、生きていれば98歳を迎えたのだ。在りし日の様々な事を一人静かに思い起こした一日であった。

次の日は或る用事で午前中から次男と行動を共にし、用事を終え二人で家に戻り何時ものようにパソコンを前に話し合いながら時を過ごし、早めに帰って行った。

昨日は会社の社長のお父様が亡くなり、その葬儀に東大和まで出掛けた。全然知らない場所、インターネットで調べ2回も乗り換えて行き着く事が出来た。
社長のお父様だから当然会社の社員も来ていて、暫くぶりに会う人たちばかり、懐かしく挨拶を交わしたり、私が何時も感じる喜びの時でもあった。

葬儀が11時半~12時半だったので昼食は2時近く、一寸休んでテノール独唱会へ再び外出。5時に新宿で長女夫婦と待ち合わせ夕食をしてから会場へ向かった。
この独唱者は日立製作所OBのOさんという方で、3・4十年前私達夫婦が仲人をした披露宴で参列者の一人として素晴らしいテ ノールを披露してくれ、私を感動させてくれた方なのだ。その事を長女の婿に話したら、日立で同期の方であり50歳位から本格的に習い始め、現在ではこの様な会を意欲的に行っていらっしゃると聞いたので、私が聴きに行きたいと常々話していたから、今回連れて行ってくれることになった。
本郷の山小屋という店は40人余の人で一杯、カンツオーネ・オペラアリア・日本の歌等々素晴らしいテノールに再び出会え感動のひと時を過ごした。
最後に歌手と聴衆全員で「もみじ」「今日の日はさようなら」を歌い和気あいあいの内に2時間近くのコンサートは終わった。

今日は夜から次女夫婦が泊る。明日・明後日と長女も交え笑い、おしゃべりの絶えない2日間になることだろう。


完成の喜び!

2009-09-10 14:02:28 | 

タマスダレ 庭の花が寂しいので買ってしまいました。ペンタスです
毎年作成する小冊子です 12冊完成です。肩の荷が下りました

作り始めてから今年で7冊目になる「軽井沢の記録」が完成した
去年の暮、ビスタに買い替えて始めての作業だった。去年は一人ですらすら出来たのに今回は前のパソコンとの違いで戸惑う事が多く、その都度三女に教えて貰いながら多くの写真と文章の記入は終わった。「あ~もうこれでプリントすればいいんだ~」と喜んだのも束の間、プリントを始めたら又々不具合が多く、これ又電話で教わりながらの作業、プリント用紙も随分無駄にしたが完成した喜びは大きかった。
解らなければ電話で気軽に教えてくれる人がいる私は、何と幸せなことだろう。
一人では到底なし得ない事、感謝するのみである。
あれからもう1カ月経っている。皆に届いたら当時を思い出して楽しんでもらえる事だろう。
大仕事を終え肩の荷が下りた気分。


何といってももう秋、昼間太陽が出れば残暑とも思えるけれど、朝・夕はめっきり涼しさを感じる。夜ともなれば虫の声で辺りは賑わう。
日本の四季の様相は昔と随分変わった様に思えるけれど、本質的には各季節が訪れる事に違いはなく、この凌ぎ易い秋が長く続いて欲しいと願わずにはいられない。


86歳になりました!

2009-09-05 09:49:22 | 

ブルーベリー農園 ブルーベリー園から遠く海の向こうに真鶴が、その左に微かに見えるのは初島だそうです
 園には赤や白の綺麗な花も所々に咲いていました

今日は私の誕生日。遂に86歳を迎えてしまった。
一人で静かに過ぎ去りし様々な出来事を思い出しながら、手はパソコンに向かっている。
始めてから7冊目になる「軽井沢の記録」がやっと書き終えたので、今日からプリントを始め12冊製本を仕上げねばならない。

2日~昨日まで秦野に行っていた。大井町のブルーベリー園に行った。一面ブルーベリーで一杯、私はあまり好きではないのだが、500円払って食べ放題で入園したのだから食べなきゃ損とばかり結構食べた。「大きいのが美味しいですよ」と園の方が教えて下さったので極力大粒のを見つけては口に放りこんだ。とても甘く今までのブルーベリーに対する概念が一寸変わったようだ。目にも良いそうだからこれからは・・・・

一日早かったけれど夕食に私の誕生祝いをしてくれ嬉しかった。

今夜は三女が来てくれると先ほど電話があった。楽しみにしている。
「百歳まで生きてよ」との子供達の期待に応えられるよう、更に自己管理に励み元気でいたいと改めて思う誕生日である。


関東大震災の思い出!

2009-09-02 10:19:13 | 

真っ盛りのサルスベリ、2本ある内の小さい木の方です アスパラガスの葉の間からこんな可愛い赤い実が!

庭の花は寂しくて、載せる写真もない。すべて緑色でジャングルの様相を呈している。

昨日9月1日は86回目の関東大震災の日であった。
昼頃91歳の姉から電話があった。「私、今日が来るとあなたの事を思い出すのよ」と。それから延々とその日の状況などを話してくれた。私はまだ母のお腹の中にいたのだから知る由もないが・・・お産の近い母の為に母の妹が手伝いに来ていてくれたそうだが、その日は付き合っていた男性と外出していて日本橋辺りで地震に遭遇したらしい。待てど待てど帰ってこない、何処かで死んでしまったのかと心配ていたら3日目にひどい恰好で戻って来、母と抱き合って泣いていたという。
家は千葉の市川だったので東京からどうやって帰って来たのか、叔母と一緒だった男性に導かれて九死に一生を得たのだと、その後苦難を共にした二人は夫婦となった。「夜になって千葉の家から見た燃える東京のあの赤い色が忘れられないのよ」と姉はしみじみ言っていた。
姉はその当時6歳だった。「小さい時の事は良く覚えているんだけど、最近の事わね~」とも。
近しい人で東京大震災の事を話し合える人はもう殆どいない。「二人だけになっちゃったんだから生きている内に沢山話し合おうね」と言って電話を切った。

2か月目の内科検診日。診察室の扉に主治医さんのお名前を見てホッとした。普通先生が「如何ですか」と聞いて下さるのだが、私の方から「その後お変わりありませんか」とお聞きしてしまった。「声は変だけど大丈夫ですよ」とのお返事が嬉しかった。診察が終わるといろんなお話をする。毎回私の運転に関しての質問やらご注意を頂く。「あなたは元気なんだから交通事故なんかで死んだら勿体ないよ、速度はあまり出さないようにね」等々。又先生は私の亡き兄の後輩なので兄の事についてのお話もした。今まで掛かったお医者さんでこんなに優しい笑顔で接して下さる先生はいなかった。改めて何時までもお元気でいらっしゃって下さいと願わずにはいられない。最後に「お大事に」と言って診察室を出た。「どちらが患者なのか分からないわ~」なんて思ってしまう!!