夫が亡くなって丸8年が過ぎ去った。28日が命日であるが牧師先生のご都合で昨日30日に記念祭をする事が出来た。
一年祭をしただけで5年の時にしたいと思いながら出来ず、8年を迎え私が生きている間に是が非でもしなくてはとの思いから牧師先生にお願いし多磨墓地の夫が眠る墓前に殆どの一族が集まり、敬虔な思いで墓前礼拝の時を持っ事が出来たのである。
桜の季節に逝った夫、確か告別式を行った教会の庭に桜がちらほら咲いていた事を思い出す。昨日も一度暖かくなって急に咲き出した桜がお墓に、一寸ふるうえる様な肌寒さの中綺麗に満開を迎えて咲いていた。
墓前記念祭を終え、場所を換え西荻窪駅前にあるこけし屋で会食の時を持った。お墓には来られなかつたけれど病を持った次女の婿さんも次女と二人で来てくれ久し振りで皆に会え喜び合った。食卓のあちらこちらで話しが弾み笑い声がたえず聞こえて来ていた。私は牧師先生の傍で近くに座った子供達と先生との有意義な語らいを持つ事が出来た。
先生が先ず立たれて「私は仕事がらこう言う席に多く連なる事があるけれど、T家の様に沢山の一族が仲良く一致団結した家族の様子を見る事は珍しく驚きと称賛を覚えます」といった様なお言葉を下さり本当に嬉しかった。
子供達5人と孫二人からも夫々の今の思いを語ってもらい、天国の夫はさぞ嬉しかった事であろうと私も喜びに溢れた。
会う事は決して叶はないけれど、皆の心の中に夫・お父さん・お爺ちゃん・曾お爺ちゃんが何時もいてくれる事を信じ、これからも仲良い愉しい一族でありたいし、皆が夫々の目的に向かって精一杯の人生を歩んで行きたいとの切なる思いで会は終わった。
何時も出掛ければ写真を撮りまくる私である。昨日も私は撮る余裕はないので誰かに撮って貰おうとカメラを持参したのにそれどころではなく、何もかもすっかり忘れてしまいカメラは鞄の中に入ったまま一枚の写真も撮れずに終わってしまった。
2時間の予定が3時間になってしまい最後の集合写真も撮る事を忘れてしまった。
記念の写真がなくてはまずいと思い、家に帰って撮ったのが上の写真です。実際は両脇に花があってグラスに赤ワインを注ぎました。もう一つの花籠は三女が持って帰りました。
寒かったけれど雨に降られなかった事、牧師先生のお陰で墓前礼拝の持てた事、和気あいあいの会食であった事、全てに於いて夫を思う一日であった事等感謝の一語に尽きます。
今日は正直ホッとした気持ちでゆったり過ごしています。