老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

フィンランド&ドイツの旅 (3)

2010-07-31 10:07:51 | 

 7日目  ヘルシンキに戻って来た次の朝部屋から撮った光景。

この日は一日中自由行動。午前、午後と2箇所オプショナルツアーが予定され、午前は全員で、のどかな田園風景や木造家屋が印象的な古町、ボルヴォーを観光。午後はもう一つのオプショナルツアーか、土産物買いの2グループに別れて行動した。私はオプショナルの方を選んだ。

午前

 
       ボルヴォー大聖堂               綺麗に整ったお墓

午後
 
水しぶきを上げながら小型の船で、かっての城塞に向かう。

 

昔、スーエーデンとロシアなどとの間に様々な葛藤があり、この島はその重要な位置であり、意味を持っていたと言う。現在はヘルシンキの一区でありフインランド海軍の基地として人口約900人が住み、平和で静かな暮らしを営んでいると言う。
綺麗な花が沢山咲いていた。

一日中よく歩いた。もう少し疲れ出していたが、始めて見たり聞いたりした事に興味を持ち頑張った。フィンランド最後の日であった。

9日目  フィンランドからトイツへの移動日。

フィンランド空港から見えた白樺林です  
ヘルシンキ空港で滑走路の向こうに白樺の木が沢山見えました。ドイツへ移動する機中の窓から遥か彼方にアルプスの山々が綺麗に見えました。
この夜ははミュンヘンのホテルに泊りました。

10日目  ミュンヘンから1時間半バスでオーバーアマガウへ。
10年に一度行われる「キリスト受難劇」を観賞する為であった。5時間半に亘るこの劇を観る為に1年半前からチケッを手配されたと聞いた。(30人分)
第1幕・・14:30~17:30
第2幕・・20:00~22:30 この間に夕食を摂る。全員がこの劇を観る事に大いなる期待を持っていたと思う。然し、日本語で聴くイヤホーンがなかったため動作で分かる部分はあっても会話が全然分からなかった事が非常に残念であった。4500人が入場する時は人の波で大変であった。言葉は分からなかったけれど、この劇を見られたと言う事は本当に幸せであったと心から思っている。今回観なければ私はもう観る機会は絶対訪れないであろうから尚更感謝であった。
夕べと同じホテルに帰り付いたのは12時を過ぎていた。

 こじんまりした舞台でした
観客席と舞台の間から空が見えるのです 舞台です

11日目  観光最後の日。オプショナルツアー「ツークシュピッッェ」他、全員参加。
「凄くいい処ですよ」と前々からW牧師に聞かされていたからとても楽しみにしていた。山登りである、と言っても足で登るのではなく、登山電車、ロープウエイが3000メートル位の高さまで乗せて行ってくれるのだ。その頂上に着くまでの間も山々の景色に感激していた私であったが、頂上に立って四方を見渡した時の気持ちは感動で一杯だった。然し、これが本当の頂上ではなく、更に10メートル(多分)垂直の絶壁を命綱を掴んで必死に登った処が本当の頂上で、其処には金の十字架が立っているのである。命がけであるから11人余の人しか登れなかった。登れる年齢制限があったとか・・・その他の人は下から写真を撮るだけであった。ある女性の方が「怖かった~」と仰っていた。3000メートルでも全然寒くはなかった。

頂上の金の十字架 素晴らしい眺めでしょう
湖も見えました これは確かバスの中から撮ったと思います
雪が一杯、展望台の一か所に雪を積んでありました。雪を投げ合っていました 雪の上を歩いている人もいました

12日目  午前中は自由行動、私は疲れていたので部屋にいた。
ミュンヘン発15時45分機上時間11時間半、帰国の途に就いた。

13日目  午前10時15分無事日本に帰って来ました。

団長のW牧師先生、グループリーダーをもして下さった3人の牧師先生他同行の皆様大変お世話になりました。この老人が大したご迷惑も掛けず元気に長旅を終える事が出来ました事心から感謝致します。有難うございました。

有意義な旅でありたのしくもありましたが、寒いから厚めのものを持って行く様指示されていたにも関わらず、以外に暑く着るものに苦労したりもしました。受難劇を観る事が出来幸せでした。今回行かなければ私はもう決して観る事は出来なかったであろうと思うと尚更有難かったと思っています。

この旅行記を早く終え様と思っていましたが中々捗らず、今日は絶対終わらせようと一日中パソコンの前に座って過ごしました。処が写真がうまく入らなかったり不具合があったり、投稿を忘れて消えてしまい何回もやりなおしたり、途中娘に何回電話をしようと思った事でしょう。でも自分一人であ~やったり、こうやったりして直り投稿する事が出来ました。これは大きな喜びでした。
この歳でこんな長旅では心身共に草臥れたと言うのが正直な気持ちです。
でも又一年置いてこの様な旅の計画があるようです。私はその年米寿なので記念に是非行きたいと意思表示しています。今回の事にはめげずに・・・

長い旅行記になりましたがお読みいただけたら嬉しく思います。
花の写真も多く撮りましたので近々花だけを載せる積りでいます。

 

 

 

 


フィンランド&ドイツの旅 (2)

2010-07-30 09:29:10 | 

  

4日目  同室の方のお目覚めが私から見ると非常に早い。この日だけはお付き合いして4時に起き、ロッジから直ぐの海を見に行った。フィンランドは現在夜12時過ぎに陽が沈み、朝3時には陽が昇るそうだ。確かこの写真は5時頃だったと思う。
地図で見るとボスニア湾と書いてあった。清々しい素晴らしい眺めであった。右の方はこの度の団長W牧師である。遠く海を見ながら何を考えていらっしゃったのだろうか?

大会行事一日目であった。各地方から集まった1万4500の人々で壮観であった。広い敷地内のメイン会場の回りではマイクで聞いている人が沢山いた。私達はメイン会場の白樺の木の木陰に陣取って沢山の牧師さんのお話を聞いたり,その間には舞台で行われる行事を見たり聞いたりした。私共も舞台に上がってW牧師が吹かれるトランペットと一緒に讃美歌を歌ったりもした。
会場の椅子は長~い細い板を置いたものだけ、長時間おしりの痛さ、腰の痛さに耐えた。とうとう溜まりかね会場から離れ、遠い芝生の上に寝転んで、同行者の中の按摩のお上手な方に揉んで貰ったりし楽になった一幕もあった。
交流会の一日目はこうして無事終わった。

此の夜も夕べと同じロッジであった。

5日目  前にも書いたが、この朝移動の為トランクを数段持ちこたえられなくて転倒し唇に軽い怪我をした私であった。
大会最後の日多くの人が三々五々会場目指して集まって来た。フィンランドではルーテル教会派の人々が人口の80%を占めているそうだ。
一人一人に聖餐式も行われ、最後には両国の主だった方が壇上でセレモニーを行い、我が市ヶ谷教会のI氏が素晴らしいスピーチをなさった。
この大会を通して自分自身のクリスチャンとしての有り様も考えさせられたし、フィンランドと日本が更に友好を深める事が出来る様にと願った。
午前中で全てが終り、次に行くアータリに向かい3時間半のバス移動が始まった。

6日目  私の大好きな動物見学

狼が沢山いました。精悍です 愛嬌のある熊です
雉でしょうか 鶴が抱卵しているのでしょうか?

猛獣はいなかったし、動物の数も少なかったけれど広々した園内を愉しく歩き回った。「疲れたら近道はありますよ」との説明はあったけれど、暑い中全員が共に行動する事が出来嬉しい心温まる半日であった。

トゥルクへ向かう途中の湖、水は真っ青でした。4時間のバス移動。

7日目  トゥルク市内観光。

トゥルク大聖堂、ルーテル派の教会 聖堂内に飾れた絵

内部は荘厳で素晴らしい教会だった。
方々見て回ったが、写真と照らし合わせても分からないし、説明されても忘れてしまう。皆について行くだけでも大変なのだから、間違った事を書いてもいけないしもう今回はここまでにしょう。
ヘルシンキに戻って来たその晩の夕食はある方のお庭で美味しく頂いた。その時日本側からはSさんご夫妻が素晴らしいお声で歌われたし、フッテネン先生も美しいお声で歌って下さった。
最初のホテル然も同じ部屋に泊る事が出来た。

あと1回で旅のご報告は終りにする積りです。


フィンランド&ドイツの旅 (1)

2010-07-24 09:38:55 | 旅行

6月30日~7月12日までの旅のご報告をしたいと思います。

一日目  総勢30人(教会関係)が成田を飛び立ったのは30日午後12時25分。       帰国の日には用事があって迎えに来られないからと娘二人が見送りに来てくれた。歳老いた母親を一人で旅立たせる不安な気持ちからであろう、主だった方に「母をよろしくお願いします」と挨拶してくれていた。有難い思い一杯で手を振って別れた。

ミュンヘン空港を経てヘルシンキ空港に着いたのは約14時間後の夜の11時であった。日本だったら真っ暗である、ここフィンランドは真昼の明るさ、まさに白夜の国である事を先ず実感した。



今回の旅は「日本・フィンランド交換宣教ツアー」と題して、約110年前フィンランドの宣教師が日本を訪れ宣教をしたのが始まりで、その後両国間で交換宣教が今日まで続けられ、今回の交流ツアーが実現したものであった。空港に降り立ったらフィンランドの関係の方々が、両国の旗を振り歌って下さったりして出迎えてくださった。
左から3人目のご婦人はヘルシンキ滞在中、お上手な日本語で大変お世話下さった方である。

二日目  終日ヘルシンキ市内観光。

朝食後、ホテルから歩いて朝市を見に行く。色とりどりの新鮮そうな野菜が多く並んでいる。一番目に付いたのはグリンピース、豆が生のまま食べられると言うので食べて見た。なるほどそんなに青臭くなく食べられるが、やはり豆ご飯にして食べたいなと思った。何軒もの店に山の様に積んである。食料品・衣類・装飾品・花等々沢山の店を見て回った。
その後はバスで教会・ヘルシンキ大聖堂・シベリュウス公園等を見て回る。

  

     大聖堂            岩の教会(聖壇)       作曲家シベリュースの像

方々見終わって最後の夕食は、お世話下さったご婦人のご自宅に招かれてのバーベキュー。日本語が皆さんお上手で、ご家族中でご用意下さったバーベキューを美味しく頂いた。歌を歌って下さったりギターを引いて下さったり皆で輪投げをして遊んだり本当に愉しい一夜を過ごさせて頂いた。
この晩もヘルシンキ泊りであった。

三日目  この日は交流行事大会実施の場所への移動日。バスにて7時間(距離550KM)を北に向かって只管走った。湖と森の都と言われる通り、バスの中からいくつもの綺麗な湖を見る事が出来たし、私の大好きな白樺の木を至る所で見ることができた。日本では山の方に行かなければ滅多に見る事の出来ない白樺、この国では普通の家庭の庭にも、街道の両脇にも連なり一番感動した事であった。白樺の木は国樹であるそうだ。ちなみに国花は「すずらん」だと。白樺の他に赤松が多く松茸が取れるそうだ。
7時間のバス乗車は腰が痛くなり難儀だった。感動したり、難儀だった移動を終えオータカリと言う地に着いた。

 バスの中から飽くことなく眺めた森と湖の一つ

この夜はホテルではなく、ロッジであった。比較的お若い方達は小さいロッジにお二人で泊られる。トイレは外に出なければないと言う。多分辛かったであろう。老人組は一寸とましな部屋でトイレも付いていた。それも二通りあってトイレ・洗面所が共通の部屋もあったようだ。旅のいい思い出となった事であろう。

  

  上の写真の様なロッジで、私が泊った処はもっと大きい良い建物でした。

3日間は終わりましたが、続きは又後日ご報告したいと思っています。

 


未だ眩暈が治りません!

2010-07-18 16:59:48 | 

ジャングルの中にコンロンカが咲いているのを見つけました 去年のこぼれ種から咲きました 次女の誕生日会、ピースしているのが次女です

帰国後約一週間たったが帰宅の夜頃から始まっためまいが未だ続いている。その間17日に次女夫婦が来る事になっており、昼間長女も一緒に何処かに行く予定だったが、流石この体での外出は無理と「家に来てよ、二日遅れのKちゃんの誕生会をしょうよ」と言う事に決まった。お赤飯だけは二人に来る途中買って来て貰い後は私が作り二人のが来るのを待った。親娘3人昼食での次女の誕生会、外出先でも家でも常に和気あいあの愉しい時を持つ事の出来る幸せを有難く思う。

「旅の写真を見せてよ」との要望によりここで帰国後始めてパソコンに入力し日にち別にホルダーを作り(殆ど次女がやってくれた)スライド式にして800枚近くを見る事が出来た。
長女は夕方帰り、二人で夕食を済ませ婿さんの帰りを待った。10時頃到着した婿さんに「お母さん少し痩せられましたね」と言われた。長旅で心身共に疲れもしたし、唇の怪我で食事も充分摂れなかったし(と言っても空腹ではなかった)旅に出れば必ず太って帰って来るのが当たり前、私も太る事を気にしていたが傷のお陰でと言うか体重は全然変わっていなかった。
暫く3人で話しあい床に就いた

前日はそれほどの眩暈ではなかったのでもうこれで治るかと思っていたのだが、夜中何回も目覚めその都度眩暈が治るどころか、最近起きなくなっていたぐるぐる回る状態になったので明日耳鼻科に行こうと決めやっと朝方眠りに入った。目が覚めたら何と10時になっているではないか!寝室の戸をとんとん叩き「お母さん大丈夫?」との次女の声、「ごめん、ごめん」と急いで支度し起き出て行ったら食卓には朝食が既に出来上がって並べられていた。洗濯もしてくれて、庭の草取りも1時間くらいしてくれたとの事。いつでも何を言わなくても気を利かして何でもしてくれる娘には頭が下がる。本当に有難い。

早速遅い朝食を摂り次女夫婦が帰った後直ぐタクシーを呼び耳鼻科に行った。土曜びは午前中の診察であるから、患者さんで一杯。1時間半くらい待って診て頂いた。「目が回っていますね~」とそして「今回は耳石が定位置に戻り難い場所に出てしまっているので一寸掛かるかもしれません、でもこれでどうってことないから暫く静かにしていて下さい」との事であつた。何時もなら治って電車で帰れるのだがまだふらつくし危ないからタクシーを呼んで貰い帰って来た。

庭の手入れもしたいし、その他やりたい事は沢山あり気にはなるけれど、長旅の疲れをとりなさいよという啓示と受け止めてすっかり治るまで静かにしていようと思っている。

本題の旅行記はもう一寸先の事になりそうです。


13日間の旅を終えて!

2010-07-14 14:40:06 | 

  

旅行中家の庭の状態が気になっていた。2週間足らずの間に草はぼうぼう、全ての植物は伸び放題、まさにジャングル状態になっていた。グラジオラスはこれだけがシャンと咲いており後は既に咲き終わっていたし、百合はこの一本に8つぐらいの蕾が膨らんでいたが、かろうじてこの一輪だけが咲き残り後は全部咲き終わっていた。素敵な写真を撮り損ね残念至極である。

13日間の長旅を終え一昨日無事帰国しました。神様に守られ同行の皆様の温かいお助けを受けてこの年寄りが元気に帰国出来た事を心から感謝しております。

先ず旅の最初からをご報告するべきであるが、まだ沢山撮った写真をPCに入れていなし、逆に成田着から今日までを一応ご報告したいと思い半月ぶりにパソコンの前に座った。
同行中最年長者であった私故、具合でも悪くなってご迷惑を掛ける事になってはと心配であったけれど、めまいも起こさず全てを皆さんとご一緒に行動出来た事は何よりの感謝であった。(只4日目の朝ロッジ風の宿を出る際重いトランクを持ち2・3段降りる際転んで唇に怪我をし口の中も一寸切れたらしく大した事は無かったけれど時が経つと共に唇が腫れ、皆さんにお気遣頂いた事が申し訳なくも、とても嬉しかった。食事が一寸辛かったけれど帰る頃にはすっかり治っていた)

成田に着いたら迎えには来られないと言っていた次女が来ていてくれ、その姿を見た時は本当に嬉しかった。特にお世話になった方々にお礼を言ってくれるよう頼み、私も皆さんと和気あいあいくさぐさのお別れをしあいこの旅を終えた。
成田から東京駅までスカイライナーに乗り旅行中の愉しかった事、一寸辛かった事なども話しながら1時間はアッと言う間に過ぎた。成田で同じ列車に乗られたSご夫妻とお別れの挨拶を交わしたが、東京駅で又お会いし再び最後のお別れをして昼食を食べる為食堂に入った。おにぎり・味噌汁・卵焼き・茄子の上にそぼろ肉味噌、久し振りの日本料理何と美味しかった事か。日本のお米の美味しさを実感した。
娘は家まで送ってくれた。1時間位いてくれただろうか、2時半には浜松に向かって帰って行った。遠い処から年老いた母親を心配して送り迎えしてくれる娘達に心から感謝している。その他の子供達も電話で無事帰国を喜んでくれた。

常の如く飛行中は絶対眠る事の出来ない私、次女が帰ってから3時間ぐっすり眠った。(夕方6時宅急便でトランクが届くまで)直ちにトランクを開け様としたがどうしても開かない。(このトランクは夫と共に海外旅行した最初の約50年位前に買ったもの、夫が91歳の時フランス旅行で旅行会社の取り扱いの乱暴さで開かなくなり無理やりこじ開けて、帰国時には全く閉まらなくなり、ホテルの方がテープでぐるぐるまきにしてくれ持ち帰った経験を持つ代物、航空会社で無料で修繕してくれその後も私が使い続けていたが、今回は一寸不安な状態にあった。旅の最後に閉める時片方がどうしてもしまらなく四苦八苦してどうにか閉った物だった)
家に届いたのは良いが私の力では開ける事が出来なくなってしまったのだ。誰かに頼もうと考えた末、三女に電話した。まず帰りましたの挨拶をしてから「トランクが開かないのよ~どーしょう」って言ったら」「行ってあげるわよ」と有難いお言葉、「ついでにインコ持って来てね」って虫のいいお願いをした。(旅行中預かって貰っていたので)

暫く振りの可愛いインコを持った孫娘と三女が来てくれたのは夜9時頃だった。助っ人が来てくれただけで私の心は楽になった。娘もあれやこれと挑戦していたが不思議や暫くしてパカッと開いた。「どうやったら開いたの?」って聞いたら「私にも分からない!」との事。「有難う!!助かった、もうこれ今後絶対使わないから開けばそれでいいの」とは私の言い草。三女さん本当に有難う、感謝感謝です。

大したお土産ではないけれど、喜んでくれた。
帰国第1日目の出来事でした。

帰国2日目  夕べはトランク事件があった為早くは就寝出来ず12時を過ぎた。眠りが足りない為起きたのは10時。トランクは通常では直ぐ整理してしまう私だが今回はそのまま散らかしっぱなし、旅行中は全然起きなかった軽いめまいを感じ整理する気も起きずソファーでごろごろして午後中過ごす。夕食を終えたら俄然片づける気が起き40分位で全てを定位置に戻し部屋は綺麗になってしまった。
帰国したその夜は旅行中シャワーだけだったり、体を拭くだけ、湯を入れても私の大嫌いなあの長い浴槽、浮きそうだったり、滑りそうだったり、入るのに足を苦労して上げ下ろししなければならなかったり、満足度を得られなかった入浴だったので、久し振りにゆったり浸かり石鹸を使って全身を磨きあげ風呂に入ったと言う爽快感を味わう事が出来た。お風呂も日本が一番好ましいと思った。

今日からは通常通り7時半起床。庭仕事でもしようかなと思ったが眩暈がまだ本復していない。洗濯はしたが後はこれといった仕事もせず、午後になってようやく面白くもない帰国後の事を書いたに過ぎなかった。
明日からぼちぼち旅行記(大それたものではありませんが、又写真の取捨選択が中々困難でありますが)をご報告させて頂こうかと思っている。

眩暈は緊張感の度合いに依るものかと今回は一寸思ったりした。今迄旅行先で起きた事はなかったので。今回は相当な緊張感を感じつつ旅をこなしたから、その緊張感が解けて起きたものと私は勝手に思っている。