一昨日と昨日2日間に亘って久し振りの雨。枯れる寸前にあった庭の植物にとっては恵みの雨だった。その雨も驟雨のようなざ~っと来ては止み又暫くするとざ~っと来る変な降り方であった。なにはともあれあの残暑がこの雨で一息ついたようである。
夕べはその雨を気にしながら夕刻から「六本木ヒルズ サロンコンサート2012 藤原真理 チェロ・リサイタル」を聴きに行って来た。長男が誘ってくれた久し振りの音楽会であった。100人位の聴衆、演奏者を目の前にしてチェロの素敵な演奏を心行くまで味わった。往きがけに一寸降られたけれ土砂降りにもあわず長男と愉しい時間を過ごす事が出来た。
今日昼一寸前に三重県に住んでいる姪(兄の長女)から突然「私今東京に来ているんだけれどこれから行ってもいい~」との電話が入った。「どうぞどうぞ大歓迎よ」って返事し待つ事1時間。今年3月末に姉達と三重に行った時一寸会った時以来であったが、ひょろっと背が高く痩せてはいるけれど元気そうな懐かしい姪の姿を目にして嬉しかった。「如何して東京に出て来たの?」と聞いたら「母親の誕生日なので会いに来たんだけど家のベルを鳴らしても返事がなく、何時も持っている鍵を忘れてしまい、何としても入ることができなかったの」「お母さんは家の中にいたんでしょ~」って聞いたら「いたんだけど母親は耳が凄く悪くてベルなんか聞こえないのよ~諦めて叔母さんに会って行こうと思った訳」と言う事だった。
私の結婚前一緒に住んでいた頃、まだ幼なかった姪と私はとても仲良しだった。何時も手をつないで買い物などに行ったものであった。「私叔母さんが大好きだったの」と言っていた。もう60歳近くなる姪だけれど、大好きな叔母さんに会いに来てくれるなんてこんな嬉しい事はない。1時から4時半頃まで普通では話せない様な苦労話を全て吐露してくれた。早くに夫に死に別れ幼ない4人の子供を女手一つで立派に育て上げた偉い姪だと言う事は知っていたけれど、その苦労が並大抵ではなかった事を知った「人間生きるって言う事は本当に大変な事なのよね~」と二人はしみじみ語り合った。
帰りしなに、「叔母さんと話して元気が湧いたし、頑張ろうって思えたわ~」と言ってくれた。「これから必ずいい事があるからね~」って励ました。
叔母と姪の懐かしさ溢れる半日であった。
お耳の遠い母上様、せっかくのご上京なのに何か連絡を取る方法はないのでしょうか。
三重から折角上京なさったのに・・・
でも、思いがけず大好きな叔母様と心ゆくまでおしゃべり出来て、神様のお計らいかしら?
それにしても、ご親戚の多いこと!その方々が皆八十路さんを慕っていらっしゃる、これは素晴らしいことですね!
この三日にわか雨に恵まれて?お庭の草木大喜びでしょう!
ブログを読んだ皆さんが気になって 気になって
今夜は眠れそうにない・・・かもぉ~~
扉の向こうに お母様がいらっしゃるのに 逢えなかった って!
どうなの? どうなの? つづき・・はどうなったの??
会う方法はあったと思いますけれど、本人の気持ち次第ですから、私からは何も言いませんでした。
個性のある立派な大人に育ってくれたようです。でもその過程には様々な苦労があった様です。子は親の思う様にはゆきませんね。
T家が35人もいるのに、その上親類も多いんです。甥・姪だけでも18人(内二人は故人)たまにですけれど慕ってくれる事は嬉しい事です。
やっと雨が降りましたね~ 草木にとっては恵みの雨、喜んだ事でしょう。ハラハラしていた私にとっても嬉しい雨でした。朝・夕は秋を感じますね~
ipad頑張りましょうね。
つづきはどうなったの?って つづきはないんです。私と思いっきり話しをしてそのまま三重に帰って行ってしまいました。
小さい時からの姪の思いを知った私は、敢えて母親を再び訪れる様にとは言えませんでした。
晴れ晴れとした顔で「叔母さんに会えて良かった~これから元気で頑張れそう!」って言って帰って行きました。
人夫々の思いは他人には中々計り知る事は出来ませんね。口に出して始めて知る事が出来るんだと、姪と話しながらつくづく感じました。
私の子供等だったらきっとガラスを割ってでも入って来るんじゃなかろうかと思いましたけれど!! うのぼれ過ぎかな?
お借りした<八十年のあゆみ>が手元にあり、お医者様だったお兄様の娘さんだと思いました。
お母様には逢えなかったけど、お父様の妹さんに逢えてご満足されたのですね。
お母様のお誕生日をお祝いにと・・・
お優しい方ですね。
お気持ちを汲み取っていただき、お気持ちが軽くなられたでしょう。
殊に仲良しだったこの姪とは50年位交流が絶えていましたが、この2年ばかりたまに会うようになり昔懐かしく二人で話し合う事が愉しいです。
苦労を聞いて貰うだけで気持が楽になるのでしょうね。晴れ晴れとした顔つきで帰って行きました。愛しい姪です。