老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

ピアノ演奏に真剣なご老人方と共に!

2011-04-30 10:21:17 | 

クジャクサボテン 屋根まで這い上がって咲いたジャスミン 小さな紫色が綺麗な花です
一本の木に3色の花が咲くつつじです。この他に白があります 花の名前は?です 木蓮の木
チューリップとハナニラ 水仙とハナニラ スノーフレークとハナニラ

毎年この時期に催される、長男が教えて頂いている先生の生徒さん達に依るピアノ発表会に今年も行った。
もう何回行っただろうか?一昨年までは老いも若きも一緒だったけれど、去年からは子供達は1時から、大人の部は3時半頃からと分けて行う様になった。
長男は中学の校長を定年退職してから習い始めたので、かれこれ7・8年位になるだろうか。若い女性が二人いるが他は初老又は80歳前後の見知った方ばかりであった。老いてから挑戦なさっている方々、途中で間違えたりはなさるけれどその真剣な態度には敬服する。皆さん年毎にお上手になられその意欲が感じられ微笑ましくも各人の努力に拍手を惜しまなかった。私も夫が亡くなってからでもやればよかったかなと思ったりしたが、何分この歳だし手の指も老化して相当曲がっているし、一番問題なのは一人で勝手にやる分には差し支えないが、習うと言う緊張感等で血圧が上がったり気分が悪くなる恐れがあるのでもう無理であろう。(PC教室でも夢中になったが為に何回か精神安定剤を飲んだ事がある故に)音楽は聞く事に専念したい。
長男はピアノ演奏の他に歌も2曲歌った。昔から上手だとは思っていたが、バスにより近いバリトンの歌唱力は大したものだった。
休憩時間に美味しいケーキとコーヒーを頂き、最後に全員でトーンチャイムの演奏があり、先生の素晴らしい演奏もあり、先生の小さいお嬢さんの愛嬌もありで家庭的な雰囲気の中愉しいひと時を過ごす事が出来た。ちなみに先生のご主人様が撮影係として奥様に協力していらっしゃるお姿も微笑ましく羨ましい光景であった。
この会場は府中にある「東京競馬場正門駅」から歩いて5分ほどの処にある「アダージョ」と言う3.40人が入れる音楽のイベント等が行える小さい会場なのだが、庭には綺麗な花々が沢山植わっていて心和める場所でもある。プロの音楽会もいいけれど、未熟な人達が一年間の成果を発表するこの様な場も大切であり、大きな励ましにもなり得る貴重な催しであると思う。

会の後、長女・次男・長男夫婦・と私の5人で調布駅のパルコで夕食を共にした。何かある度にこうして気軽に出掛けてくれる親族の集まりは心温まるものであり、私にとって癒しのひと時である事を感謝したい。

 


インコの番がオス同志だった!道理で・・・

2011-04-26 16:58:19 | 

シャクナゲ シラユキゲシ 真っ赤なチューリップ
水仙がまだ咲いています 白の山吹 黄色の山吹
今年始めて咲いた2種類目の椿です フリージア ツツジ

去年の8月インコの番を飼った。子供を孵して手乗りにしたかった。成鳥を買ったので当然産卵するものと用意万端整え待つけれど一向にその気配が見られない。冬は寒いからと巣箱を取り除き、春が来たからもういいだろうと入れて待つけれどさっぱり駄目。購入した店に行き状況を話したら「相性が悪いんでしょう、その内によくなるかもしれません」と言われた事があった。人間だって相性というものがあるからな~と!気長に待つより他ないかと思っていた。二羽の様子を見ているとメスである筈の方が気が強くオスは時々やられて血を出している。動作からどうも両方共オスなのではないかと思い始めた。私は市ケ谷の教会員であるが、たまに蒲田の教会に行く事がある。そう言えばその教会の近くの小鳥やさんに入って家のインコの状態を話した事がある。其処のおじさんは「一度持っていらっしゃい、もしかしたら両方ともオスかもしれませんよ」と言っていたっけ。そうだ行かなくちゃと思い立ち今朝車に籠ごと乗せ持って行った。
お店の直ぐ近くの駐車場に車を止めようと思ったら一番奥が一つだけ空いていたが狭くて私の腕では到底無理、急ぎ飛び降りお店の方に助けを求めた。快く来て下さり一発で入れて下さった。バック・駐車の大嫌いな私、やはりこういう破目になったのだ。
結構大きな鳥籠もお店まで持ち運んで下さった。一目見て「奥さん、これオスですよ」と。あ~やっぱり卵を産まない訳だわ~と納得。「購入した店に抗議しなさいよ」と言われたけれどもう面倒だし、このお店に沢山成鳥のメスが置いてあり気に入ったのがいたので買う事にした。一寸紫がかった青色のメス、これとメスと思っていた黄色のインコを番とすることになった。さてもともとの青色のオスの処置をどうしょうと思ったが、買い取ってはくれないし、「しょうちゃん」と言う夫の名前が付いているので捨て難いし、虐げられて現在一寸弱くなっているので、小さめの籠を買い一緒に世話する事になった。一羽増えてますます賑やかになる事だろう。今度こそ二世誕生を愉しみに待ち望んでいる。
 


どうして私が招かれたの!

2011-04-24 15:39:44 | 

散り終えた庭の枝垂れ桜です ソメイヨシノ 
一寸風変わりな水仙です わびすけと言う椿です クジャクサボテン

暫く振りの庭の花、桜は散ったけれど春爛漫です。

昨日親戚の結婚式に行って来た。新婦は私の夫の母の姪の息子の娘である。私との関係は何と言えば良いのだろう。「何故私が招かれたの?」と疑問に思っていた。親族紹介の時どの様に言われるのかな~って!「この人の義母さんが私の母親の叔母で私達は昔とてもお世話になったのです」と紹介された。そう言えば私がまだ夫と結婚する前、義母が姪である一家の難儀を助け以後その姪が歳老いても良く我が家を訪れていたのだったし、その子供達もT家のおばあちゃん、おばあちゃんと親しんで尊敬していた。おばあちゃんの徳が今回の私への招待の原因だったとは!!私は何にもしていないが、今は故人の義母・夫の代わりに私がその恩恵を頂き有難く婚儀に列席させて貰ったのであった。

式場は何と私に縁のある自由学園の目白にある明日館と言う場所。何故此処を選んだのかと聞いたら、新婦が建築関係の仕事をしていて、有名な建築家のライト氏が90年前建てたこの建物に興味を持ち、是非此処で式を挙げたいとの切なる願いからであったと言う。10年ほど前基本はそのままに修復工事がなされ綺麗にはなっているが、至る所に昔のままの様子が見られ、とても懐かしかった。93歳の姉は此処が学校であった頃勉学した場所である。小学校はひばりが丘(南沢)に建っていたので私は目白に通った事はない。姉が卒業する頃には全部が南沢に移り目白の校舎は明日館として工芸研究所や幼児生活団・消費組合として活動している。最近では結婚式場としても活用されているようだ。

さて肝心の結婚式は私が今迄経験した事のない全く異なる簡素なものだった。式は昔全校で集まる時や朝の礼拝で使用した講堂で行われた。牧師・神主のいない親族・その他親しい方々全員が 一堂に会する中、新郎新婦の入場、二人は会衆の方を向き、司会者に依り誓いの言葉・指輪の交換・新郎が新婦のベールを上げて額にキスをし、参列者全員承認の元、証認書に署名し目出度く夫婦となったのだ。普通の結婚式では拍手は全くなしであるが、一つの行事が終わる度に拍手が湧く。新郎が指輪を落として仕舞い笑いが起こったり、和やかで暖かい結婚式であった。こんな結婚式もありなんだ!中々いいな~と思ったものであった。

次は昔学生が昼食をしていた食堂で披露宴が始まった。この披露宴は一般と大して変わった事はなかったけれど、家庭的な雰囲気の中で、新郎新婦の人となりを充分に知る事が出来る素晴らしい会であった。
これからが二人の本番、終生仲良く家族円満で良い家庭を築いて欲しいものと願った。

この家族とは夫が亡くなって以来6年間会う事もなく、始めは躊躇気味であった私もすっかり溶け込み、皆と話し合う事が出来愉しい一日を過ごさせて貰い嬉しかった。唯一日中雨降りでそれだけが一寸残念だったけれど!!


秦野の桜

2011-04-15 13:48:43 | 

秦野の家に向かう途中の2キロメートルに及ぶ桜並木は素晴らしく、車一杯に桜吹雪を浴びて走った。

今泉名水桜公園にて
  鴨が泳いでいました 

小さい公園だけれど桜はまだ綺麗に咲いていた。

戸川公園(1)
ゆきやなぎ 風の吊橋です 桃の木
枝垂れ桜 おきなぐさ たんぽぽ

ここ戸川公園には去年、天皇・皇后両陛下が来られ市を上げてお迎えしたと聞いている。
公園は家から車で10分程の処にあり、風の吊り橋の下を流れる水無川を挟んで西側と東側に高低差のある広い公園であり、桜は余りないが種々の草花や桃の木など多種の植物が植わっていて、空気も良くゆっくり愉しんだ。

白泉寺にて
枝垂れ桜 ソメイヨシノ 桃の花

白泉寺は戸川公園の近くに建っている。此処の枝垂れ桜は100年経っていて見事である。もう何回も来ているが、約15年程前になるだろうか! 小さな苗木を買い求め西荻の家の庭に植えた。それが今では2階の屋根よりも高く成長し毎年楽しんでいる。

戸川公園(2)
   
一面の菜の花 枝垂れ桜 戸川公園全景 

前日は戸川公園の東側に長女と二人で行ったが、次の日は西側にチューリップ沢山咲いていると聞き「見たい 」との私の願いを聞き入れてくれ婿さんと3人で出掛けた。沢山のチューリップが咲いていて素晴らしかったし、一面黄色い菜の花で覆われた場所も見事であった。    (枝垂れ桜ではなく桃の木です)

13~15日、3月は大震災等で行く気になれなかったが、50日振りに秦野に行って来た。一寸遅かったので桜は断念していたが、満開を過ぎてはいたけれど結構愉しめた。やはり秦野の桜は一見の価値があると実感する。
東京でも頻繁に余震があったので、車で途中もし動けなくなる状況を想定し、食べ物・水・防寒具等をしっかり携帯して出掛けたが、何事も起きず幸いであったし、滞在中一度も地震を感じる事なく昨夜帰宅した。
被災者の方々には申し訳ない思いではあったが、家事を一切せずのんびり愉しく過ごした3日間であった。



 
 


小金井公園の桜

2011-04-12 11:43:44 | 

  
  
  
寒彼岸桜だそうです 

一週間経ったら来なさいと言われていたので、花粉症の採血の結果を聞きに耳鼻科に行って来た。花粉症には様々な抗原があるようで私のはスギによる花粉症であると。スギ花粉は5月まであるので点鼻薬と2週間分の飲み薬を貰って来た。症状は皆無と言ってよい程なのでこれで耳鼻科ともお別れ、眩暈が起きない事を祈るのみである。

その足で小金井公園の桜を見て来た。30年前程前この公園の桜を見た事があり、枝が地に着かんばかりの素晴らしさを忘れる事がなかった。夫の送り迎えで6年前まで毎日五日市街道の公園の傍を通っていたにもかかわらず、一度も入園した事がなかった。小金井の駅から始めてバスで行ったのだが、「このバスだ」と確信して乗った筈なのにどうも方向が違う事に気遣き、運転手さんに聞いたら「小金井公園には行きませんよ、次で降りて反対方向のバスに乗り戻るしかありませんね」と言われてしまった。何たる事反対方向に乗ってしまったのだ。大分時間のロスをして目的地に無事到着。1時近くなっていてお腹もすいて来たので中に入ったら何か食べようと思っていたのに売店らしきものが見当たらない、仕方なくシートを敷いてご飯を食べている沢山の見物客の間を歩き回って写真を撮りまくった。ほぼ一番奥南門で五日市街道から入り駐車場のある辺りまで行った時、ようやく売店があった。品切れが多く小さな醤油味の焼きおにぎり2個と私の大好きなソフトクアイスクリームを口に入れる事が出来、水もたっぷり飲んで体力を回復し再び入った西門へ向かって歩き始めた。
桜は開花真っ盛りを過ぎ、風の吹く中を花吹雪を体一杯に受けながらの中々の風情を味わった。次女の上京が殆どなくなり一緒に出掛ける事が出来なくなった今、こうして失敗をしながらも、今後一人での外出が多くなる事と思う。
井の頭公園は池を中心に枝垂れた桜が素敵であったが、小金井公園の桜も木の多さ美しさは前者におとらぬ見事さであった。
久々に近場での桜見物の満足度100%と言ってよいかと思っている。  


井の頭公園の桜

2011-04-09 19:16:19 | 

  
  
  

秦野の桜を見に行きたかったけれど、都合が一致せず来週の水曜日でなければ行かれない。もうその頃は盛りを過ぎているだろうし、近場で一人で見に行こうと決めた。今日だけしか都合のよい日はなく雨模様ではあったが出掛けた。
井の頭公園がある吉祥寺は西荻窪の隣である。午後には雨との予報だったので一刻も早くと9時には家を出た。井の頭公園の桜を見るのは始めて、池を中心にして両側に素晴らしい桜が沢山咲いていた。今、正に満開であった。何時もは娘達とおしゃべりしながら立ちどまったりしながらゆっくり歩くのだが、今日は一人、只管カメラを向けながら唯もくもくと見事な桜を足早に見て回った。ほんの小雨が降って来たが傘もささず池を一回り、約1時間余歩いた。
「被災地の人々にこんな綺麗な桜を見せてあげたいな~どんなにか心が癒される事だろう」と思ったりしながら!!

外出ついでに延び延びになっていた美容院に寄った。其処の女性店長さんのお母様が避難先でショック死をなさり、お姉さまご夫婦が行方不明との事「母は91歳だったから諦めも付くけれど姉を思うと辛い」と話された。この方の様な思いをなさっている人がどんなにか多い事だろう。義捐金から一人35万円程支給される様だが、一切を失った方々にとっては雀の涙でしかないであろう。現在は全て援助に寄って困難に耐えておられるだろうけれど、矢張り将来は自らが立ち上がって復興に向かわなくてはならないのだと思うと心が切なくなる。東北人は辛抱強いと聞いているがその心で何時か本当に笑える時が皆さんの上に来ます様にと祈っている。

 

 


始めての花粉症に!

2011-04-06 19:00:19 | 

去年から咲いている椿、今満開です 水仙もあちらこちらに咲いています ゆきやなぎです。しな垂れて咲いて欲しいのに! 

「自分は絶対花粉症には掛からない」と自負していたのに、その思いは無残にも砕かれてしまった。始めての花粉症、始め風邪かなと思っていたが、咳も出ず喉も痛くない、勿論熱もない。おかしいな~と思っている内に鼻がむずむず痒くてならない、くしゃみも出始め喉の奥が痒い、耳の中まで痒くなってどうにもたまらない。ある方に症状を話したら「それは絶対花粉症よ、私も同じだから!」と言われてしまった。マスクを殆どした事のない私、仕方なくマスク着用を決意。マスクをするとその蒸気でか喉の痒みは楽になるので夜寝る時も着用していた。
一昨日は定期の耳鼻科に行く日だった。眩暈は最近全然起こらず快調、先生も「大丈夫そうだから薬は止めましょう、又起こったらいらっしゃい」との有難いお言葉。夫が亡くなる前から通い始めたのだから7年目位になるだろうか!良くも通い続けたものと思わずにはいられない。花粉症の事は季節が来れば治るのだからと、言うつもりはなかったが、折角耳鼻科に来たのだからお聞きしてみようと症状をお話した。一応診察してから点鼻薬を左右二回づつ噴霧して下さり、花粉症の種類を知る為に血を採られる。噴霧を一日一回し夜寝る前に2種類の薬を飲む事になった。不思議~~や、診察室に入る前までは諸症状があったのに家に帰る途中頃から何の症状もなくなって来た。こんなにも早く効能が現れるものかとびっくり、今日で3日目だがあの辛さは何処えやら、もう唯々驚きの気分である。薬って有難いものと痛感している。
一週間経ったら採血の結果を聞きに行くのだが、これで耳鼻科ともお別れとなってくれることを切に願っている。

昨日はクラス委員の引き継ぎで国分寺の友達の家に行った。私は3月まで委員だったのでもう一人の方と引き継ぐ立場、引き継がれるもう一人の方は腰を痛めて欠席であった。久し振りにお会いするのだが話しはこの時期どうしても大災害の事になってしまう。皆の思いは同じである。お一人はもう米寿を迎えているし、後の二人も間もなく米寿を迎える年寄りだ。現地に飛んで行ってお手伝いしたい気持ちは山々だが、出来る訳もないし足手まといになるのが関の山。「私達はせめて人の厄介にならない様にしましょうね、節電など出来るだけの事をしてね」と言い合ったのであった。

国分寺には亡き夫の会社がある。私にとっては懐かしい思い出多き場所なのである。

 

 


我が身にも起こり得る災難!

2011-04-02 09:58:20 | 

庭は日に日に一面真っ白く彩られて行くハナニラです ボケが真っ赤に咲き始めました クリスマスローズが咲き揃いました

あっという間に4月を迎えた。桜の季節なのに朝夕はまだ寒い。家の桜は全開には程遠い。

災害に遭われた方々が過酷な苦労にもめげず前向きに復興に意欲を燃やしている姿をテレビで見るにつけ、私の瞳はうるみ、日本人の凄さを再確認し自分も勇気ずけられている。常に災害地の事を心に持ちつつ自分で出来得る限りの節電、節約そして祈りの日々である。

災難 93歳で一人住まいの姉が家の中でスカートを脱ごうとした時転倒し大腿骨骨折をしたのだ。一週間前に手術をしたそうなので一昨日見舞って来た。もう早リハビリに励んでいる様で捕まって歩けるようである。(私が小学3・4年の頃ブランコが倒れて大腿骨折し2カ月近くギブスで身動きも出来す寝たきりになった時リハビリなんてしなかったと思う。それでも直ぐ歩けたと思うのは若かったからだろうか) 姉はとても元気で3時間も話し続けてしまった。手術から二週間経ったら転院しなければならないと言う。今度はリハビリの病院で2・3カ月位はいられるそうで、多分その後は老人施設に入る事になるだろう。歳を取ると言う事は人に世話を掛けると言う事だし、限りなく寂しいものである。
私は施設には絶対入りたくないと思っている。今健康であるからそう思えるのであって、動けなくなれば私の意志は通用しない。子供等に全てを任せるより他はない。きっと最善をつくしてくれると思うし、その為にも子供等が困らない様身辺整理をしておこうとこの頃やりはじめている。
まだまだ生きる積りでは有るけれど、何時どんな災難に襲われるか分からないから!!

昨日は内科診察日であった。今年始めて花粉症に罹った他は異常なし。病気の事より何時も四方山話しの方が多いのである。この主治医さん4月から或老人ホームの主医師として勤められるとの事、河北病院には金曜日一日だけだそうで、私は続けて診て頂きたいとお願いした。「私は現在の外来で働きたいんですけどね、仕方ないや~」と仰っていた。話しの中で私が35年余主治医として診て頂いた先生が最近亡くなったと知り本当に悲しかった。東大の医学部で後輩であられた今の主治医さん「亡くなって寂しいですよ、素晴らしい先生だったのにね~」と述懐していらっしゃった。私の亡き兄もこのお二方の先輩であったのだ。

大震災で亡くなった私とは縁のない三万近くの方々の上を思うと辛い気持ちは大きい。然し身近の親しい人の死は一層に悲しく辛いものである。 全ての方のご冥福を心から祈ります。