老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

治ったと思ったのに~~~

2011-01-25 16:31:55 | 

載せる庭の花がありません。でもこの寒さにもめげず、クロッカス・チューリップ等地上に顔を出し始めています。後2カ月もすれば庭は一杯に彩られる事でしょう。希望を抱いて待ちましょう。

去年3月に購入したインコの番はとても仲が良いと思っていたら時々喧嘩もし、先日秦野から帰って見たらなんとオスが顔に怪我をしているではありませんか。血で赤くなっていました。びっくりしたけれど元気も良いし食欲もあるのでそにままにしておいたらもう殆ど傷は治った様です。多分気の強いメスにやられたのでしょう。
今年教室では動画を取り上げるそうなので、私はインコを題材にしようと思っています。

去年の9月から5カ月近く悩みの種であった眩暈が全然起こらず、こんなに長い間起きなかったのだからもう治ったのだと確信していたのに!この3・4日残念ながら起きてしまった。と言っても以前とは雲泥の差、ぐるぐる回ると言う事はなく、何となく周囲が揺れている感じ、これが回るのとは違って非常に嫌な感じなのだ。掛かっている耳鼻科が桜上水にあり、三女の家から割と近いので授業の日に行く事にしており、今週の金曜日を予定していたが、この気分が長引くのは嫌なので今日行って来た。
小さい耳石が一杯あって何かの拍子にその一つが飛び出し、三半規管の処に入り込んでしまうと眩暈が起こるのだそうだ。入った位置により直ぐ元の居場所に戻ることもあり、中々出にくい処に入れば何日も治らないのだ。「何が原因で飛び出すんですか?どうすれば起こらない様になるのですか?」と今日は喰い下がっていろいろ質問した。が結局これと言った納得ゆく答えを得る事は出来なかった。以前には「枕を高くしなさい、右を向いて寝なさい」と仰った筈なのに今日は「枕は普通で良い、右ばかり向いては駄目、あちこち首を回す様に」との事、一体どっちなの?と言いたくなる。「私の妻も眩暈持ちで今では自分で治していますよ」と仰るから「頭の何処を叩けばいいんですか?」とお聞きしたら「何処でもいいんです、振動を与えればいいんです」と。今迄トントンして頂いて治っていたので叩く場所が決まっているのだとばかり思い変な処を叩いて余計悪くしてはとの危惧があり、叩く事はしなかった。「何処でもいいのなら私もやってみよう、奥様の様に自分で治してしまおう」と今は意気込んでいるが、果たして治るだろうか!!でも挑戦する価値は大いにあると思うので頑張って見よう。


冬の富士山満喫!

2011-01-22 15:52:45 | 

山中湖から見た富士山 白鳥・鴨が沢山いました。白鳥は人を恐れず近くに行っても平気でした
お忍野八海と言って8つの小さい池があります。その内の一つ、昔の藁ぶきの家、風情を感じます 此処からも富士山が見えました
別の池です 榛の木と言います

今年始めて秦野に行って来た。
雪が降る気配が一寸でもあると決して秦野行きを決行しない私である。幸い天候続き帰って来るまで大丈夫そうなので出掛けた。2日間は只管家の中で縮こまってパソコンに向かうか、長女とおしゃべりするかで過ごした。秦野は東京より少し温度が低い。寒い寒いと何時も言う私の為に暖房機の温度を高めに設定してくれていた。

3日目私の希望により、山中湖に出掛けた。朝から快晴の予報であったのに反し、起きて見れば一面の雲「富士山は見られないかもね」と言い合いながら車を走らせた。東名御殿場インターを出て篭坂トンネルを出た途端天気はがらりと変わっており、空一面晴れ上がっていて富士山が真っ白に目の前に現れた時の嬉しさは言い様がなかった程の感動。婿さんが「トンネルを出たら天候変わっているかも」の言葉が的中「あ~来た甲斐があった~」と喜び合った。途中雪が降った形跡を見掛けたが、山中湖周辺は降らなかったらしく、凍って滑る心配もなく湖畔でゆっくり目の前の美しい富士山を満喫した。
秦野の家から山中湖まで一時間一寸で行ける。これは東京の家から秦野の家までの所要時間と同じくらい。秦野に来ていれば短時間で方々を見物出来るのが嬉しい。夫が居た頃から長女夫婦には至る所に連れて行って貰え感謝している。

山中湖を後にして、忍野八海と言う場所に行った。名前が夫々付いている八つの小さな池が散在し、趣のある素敵な池を見て回った。前にも来た事があるがその時は昔の藁ぶき屋根に雪が積もって素晴らしい景観であった事を思い出した。

今年も月に一回は秦野行きを決行する積りである。いろんな意味で楽しみにしている。私は何もせず上げ膳据え膳で楽をさせて貰うが、娘は大変なんだろうなと思う。でも「お母さん来てよ~」と言ってくれる娘を持った私は幸せ者だ。
夕べ10時過ぎに戻って来た。又暫くはだんまりの一人暮らしが続くのだが、これはこれで自由気儘勝手が出来て捨てたものではない。


家族との交わり!

2011-01-19 09:30:29 | 

9人目の曾孫、大分大きくなりました 次男との夕食献立

日曜日、三女と一緒に杉並区の実家で産後を過ごしている孫娘を見舞い赤ちゃんを見て来た。2350グラムで生まれたベビーは3000グラムとなっており、生まれて3日目に会った時は目も瞑っていたし、何と小さい!と思ったがもうしっかり目を開け並みの赤ん坊になっていた。子供の成長は速い!あっという間にチョコチョコ歩き回る曾孫を見る事が出来るだろう。
産後21日で床上げと言われている。暮の22日に産まれたのだからもう直21日になるが自分の家に帰るのはずーっと先の様だ。
私は次男、三女を生んだ時何故か実家で世話にはならずお手伝いさんを頼んだ。三女がお産をしたときは2回とも我が家で面倒を見たが、三女はひと月足らずで帰って行った。自分でも「お母さんの世話にばかりなってしまうから早く家に帰って自分で出来るようになりたい」と思ったそうだ。、多分私も「もう21日過ぎたんだから帰りなさい」と言ったかもしれない。大昔は産んだ日から働いたようだから!それが決して良い事だとは思わないけれど、自分の子は自分でしっかり育てる意気込みを持って欲しいものだと思う。
始めてのおじいちゃんおばあちゃんになった両親、初曾孫を授かった祖母さん、伯父さんになった孫息子、途中から婿さんも交えて賑やかな数時間を過ごした。

昨日は今年始めての内科診察日。この処一寸血圧が高めではあるが寒さの為であろうかと「薬はこのままで1カ月後に計ってみましょう」と仰った。診察よりお話しする時間の方が多かった。先生が喉頭がんの手術をなさった事、声が前の様に美声!でなくなったこと、今は元気だが何時再発するか分らない事等々を話された。「前よりお声が良くなりましたよ!」「それは有難う」帰りしなに「先生もお大事に」と言って診察室を出た。再発なさらない様祈るだけである。

7時半頃次男が現れた。正月のお餅が沢山残っていて、2日に何時もは持って帰って貰うのだが、忘れてしまったので、お餅を貰いに来たのが第一目的。
今庭の花で 載せるものが無いので夕食の写真を載せる事にした。品数は多い、次男は食卓に並んだものを見て食べもしない先から「うは~美味しそう」と満面の笑み。何時も質素な私もこの時ばかりは同じ分量を食べてしまう。食事が終わればパソコンを開いて暫しの時を過ごす。教室のある方のブログが面白くて来ると必ず見せると笑っている。カメラを落とした件を読んでから!次男の友達で何時も首に掛けている人が橋の上で写真を撮り、首に掛けていると思い込んで手を離した途端、カメラは川に落ちて行ってしまった経緯を、立ち上がって身振り手振りでやったものだから大笑いしてしまった。教室の方のカメラは暫く入院すれば戻ってくるそうだが、この友達のは永久に戻っては来ないのだ。落ちたのが人間でなくて良かったけれど!!

 


夫婦とは!

2011-01-15 17:02:45 | 

 
冬の庭は実に寂しく載せる花もない。葉は枯れ掛かって茶色になっている菊に真っ白い花が綺麗に咲いているし、椿も沢山の蕾を付けてはいるが!!

教室の今年の目標は動画に挑戦する事だそうだが、私のクラスはデジカメで動画を取った事のない人ばかり、この一年でどれだけの成果が得られるか楽しみ。

毎年行う年賀状コンテスト、三位までを無記名で投票するのだ。約80枚の中から選ぶのは大変、さ~っと見て決めないと何度も見ているとどれにして良いか分からなくなってしまいため息が出る。今回はえいやっと決めようとしたが、やはり迷った。今年は選ばれた他の人全員にもボールペンが貰えた。然もボールペンで書いたものが消せる消しゴム付きこれは非常に嬉しい。

夕食を三女の家で作る。夫が逝き、教室に通い出してから約5年続いている。「87歳の老人が作った料理とは思えないよね~」と娘が娘に言っていた程に私の献立は殆ど肉料理、にんにくも良く使うし、品数も多く若者向きなのだ。私一人の時は決してそうではないが、「てんぷらなんか食べたいと思うよ、でも作らないけど」と言ったら、「そう思える事が凄いのよ」と。兎に角まだまだ月2回の料理は続くであろう。

昨日婿さんは赴任先から帰ってこない筈だった。夕食が済んだ頃電話があり急に帰れる事になったと。電話で話している娘の「嬉しいわ~」と言う喜びに満ちた顔が私の心に印象的に残っている。夫婦っていいものだな~と!!「こうして時々会える新鮮さと言うのもいいものよね~」と二人で話しあったものだ。
子供等夫婦の有り様を見る度に、夫が傍にいてくれたらな~と何時も思ってしまう。若くして配偶者を亡くす人々が多くいる中で、50年近く老いるまで一緒にいられたのだからこれ以上贅沢は言えないと思いながらも、一緒にいたい思いは決して消えうせる物ではない。

夕べは帰宅したのが午前様であった。寒いので入浴を済ませ寝入ったのが2時頃、今朝、目覚まし(教室の10周年の時頂いたあのマウス型の「ピポー、ピポー只今より7時半をお知らせ致します」をしつこく9回も言う声にも目覚める事なく!!沢山の荷物を抱えトイレを探し回りやっと見つけて用をすませホッとして両手を見たら大事な物が入っている鞄がなくなっている、どうしょうと困惑していた時目が覚め「あ~夢で良かった~」と思ったのは9時を回っていた。土曜だからゴミも出さなくてよいしと悠々と支度をし朝食を済ませてソファーに坐ったが、どうにも寒くてたまらない(暖房を付けているにも拘らず)厚いコートを着、マフラーを巻き付けたり膝掛けをしたりしても寒い。寒い々々と思いながら暫く録画したものなどをテレビで見ていたが、「そうだこんな時には動けばいいんだ」とそのままの格好で外に出て庭の作業を開始した。家の中で寒かった事が嘘の様、寒さも感じずコートもマフラーも脱いで作業は快適に進んだ。1時間半程だったろうか何時もの如く腰が痛くなり始めたので止めた。それ以後は寒さも感じず普段の気分で過ごす事が出来た。やはり怠惰はいけないのだ、労働は全てに於いて宝であると。

 

 


今年始めての外出!

2011-01-09 16:27:20 | 

クリスマスローズ、庭の片隅で一番早く咲きました コダチベゴニア、温室で一年中咲いている様です
菊の黄色が綺麗です 挿し木した椿が大きく育って沢山の花が咲いています 

2日の賑やかさから早1週間が過ぎ去った。今年も超スピードで一年はあっという間に終わってしまいそう。
新年を迎えてから2日以外は全くの一人で庭にも下りず、午前中は寒い!寒い!と身を縮め、昼日中は温かくなると暖房を消し夕方又点けるの繰り返し、何と怠惰な一週間であった事か。昨日は勇気を奮い起して庭に出、1時間半程作業をして心がスカッとした。怠惰な生活は心身を駄目にしてしまうと痛感した。

今日は教会に行って来た。去年クリスマス礼拝に姉と行く約束をしたのに「草臥れたから行かれないわ~」と電話があって会うう事が出来ず残念であったが、昨日「あした教会どうするの?」と聞かれたので「行こうと思っているけど!」「じゃー私も行くわ~」「大丈夫?一人で来られる?」「タクシーで行くから心配しないで!」こんなやりとりをし、「タクシーに乗ったら市ヶ谷見附の一つ先の信号を左に曲がるのよ、カーナビがあるから教会の電話番号を教えるといいわよ」と、こんな事まで言ったのだった。
私が着いたら「教会員の方が「お姉さん来ていらっしゃるわよ」と仰る。「あ~良かった、来られたんだ」と嬉しかった。姉はこの教会で最高年齢だそうだ。耳が遠く話し辛いが足腰の痛みは全然ないそうだ。でもやはり子供等としては93歳の母親を一人暮らしさせるのは気掛かりだし、姉自身も一人暮らしの限界を感じているらしく、多分今年中には教会関係の老人ホームに入る事になるだろう。
93歳で逝った夫の当時の状況を思うと、姉の選択は賢明であると思う。私にもいずれこんな日が遠からず訪れるのかと思はざるを得ない。その日が来た時に考えれば良い事、そんな日が先々である様にするには怠惰な生活をしてはならない!!
教会で昼食をし、表通りでタクシーを拾い姉を乗せ安心して帰途に着いた。

正月以来買い物も一切しなかったので、教会の帰りに一杯買い込んで来た。
今週は教室も始まるからしっかり勉強したいし、家の事もやりたい事が沢山あるので一つ一つ片づけて行きたい。
今年私は米寿を迎えるので、喜びに相応しい充実した年にしたいと思っている。


新年を迎えて!

2011-01-03 15:08:07 | 

明けましておめでとうございます。
本年も皆さまの上にご健康とお幸せが豊かに恵まれますよう、心からお祈り申し上げます。 この一年もどうかよろしくお願い致します。

元旦  一人静かな新年を迎えました。届いた年賀ハガキを見たり、明日の新年会の用意もしました。
今年の9月に私は米寿を迎えます。9月4日に子供等が盛大に祝ってくれるとの事ですので、それまでは絶対元気でいようとの願いを今年のモットーにし過ごしたいと思っています。

2日  恒例の新年会でした。今年は我が家の正月料理をご披露したいと思います。

私が作りました。鶏の串焼きは三女との合作です。 一升の寿司飯を作り、白ゴマ・しらす・イクラ・サーモンを交ぜ、上に卵・シソ・海苔をのせます。
ビフテキ・白いんげんで作った栗きんとんは次女作です。家に来てから次女の婿さんが切ってくれます。 エビのフライは長女が作ってくれました
長男の嫁がケーキを毎年作ってくれます。上の写真のミートローフもです。「初孫の世話で大変だから今年は作らなくていいわよ」と言ったのに頑張って作ってくれました。 私作のカレンダー・今年作った干し柿・ご馳走の残ったものこの他にも沢山各家庭単位で持って帰りました

午後4時頃には全員集りました。今年は来られない人が10人、今までで一番多かったのですがそれでも24人が集まり、終始笑い声は絶えませんでした。
一年の初めにこうして一族が集まり絆を深めて行ける幸福な時を持てる事を有難いと思うと同時に、何時までもこの状態を保てる事が出来る様願わずにはいられません。もうじき約6年経ちますが、この光景を一番喜んでくれているのは天国の夫ではないかと思うのです。

社会人になるまでの子供達は沢山のおばあちゃん・おじさん・おばさん達にお年玉を貰い嬉しそうでした。大人も沢山のおせち料理・私の作ったカレンダー・去年苦労して収穫し皮をむいて吊るし出来上がった干し柿を手一杯に持って満足気に帰って行きました。「有難う、今度は軽井沢でね」と言いあいながら!! こんな時が私にとって本当に嬉しい時なのです。やっぱり私はまだまだ元気でいなくてはと思う時でもあるのです。

夫の母の様に、何時も感謝の気持ちを抱いて今年も前向きに日々精進して行きたいものです。