老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

愛用の買い物籠!

2012-01-29 11:25:29 | 

この古ぼけた籠、私愛用の買い物籠である。余りにも大昔の事なので何時買ったかは定かではないが、結婚してからであるから多分昭和30何年頃だと思うので約50年余使っている事になる。始めはもっと竹の香りのする新鮮な籠であった筈、とっ手も竹であったが時が経つにつれ一つ外れ、二つ外れその度に針金で括りつけ終に全部が針金になってしまった。それでも買い変える事無く現在も私の腕にしっかり抱えられて用をたしてくれている。もうすっかり黒光りし人様が見たら驚かれる事だろう。
流石電車に乗る様な処には持って行かないが、西荻窪周辺はこの籠なしで出掛ける事はない。
私が70歳の頃、会社の経理の仕事でみずほ銀行(当時は富士銀行と言った)で会社の経理関係で担当であった中年の男性の方が、私の持っている籠をしげしげと眺め「奥さんその籠、古色蒼然としていて今時珍しいですね~」と言われた事があった。男性がそう思うのだから女性はもっとそう思って見ていたのかもしれない。でもいくら古くても私は平気、愛着さえ感じて一寸の買物でも必ず持って行く八十路スタイルなのである。
家族が大人数であったからこの籠一つでは足りなく布袋も一つ持ち歩いているが、上の袋はもう3つ目くらいであろうか、これは次女が買ってくれた物で沢山入り、肩に掛けられるので重さにも耐えられ重宝している。

私は元来流行には乗らない性格である。昔、先のとんがった靴が流行った事があったが、買わずそのままの四角っぽい靴を履いて居たらその後とんがったのは廃れ、元に戻ったようで買わなくて良かったと思った事があった。
洋服も然り、裾の長~いスカートが流行った頃があった。私はやはり買わなかった。常に膝から一寸下の長さのスカートを着用している。お洒落心のない私、イヤリングを付けた事はないし、ましてやマニキュワなどとんでもない。私みたいな人ばっかりだったら世の中なりたたないわ~と思うけれど・・・・  でも私は死ぬまでこのままなのだろう。別に意固地になっている訳ではないけれど、自分のあるがままの姿・思いで人を愛し、自然を愛でてこの世を終わりたいと思っている。


二回目の雪景色!

2012-01-24 19:45:59 | 

 
 

前回の雪は朝方から夕方まで降っていた。今回は眠っている夜中に降り目が覚めた時には止んでおり太陽が出ていた。
台風一過とは言うけれど、雪が止んで青空になっているのは何と言ったらよいのだろう!
この写真は朝8時頃撮ったものである。前回よりは一寸多く積もっていた様な感じ

7時半頃寝床の横に置いてある子機の電話が鳴った。こんなに早く誰からだろうと思ったら長女からであった。「まだ寝床の中?」って「とうに目は覚めていたし体操も終わってもう一寸と思っていたのよ、な~に」と言ったら「雪降ったでしょう、積もった?玄関に出るの大丈夫?」と前に滑って頭を打った事があるので心配して掛けてくれたのだ。「秦野も積もって屋根の雪下ろさなくてはならないの」と言うから「へ~屋根の雪落とすの」って私びっくりしたら「車の屋根の雪よ!」ですって・・・
「玄関もきっと積もっていると思うから熱いお湯を流してから敷物を敷いて気を付けて出てね」と注意をしてくれた。
起きてから先ず写真を撮った。平地なら雪の上でも一歩一歩踏みしめて歩けば大丈夫であるけれど、スロープなのでその一歩でさえ怖い。お湯を沸かし雪を溶かしてから敷物を敷き、門の鍵を開け、新聞を取り無事朝の行事を済ます事が出来た。
朝食を食べていたら又電話が掛かって来た。今度は次女からであった。新聞で東京が積もった事を知り掛けてくれた様だ。
「浜松はどうだったの?」って聞いたら「全然降らなかったのよ」「いいわね~」って言ったら「良くないわよ!」真っ白い雪景色が見たかったのだろうか!「お母さん写真撮ってね」と言っていた。長女との電話の事などを話し合った後に「外に出ない様にね気を付けてね」と言ってくれた。何かあればこうして心配し案じてくれる子供等の気持ちが本当に有難い。

こんな少ない雪でさえ怖がりおたおたしている私に引き換え、北国の雪多き地に住む人々は如何しておられるのだろう。本当の屋根の雪下ろしはさぞ大変な事だろうし、お年寄りはそれも出来ず若い人の肩に掛かって来る。どうか事故のない様この寒期を無事乗り越えて欲しいと心から願っている。

 


本格的な雪!

2012-01-20 17:05:04 | 

小菊がまだ綺麗に咲いています 簡単湯沸かし器です

去年杉並区でほんのパラパラの雪がちらついた事はあったが、本格的と思った雪が今朝から降り始めた。庭一面が白く覆われたが夕方には止んでしまい、雪国の何メートルと積もる大雪に比べれば降ったとは言い難いものであった。
でも朝新聞を取りに出た時は一寸積もっており、一昨年2月2日の大雪の時滑って転んで後頭部を強打し「もう死ぬ!」と思った事が蘇り、一歩一歩踏みしめて慎重に行動した。

寒い日が続いている。朝居間の温度は4・5度になる事もあり、20~22度位に設定した居間~台所は廊下から入って来ると暖かさを感じホッとする。今年は下着から数えると5枚重ね着をしている。カイロも腰に入れているけれどそれでも寒いと思う事が多い。私はズボンを履いた事のない人間で厚手の靴下で過ごしている。たまに夜中外に出て天空を観察する時にはその為に一枚持っているズボンを履くのだが・・・「そうだズボンを履いてみよう」と昨日思い立った。外観は見られたものではないけれど、これが非常に温かなのである。「いくら上半身を重ね着しても駄目なんだ、頭寒足熱と言うけれど、足の方から温めないと駄目」な事を身を持って体験した。今日は部屋にいる限り寒さを全然感じなかった。腰の痛みも良くなった様な気さえする。
昔女子は決してズボンを履く事はなかった。現在は大方の人がズボンである。これを機に私がズボンを履くようになるかどうかはまだ分からない。

一昨日次女に勧められインターネットで注文した上の写真の湯沸かしポットが今日届いた。これは小さい型で800CCまで沸かす事が出来る。私は一人だから400CC水を入れて電源ONにするとほんの1分余で沸騰し電源が切れてくれるのだ。普通の湯沸かし器の様に保温しておく事もなく、直ちに100度の熱湯で紅茶など入れる時に使う事が出来私はとても気に入った。

これを届けてくれた時の事。配達してくれた若い男性が「門にある赤い実何ですか?」と聞かれるから「ピラカンサです」と言ったら「この実食べられるんですか?」と言う。私笑ってしまった。今迄「綺麗ですね~とか素晴らしいですね~」と言われた事はしょっちゅうだが、食べられるんですか?と言われたのは初めてだ!」「いいえ食べられないんですよ、食べられるといいんですけれどね~小鳥が綺麗に全部食べてくれるんです」と言ったら「そうですか~」と一寸残念そうな顔をしていた。
そう言えば庭中に密生しているハナニラの事を食べられるんですかと聞かれる事がある。勿論食べられないが、あの土の中にある真っ白な可愛い球根、これが食べられたらどんなにいいかと私は何時も思ってしまうのだ。

今、夜の8時半テレビも付けていないし、インコもお休みの時間でおとなしい。周囲の音も全く聞こえずシーンとしている。私が叩くキーボードの音のみである。こうして一日が終り又明日えと時間は飛ぶように過ぎ去って行くのである。老い先短い私ボヤボヤしてはいられない。

 

 

 

 


今年始めての観賞!

2012-01-19 15:07:27 | 

東京国立博物館の行列から見たスカイツリーです 上野東照宮の寒牡丹です 
  
 蝋梅が綺麗でした 千両の赤と黄色の実が見事でした

今年始めて外出らしい外出をした。
上野の東京国立博物館で開かれている「北京故宮博物院200選」を見に行ったのである。昨日から次女と一緒に秦野に行く予定で楽しみにしていたが、長女が風邪をこじらせて皆に染してはいけないからと取り止めになった。その代りに次女と午後2時に上野駅で待ち合わせ博物館に行ったのである。長さ5メートル縦4センチの「清明上河図」の絵巻を見る人の列は延々と続き3時間余も待たなければならないとの事にそちらは諦めた。私達が見た方でも40分程の待ち時間、次女とおしゃべりしながら、その行列の間から天辺まで出来上がったスカイツリーの姿を写したりしながら入場を待った。中に入っても沢山の人でゆっくり丁寧にみる事は不可能、人が少ない場所を見つけては入りこんで見る。中国古来の書・絵画・陶器・その他素晴らしい展示物を興味深く見て回る事が出来た。
1時間位見て回り4時少し前に出てきたら行列は全く解消されていた。「もう少し遅く来たらよかったわね~」と言っても後のまつり。

上野と言えば東照宮の寒牡丹を思い出す。夫とも行った事があるしその後も一回、「寒牡丹も見たいわね~」と博物館に向かう途中で言ったら「お母さんを待っている間に行って来ちゃったのよ~」と申し訳なさそうに次女は言う。「じゃ~仕方ないから別の日に一人で行くわ」と言う事になっていた。展示会を見終って「まだ時間があるからこれから寒牡丹を見に行こう!」と言う事になり急遽東照宮に足を向けた。昔より場所も広くなり藁帽子を被った寒牡丹は見事であった。次女には2度足を運ばせてしまったが快く私に付き合ってくれ嬉しかった。

昨夜は次女の婿さんが仕事の関係上東京の或ホテルに止まる事になっているので、次女は我が家に泊った。6時頃西荻駅に着き夕食を奢ってくれると言う。以前次女が中学校以来の親しい友達5人でランチをした「Re:gendo(りげんどう)」と言う店に入った。西荻窪の今の家に54年も住んでいるけれどこんな近くに普通の家の様な構えの素敵な店があるなんて知らなかった。平常口にした事がない様な変わった美味しい日本料理をお腹一杯食べ、8時過ぎに帰宅。

帰宅したらもう一つ仕事が待っている。私の足腰を丈夫に保ってくれる為の運動用具自転車漕ぎ器(これは人様から頂いたもの)のペダルが片一方外れてしまったのだ。お正月集まる小さい子供等が興味を持ち乱暴にこぎ回すものだから去年から少しおかしくなっていたが、今年とうとうペダルが落ちてしまったのだ。会社に連絡したらペダルを送ってほしいと言う。この種類は現在作られていないが在庫を調べて見ると。送って10日程経った2・3日前ペダル一対が届いた。全く同じものではない。色々やって見たが私には如何する事も出来ない。丁度こんな時次女が泊る事を知り助けて貰おうと心待ちしていたのだ。
説明書もなくあーでもないこうでもないと真剣に立ち向かってくれた次女、艱難辛苦の後終に取り付けに成功。流石我が娘と心から感謝した。娘は草臥れ果て「私もう寝る」と言った程だった。「でも喉乾いたから紅茶でも飲もうか!」と一服。「お湯を沸かすのに800CCが一分で沸くポットがあるのよ」と言う話が出てパソコンを開き娘が買ったと言う品を直ちにインターネットで頼んでしまった。子供等は得手不得手を一杯持っている。その夫々の得手を大いに活用させて貰っている幸せな私である。


今年中止していた運動を今日から再開する事が出来た。次女さん本当に有難う。

今日は朝食を食べて次女は浜松に帰って行った。私も買い物があったので駅まで一緒に行き駅で別れた。
新年会以来ずーっと一人であったから、次女と過ごした2日間は生き生きと歩き喋り本当に愉しかった。

 


何時まで咲くの?

2012-01-10 17:29:27 | 

  
  

我が家の庭のバラが一寸異常である。春に見事に咲き、秋に二度目の開花を愉しんでいるが、多分気候の関係だと思うが、何時もの年は暮の内には花弁はなくなってしまうのだが、年が明けても尚蕾が沢山付いている。でもこの寒さ、天気が続いているのに温度が低い、蕾が縮んで一向に花が開いてくれない。長い期間同じ状態が続き満開になれないのが可哀そう。でも冬は殆ど彩りがない庭を一寸ばかり愉しませてくれている。
菊も中々開かず長い期間この様な状態を保っている。
朝・夕は本当に寒いけれど、昼日中は太陽が照っている限りは暖かいので庭に出て一寸した作業をしたり、写真を撮ったり、もう早、蕾を立派に持った水仙を其処此処に見る事が出来嬉しい気分に浸っている。

新年を迎え早10日が過ぎ去った。今年もこの速さで時は過ぎて行くのであろうか。もうそうそう長くは生きられない私故、その貴重な短い時間を有意義に過ごさねばと思いつつ、2日の一族の新年会を終えホッとしのんびり過ごしてしまった。その間に内科の診察日があり外出した。 12月の中頃甲状腺の二回目のエコー検査を受けたその結果を先生からお聞きした。目で見たり触診したりして小さくなっていると思っていた腫れは、一回目の検査と余り変わっていないと言う事。やはり相当腫れているらしいし、出血の痕も見られると言う。結局は決して嬉しい結果ではなかったのだが、先生は「悪性ではないでしょう、心配することはありませんよ、3月にもう一度エコー撮りましょう」と言う事であった。「もしガンだったら転移と言う事はありませんか?」とお聞きしたら、「前にも言ったけれど甲状腺ガンはおとなしいガンなのでまずないでしょう」と。そう言えば甲状腺ガンで死んだと聞いた事無いわね~と娘と電話で話しあったのだった。もう何も気にしない事にした。もしガンだとしても私の寿命の方が先よ!と思う事にしている。

今週の金曜日からPC教室が始まる。この一年も沢山の事を習い役立てたいと思っている。

去年の災害から立ち直る事はまだまだ大変ではあるけれど、今年は日本が、世界がどうか穏やかで平和である様にと心から祈っている。


2012年新年会

2012-01-03 20:09:20 | 

正月料理のすべて

  
   

ケーキは長男の嫁が作ってくれる。
写真は撮れなかったが長女はエビのフライ、次女がローストビーフときんとんを作って持って来てくれる。三女は毎年30日に実家に来て鶏の串焼きを私と一緒に作ってくれる。勿論最初はお雑煮から始まる。 皆が一生懸命作る正月料理は心が籠っており豪華でとても美味しい。約30人分を作るのだからその労力は並み大抵ではない。でも皆の為に喜んで作ってくれ本当に有難い。

今年の新年会は昨日行われた。風邪をひいたり都合が悪かったりで9人参加出来なく残念ではあったが、それでも25人が集まり賑やかに、和やかに、終始笑いの絶えない愉しい集まりであった。
先ず次女の三男が最初に現れた。大阪で一人暮らしをしている孫息子である。次女の婿さんが体の具合が悪く次女も来られないため母親の作った料理を持って来てくれた。「僕、此処を2時半に出て帰らなきゃならないんだ」と言う「今1時だから1時間半しかいられないの?皆に会えないじゃない、残念だね~」と言いつつ二人でいろんな話しを沢山する事が出来た。昼ご飯が未だだと言うので午前中に作った交ぜ寿司とお重箱を全部広げて沢山食べてくれた。「これ子供達に上げて」とお年玉を預かり丁度来合わせた孫の嫁と小学2年の子二人とだけ顔を合わせる事が出来帰って行った。
全部の人数が揃ったのは4時過ぎ。一歳から88歳までの老若男女の集まりは何とも壮観である。夕食までの間2番目の孫息子の入れてくれるコーヒーを飲みながらお菓子を食べたり、茨城に住む孫が毎年送ってくれる美味しい蜜柑を食べながら談笑は続く。
5時半「さ~夕食の支度を始めようか」の私の一言で女性群は台所でひしめき合って用意を始めた。私は座って口を出すだけ。
3か所の食卓には所狭しと料理が並ぶ。その料理もあちらこちらへと移動しながら皆に行きわたる様にするのも大変、雑煮とおかずでいい加減お腹が一杯になって来たところへ「さ~そろそろお寿司にしょうか」と午前中一升のお米で作った交ぜ寿司に卵・しそ・海苔の順に乗せ小さい一皿ずつを配り料理はこれで終わり。
大学受験が近づいている三女の孫娘は来ない事になっていたが、塾が早く終わるので7時半頃に来る事になり20歳のお兄ちゃんの運転で三女と私は道案内役で3人で久我山駅まで迎えに行った。大変な時だけに愉しんでくれるかと気になったが終始笑顔で皆とh話し合っていたので安心した。迎えに行っている間に嫁達がすっかり片付けを済ませてくれていた。
最後はケーキタイム、2つのケーキを切り分けるのも大変、孫の嫁が上手に切り分けてくれた。又々コーヒー・紅茶を入れその容器だけでも大変な数、「コーヒーの人手を上げて~」「紅茶の人~」とその都度夫々手を上げる。嫁の作ってくれるケーキは大評判でとても美味しい。さてクライマックスは沢山残った料理を9家族に分ける仕事、家に持って帰るのを楽しみにしている。然しこれが大仕事なのである。塊で手を付けなかった品物も沢山あるので、これはジャンケンで勝った順から欲しいものを取って行く慣わし。9家族なので代表を決める、大の男女がジャンケンする姿は誠に見ものである。
ここで全員の写真撮影、そして子供達にとっては嬉しい、嬉しいお年玉を貰う時、沢山の大人からそれぞれ貰うのだから小さい手はこぼれんばかり、あちらでもこちらでも「有難う」の声しきりであった。
最後に私の作ったカレンダーと、次女が作ってくれた家系図を貰って微笑み一杯の顔を残して皆我が家へと帰って行った。
年の初めの愉しい幸せな時を一族揃って迎えられた事を心から感謝している。
今年も全員が健康で自分のしたい事に向かって力強く生きて行って欲しいと切に願っている。私も88歳の年を悔いのない様前向きに少しでも役に立つ人間でありたいと思っている。


明けましておめでとうございます

2012-01-01 20:19:37 | 

穏やかな新年を迎えられた事を感謝しています。

新年早々9時半まで朝寝坊してしまいました。新聞を取りに行きましたら早、年賀状が届いていました。
一人で迎える正月も今年で7回目です。夫の写真に向かって「おめでとうございます、今年も私を守って下さいね」と何時もに似あわず声を出して言ったのでした。思わずポロリと涙が出てしまいました。もう7年になろうとしているのに私の心には何時も夫がいるようです。

明日は一族の新年会です。明日の会を愉しい万全なものにする為にまだしなくてはならない事もあり、初日から働きました。

今年一年、皆さまの上にご健康とお幸せが豊かにあります様祈っております。
米寿の新年を迎えて私も無理をせず新しい事に挑戦して行きたいと思っております。どうかよろしくお願い致します。