老いて、なおチャレンジ

大好きな草花と共に、余生を楽しめたらいいな~

今頃咲いた月下美人!

2011-10-29 21:33:37 | 

「今晩咲く」と確信した月下美人 外出から帰って来た夜11時半頃の状態
翌日2輪目が咲きました。6時頃から咲き始め未だ余中です 完全に開いた状態。9時頃でした

今年は一輪も咲かないと諦めていた月下美人がこんなに遅く咲いてくれました。
真っ直ぐ下向いていた蕾が3週間前頃から徐々に上向きになりだし、Uの字になってから下がり始め2・3日後直角になった頃開花するのです。
今日咲くと思った日の昨日は生憎PC教室の日、この日は何時も三女の家でゆっくりし夜12時頃帰って来るのが慣わしになっています。頭の中は留守中に開花するであろう月下美人の事で一杯、早く帰ればいい様なものの塾から10時頃帰って来る孫娘の顔を見てからと思ったので、当然帰宅したのは11時頃でした。幸い未だ萎んではいなかったけれど花弁が一寸力がなくなっていたようでした。
今日は2輪目が咲きました。蕾は昨日の方が大きく立派で、今日のは一寸小振りでしたが開く瞬間から観察する事が出来ました。
後一輪ありますが多分2・3日してから咲くでしょう。諦めていたのに思わぬおまけで喜んでいます。

最近教室の日の夕食は三女と二人だけの事が多いのです。孫娘は昼・夜の弁当持参で勉強に励んでいるし、孫息子もバイトなどで帰りが遅いのです。母親が息子に「今夜の夕食どうするの?」って聞いたら「いらない」といったそうです。そこでちなみに「今日はおばあちゃんがくるんだよ」と言ったら「じゃ~どうしょうかな~って言ったのよ」と顔をゆがめていました。でもやっぱり帰って来ませんでした。子供も大きくなると夫々予定があって一家揃って夕食と言う事は中々難しくなるのですね。
そんな状態なので三女とはゆっくり話しが出来ます。秦野の長女の家でも月二晩、三女の家でも月二晩愉しい時を過ごす事が出来私は幸せです。

 


柿取り!

2011-10-24 14:37:42 | 

柿取り風景です 木に登って一生懸命です 渋柿剥きです
お正月頃には美味しい干し柿が食べられるでしょう 甘柿は35個しか取れませんでした

今年も柿取りの季節がやって来た。23日と予定していたがその日は多分雨との予報にやきもきさせられたが、幸い雨も降らず決行する事が出来た。今迄になく大人数で大人の男性が6人、女性は7人、小学二年生以下6人の曾孫達の総勢19名が来てくれた。
午前11時頃集まり先ず柿取りから始まった。庭に出た途端蚊の襲来に皆癖々、スプレイを掛けるやら、蚊取り線香を沢山つけるやらしして大変、普段私一人だとわ~っと蚊が寄って来るのだが不思議と私の傍にはやって来ない。若い人の方に向かって行くらしい「多分私みたいな老人の血は美味しくないから若い人の方がいいんだわ~」と言ったりしたものであった。
何分木が高く育ってしまい上の方に生っていて取るのが一苦労、女性は「言うは易し」で下から「上の方にまだ一杯あるわよ~」と男性群を叱咤激励、長い枝挟みでは届かず木に登ってのこぎりで懸命に枝を切り落とす作業「柿取りじゃなくて木の剪定だよね」と言いながら汗水流して一生懸命やってくれた。男性の力強さを改めて痛感したひと時であった。

一通り渋柿は取り終わったので昼食の時間にした。朝から19人分の交ぜ寿司他を作ったので皆で一寸人数は少ないがお正月の様な気分で楽しく食卓を囲み、再び午後の作業を始めた。甘柿は少ししか生っていなかったが又苦労して天辺付近ばかりに生っているのを苦心して取り、長い何本もの枝を切り落としたのでゴミに出す為に10袋位に細かくして詰め込み、私が出しやすい様に門の脇まで運んでくれすっかり綺麗にしてくれた。その間家の中では女性群が渋柿剥き、紐で吊るし2階の洗濯干し場の物干し竿に吊り下げる作業を2時間ばかりしただろうか、渋柿は220個(去年は300個位)甘柿はたったの35個であったが8家族に分け持ち帰った。

曾孫達は広い家の中を走り回って愉しそうに遊んでいた。平常は一人乃至二人の兄弟で過ごしているが、こうして沢山の従弟たちが集まって過ごせる時を持てる事は子供達の成長の過程に於いても非常に貴重な時間であると思う。

何か事があり一声掛ければ喜んで集まってくれる近しい人々を与えられている私は本当に幸せ者である。個々の用事さえなければ皆が来たいと思っているのだ。昨日も二人から用事が済んで行けたら2時頃にでも行きたいと言っていた。その一人は三女で最近マラソンに夢中になっているのだが当日10キロ走る競技会があるとの事「行きたかったけれど流石草臥れて行かれないわ~」と電話が掛かって来た。又来てくれた孫の一人は前日海外出張から帰って来たばかり、疲れているだろうに木に登って太い幹をのこぎりで何本も切ってくれた。さぞ疲れた事でしょう、有難う。

来なかった人には甘柿は上げられなかったけれど、干柿はお正月に皆に上げますよ。
今回来て下さった方々本当に有難う。殊に男性の方々、女性達が散々無理を言いましたが聞きいれてくれ本当に感謝しています。気になっていた事が済んで私の心は今晴れやかです。これから美味しい干し柿が出来上がる様私に任せられた課題です。
皆と過ごせた愉しい一日でした。


再びバラの季節!

2011-10-21 09:05:43 | 

花菜(カナ)ガーデンのバラです  
  
  
アスター セージの仲間 赤いバラ
コスモスとベゴニア マリーゴールドが綺麗に並んでいました フトトギスが一杯
フジバカマ 真っ赤なケイトー 最後にもう一度ピンクの可愛いバラです

一昨日午前中に甲状腺のエコーを撮りに河北病院に行った。直ぐ終わると思っていたのに首の部分をあっちに行ったりこっちに動かしたりして約30分も掛かり、その間目をつむったまま寝込んでしまわない様我慢した。結果は11月4日主治医さんによって告げられる。

午後は恒例の二泊三日の予定で秦野に出掛けた。
そして昨日曇りで風も強かったが今年6月に行った事のある花菜(カナ)ガーデンに娘と二人で出掛けた。家から車で30分位の処にある広々とし沢山の綺麗な花々を見られる場所である。前行った時には百合が素晴らしかった。今回は春に咲くバラがこの時期再び咲くのであり丁度真っ盛りの時期だったので堪能した。2時間位愉しく見て回っただろうか、午後来客があるので昼には帰宅した。

その来客とは日立製作所で夫の部下であった方である。夫が亡くなってから約6年お会いする事がなくお目に掛かりたいと思っていた方であった。丁度この日婿(同じ会社で働いていた)とある会でご一緒しその帰りに何時もその方の車で家まで送って下さるのだ。私が家に来ている事を知られ一度会いたいと仰られ良い折と婿を送りがてら家に寄って下さりお会いする事が出来た。60年前頃まだ現在の様なコンパクトなパソコンのない時代、会社で大きな大きなコンピューターを開発し、フランスのパリで開かれた展示会に持って行った部下二人の内のお一人で、夫とは苦楽を共になさった方だし、ご結婚の仲人を私達夫婦がした深い関係の方なのだ。又2003年長女夫婦と私共夫婦とご一緒にパリ・ニースへ旅行した仲でもあり、当時を思い出して愉しいひと時を過ごす事が出来た。

夜になりその方から婿にメールと昔私共が九品仏に住んでいた頃訪ねて下さった時の写真を送って下さった。次男・三女がまだ小さい頃の写真、私のまん丸い顔太った若々しい姿を懐かしく眺めた。私にもこんな時代があったのだ~皺くちゃの顔・5センチも低くなってしまった背丈、老いると言う事は情けないもの、こういうものなのだとつくづく思う。でも皆に大事にされる幸せもあるんだと!!
人間あるがままの自分をこの世を去るまで大切にしたいと切に思う。

今午前11時半、娘夫婦は病院に行っていて私一人留守番をしながらパソコンに向かっている。  今夜東京に帰ります。


PC松原教室15周年記念パーティー

2011-10-18 20:30:11 | 

渋柿です、甘柿は余り生りませんでした

クジャクソー  ポーチュラカが何時までも咲いています

15周年記念おめでとうございます。

愉しみにしていた松原教室15周年記念パーティーも終りもう2日過ぎてしまいました。様々な行事が瞬く間に過去のものになって行ってしまいます。時は正に駆け足で過ぎ去ります。

5人の先生方の多大なご尽力により、また教室の生徒さん方の個性的な素晴らしい動画作品を、大スクリーンで感動を持って見る事が出来た本当に愉しいパーティーでした。
私が教室に通い始めてから6年半が経ちましたが、創立から15年もの長い間通い続けていらっしゃる生徒さんのお若い時の写真などを感慨深く拝見しました。パソコン教室ならではの素晴らしい催し物は見応えがありましたし、これからの自分にとっての大きな刺激にもなりました。

自分のクラス以外は殆ど存じ上げない方達ですけれど、こうして一堂に集まると連帯感を覚え、和気あいあいと集い会えた事を心から嬉しく思いました。
次は多分20周年に再び今回以上に盛大な会が行なわれると思いますが、何分高齢の私ですが頑張って集う事が出来たら嬉しいと思います。松原教室のますますの発展を祈りながら、私も今以上に一生懸命勉強しパソコンを実生活に役立てられる様努力したいとスクリーンを見ながら強く思った事でした。

最後に、この教室が皆さんに愛されこの様に発展出来た事は一重に生徒さん方のお力のお陰と、三女の母親として心から感謝し御礼を申し上げます。本当に有難うございます。そしてこれからもどうかよろしくお願い申し上げます。

家に帰る途中西友で、帰り際に頂いた小さい袋を買い物カートにかけっぱなしで帰って来てしまいました。普段そんなドジは決
してしないのですが、会が無事終わってホッとし気が緩んでいたのでしょうか!家に帰り着いて気が付きました。チーズケーキ 
は残念だったけれど、その他は諦める事にしました。 


元気に老いる幸せ!

2011-10-13 15:33:56 | 

我が家のシンボル「ピラカンサ」が日毎赤さを増しています

ジュズサンゴ、小さな赤い実が可愛らしいです ポーチュラカ、大きく育っていろんな色の花を咲かせています

老人ホームに入ってからもう大分経つ姉を訪れた。月に一回は行きたいと思っているけれど中々行けず気にはなっていたが、姪から「元気にしているわよ」と聞いていたので安心はしていた。でも「お母さんつまらない、つまらない~って言うのよ」とも聞いていたので可哀そうにと思っていた。「こんにちは~」って入って行ったら嬉しそうな顔をして「来てくれたの~」って。
6畳位の一間のベットにつくねんと小さくなって座っている姉、もうじき94歳を迎える姉の姿を見るにつけ老いの寂しさを思わずにはいられなかった。
部屋にはほんの身の周りの物が置かれてあるだけ、3回の食事は作ってくれたものを食べるだけ、おやつも持って来てくれるし「何にもする事がないの!つまらない!私これからどうなっちゃうんだろう」って言う。
「足の骨折さえしなければまだ一人で自分の家にいれたのにね~」と二人で言い合ったりした。話し合えば約90年前の事を語り合える二人である。小さい時の事、自由学園での様々な思い出、兄弟姉妹の事、両親の事、夫々の家庭の事などなど話しは尽きない。姉はまだ頭はしっかりしているがもう一人では外出は不可能である。許可さえ得られれば何処に出掛けても外泊しても構わないらしいので「私の家に来て泊らない?私も一人で自由だから二人でのんびりしようよ」と提案したら喜んでいた。私の家から車で20分なので送り迎えすればよいのだ。姪にも相談し多分その内に実現する事と思う。
今迄は夫と私からなる一族の事ばかり気遣って来たが、これからは唯一人になった姉を真剣に気遣い悔いが残らない様にしたいと強く思っている。

私は姉より6歳若いがまだ元気で老いの道程を歩める幸せを有難く思う。元気だから言える事かも知れないけれど「私は絶対老人ホームには入りたくない!」と以前から思っているし皆にも言っている。全く動けなくなったら果たして如何なるかは分からないけれど!!


秋の良き日に!

2011-10-08 13:07:48 | 

昭和記念公園のコスモスの丘全景です  
  
 一寸変わったシエーシエルと言います 
入り口付近にシュウメイギクが綺麗に咲いていました パンパスグラスです 紫色が鮮やかでした
金木犀の大木があちこちに一杯咲いていました 金木犀、花をびっしり付けて! 私の好きなススキも風にそよいでいました 

昨日は長女と二人で昭和記念公園のコスモス見物に出かけた。
最近次女の婿さんの東京の仕事がなくなった為殆ど来なくなった。故に次女と方々え出掛ける事が出来なくなった。
私の大好きなコスモスの季節、あの昭和記念公園の素晴らしいコスモスの丘を是非又見たいと思ったが次女は駄目「長女を誘ってもいいが秦野からは2時間余掛かるし大変かな!私一人で行こうか!」とも思ったが矢張りお連れがあった方が愉しいと思い声を掛けて見た。「行くわよ、嬉しいわ!」との返事を貰う事が出来た。

現場で待ち合わせしようと思っていたが「その前に庭の手入れをして上げる」と長女は言ってくれ家に先ず来てくれ、昼食前1時間半ばかり仕事をしてくれた。私も始めの内は一緒に作業していたが、午後大事なコスモス見物が控えているので「私もう家に入るわ」と言って仕事を止め暫く体を休めた。
昼食後1時半近くに家を出た。昭和記念公園は中央線の快速青梅行きに乗れば一本で西立川駅に着き、駅を降りれば目の前に公園の門が見えている。春夏秋冬いろんな花々を見るには私の家からは非常に便利な最適な場所なのだ。

weak-deyであった為人出も少なく快適であった。何分にも広大な敷地である。歩けど歩けどコスモスの姿は容易に現れない。先ず目に付いたのは金木犀であった。物凄い大木で今が盛りかその大木全体にびっしり金色の花が咲いていてそれは素敵な光景であった。その大木が至る所に立っている。あの凄い量の花の匂いは鼻の悪い私にでも良い香りを感じさせてくれた程であった。

40分位歩いた処に淡く黄色いコスモス畑が見えて来た。楚々として素敵であった。暫く行ったら平地に種々の色をしたコスモス畑がありシエーシエルと言う珍しいコスモスが咲いていた。
肝心のコスモスの丘はまだ見えない。再び歩きだした頃「あっあそこだっ!」と私は叫んだ。然しどうも以前見た時の様子と異なっている。一面コスモスって感じではなく何かぼこっぼこっという感じ、傍に行って見たら確かに違う。以前は苗の背が高く重なる様にコスモスって感じがしたのに、今年は背が低く一株一株がはっきり見え以前は見えなかった土がはっきり見えるのである。それなりに綺麗で素敵ではあるけれど、「何でこんなに変わってしまったのだろう~私は前の方が好きだったわ~」と残念な思いを娘にぶっつけてしまった程に落胆の念は拭いきれなかった。再び前の様なコスモスの丘になる事を願いつつ、公園の一番奥に来てしまったので「もう歩くのは嫌っ」と園内を走る最終乗り物に乗って西立川駅まで戻って来た。終園まで後15分位だったろうか。一万歩近く歩いた様だ。

西荻窪の駅で長女と別れたのが5時頃だった。6時には夕食を済ませのんびりしていた8時頃「今家に着きました」との長女からの電話。「やっぱり秦野は遠いわ、私はのんびりしているのに今頃やっと帰宅したなんて!」「大変だったわね~今日は愉しかった~それに仕事も沢山してくれて有難う」って感謝を込めて話したのだった。 久し振りに長~い愉しい一日であった。


突然現れた三女!

2011-10-01 22:23:11 | 

これは食用のニラの花です オミナエシです

10月に入り今年も後3カ月、あっという間にお正月を迎えるのだろう。

今日も天気は良好、昼間太陽が照りつければ一寸暑いけれど、涼やかな風が吹いていたので庭仕事が捗った。1時間足らずで腰が痛くなるので家に入り30分程横になって休む。又出ては作業続行、この繰り返しを何回した事だろう。あんなに生い茂っていた庭の何とすっきりした事か、見まわしては嬉しくなってしまう。

午後4時頃だったろうか、庭仕事を終え洗濯物をたたんでいたらピンポ~ンと門のチャイムが鳴った。部屋のモニターを見たら女性が写っている「誰かしら~分からない!何方ですか?」って聞いたら「のりこ~~」って。まさか今頃三女が訪れるなんて思いもしなかった。急いで玄関の鍵を開けたらまさしく三女の姿が目の前にあった。然も勇壮なマラソン姿で・・・最近マラソンに力を入れている三女、そう言えば「お母さんの家まで走って行くかもよ!」って言っていたっけ、「お母さんが留守だったら如何しょう、飲み物を飲まして貰いたかったし・・・」と言って早速梅シロップを飲んでいた。「あんまり長居すると走りたくなくなるから~」と言って30分足らずお喋りし再び颯爽と走って帰って行った。殆ど大通りの歩道を走って45分位で家に着くそうだ。毎日教室で忙しく働いているのに、疲れてもいるだろうに寸暇を惜しんで運動に励んでいる娘の姿を見て感心してしまう。若さ(と言ってももう50歳だが)とやる意欲にこの年寄りはただただ感服するのみである。

この前の金曜教室の日、内科の診察日で行けず9月4日米寿の会で会って以来約一ケ月振りで会えて嬉しかった。驚きもしたけれど!!  夫々に特徴を持った5人の子供がいて私は退屈する事もなく本当に幸せである。