ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

259、2つのWhy(なぜ)?

2008年12月04日 | Weblog
ジョージ・W・ブッシュ大統領は任期を50日ほど残した12月1日、放映されたABC放送とのインタビューで「最大の痛恨事はイラク戦争」と語っています。
イラクでの米軍要員の死者は4000人を超え、今も14万人が駐留しています。
イラクとの戦いは第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュに続いて親子2代に渡る戦いでした。

1つ目の「Why?」は父ブッシュ大統領がイラク戦争(湾岸戦争)を終えたときです。
2つ目の「Why?」は息子ブッシュ大統領がイラク戦争を始めたときです。
父のときはイラクがクウェートに侵攻し制圧しようとしたので、米軍を主体とする多国籍軍はクウェートを守ろうとしました。
これには「大義名分」があり世論も支持しました。
フセイン政権を絶体絶命のところまで追い詰めながら、手を引いてしまいました。
「Why?、あと一押しなのに」と思いました。
この判断が後に息子ブッシュ大統領を苦しめることになります。
このとき父ブッシュ大統領は「ここまで追い詰めれば、あとはイラク国民がフセイン政権を倒し、民主的な国を建設するだろう」と考えたのかも知れませ。
事実、フセイン政権は追い詰められましたが息を吹き返します。

息子ブッシュ大統領のときはイラクを攻める「大義名分」がありませんでした。
イラク戦争を始めたとき「Why?、なぜ今」と感じました。
開戦の理由とした、大量破壊兵器(WMD)がイラクには無く、ブッシュ大統領はインタビューの中で「イラクでの諜報活動は失敗だった、私は戦争を望んだわけではなかった」と弁明しています。

258、テディベア

2008年12月04日 | Weblog
アメリカ合衆国26代大統領セオドア・ルーズベルトは、マンハッタンで生まれています。
生家はニューヨークの名門で、32代大統領フランクリン・ルーズベルトは従兄弟にあたります。
257、ロングアイランド」で、ニューヨークの富裕層の多くがこの地域に別荘を持っていると書きましたが、セオドア・ルーズベルトの別荘もロングアイランドのオイスターベイにあり、現在は国立史跡になっています。
私の家から近く、行ったことがあります。
大統領就任時の42歳10ヶ月は史上最年少です。(ジョン・F・ケネディは43歳)
25代大統領ウィリアム・マッキンリーが暗殺され、副大統領から大統領に昇格したもので、選挙で選ばれた大統領としてはケネディが史上最年少です。

セオドア・ルーズベルトは日露戦争当時のアメリカ大統領で、戦費が底をつき一刻も早く戦争を終わらせたい日本は、ハーバード大学の同窓生で旧知の間柄あった金子堅太郎を全権大使としてアメリカに送り、ロングアイランドの別荘で講和の調停を依頼しました。
ルーズベルトは停戦からポーツマス条約での和平交渉に尽力した功績によって、1906年ノーベル平和賞を受賞しています。
1919年にロングアイランドの別荘で死去し、墓地も近くにあります。(享年61)

愛称はテディで、世界中で愛されている熊の縫いぐるみテディベアは、大統領が狩猟中に小熊の命を救ったとされるエピソードをもとに作られました。