先日書いた、「筋トレ不幸論」なる記事が面白かったと、Twitterで知り合った人に感想を頂いた。
それで気分を良くしたので調子に乗って何か書こうという。単純な奴である!
しかし、ふとした事で気になったりすると、それに纏わる話が舞い込んで来たり、思い出したり、はたまた身に覚えがあったなどととなったりする。不思議なものである。
感想を頂けた方とは別の方とのやり取りの件で、そういえば・・・と思う話を少々書いておく。
詳しくはTwitterの記事を!と言うのはここしか見ていない人には困るので、簡単に話をする。
タバコのニコチンというものは、体内の神経並びに筋肉に受容体があり、これに取り付くことによってエネルギーとして利用されるという。
これが不足する場合は、ATPというのが余分に生産されるという。アデノシン三リン酸の略称のようである。
こうなると、筋肉と運動野が強固な共鳴を維持することになる、という。
この話からすると、これが昔読んだ、喫煙者のアスリートの成績が良かったという比較実験の報告の原因なんだろうと。躁うつ病や花粉症が治るのは、神経だけでなく筋肉にも影響があるからかなんだろうと。身体のこわばりが和らぐのかなと。
そんなことを書いたら、返信があった。こういう内容である。
「自分は余り動かない日もあるが、その場合は物を書いたり深く考えて脳を鍛える。脳を鍛えていけば筋肉を増やすことも可能だ」と。
その話を受けて即座に思い出したことがあり、こちらも返信した。
とあるセミナーを開いていた氣功士の方が語っていたが、身体と脳は連動している。頭を良く使う、例えば教授だとかは特に鍛えていないのに結構丈夫だったりするものだと。
それで脳力開発のために、普段脳の内で働いていない部分を活性化させる氣功の訓練へと話は続いているのだが、その内容はネット上から消えているので、参照することが今は出来ない。
とはいえ、理屈は簡単で、両手のひらでボールを持つような具合にして意識を集中するという、氣功の初歩訓練だったように覚えている。それを毎日やっていくと、脳の内で神経回路が繋がり、さらに強化されていくと語っていた。
日常では繋がり得ないものが繋がって、幅が広くなるのだと言える。
この話と思考で筋肉が増えることに何か関連があるのか?と思われるだろう。
件の氣功士の方が引き合いに出したのは、日常レベルの延長上の賢さの大学教授である。
とすると、日常では中々使わない脳の部分を開発していくとどうなるか?常人離れとまでは行かなくとも、余り動かなくても鍛えられるという具合になってもおかしくはない。
拙自身も、前腕部は、ビルダーみたいにはならないが、鍛えてもないのに意外と筋肉があるなどと評されたことがある。
その時は、マウスとキーボード操作で文字チャットしながらゲームしてるから、そのせいで鍛えられたのだ、などと冗談を返したものである。
関連した話で有名人を引き合いに出すと、ブルース・リーがいる。
リーは映画の中でとても素早い攻撃を繰り出して相手を倒すのがカッコいいのだが、リーが普通にアクションを取ると速すぎてまともに映らないので、リーに速度を落としてもらって撮影していたという。
また、相手の手のひらにあるコインを手が閉じるまでの一瞬で相手が気付かないうちに奪い取るといった、とんでもない早業が出来たとかいう。この「コインマジック」はよく人に見せびらかしていたそうな。
また逆に、相手が気が付かないうちにその手のひらに戻すだとか、目を疑いたくなるような具合である。
何故このような身体を持つに至ったのかというのを、この話を紹介していた動画が語るには、「脳を極限まで鍛えた」というようなことを述べていた。
実際に、リーは脳浮腫で亡くなっているので、脳の使い過ぎのせいというのも、あり得そうではある。
この世は思考した通りになるという。意識したことが起るのだと。
筋トレで筋肉が付くのは、筋肉を鍛えようと脳を働かせて付いたからであって、筋トレが原因ではないのかもしれない。
とあるスポーツドクターの話だが、筋肉が膨張するのは、リラックスしている状態だと述べていた。
勿論、トレーニングを行った上での休息という話だが、ここでもう一つ面白い話がある。
脳が一番働いている状態は、実はぼんやりしている時なのだとか。
あれやこれやと思考を巡らせて整理をつけたりしているという説がある。
ぼんやりしてくるのには何かがあったからと言えるので、上記のスポーツドクターの話となんだか似てくる。
思考というものは目には見えないが、見えないものが見えるものを作り上げるというのは、度々ここで書いてきたことではあるが、改めて目にすることになったわけである。いや、見えないか。
では、よき終末を。
それで気分を良くしたので調子に乗って何か書こうという。単純な奴である!
しかし、ふとした事で気になったりすると、それに纏わる話が舞い込んで来たり、思い出したり、はたまた身に覚えがあったなどととなったりする。不思議なものである。
感想を頂けた方とは別の方とのやり取りの件で、そういえば・・・と思う話を少々書いておく。
詳しくはTwitterの記事を!と言うのはここしか見ていない人には困るので、簡単に話をする。
タバコのニコチンというものは、体内の神経並びに筋肉に受容体があり、これに取り付くことによってエネルギーとして利用されるという。
これが不足する場合は、ATPというのが余分に生産されるという。アデノシン三リン酸の略称のようである。
こうなると、筋肉と運動野が強固な共鳴を維持することになる、という。
この話からすると、これが昔読んだ、喫煙者のアスリートの成績が良かったという比較実験の報告の原因なんだろうと。躁うつ病や花粉症が治るのは、神経だけでなく筋肉にも影響があるからかなんだろうと。身体のこわばりが和らぐのかなと。
そんなことを書いたら、返信があった。こういう内容である。
「自分は余り動かない日もあるが、その場合は物を書いたり深く考えて脳を鍛える。脳を鍛えていけば筋肉を増やすことも可能だ」と。
その話を受けて即座に思い出したことがあり、こちらも返信した。
とあるセミナーを開いていた氣功士の方が語っていたが、身体と脳は連動している。頭を良く使う、例えば教授だとかは特に鍛えていないのに結構丈夫だったりするものだと。
それで脳力開発のために、普段脳の内で働いていない部分を活性化させる氣功の訓練へと話は続いているのだが、その内容はネット上から消えているので、参照することが今は出来ない。
とはいえ、理屈は簡単で、両手のひらでボールを持つような具合にして意識を集中するという、氣功の初歩訓練だったように覚えている。それを毎日やっていくと、脳の内で神経回路が繋がり、さらに強化されていくと語っていた。
日常では繋がり得ないものが繋がって、幅が広くなるのだと言える。
この話と思考で筋肉が増えることに何か関連があるのか?と思われるだろう。
件の氣功士の方が引き合いに出したのは、日常レベルの延長上の賢さの大学教授である。
とすると、日常では中々使わない脳の部分を開発していくとどうなるか?常人離れとまでは行かなくとも、余り動かなくても鍛えられるという具合になってもおかしくはない。
拙自身も、前腕部は、ビルダーみたいにはならないが、鍛えてもないのに意外と筋肉があるなどと評されたことがある。
その時は、マウスとキーボード操作で文字チャットしながらゲームしてるから、そのせいで鍛えられたのだ、などと冗談を返したものである。
関連した話で有名人を引き合いに出すと、ブルース・リーがいる。
リーは映画の中でとても素早い攻撃を繰り出して相手を倒すのがカッコいいのだが、リーが普通にアクションを取ると速すぎてまともに映らないので、リーに速度を落としてもらって撮影していたという。
また、相手の手のひらにあるコインを手が閉じるまでの一瞬で相手が気付かないうちに奪い取るといった、とんでもない早業が出来たとかいう。この「コインマジック」はよく人に見せびらかしていたそうな。
また逆に、相手が気が付かないうちにその手のひらに戻すだとか、目を疑いたくなるような具合である。
何故このような身体を持つに至ったのかというのを、この話を紹介していた動画が語るには、「脳を極限まで鍛えた」というようなことを述べていた。
実際に、リーは脳浮腫で亡くなっているので、脳の使い過ぎのせいというのも、あり得そうではある。
この世は思考した通りになるという。意識したことが起るのだと。
筋トレで筋肉が付くのは、筋肉を鍛えようと脳を働かせて付いたからであって、筋トレが原因ではないのかもしれない。
とあるスポーツドクターの話だが、筋肉が膨張するのは、リラックスしている状態だと述べていた。
勿論、トレーニングを行った上での休息という話だが、ここでもう一つ面白い話がある。
脳が一番働いている状態は、実はぼんやりしている時なのだとか。
あれやこれやと思考を巡らせて整理をつけたりしているという説がある。
ぼんやりしてくるのには何かがあったからと言えるので、上記のスポーツドクターの話となんだか似てくる。
思考というものは目には見えないが、見えないものが見えるものを作り上げるというのは、度々ここで書いてきたことではあるが、改めて目にすることになったわけである。いや、見えないか。
では、よき終末を。