先日、対立する意見の両方を読んでいた。
いわゆる陰謀論という事柄ではある。しばらく前にも、ヤフーニュースだかで「陰謀論」と見出しに出てきたりで、話題になっている。
どのような話を耳にしたのかというと、いわゆる陰謀論というのが広まったのは、その陰謀論で指摘されている支配層が広めたからだという話であった。
陰謀とは陰で謀ると書く。目立たないように見つからないようにするから陰謀であって、広まったら陰謀とは言えない。
外交機密というものがあるが、脅されたりで外国、つまりはお互い仮想敵国なわけだが、その相手方に渡しかねない状態になった時にどうするかというと、公開してしまうというのがある。外交員だとかの命も守るためにである。
機密として手に入れるから効果が高いのであって、周知の事実としてしまっては意味が無くなるのである。本当に漏れてしまうと国がひっくり返るようなものは、末端には渡さないものである。
陰謀を陰謀論として広めるとどうなるか?知った人々の具合によって、二分されることが想定される。
陰謀論と書いたが、「兵法」を想像して貰えば早いかもしれない。
隣り合ったAとBという国があり、お互いの領土を奪おうと常々狙っているとしよう。
AがBに対してこういう話をばら撒く。諜報員を使ってB国内で吹聴させるのである。
「A国は飢饉で国がガタガタだ」といった具合の「機密情報」を流させる。他にも「政変があって統率がとれなくなっている」だとか、そういう具合である。無論、それ自体は嘘である。
そしてB国はそれに乗ってA国を攻めに国境を越えてみたら、満を持して待機していたA国に主力を撃滅され、B国は国防もままならずに併呑される、といった具合である。
よく陰謀論界隈で取りざたされる言葉に「工作員」というのがある。諜報員は工作員の一種となる。
大体の使い方は、いわゆる陰謀論を論破してくる相手に向かって「工作員」と罵ることが多いように見受けられる。
「工作員」と呼ばれた方はどういうことを言っていたかというと、上記の通りに論破することと、陰謀論に嵌ることで国内感情が分断されることになるという指摘をしていることが多いようである。
さて、工作するにはどこが一番か?上記の例を改めて見てもらうと分かり易いだろう。
A国人がB国人の振りをして嘘を流す、というのが効果的だったというのがお分かりかと思われる。
もしくはB国人を買収するという方法もあるが、過程は関係ない。
ついでに、「工作員」と罵られた人たちも同じことを指摘していたが、受け入れられなかったようである。
グループのリーダーを追い落とす際にも似たような手法が使える。
まずはその意見に同調し、どんどん盛り上げておく。そして最後の最後で登り切るであろう梯子を落としてしまうという訳だ。
こういう話は陰謀論界隈限定ではないが、陰謀論と呼ばれる話の中には、根拠薄弱な物や、証拠写真として提出されているものが合成であったりと、ネタには事欠かない。
スピ系だとか宇宙だとかになると、示された根拠を調べることすら普通では無理となる。
とはいえ、今まで定説だとされていたことが、ある実験や新史料の発見で覆されるということはある。
面白いことに、先ほどから書いてきた対立の話は、同じ結論を述べている。
それは「新しい時代になっている」であった。
新しい時代では嘘が通じなくなるので、嘘を付くと罰せられるぞ!とお互い言い合っているのである。
どちらが正しいかと?「正しい」という言葉の定義によるといえばよるが、どちらも正しいことには違いない。
先ほどのA国とB国に振り分けるなら、合成写真やら薄弱な根拠まで振りかざす陰謀論者をAとして、それにまともな論拠(でない可能性もあるが)で論破して諭しているのがBとする。大多数の人はBの内にいる。Aと直接関わることは少ない。
AはAで正しいと思っている。根拠がデマであったりすることがあるのは、「正しい」と思っているが故である。
BはBで正しい。現代社会で提示されている根拠を示して論破しているからである。これまでの現状に繋がる現代社会を「正しい」と思っているが故である。
個々人がどこまで認識し考えているかは計りようがないが、逸脱が多く見えるのはAとは言える。
Bについては、元Aだった人も多く、アレルギー反応の如くになっている人もいるだろう。かくいう拙もそういう具合で、AとBを行ったり来たりに近い。
このように分断されているというわけだが、これを軍事や政治方面に当てはめると、Bの状態に分類できる内で、これまでの現状にすがっている状態の人が大半だと、国防上、無防備な面が多くなる。例の風邪の注射の件なんかが顕著だろう。
反対にAのような現状打破を前面に打ち出すと、諸外国から袋叩きに遭う可能性が高くなる。例の注射の話で例えるなら、契約の内容はともかくとして、一方的に取引を破棄するのは問題となり得る。
日本は二本立てで動いているから日本(にほん)、というのを聞いたものである。
もしかしたら、この状態が「正しい」のかもしれないと思えてくる。
何故か?この世を支配している存在があるとして(陰謀論でいう略称D・Sではなく)、意見が対立しているほうが、状況に合わせて転がしやすくなるからである。転がすこと自体は既定路線なのだと。我々は生きているつもりで、転がっているだけなのかもしれない。
その転がった先がどういうものかは、正しく神のみぞ知る、といったところかと思われる。
転がっている最中は文字通り目まぐるしいだろうが、あれやこれやと目を配ると酔ってしまう。
車酔いを防ぐ方法として、一点を見続けること、というのがある。
土台、全景を目に焼き付けることなど不可能である。なれば一点に集中すべし、となる。
一点に集中していると、そのうち集まって全景になり得るかもしれない、などと考えるのも一興である。
情報だらけので車酔いの如くの時代なればこそ、「自身が何を求めているか」の一点を見据える。
そうすれば、デマの吹聴やらそれに乗せられることも、現状にすがるだけもなくなるのかもしれないが、人のことは言えないのでこの辺りで終わりとする。
では、よき終末を。
いわゆる陰謀論という事柄ではある。しばらく前にも、ヤフーニュースだかで「陰謀論」と見出しに出てきたりで、話題になっている。
どのような話を耳にしたのかというと、いわゆる陰謀論というのが広まったのは、その陰謀論で指摘されている支配層が広めたからだという話であった。
陰謀とは陰で謀ると書く。目立たないように見つからないようにするから陰謀であって、広まったら陰謀とは言えない。
外交機密というものがあるが、脅されたりで外国、つまりはお互い仮想敵国なわけだが、その相手方に渡しかねない状態になった時にどうするかというと、公開してしまうというのがある。外交員だとかの命も守るためにである。
機密として手に入れるから効果が高いのであって、周知の事実としてしまっては意味が無くなるのである。本当に漏れてしまうと国がひっくり返るようなものは、末端には渡さないものである。
陰謀を陰謀論として広めるとどうなるか?知った人々の具合によって、二分されることが想定される。
陰謀論と書いたが、「兵法」を想像して貰えば早いかもしれない。
隣り合ったAとBという国があり、お互いの領土を奪おうと常々狙っているとしよう。
AがBに対してこういう話をばら撒く。諜報員を使ってB国内で吹聴させるのである。
「A国は飢饉で国がガタガタだ」といった具合の「機密情報」を流させる。他にも「政変があって統率がとれなくなっている」だとか、そういう具合である。無論、それ自体は嘘である。
そしてB国はそれに乗ってA国を攻めに国境を越えてみたら、満を持して待機していたA国に主力を撃滅され、B国は国防もままならずに併呑される、といった具合である。
よく陰謀論界隈で取りざたされる言葉に「工作員」というのがある。諜報員は工作員の一種となる。
大体の使い方は、いわゆる陰謀論を論破してくる相手に向かって「工作員」と罵ることが多いように見受けられる。
「工作員」と呼ばれた方はどういうことを言っていたかというと、上記の通りに論破することと、陰謀論に嵌ることで国内感情が分断されることになるという指摘をしていることが多いようである。
さて、工作するにはどこが一番か?上記の例を改めて見てもらうと分かり易いだろう。
A国人がB国人の振りをして嘘を流す、というのが効果的だったというのがお分かりかと思われる。
もしくはB国人を買収するという方法もあるが、過程は関係ない。
ついでに、「工作員」と罵られた人たちも同じことを指摘していたが、受け入れられなかったようである。
グループのリーダーを追い落とす際にも似たような手法が使える。
まずはその意見に同調し、どんどん盛り上げておく。そして最後の最後で登り切るであろう梯子を落としてしまうという訳だ。
こういう話は陰謀論界隈限定ではないが、陰謀論と呼ばれる話の中には、根拠薄弱な物や、証拠写真として提出されているものが合成であったりと、ネタには事欠かない。
スピ系だとか宇宙だとかになると、示された根拠を調べることすら普通では無理となる。
とはいえ、今まで定説だとされていたことが、ある実験や新史料の発見で覆されるということはある。
面白いことに、先ほどから書いてきた対立の話は、同じ結論を述べている。
それは「新しい時代になっている」であった。
新しい時代では嘘が通じなくなるので、嘘を付くと罰せられるぞ!とお互い言い合っているのである。
どちらが正しいかと?「正しい」という言葉の定義によるといえばよるが、どちらも正しいことには違いない。
先ほどのA国とB国に振り分けるなら、合成写真やら薄弱な根拠まで振りかざす陰謀論者をAとして、それにまともな論拠(でない可能性もあるが)で論破して諭しているのがBとする。大多数の人はBの内にいる。Aと直接関わることは少ない。
AはAで正しいと思っている。根拠がデマであったりすることがあるのは、「正しい」と思っているが故である。
BはBで正しい。現代社会で提示されている根拠を示して論破しているからである。これまでの現状に繋がる現代社会を「正しい」と思っているが故である。
個々人がどこまで認識し考えているかは計りようがないが、逸脱が多く見えるのはAとは言える。
Bについては、元Aだった人も多く、アレルギー反応の如くになっている人もいるだろう。かくいう拙もそういう具合で、AとBを行ったり来たりに近い。
このように分断されているというわけだが、これを軍事や政治方面に当てはめると、Bの状態に分類できる内で、これまでの現状にすがっている状態の人が大半だと、国防上、無防備な面が多くなる。例の風邪の注射の件なんかが顕著だろう。
反対にAのような現状打破を前面に打ち出すと、諸外国から袋叩きに遭う可能性が高くなる。例の注射の話で例えるなら、契約の内容はともかくとして、一方的に取引を破棄するのは問題となり得る。
日本は二本立てで動いているから日本(にほん)、というのを聞いたものである。
もしかしたら、この状態が「正しい」のかもしれないと思えてくる。
何故か?この世を支配している存在があるとして(陰謀論でいう略称D・Sではなく)、意見が対立しているほうが、状況に合わせて転がしやすくなるからである。転がすこと自体は既定路線なのだと。我々は生きているつもりで、転がっているだけなのかもしれない。
その転がった先がどういうものかは、正しく神のみぞ知る、といったところかと思われる。
転がっている最中は文字通り目まぐるしいだろうが、あれやこれやと目を配ると酔ってしまう。
車酔いを防ぐ方法として、一点を見続けること、というのがある。
土台、全景を目に焼き付けることなど不可能である。なれば一点に集中すべし、となる。
一点に集中していると、そのうち集まって全景になり得るかもしれない、などと考えるのも一興である。
情報だらけので車酔いの如くの時代なればこそ、「自身が何を求めているか」の一点を見据える。
そうすれば、デマの吹聴やらそれに乗せられることも、現状にすがるだけもなくなるのかもしれないが、人のことは言えないのでこの辺りで終わりとする。
では、よき終末を。