ウヰスキーのある風景

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教育という名の理不尽

2014-06-08 | 雑記
妙なタイトル、なのはいつものことだが、今回は名前負けである。


前回に引き続き、コメントを引用してはあーでもないこーでもないというノリである。ご容赦は願わぬ!

さて、しばらく放置しているラヂヲの、直近のところ、といってももう二ヶ月くらい経つか。そこにあるコメントである。

いつも噛み付いてるが、今回は噛み付かない。といいつつ噛み付くのは、犬が自分の尻尾を追いかけて噛みまわる仕草と同じだと思えばよい。


それはさて措き。

こうある。

社会運動ですか… 
出来る限り多くの人に広めて世の中を変えるってことですよね? マイペースじゃダメなんでしょうか。
でもみんなが目覚めて超健康になったりしたら人多すぎですね(笑)



こちらの方は、このコメントを書き込んだ時点では、おまけとその後の一つのどこまでかは不明だが、途中まで聞いていたという。

為清のおっさんが、「社会運動を起こしたかったのに、誰も理解していなかったんだよ」などと言っていたという話の部分を聞いてはいたのだろう。

ちなみに、そのおっさんがそう言い出したのは、上記のコメントの方が、以前のラヂヲの最終回の時にしていたコメントを見て言ったのである。そこも蒸し返してみようか。


私は「聴きたい人は聴けばよい」と思っているので興味がない人に無理に勧めることはしませんでした。(ごめんなさい)
ただ楽しんでラヂヲを聴き、ブログを読んでいました。

でもアンジョーさんがもし使命感からブログやラジヲをされていたのでしたら確かに重荷になることもあったでしょう。
今まで通りラヂヲを聴けないのは残念ですが、これからはどうかアンジョーさんのやりたいことをやってくださいね。


このあたりを読んで言っていたと記憶している。


で、わしはラヂヲでこう言ったように覚えている。いや、忘れた。

「あんた(為清)は、社会運動を起こしたかったんじゃない。勝手に周りで起きて欲しかっただけだ」と。

だから、講演を頼まれもしたのに、色々と理由をつけてやらなかったんだ、と。

あんたはどこにいる?この社会じゃなかったのか?じゃあなぜ、社会の方から関わってこようとしてきたのに無視した?というわけである。

ジョン某のように元工作員で命に関わる可能性がある人物でもなく、「社会運動のために本名を名乗ってやってきた」というくせに、本体はさらさないそうだ。あんたの豚みたいな体に紐ついた名前も体も「社会」だろうに。
正しい食生活とやらで昔より痩せたそうだが、豚には違いない。それはまあ、前回言ったか。
豚のように食って太った豚、豚のように痩せ、森の肥やしとなる。R.I.P.(こらこら)

と、本題から逸れるので、これ以上はやめておく。


さて、コメントの方は、なにやら社会運動とやらに関わらなければならないのかな?という風に思っているのだろう、こう聞いている。

マイペースじゃダメなんでしょうか。

自分のコメントを引用したくないので(長くて読み返すのが面倒である)、詳細はコメント一覧から探していただければと思うが、概略、こう伝えた。

「世の中のペースも誰かの作ったマイペースぢゃよ」と。

だめなんでしょうか?で不謹慎にも思ったのが、二位じゃだめなんですか?だが、まったく関係ないので忘れてもらう。



少々意地悪なことを言っておく。

そこでもし、わしがこう返事したら、あんた、どうするのかね?

「マイペースではいけません!」と。


こっちのコメントはどっちとも取れるような、しかも長くて訳のわかり難いような話をやってはぐらかしてる感じにしたのは、わざとである。
仕事の合間に、ぱっと思いついて書き上げたというのもあるが。


マイペースじゃいけないんですか?というのも、書いてて引っかかってきたのでもう少し。

自分で自身のことをマイペースだと思っているというのは、やはり、何か別のペースに引きずられているからじゃないか、と感じる。
だからこそ、上記の問いかけをしたんだろうと。


では、変な例え話を。

ある親子がそこにいる。架空である。

父は子に向かって語る。

父「人に流されない、自分というものをしっかり持った人になるんだぞ!」

子「うん、わかったよ、父さん!」

父「人の言う事にホイホイうなずくんじゃあ、ない!」バシーン

子「うん、わかったよ、父さん!」

父「人の言う以下略」


これを思いついたのはいいが、上手くまとまらん。

それで、あんなタイトルになったわけだが、これを理不尽と受け取るかどうかは、ご自身でお考えいただきたい。


教育学者のアリス・ミラーは、およそ全ての教育といい躾というものは、全て虐待に成り得るという。

その、教育の皮を被った虐待で育った子供は内面が死ぬ。ミラーは「魂」と言っていたような気がする。そして、己の子供や、場合によっては権力者になり、自身が被った虐待を、立場の弱きものへと向ける。丁度、ヒトラーがそうだったように。

いわば、復讐をするわけである。しかし、本来復讐すべき存在は居なくなっているのがほとんどなので、エスカレートしていく。

性欲を昇華することによって文明が発達した、という分析の内実は、こういうものだといえるかもしれない。

そうすると、ちとライヒは単純だったのかもしれないな、と思う。


ミラーのいう「魂」が死ななかった子はどうなるかというと、自身に誠実である。この自身が、周りから切り離した状態での「個人」として、ではなかろう。

その「魂」が生きた個人は、社会の理不尽に立ち向かう力強さを持ちうる。
社会が理不尽なのか、自身の思いが理不尽なのか、それを見極めつつ、社会を生きていく。

それが社会運動とやらに結実していくということはありえるだろう。そうなったものこそが社会運動と呼ぶに相応しい。


「社会運動を起こしたかった」なぞと言っていた輩は、最初から魂が死んでいた。ただただ、社会が憎いというのみである。

社会、に色々含まれようが、小さくは個人対個人、大きくは家族やら地域、国家といった風に繋がる。もっとも小さい社会は個人の内である。


社会というご自身が憎いから、太ったら憤り、野犬と変わらんようなバカとちとイザコザがあったら憤慨し、「正しい知識」でもって欲望を昇華する。

話が横道にそれるが、もう少し。もうちょっとだけ続くんぢゃ!


暇人会館とかいう、しょーもない集まりのうちで、おっさん、いや、おっさんら、か。言っていた。肉を食うことについて、である。

「正しい知識でもって、肉を食べたいという気持ちをなくしていくようにする」という風に。

これをこれ、「昇華」という。性「欲」は昇華してはならぬが、食「欲」は昇華すべきもの、と。


これは、ご自身でご自身の魂を殺してきたということである。そうなる元は子供時代からあったからであろうが、理解できないから同じことを繰り返してきた。違うかな?



長くなった。一言で済むといえば済むんだが、その一言だけでは勘違いするのもまた事実。


「自分の胸に手を当て考えよ」



そこにミラーのいう「魂」が息をしているなら、他人の話は参考に、それから自分で動くようになる。動くってのは別に動き回るだけではないことを、老婆心ながら申し伝えておく。

安請け合いはしたくないが、「マイペースじゃだめなんでしょうか?」と聞いてくるくらいなら別に大丈夫だろうと、そう存じ上げております。

ほれ。「魂」が死んでいる方々は、まるで理性を失ったかのように騒ぎ立てるぢゃろう?

彼らが彼ら自身の胸に手を当て考えたといったところで、そんなものはアメリカで裁判の前に聖書に手を乗せて「嘘つきません!」と誓う、ポーズである。


「魂」とやらは、知識なんぞで見えてくるものではないし、わしにも他人にもどーすることも出来ないから、コメントをくれた方がどうしたいかは、「マイペース」で決めていただく以外にないというわけである。

では、よき暇つぶしを。