武士道とは、死ぬことと見つけたり。とは、山本常長の『葉隠』の一節である。
とかいいながら、後で「好きなことやって好きなように生きて死んだらいい」という風なことも書いている。
それはともかく。
武士道とかなんとかいうと判りにくいので、噛み砕いて言えば武士という生き方だと。
その、武士とはなんなのか、だとか、そんなつまらん話をしようとは思ってないし、意味も無いのでやらんが、それよりもっとつまらない話になるので、お覚悟願う。
巷間には数多の逝き方、じゃなかった行き方でもない。生き方がある。
果物と葉野菜だけ食うのがかつて猿だったときからの正しい食生活だから、そうやって生きるべし!とか、健康に生きねばならぬから、病気にならないように健康的な生活をしなくてはならぬ!だとか、健康に生きてないと、「病人」に支配されるから健康に生きなきゃならないんだ!とまるでキチガイのように生きていたりと。ああ、これ全部同じ方面の話だったな。
現代は武士という存在はいないので、武士道、というのはないが(剣道だとか茶道だとかはあるが、措いてくれ)、「道」ならある。
ナントカ主義、というやつである。ナントカは好きな獄、ではない語句を当てはめていただければ結構。事実関係に即したものを当てはめるのは当たり前だが、そんなことは言わんでもいい。
単純に菜食主義だとか健康主義だとか、自然主義とかいったりする。ものによっては微妙に主義というものの扱いが違っているのだろうが、なんとなくナントカ主義で思い当たる言葉をいくつか引っ張り出してきてみよう。
で、「主義」の前に「至上」をいれてほしい。
菜食至上主義だとか、資本至上主義だとか、共産至上主義だとか。
必ずしも略されている、とはいわんが、ナントカ主義というのは、それを神様だと崇め奉ることを言うのである。一番上だから至上。ナントカ主義というのも翻訳語だったと思われる。
どこからのといえば、ヨーロッパのismとかsismがついた言葉を翻訳したものだろう。詳しくはしらん。嘘っぱちだと思うから自分で調べていただきたい。
ヨーロッパの方から来たとして、こりゃなんなのかと。善と悪を理性だかなんだかで分離し、人間は善の立場に至るべきで、悪は滅ぼすべし!がキリスト教の論理だと、簡単に言える。ナントカ至上主義というのはそういうものだと。
こーいうのはなんなのか。これは「神」のために生きる、ということである。
神のためには十字軍なんか作ってはるばるアラビアまでいっては虐殺したりされたりまでする。がんばったら神の国にいけるよ!と。
ナントカ至上主義のお歴々が、神を崇め奉っているとは思っていないだろうから、この場合は「道徳」といえる。まあ、似たようなもんだが、書いて説明するには余白足りないので、フェルマーの真似じゃないが、ここには書かない。
話を戻す。
神のために生きている、もしくは生きていた人々は、神のために死ぬこと(を受け入れていたかはともかく)もあった。
もっと簡単にいうと、「何かのために生きるということは、その何かのために死ぬこと」である。
共産主義者は、共産主義でないものを殺しまくったという話だが(資本主義にしても同じである)、彼らは全部が殺されたとはいわんが、共産主義と共に死んでいった。
共産主義だとかいう思想は生き残っているが、そのために生きたものは、そのために死んでいった。
どこかのエコロジストくずれが、地球のために、という風なことを散々言っていた。その前提の理屈として、個々人が正しく(「自然」という意味で)あれば、地球に繋がっているので共々に繁栄していくのだ、と。で、そのためには文明を否定すべし!となっている。判り易いお方だ。
これをグローバリズム、とは言わないが、グローバリズムを返って推し進めている気がしないでもない。その辺りは以前、ラヂヲで簡単に触れた気がする。
あなたはわたし、わたしはあなた、などと言っていた。だが、あなたはわたしでもあるが、わたし自身ではないし、またその逆も然り。
父と母はあなたを産んだが、どちらもあなた自身ではない。ないのだが、己の思想とやらが理解できないからといって、上記の言を借りていえば「あなたはわたしではない」などと、某エコロジストくずれは、曰う。
理解してようがしてまいが、「あなたはわたし、わたしはあなた」ではないのかね?
そうなってなければ、「地球は自然は我々の母親」のようなことを言う資格はなかったと思うが、どうだろうか。
(勘違いして欲しくないが、別に古来からの道徳的に父母を敬えなどといっているのではない。直接産んだ存在である、という程度の敬意は払えばよかろうよ)
そんな分裂をしているから、「自然」のために生きるべし、などと言い出すのである。地球の「自然」だけが「あなたはわたし以下略」なのだろう。
恐らく、地球のために死ぬ気なぞない。木が倒れてきたら必死に避けるだろう。そこでつぶれた方が肥やしになるのでよいはずだろうが、そうはしないだろう。
「自然」と書いたが、そーいう人たちが語る自然というのは妄想だと思っているので、カッコつきにしてある。これもまた余白が以下略ということにする。ラヂヲでしゃべれたらいいね!
現代のナントカ至上主義といえる諸々は、そのために死ぬ気が無いのに死を語る、詐欺師である。
武士「道」とは、死ぬことと見つけたり。まったくである。
とかいいながら、後で「好きなことやって好きなように生きて死んだらいい」という風なことも書いている。
それはともかく。
武士道とかなんとかいうと判りにくいので、噛み砕いて言えば武士という生き方だと。
その、武士とはなんなのか、だとか、そんなつまらん話をしようとは思ってないし、意味も無いのでやらんが、それよりもっとつまらない話になるので、お覚悟願う。
巷間には数多の逝き方、じゃなかった行き方でもない。生き方がある。
果物と葉野菜だけ食うのがかつて猿だったときからの正しい食生活だから、そうやって生きるべし!とか、健康に生きねばならぬから、病気にならないように健康的な生活をしなくてはならぬ!だとか、健康に生きてないと、「病人」に支配されるから健康に生きなきゃならないんだ!とまるでキチガイのように生きていたりと。ああ、これ全部同じ方面の話だったな。
現代は武士という存在はいないので、武士道、というのはないが(剣道だとか茶道だとかはあるが、措いてくれ)、「道」ならある。
ナントカ主義、というやつである。ナントカは好きな獄、ではない語句を当てはめていただければ結構。事実関係に即したものを当てはめるのは当たり前だが、そんなことは言わんでもいい。
単純に菜食主義だとか健康主義だとか、自然主義とかいったりする。ものによっては微妙に主義というものの扱いが違っているのだろうが、なんとなくナントカ主義で思い当たる言葉をいくつか引っ張り出してきてみよう。
で、「主義」の前に「至上」をいれてほしい。
菜食至上主義だとか、資本至上主義だとか、共産至上主義だとか。
必ずしも略されている、とはいわんが、ナントカ主義というのは、それを神様だと崇め奉ることを言うのである。一番上だから至上。ナントカ主義というのも翻訳語だったと思われる。
どこからのといえば、ヨーロッパのismとかsismがついた言葉を翻訳したものだろう。詳しくはしらん。嘘っぱちだと思うから自分で調べていただきたい。
ヨーロッパの方から来たとして、こりゃなんなのかと。善と悪を理性だかなんだかで分離し、人間は善の立場に至るべきで、悪は滅ぼすべし!がキリスト教の論理だと、簡単に言える。ナントカ至上主義というのはそういうものだと。
こーいうのはなんなのか。これは「神」のために生きる、ということである。
神のためには十字軍なんか作ってはるばるアラビアまでいっては虐殺したりされたりまでする。がんばったら神の国にいけるよ!と。
ナントカ至上主義のお歴々が、神を崇め奉っているとは思っていないだろうから、この場合は「道徳」といえる。まあ、似たようなもんだが、書いて説明するには余白足りないので、フェルマーの真似じゃないが、ここには書かない。
話を戻す。
神のために生きている、もしくは生きていた人々は、神のために死ぬこと(を受け入れていたかはともかく)もあった。
もっと簡単にいうと、「何かのために生きるということは、その何かのために死ぬこと」である。
共産主義者は、共産主義でないものを殺しまくったという話だが(資本主義にしても同じである)、彼らは全部が殺されたとはいわんが、共産主義と共に死んでいった。
共産主義だとかいう思想は生き残っているが、そのために生きたものは、そのために死んでいった。
どこかのエコロジストくずれが、地球のために、という風なことを散々言っていた。その前提の理屈として、個々人が正しく(「自然」という意味で)あれば、地球に繋がっているので共々に繁栄していくのだ、と。で、そのためには文明を否定すべし!となっている。判り易いお方だ。
これをグローバリズム、とは言わないが、グローバリズムを返って推し進めている気がしないでもない。その辺りは以前、ラヂヲで簡単に触れた気がする。
あなたはわたし、わたしはあなた、などと言っていた。だが、あなたはわたしでもあるが、わたし自身ではないし、またその逆も然り。
父と母はあなたを産んだが、どちらもあなた自身ではない。ないのだが、己の思想とやらが理解できないからといって、上記の言を借りていえば「あなたはわたしではない」などと、某エコロジストくずれは、曰う。
理解してようがしてまいが、「あなたはわたし、わたしはあなた」ではないのかね?
そうなってなければ、「地球は自然は我々の母親」のようなことを言う資格はなかったと思うが、どうだろうか。
(勘違いして欲しくないが、別に古来からの道徳的に父母を敬えなどといっているのではない。直接産んだ存在である、という程度の敬意は払えばよかろうよ)
そんな分裂をしているから、「自然」のために生きるべし、などと言い出すのである。地球の「自然」だけが「あなたはわたし以下略」なのだろう。
恐らく、地球のために死ぬ気なぞない。木が倒れてきたら必死に避けるだろう。そこでつぶれた方が肥やしになるのでよいはずだろうが、そうはしないだろう。
「自然」と書いたが、そーいう人たちが語る自然というのは妄想だと思っているので、カッコつきにしてある。これもまた余白が以下略ということにする。ラヂヲでしゃべれたらいいね!
現代のナントカ至上主義といえる諸々は、そのために死ぬ気が無いのに死を語る、詐欺師である。
武士「道」とは、死ぬことと見つけたり。まったくである。