ウヰスキーのある風景

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事実誤認

2014-06-06 | 雑記
久しぶりにブログを書いたら、コメントがあった。昨日今日の話ではなく、半年以上まともに書いてなかった後。為清ラヂヲのおまけ直前のことである。

コメントに曰く、「為清のおっさんより強い」とかどうのこうのと。


為清のおっさんはHPを消し去った。最早対社会的に訴えかける手段を放棄したのだ、とコメントの仁は思ったのだろうか。

改めて読んでみたら、こうあった。

そして、伝え方も非常に重要でして、現状においてはT氏よりもアンジョーさんのほうが強く、また動画とともにテキストもあるとさらによいのですが。
順序をすっとばして一気に事実のみ、となるので覚醒者は発狂(大げさ)するんだと思います。



伝え方も重要とかなんとかいうんだが、聞く気も読む気もない人に伝えても何も伝わらんので、これは間違いである。わしがどうしゃべろうが書こうが一緒である。

そして、現状において為清のおっさんよりもわしのほうが強い、とかいうのもまったくもって意味不明である。



あのおっさん、出版社にコネがあるんだぞ?自費出版ではないようだったぞ?今年の春先に、本を出していたんだぞ?
こんな場末のところで何か書いてわめいているやつの方が強いとはどういう了見だろうか。


ついでに、覚醒がどうのこうのとかいうが、そもそも誰も覚醒なんぞしとらん。アイクはしらん。かもね?くらいでいいんじゃないかな。

為清のおっさんが覚醒なんぞしてない、という証拠としては不十分だが、頭の血の巡りが悪いようだということを書いておく。


「苦しんで滅びろ」の話を書いたししゃべったが、まだ抜けてたところがあった。意味のないような話だが、「苦しんで滅びろ」の直前に書いていた部分である。

「文明という幻の森の中で、幻のフルーツを食っていろ」とかなんとか。こーゆーことを言っていた。


アイクが言うんだが、わしらの認識というものは、丁度、映画『マトリックス』と同じ状況であると。

つまり、植物人間状態で見てる夢を現実だと思い込まされていたが、主人公達はそれを抜け出して、本当の物質世界、あれは映画だからこういうが、わしらが現在いる状態の世界を取り戻そうとしている、という内容である。

で、ここで間違えてはいけないのが、マトリックス(植物人間状態の夢)を抜けたところで、本当の物質世界なんぞない、といっている。

その点を除けば、あの映画の表現は正しいと、アイクは述べていた。



つまり。

為清のおっさんは、文明はマトリックスで、それを抜けた先にある森が、緑あふれる地球とやらが、「本当の物質世界」だと認識しているということである。


わしは、文明なんぞ幻だと思っている。だが、エコロジストだかがすぐいう「自然」とやらも、幻だと思っている。それだけが幻だというわけではない。全部である。


度々引用しているが、アイクが言を。

「健康に越したことはないが、健康だからといってわかるものではない」と。


『Human races get off your knees』で、合ってたかな。ムーンマトリックスといったほうが早いが、それはともかく。

あれの中でも、ニューエイジの思想的指導者どもが、どいつもこいつも図ったかのように、絵に描かれているキリストのような容姿になっているといった指摘や、どこかを訪問して見た、「真理を体得するための修行」だとかなんとかで、車座だか蓮華坐だかして云々と。

アイクは膝が悪いので椅子に座っていたが、皮肉に言っていた。「真理とかいうものは、そーいうことをしないとわからないものなんだろうか」と。


アイクが見ていた車座になって何か皆でやったりするのだとか、「健康的」な食生活やら健康法やらをやるのと、どこが違うのだ?


翻訳しておきながら、そういう理屈がまったく飲み込めてないから、己の「マインド」と「ボディ」にだけすがりつくんだろう?違うか?

地球のマインドというかボディというか。地球は人自身だとか、それっぽいことをいっていたが、そういう自然というより「自然環境というマトリックス」に埋没したいだけではないのか。


だから、為清のおっさんやそれに連なる(単純にカテゴリで区別しただけのものとしての)存在はどいつもこいつも覚醒してなどいない。ラリっているだけである。




谷のおばはんが、某会員制掲示板を抜けたときに、「すぐセミナーいくような間抜け」などと、こんな表現はしてなかったが、酷評をしていた。

あんたはすぐ健康法に飛びつく間抜けだ。まあ、わしもすぐ飛びついてたもんだが。やめた。



あんたは、「太らされて醜くされた」と思い込んでいる自分の体が嫌だったんだろう?その体自体は何の意志もないのに、振り回されてたんだろう?やせたら喜んで、太ったら怒る。これはなんだ?

背が伸びたら怒って、背が縮んだら喜ばねば、つじつまが合わんな。傍らのおばはんは、乳房が縮んで喜んでいたが。

豚のように食って自ずから太ったのに、他人のせいにしてたんだろう?だから、いくら食っても太らない、正しい食い物に飛びついたんだろう?豚のように食いたいから。

食べ物のせいに、文明のせいに、人のせいに、そして地球のせいにして、自分は責任を取る気などまったくないのだろう?自由なんぞではなく、自然環境の奴隷として生命維持活動をしていたいだけなんだろう?


というわけだ。これがあのおっさんの性根だ。

こーゆーと腰砕けになるから言わんでいいのだが、わしにだって誰にだってある下らない心根ではある。

その下らない心根も己自身なのに、こんなはずではない!見たくない!と、「努力」して痩せて、文明を非難し、地球を崇め奉る。

『トランサーフィン』とやらで、人間は努力なんぞしてない、自分で書いたシナリオ通りに進んでいるだけである、障害だらけのシナリオ書いて、という風にある(上の「努力」というわけである)のを読んでいたはずなのに、「お前ごときにわしの苦労の何が判るのだ!」みたいなことをいう。

狭い豚小屋で隣の豚の耳にかみつく豚のようである。


覚醒のために頑張ると、豚になるようなので、わしは頑張らないことにする。大体、覚醒とやらも目的ではなかろうに。


お分かりか?

冒頭のコメントの仁は、順序をすっとばして一気に事実のみ、となるので覚醒者は発狂(大げさ)するんだと思います。と言っていたが、覚醒してるんじゃなくて、発狂してるだけなのだ。

「マインド」と「ボディ」に偏執してるだけなのに覚醒だと言っている。彼らがいう、地球だとか自然というのも、「マインド」と「ボディ」を大きく広げただけの話であって、それを乗り越えた話ではないのである。

だから、誰も覚醒なんぞしていないのである。はい、ここまで。



ところで、某人、なんぞと名乗ってコメントをしていた方へ。


作家の山本夏彦が言っていたが、「仕事は死ぬまでの暇つぶしだ」と。


仕事、ってのは別に労働だけでもなかろう。常住坐臥、つまり人生である。


あわよくば、このまま一生暇人として過ごしたいものです。と言っていたが、つまり、人間はそもそも暇人である。お間違えなきよう。


わしが以前、怒ったようなコメントを返したのは、別の意図もあったのだが、上記のコメントも関係ないわけでもない。が、長くなるのでそれは措いておく。では、よき暇つぶしを。