ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

残滓

2009-11-06 | 雑記
普段からお茶ばっかり飲んでいて痩せているので、茶の飲みすぎではないか?といわれていた。

最近はこの有様なので、ウヰスキーの呑み過ぎだろうと専らいわれている。

主に飲むのは緑茶。抹茶入り玄米茶を食事やおやつ、果ては何も無しに飲む。
機会は少ないが紅茶もある。昔、英国式のやり方に則って、少し拘って淹れたものだった。

さて、時折、思い出しては飲むものが一つある。抹茶だ。

むかーしむかし大学時代に茶道を習っていたのもあって、思い出しては飲んでいた。忘れてるのか。

知らない人は、抹茶なるもの(茶道に使われているものとしての認識では)を緑の粉だと思う。

長寿マンガ、「こち亀」の両さんが、「あんな緑の粉なんかこねずにお茶をだせっての」
みたいなことを言って、墓穴を掘るシーンがあった。

かく言う自分も同じことを思っていたかもしれない。どうだったか思い出せないが。

日常飲むときは、中に網のついた急須に入れてお湯を注いだ後、数十回ほど回して湯呑へ。

こうやるととても苦い。慣れているなら別に苦でもないが、繊細な抹茶の味を敢えて殺している。

というわけで長い前振りになったが、久しぶりに点前をやってみた。



ちょっと抹茶が古くなっていたのと、篩にかけていないのでダマが出来るが問題ない。


ただお茶として飲むだけならあんな作法いらんのです、というと乱暴だが、
茶筅や布巾(茶道に使うものは茶巾という専用のものがある)を用意して汚い部屋に正座する。
すると、意外と何も感じなくなるもので、多くの一般人が感じる形式張った「茶道」はそこにはない。

茶道の祖というべき茶の湯、もしくは茶湯というものは、現在に至るものの萌芽状態であった。

が、それこそ本来あるべき「茶を喫する」姿だったのかもしれないと想像すれば
唯々茶を点てるだけを以って、茶道を理解できるのだといえる。

と、妙に肩肘張ったような結びだが、要するに茶がうまかった。それだけ。では、また。