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狂人

2009-06-04 | 雑記
古代ギリシャの哲学者といおうか、ディオゲネスという人物がいる。

ソクラテス、プラトンの同時代人で、同じ名前の人もいるので、
なんとかのディオゲネスと呼ばれることもあるが、ディオゲネス。
なんとかは覚えていない。ラオルティオスだったか。

英語のcynical シニカルの語源となった、キニーク学派の始祖。
キニーク学派は日本語では犬儒派と訳された。

ソクラテスやプラトンの思想が正統、譬えるなら儒教というべきで、
老荘の徒たるディオゲネスに犬儒派とはなんたる皮肉。

彼は自身を犬だといった。すなわち
餌をくれる人には尻尾振り、怪しいものには吠え掛かる。

同時代の二大人物との挿話がある。

まずはプラトン。彼はアカデメイアの、要するに学校の先生。

ある日の授業で、プラトンは、人間についてこう定義を述べた。
「人間とは、二本の脚で立って生きる動物である」と。

ディオゲネスは鶏を教室に投げ込み、こう言い放った。
「じゃあこれは人間だな」

そしてプラトンは次の日訂正をした。曰く、
「人間とは、羽毛のない、二本足で立つ動物である」と。

そこには羽毛を毟り取った鶏が投げ込まれ、例の声が木霊する。
「これが人間だとさ」

こういった一連のやり取りで腹を立てたプラトンは彼を評して曰く、
「狂ったソクラテス」と。

もう一人の人物とはアレキサンダー大王のこと。

高名なプラトンに引けを取らない哲学者ディオゲネスに興味を惹かれ
ある日彼を訪ねた。彼は横倒しの樽に住んでいる。

その日は快晴。入り口に腰をかけ、日向ぼっこをしていた。

陽光を遮る形でディオゲネスの前に立ちはだかる大王。
彼の大王を知らずとも、注意がそちらに向いてしまうことだろう。
威風堂々とした姿に大王だと気付くのがほとんどだと思われる。

立ちはだかって曰く、
「あなたの望みを一つ叶えて差し上げましょう」と。

表情も変えず、ディオゲネスはこう言い放ったという。
「そこをどいてくれないか。陽が遮られて日向ぼっこができないので」

あまりの返答に大王は憮然として部下たちの元に戻りながら呟いた。
「私がアレキサンダーでなければ、ディオゲネスになりたかった」と。

彼の二人の心情を斟酌する能力は自分にはない。ただ、思う。
ディオゲネスになりたい、と。