咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

風が体の中を吹きぬける・・・幸村

2010-06-22 21:02:02 | レビュー
 真田信繁(幸村)が大阪冬の陣で出城の真田丸において大奮戦、夏の陣では赤備えの鎧兜に身を包み、真田の赤備え軍団として徳川家康を後一歩まで追い詰めて、最後は力尽き自刃した時から遡って30数年前のこと。



[真田信繁(幸村)](出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)


 幼名を源二郎と呼ばれていた頃、兄の名が源三郎、後の真田信之。兄が源三郎、弟が源二郎と逆転した名前になっているが、これは父昌幸が命名している。

 真田では、長男が夭逝(ようせい)していたことから、ゲンを担いで長男に“三”をつけたらしい。(通常であれば三男の名前)

 父昌幸は、二人の兄がいたので武藤家に養子に出されていた。ところが、戦で二人が亡くなり真田家に戻って家名を継いだものである。


 さて、戦国武将の一人、幼名を源二郎後の信繁(幸村)について、「真田太平記」第1巻”天魔の夏”の後段に池波正太郎が、信繁(幸村)の人間性を的確に表す素晴らしい文章がある。

 全12巻を読み終えた後もいつまでも心の片隅に残っている。その文章は、信繁(幸村)16歳の時、本人の言葉に代えて記されている。


 戦国随一の武田軍団を率いた武田家が滅び、武田家に仕えていた真田昌幸が上・信二州に孤立していた戦国時代。


 戦国武将の子が単騎、野外へ飛び出して行くことが珍しいことではなかった頃、16歳の源二郎は、度々単独で何処かに出かけ、何処かに泊まっていた。
 砥石城から迎えに来た二人の士(もの)に次のように言っている。


 「おりゃな、小助。七郎。ひとりきりで、おもいきり馬を走らせていると、風が体の中を吹きぬけるようなおもいがする」
 源二郎はいった。
 そこまではよいのだが、つぎに

 「その風が、おれの体を吹き抜けるとき、おれの心ノ臓や腸(はらわた)や肝(きも)が、風といっしょに体の中から外へ飛び出してしまうような気がして、まことに凄まじく、こころよい」

 というのだ。
 16歳の少年の言葉として、この言葉は尋常の表現とおもえぬ。
   (出典:真田太平記(一)天魔の夏 抜粋)


 正にこの文章には、信繁(幸村)の人間的魅力とその大きさが見事に表現されている。

 権謀術数で戦国時代を駆け抜けた父昌幸、兄信之、そして弟信繁の真田一族、それを取り巻く忍び集団(草の者)・・・・・・・・。

 大好きな真田一族の物語と池波小説にハマッテしまう切欠になった、幼名源二郎の凄まじい言葉である。(夫)

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