7月5日は、日本にお茶を広めるキッカケを作った、「栄西禅師忌」でした。
栄西禅師は、臨済宗の開祖として建仁寺を開山しました。
当時の宗に仏教を学びに海を渡って行きました。
そのとき、中国から茶の種を持ち帰って、日本で栽培を奨励し、
喫茶の週間を普及させました。
また、栄西禅師は日本に茶の生産を広め薬効を記した「喫茶養生記」を著します。
この書物は茶の薬効から栽培適地、製法が記されています。
当時は、お茶の塊(ダンゴ状態)を削って、少しずつ飲んでいました。
そのあと、抹茶製法が開発され、江戸時代中期まで、茶と言えば抹茶を言いました。
今のような、煎茶が飲まれるようになったのは、江戸時代中期以降で、
宇治の永谷宗園が、煎茶製法を開発し、江戸で販売したところ評判になり、
急速に煎茶が広まりました。
この後、永谷宗園の子孫が、江戸で、今でも有名な「永谷園」を創業しました。
栄西禅師忌に合わせて、ちょっと日本茶の歴史を振り返ってみました。
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