ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その511

2011年04月21日 11時46分04秒 | 突言葉ねーさん
変化はコントロールできない。
できることは、その先頭に立つことだけである。




ドラッガーのお言葉より。



『変化』って変わって化けていくからさ。
これを『コントロールしよう』ってのがそもそもおかしいのさ。

降りかかってきたことを、そのまま抱えて背負って、それによって起こった自然な成り行きの変化をコントロールしようとしたら、歪みが出るってばな。
「そのまんまの成り行きまかせ」にしておかないと。

『変化』によって現れた現象が「ちょっとこりゃひどいなぁ・・・」ってなっても、基本的にはそれをコントロールしないで成り行き任せにしておかないと、ますます○ややこしい(×難しい)ことになる訳よ。

『コントロール』しちゃったところで実は『変化』が起こらなくなっちゃうんだよね。
それって『現実的な変化』ではなくて、『仮想的な変化』だから。


「どんな天候でも同じようなものを生産しなくちゃいけない」みたいな植物の栽培だったらコントロールは必要だよねぇ。


でも人間がこうなる必要はない訳で。
こうやって管理したい人間がいたら「そんなのはスルー!」ってことで。


成り行き上『変化』は起きなきゃいけないのに、なし崩し的に『不要な進化』をさせちゃうっていうかね。

こりゃぁ最後に壊れちゃいますって。




へんか【変化】

ある状態や性質などが他の状態や性質に変わること。



コントロール【control】

ちょうどよいぐあいに調節・統制すること。管理。

『○仕掛け(×仕込み)モノ』っていうのは鑑賞するだけになっちまうだよ。

2011年04月21日 10時32分18秒 | 伝われねーさん
『仕掛け花火』ってまことにキレイですよね。

みんなで鑑賞して、

「うわ~~、キレイ、感激した。」

って、手をパチパチ叩いて、それでオシマイですよね。


逆に花火の『仕込み風景』って雑然としてますよね。

そこを見せられて、

「うわ~~、キレイ、感激した。」

なんてないですよね。

「うわ~~、大変そう。」
「うわ~~、ここまで苦労してるんだぁ、すごいなぁ。」

そういうもんですよね。


だけども、その『仕込み』があるからこそ、『花火を鑑賞する』っていうそのこと根本が成り立ってる訳ですよね。
ここをやらないで『仕掛けした花火』だけ鑑賞する人ばっかりになったらどうなりますかね?


確かに楽だよね、仕込みで出来上がった花火を仕掛けでさらにキレイに魅せる。
さらには、仕掛けてくれる人がいれば、それだけを観て、
「キレイ~~、すご~~い!!」
と言ってればいいだけ。


人間、楽に傾くように出来てるからね?
だけど、そこに傾いちゃったら『仕込みする人』がいなくなっちゃうんだよね。
そうしたらどうなるかって、『花火を鑑賞する』っていうそのこと根本が成り立たなくなっちゃうだろう?っての。



単純に『仕掛け』に喜んでちゃいかんのだよ。
『仕込み』の苦しさとか○汚さ(×黒さ)に感動を覚えられるようにならないと、何事も衰退しちゃうんだってば。



仮にさ、韓国とか中国を、日本においての『仕込み』の立場に置いてるつもりでもね、ダメだよ、多分。国民性が違うから。
『仕込み』はやりたくない国民性だから、両国とも。


今日突かれたお言葉・その510

2011年04月21日 10時05分08秒 | 突言葉ねーさん
希望あふれるビジョンを作ろう


孫さんの自然エネルギーを推進する財団設立にあたってのお言葉より。



う~ん、困るなぁ。
『ビジョン』ってのはみんなで作ってもしゃーないっす。
このオジサンももう終わりかなぁ・・・。

オジサンはさぁ、大金出してそこまですんだったらお前が率先してビジョンを掲げて、先頭を走れないとだめ。

『ビジョンを作ろう!』って違うって、それ。

箱だけ作っておいて、オジサンの息のかかった誰かに担がせて、オジサンは奥に抜けようってかい?
それはダメだからねぇ、やり方として。


『仕掛け』だけ作ってもダメだからぁ、っとにぃ。


まぁいいや、ダメになるから、どーせ。


ちゅ~より、まぁ、必要以上のお金を自分で稼ぎ出しちゃった人ってのも、いきつくと軸がおかしくなっていくよねぇ。

ほら、何か成しちゃった社長さんが自分の銅像作って会社に設置しちゃたりするのと同じ感じ。
大抵、壊れて行くじゃないすか、こういう手の会社って。
銅像崇拝するような信者みたいなのだけが残って。
(「神様に手だけ合わせてりゃ幸せになれる」と信じてる宗教信者と一緒。)


人生ほどほど。
お金もほどほど。

おとっつぁん50のあやふや

2011年04月21日 09時47分44秒 | 知言葉
○○さんがここ10数年やってきてることは、決して「仕掛け」ではなくて「仕込み」ですよねぇ。


え?
オレ、結構~~、いろいろあっちこっちでやってきてるぞ。


うん、だから、それが「仕掛け」ではなくて「仕込み」ですね?って言ってるんですよ。


・・・??


(っとにこういう人は「仕掛け」と「仕込み」の境目の区別もまるで気にしてないで「電波キャッチ」でやってきてるからなぁ・・・っとに。)


少なからずわたしは社会に出て今年で24年、「仕掛け」ってモノにはほとほとウンザリしてるのと、「「仕掛けを打っていく」っていうのは、結局は○想定した結論(×仮定した結果)に基づいて『なし崩し』で片付けていくような仕事になってしまって、いいことがまるで無い。仕掛けた一部の人達だけに大金が舞い込むようないいことがあっても、全体として大局でみたらマイナスば~~~~~~~~~~~~~~~っかり。」って痛感しましたんでね。
もうこの先も「仕掛け」現場だけには手も貸さないし、クビも突っ込みたくないですし、絶対に利用されたくもないって、固く決めてますんで。
『結論ありき』で理論やロジックで事をバンバン進める人だけには絶対に近づきませんから。


(笑)


「仕込み」ですよ、っとに、大事なのは、やっぱり。
事を成すのも「仕込み」がなきゃ無理だってわかったし。
「わかった」っていうより、「やっぱりそうだろう?」って裏が取れた感じ。
この24年で。