ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その515

2011年04月29日 18時39分35秒 | 突言葉ねーさん
経験のない人が「経験に頼る」から間違えるのであって、経験のある人が「経験に頼らずやる」ことが大事なところだ。
一見矛盾しているような言い方だが、経験があるからこそ、このような経験にないことが起きたときに対応できるのだと思う。



麻生サンのホームページ「きょうたろう」より。


やっぱり麻生さん、真をわかってるなぁ。


経験のない人が「経験に頼る」ってさぁ、
まさに「自分にふりかかってきてることなのに自分でやろうとしてない」わけ、それって。

例えば、「経験ある人に任せて頼ればきっと大丈夫」っていう他力本願になるのがひとつ。
それが思うようにならなきゃ、批評批判して叩き潰しておしまい。
第一、人に頼っておきながら「さいてー」なんだよねぇ、こういう人達。

例えば、「経験=教科書の勉強をきちんとやり終えてる」って考える考え方も間違いのひとつ。
勉強はあくまで参考書の役割にしかならない訳でして、「それを参考にしながらひとつでも苦難や責任を背負った体験をしてきてるか?」ってことが一番大事なわけだ。


経験のある人が「経験に頼らずやる」ってすごいわかるで!!!
んで、それが「一番大事な部分であって一番の肝」なのよねぇ。

オバチャマだってコンピューターのシステム構築するにあたって、一度完成させた経験はあくまで経験だけど、その次にまた別件をお願いされたりすると、前の経験をできるだけ遠ざける思考にするもの。

「なんで?」って状況はその度違うからさ。
そこにある現実もその度違うからさ。

それを「経験頼り」にしてしまうと、目の前の状況や現実を、「経験したあの時の状況や現実に合わせよう」としちゃうんだよね。
「違う、違う、どーして!?」ってことになったり、「そこが違うからやりようがないです。」っていう無責任に繋がったりするんですわ。
はたまた、目の前の状況や現実を、あの時経験した状況や現実に合わせようと言動やら指示やらでコントロールしようとしたりね。
確かに洗脳されやすい人はコントロールされちまいますわ。
だけどこれが「最大最強のミスだ」ってーの、ね。






お金があって力がある家と、お金があって力はない家。

2011年04月29日 01時19分13秒 | 2種分ねーさん
こういう違いってあるかと思うんだけど、何がどう違うんでしょうか。

力ってのも地元の有力者って場合と、一部の特別な人の中の有力者って場合と。

こういう違いってあるかと思うんだけど、何がどうなって違ってくるんでしょうか。


地元の有力者系ってのは、何か経営してたり、それによって雇用を創出してたり、社会的な働きかけをしていて、一部の特別な人の中の有力者系ってのは、何かの先生とか教授みたいなのだったり、社会的な働きかけより、その関係者の発展への働きかけをしてるって感じ?


「政治家を任すならどっち?」と問われたら、前者だよねぇ、やっぱりねぇ。

なんでもブーム合わせ。

2011年04月29日 01時08分31秒 | 観察屋ねーさん
「やっぱり心が大事だよねぇ?」って言うと、
「そうよ、心よ、今って心が無いのよ。」って言う。

「やっぱり思考が大事だよねぇ?」って言うと、
「そうよ、思考よ、今って思考力が足りないのよ。」って言う。

「で、最終的にどっちが大事だと思う?」って聞くと、
「ブームに合わせてるからそんなのわかんな~い。」って言う。

一度でも真剣に考えた事はないんでしょうか?

いや、とにかく世間のブームの波に合わす計算のほうが忙しいんで。