ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「常識」なんてものは定義が曖昧でもう不要なのだ。

2009年09月03日 11時58分25秒 | 考えるねーさん
じょう‐しき〔ジヤウ‐〕【常識】
一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。

ふつう 【普通】
[1] いつでもどこにでもあって、めずらしくない・こと(さま)。
[2] ほかとくらべて特に変わらない・こと(さま)。
[3] 特別ではなく、一般的である・こと(さま)。



個人個人が自分のコンセプトを考えて打ち出して、
握手できる部分を握手していけばいいじゃーーーーん。


コンセプト【concept】
1 概念。観念。
2 創造された作品や商品の全体につらぬかれた、骨格となる発想や観点。


発想するのに常識に縛られちゃうと膨らまないわ、幅が広がらないわ、で。




子ども手当

2009年09月03日 09時43分45秒 | 考えるねーさん
これはもうかれこれ10年以上前から(記憶を辿れば)地域地域で支給されていましたよね。

叔父(品川区在住)、実弟(横浜市在住)は、子ども誕生からもらってましたし。
この頃、この制度を実現化したのが、なんやかんや言われる「公明党」ですよね。

今度は国の制度として制定されるということなのですね。


ということはつまり地方財源から子ども手当が捻出されていたのを、国の財源から捻出するということになって、「地方財源に余裕が出るだろう。」「全国の子どもがいる家庭全てに公平に支給される。」ということになるのですね。


※細かく異なる所はいちいち気にしても仕方無いのでざっくり考えます。


しかし、よく考えてみると、

「地方財源から子ども手当が捻出されていた」のを「国の財源から捻出する」と言っても、特に何も変わりが無いですよねぇ。


例えばですよ、

「部署の年間予算から○○手当が捻出されていた」のを「会社全体の年間予算から○○手当を捻出する」と想像して考えますわな。

部署としては「年間予算が浮く」と一瞬顔がほころびますやん。
「その余りを何に使おう。」とか「あっちの予算に充填しよう。」とか考えますやん。

しかしですよ、部署はあくまでも会社組織の一部なんですよね。

「今年度の年間予算を提示してください。」と言われますやん。
今までの○○手当分は計上出来ないわけだよね、もう。

そうすると悪知恵が働く人はその分を減らさないように上手に他の予算に割り当てると思うんですわ。結局、二重支払でマイナスですわ。


あとは、こういうパターン。

「部署の年間予算から○○手当を捻出する為に部署独自でその収入源を開拓してください。」と指示が下った、そうやって想像して考えますわな。

部署としては「うわ、きっついなぁ。」と困るでしょう。
この部署に所属する人たちにはその手当を支給してあげないとどうもよろしくないってことらしい。
だからその収入源は確保しないとマズイのです。

部署はあくまでも会社組織の一部なんですが、
「会社としてその○○手当を支給する財源が捻出出来ないし、一律に支給する必要性も理解できない(あそこの部署は「いらない」って言ってるぞ?)から、悪いけど部署部署で対応してくれ。」
ということなんですや。

「今年度分の○○手当を支給するために財源確保や。」と躍起になりますやん。

そうすると悪知恵が働く人は、財源の元になってくれるようなところに働きかけをして、おまけに特別な計らいをして、確保をし出しますやん。
会社が頼れなければ、もう本来の行儀も何も無いですよね。
秩序乱しまくりで確保しだしますよね。


で、結論。

「その○○手当が本当に今必要なのか?
本当に今支給してくれないと困窮してしまうのか?
今生活している環境でそれが無いと本当に生活できないのか?」


ってことなんですよねぇ。

くれるものは嬉しいですからね。
本当は切りつめれば生活出来るのに金をくれるっていうから贅沢が出来る。
モノを買ってくれるから消費が上がって経済効果が出るだろう。

いや、モノが正しく売れる状態っていうのは、
「下げに儲けよ、上げで儲けるな。」の考え方ではマズイですよ。

基本的にそういう考え方だから、金で誤魔化して、作り上げたデータで洗脳するしかなくなっちゃうんですよ。

まるで現実的じゃないのですよ、全然。

リアルでしかないの。現実じゃないの。
こういう考え方は未来永劫続かないからね。肝に銘じないと。


とにかく、結論。

「その○○手当が本当に今必要なのか?
本当に今支給してくれないと困窮してしまうのか?
今生活している環境でそれが無いと本当に生活できないのか?」


ってこと。