半熟オヤジの基地

完熟できないオヤジの「狭く浅い&自己満足」の部屋

『キヤタピラー』を観ました。

2011-11-19 07:00:00 | えいがかんしょうの部屋
 一銭五厘の赤紙1枚で召集される男たち。シゲ子(寺島しのぶ)の夫・久蔵も盛大に見送られ、勇ましく戦場へと出征していった。しかしシゲ子の元に帰ってきた久蔵は、顔面が焼けただれ、四肢を失った無残な姿であった。村中から奇異の眼を向けられながらも、多くの勲章を胸に、“生ける軍神”と祀り上げられる久蔵。四肢を失っても衰えることの無い久蔵の旺盛な食欲と性欲に、シゲ子は戸惑いつつも軍神の妻として自らを奮い立たせ、久蔵に尽くしていく。四肢を失い、言葉を失ってもなお、自らを讃えた新聞記事や、勲章を誇りにしている久蔵の姿に、やがてシゲ子は空虚なものを感じ始める。敗戦が色濃くなっていく中、久蔵の脳裏に忘れかけていた戦場での風景が蘇り始め、久蔵の中で何かが崩れ始めていく。そして、久蔵とシゲ子、それぞれに敗戦の日が訪れる……。
goo映画より)
 この作品そのものより、主演の寺島しのぶさんが2010年ベルリン国際映画祭最優秀女優賞に輝いたことが記憶に残っています
 久蔵とシゲ子という夫婦を通じた、日本の戦争の現実・・・でしょうか
夫の久蔵は、戦場から帰ってきたものの、自分では何も出来ない無残な姿・・・ただ、「お国のために」この姿になったワケで、村の人々からは、「軍神」と崇められる存在になります。
貰った勲章と、自身の記事を毎日眺めては、食うことと、用をたすことと、シゲ子を求めることしか出来ない立場・・・
そんな中で、戦地の記憶が蘇ってきて・・・
妻のシゲ子は、戦場から帰ってきたとはいえ、戦場から帰ってきた夫に、最初は一生懸命に尽くしているが、家では何もできず我儘している夫・・・しかし外では軍神となっていて、支える妻という立場・・・だんだん気持ちと立場が離れていくのが良く分かります
そんなシゲ子と久蔵の昔も・・・という感じ。
そんな2人の後ろで、日本の戦争の状況も伝えられるワケですが、ラジオでは連戦連勝のような言葉を発しているが、実際にはどんどん窮地に立たされているというのも印象的です(この手のプロパガンダは有名ですよね)。
終戦の時の、この2人の末路が重いです。
この監督さんなりの、反戦映画なんですね
ちゅうことで、一番重いのは、最後の元ちとせの歌「死んだ女の子」でした・・・で70点
※あくまで個人的主観ですので、気分害されましたら申し訳ありません

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