青い空と白い雲と

2013-08-26 | 日記

   

   ひとり林に …   ( 1971年角川書店版 『 立原道造全集第一巻 詩集Ⅰ』 より )

            だれも 見てゐないのに 

            咲いてる 花と花

            だれも きいてゐないのに

            啼いてゐる 鳥と鳥

            

            通りおくれた雲が 梢の

            空たかく ながされて行く

            青い青いあそこには 風が

            さやさや すぎるのだろう

            

            草の葉には 草の葉のかげ

            うごかないそれの ふかみには

            てんたうむしが ねむつてゐる

            

            うたふやうな沈黙 ( しじま ) に ひたり

            私の胸は 溢れる泉! かたく

            脈打つひびきが時を すすめる 

夏の山峡は余りにも静かなのに、しかしそれぞれはみんなそれぞれの生命を生きているのだった。花と花はただ咲いていて、山の小鳥たちはただ鳴くばかりである。そうして雲や風は白く青く遠く過ぎ去って行くのである。眩しい夏の太陽もいつか沈んで行くだろう。草藪の深みの中ではてんとう虫が宝石の眠りを眠っている。そうして詩人の鼓動もまたこのしじまの中に、清冽な泉の音響を響かせているのである。世界の営みとは、生命が脈打つこの静かさの中にあるのだった。少年も少女も、このしじまの内にいつか大人になって行く。そして大人になって見れば、しじまは既に忘れられていたのだった。

 


アングルポイズ・スタンドランプ

2013-08-25 | 日記

英国の老舗ランプメーカー・アングルポイズ社製の古いスタンドランプ。夕方、静かなギャラリーの大テーブルを照らす。今日は特に静かで、今まで気になっていたことをしたので一日がとても早かった。その後何することもなくて、そしてどうしようもなく眠かったから、もう5時30分も過ぎたから、今日は早仕舞いだった。このランプは数年前に横浜のインテリアショップでもとめたもので、これには一目惚れだった。立姿が奈良・法隆寺の百済観音立像にとても近い雰囲気を湛えているように感じたのだった。フォルムがとても美しく佇まいがいい。 もう少し全体を写せばよかったかナ。それにしても、単なる工業製品がホトケに見えてしまうのだから、もうどうしようもありませんですね ( 笑 ) 。

                 英国の古き明かりは秋の色

 


“ 夜活 ” というコミュニケーション

2013-08-24 | 日記

写真は昨夕八時ころの 「 夜活 」 ワン シーンである。18名の参加応募で、16名の方々が出席された。お二人はどうも日にちを間違えたらしい。真ん中に立ってらっしゃるのが講師である知野先生である。先生は コミュニケーション心理学 を深く研究されて来たそうで、今回のテーマは “ 自分のコミュニケーションの傾向を知る ” ということで、いわゆるエゴグラム というワークシートを記入していくことで、個々が自分の心の仕組みを知ることから始まったのである。

エゴグラムは50個の質問に答え、その回答に0点・1点・2点の点数を付けて5項目 ( ①CP:批判的な父親 ②NP:保護的な母親 ③:しっかりした大人 ④FC:自由な子ども ⑤AC:従順な子ども ) に分類するのである。そして項目ごとに合計した数字を折れ線グラフに表すもので、その折れ線のパターンで自分がどういう心の仕組みをもっているか、次の8つのタイプに分類される。すなわち ①円満型 ②献身型 ③自己主張型 ④葛藤型 ⑤苦悩型 ⑥明朗型 ⑦頑固型 ⑧八方美人型である。僕の場合と言えば、円満型と八方美人型の合体型だそうである。あまり予想せずにも、自ずからそういう分類にされたのだった。

結局、コミュニケーションというのは一つの演技である。感情ではなく、たくさんの知識を獲得した知性によって演ずること、人と交わることは演ずることであり、演ずることは社会に生きることである、という。人の心には CPNPFCAC の五つの心があるというのであるが、個人が個人であるタイプを持つということはこの五つの心の、高い低いや出入りの違いである。よりよい人間関係を築くには の心が中心でなければならない、というのである。隠された自分、隠そうとする自分の心と如何に付き合い、如何に向き合っていくか、それがまた自分を知ることに繋がり、更により良き交流へと繋がるものだ、ということである。いろいろ先生からプリントをいただいたからちょっと勉強をしてみようと思う。

次回もまた刺激的な講義をして下さる約束をして、散会した。散会後、近くのレストラン “ どんぐりと山猫 ” で食事会となった。この席で僕は、自分のコミュニケーションの傾向を踏まえて、エロスのあるインテリジェントな会話が出来たと思う、のだった ( 笑 ) 。

 


チップスター

2013-08-23 | 日記

今夕、当ギャラリーで 「 夜活 」 が開催されるが、ヤマザキナビスコ株式会社製・チップスターはこの時の “ お茶菓子 ” になる。中身が食されればもうこのパッケージはお払い箱でゴミになって捨てられてしまうので、せめてこの円筒のフォルムをブログに残そうと思う。 円筒なのでこっちが表であると思うが “ NABISCO chip star potato chips のりしおNORI-SHIO ” という名称が書かれてある。裏には 「 ナビスコ チップスター たっぷり青のりを練り込んだチップスターに塩で味付けしました。噛むほどに青のり風味を感じるあとひく味わい!」 とある。後を引く味わいなのである。青のりがタップリと練りこんである、と言う。パッケージのグリーンが、ポテトという畑の幸と青のりでグリーンである。写真を撮って見るとギャラリーのインテリアに馴染んでいた。この食製品もやはり海の幸・山の幸なのである。

「 夜活 」 のテーマは “ 自分のコミュニケーションの傾向を知ろう!” である。初めての出会いに僕は恥らうであろうか または、初めて触れるものに僕は問いかけるだろうか 再会したものには何を問うべきだろうか あるいは何事もなかったかのように静かに立ち去るのだろうか 回答はいつも人生の分れ道である。チップ・スターという星をボリボリ食べながら、青のりが歯茎にくっ付いていても、コミュニケーションして見ようか … 。

物はたくさん知っていますが、知っている人はごくわずかしかいない。あそこへ行きますとね、物そのものが人間に見えるんですよ。それも滅多にいない繊細な本質を備えた人間、人生に失望した稀な人間にね。たとえば、ときとして断崖の上の道で出会う小さな城館がそう。その城館は金色の月が空に懸かった、まだ薔薇色の夕暮れに自らの悲しみを向かい合わせるべく、その道のところで歩みをとどめたように見えるでしょう。 … 」 ( プルースト著・高遠弘美訳 『 失われた時を求めて① 』 より )

 


スノー・ピーク本社

2013-08-22 | 日記

三条市の山奥にある ( 旧下田村 ) アウト・ドアー製品製造メーカーのスノー・ピーク本社 ( 工場・ショップ併設 ) を訪ねてみた。長岡市内から若い知人が見えたので、また僕もまだ行って見たことがなかったから、噂に聞いていた本社を見て見たかったのだった。それに広大なキャンプ場もあると言うので今後のためにも一度は行ってみたいと思っていた。そして見学して置きたかったからだった。幾つかここの製品を使っているがデザインもよく、使い勝手もいいのである。この写真は本社屋裏側で、このグリーンの先には広い広いキャンプ場があって、数組の色彩の綺麗な大きなテントがアチコチ張られていた。この敷地内には風景を遮る何ものもないので、夜ともなれば星々は満天に輝く、と言う。これは、親切な受け答えの印象の良いネームカードを下げたイケメンボーイが、帰り際に教えてくれたことだ。また、シンプルで薄さのある建物自体が、直線的に美しい。低い山々の稜線が作る広い夏の青空の下に、そよ風が吹く。