ひとり林に … ( 1971年角川書店版 『 立原道造全集第一巻 詩集Ⅰ』 より )
だれも 見てゐないのに
咲いてる 花と花
だれも きいてゐないのに
啼いてゐる 鳥と鳥
通りおくれた雲が 梢の
空たかく ながされて行く
青い青いあそこには 風が
さやさや すぎるのだろう
草の葉には 草の葉のかげ
うごかないそれの ふかみには
てんたうむしが ねむつてゐる
うたふやうな沈黙 ( しじま ) に ひたり
私の胸は 溢れる泉! かたく
脈打つひびきが時を すすめる
夏の山峡は余りにも静かなのに、しかしそれぞれはみんなそれぞれの生命を生きているのだった。花と花はただ咲いていて、山の小鳥たちはただ鳴くばかりである。そうして雲や風は白く青く遠く過ぎ去って行くのである。眩しい夏の太陽もいつか沈んで行くだろう。草藪の深みの中ではてんとう虫が宝石の眠りを眠っている。そうして詩人の鼓動もまたこのしじまの中に、清冽な泉の音響を響かせているのである。世界の営みとは、生命が脈打つこの静かさの中にあるのだった。少年も少女も、このしじまの内にいつか大人になって行く。そして大人になって見れば、しじまは既に忘れられていたのだった。