“ 黒のデカルコマニー ”

2013-08-28 | 日記

   デカルコマニー 「 ばらの花のような 」 7.2cm×5.3cm  1964

先日、当画廊のお客様から 『 野中ユリ 美しい本とともに 』 という、今、神奈川県立近代美術館・鎌倉別館で開催中 ( 9月1日まで ) の野中ユリ ( 1938年生 ) 展のカタログを、お願いして買って来ていただいた ( 感謝します ) 。彼女は戦後の前衛アーティストにして、現在も第一線で活躍中である。今回の展覧会は野中ユリがこの美術館に多数の作品を寄贈されたその記念に開催されたもの、という。従ってこのエキビジョンは全国を巡回しないので、少々残念なことである。特に美術の専門の学校を出たわけでもなく、自らの勉励と刻苦によって独自の世界を創造して来たこのアーティストの造形美は、謎と未知に見れば見るほどに満ち満ちている。それが更にかつて見たこともない美の世界に僕らを誘うのである。端的に言えば、いつかの夢に見たような、生れる以前の原始の記憶のような、それは言って見れば 「 初めての再会 」 であった。愛を夢見た夢の中の別れた人との再会、生れてこの方忘れ去っていた遥かなものとの、再会のことである。コラージュにしても、デカルコマニーにしても、または銅版画にしろ彼女の営みは、いつも美しい本とともにある。また、美しい本は彼女の営みから生れたのである。

再会はまた、会者定離の運命 ( さだめ ) から免れ得ないだろうが、静かな真昼時、一陣の風が吹いて美しい本のページは、風のまにまに翻るのである。ひるがえりつつ美しい本は 「 ばらの花のよう 」 に、 「 初めての再会 」 の運命を超えて行く。かつて瀧口修造は 「 星は人の指ほどの 」 ( みすず書房刊 『 余白に書く Ⅰ 』 ) というタイトルで野中ユリに一篇の詩を書いた、その冒頭。 

       若い生命の小指を賭けた狩り !

      「 われらの獲物は一滴の光りだ 」 と詩人はいう。  

         ( 以下略 )             

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿