長岡造形大学にて、思うことがある。

2013-06-26 | 日記

所用で長岡造形大学に行った。ついでに今月1日に開館した 「 丸山正三絵画館 」 に伺ったが、その隣に 「 浄土堂・宮澤文庫 」 なる小屋のような建物があった。これがよかった。写真はその内部を撮ったもので、四方造り付けの書棚に囲まれた空間は、古材を利用しているだけにとても心地いい空間であった。既にこの大学を退官された古民家研究家の宮澤教授の記念館だという。かつての先生の研究書や蔵書が大学に寄贈されたということで、この文庫が作られたそうである。普段は一般には閉鎖されているそうで、時には学生たちの教室になるということだった。今日、ご好意で見せていただいた。

ところで 「 丸山正三絵画館 」 のことだけど、どうなんだろう ? 壁に掛けられた大小の絵画が何とはなしに沈んで行くのである。タブローが生きていないのである。変形の室内のためか、空間性が欠如しているためか、あるいは絵がビッシリ掛けられたためか判断できないが、いわゆる美術館としての絵の見え方が、絵に見えないのである。それはどう考えても僕は、空間設計にどうも問題があると思わざるを得ないのである。それぞれの部屋に立って見れば、通常のセンスさえあれば誰にでも分かることだろう、と思う。この建築物の建築としての目的は一体全体那辺にあるのか、大いなる疑問だけが残ったのである。つまり、この建築物のデザイナーは丸山正三という芸術家に対して敬意を持っていたのだろうか。または、単に自身の作品としてだけ設計したのではないだろうか、という基本的な疑問である。

 「 丸山正三絵画館 」 は別名 「 MaRou の杜 」 ということである。 “ MaRou ” とは画家の雅号という。 “ 杜 ” とは? パンフレットによれば 「 いつも学ぶことの意味と意義に触れあう場、深い思索と創造の源の場を育む豊かな杜 」 という説明がある。従って、この絵画館あるいは展示館は、僕らに、具体的に何を言っているのだろうか。そして僕らに、具体的に何を見せたいのだろうか。丸山正三という一芸術家の何を、長岡の地で、後世に伝えて行きたいのか。 “ 杜 ” が何を意味するのか、その意味がどうも不鮮明で具体的ならざるものであるように思う。だから、どう考えても展示コンセプトはズレているのである、一つのアナクロニズムではないか、と失礼ながら僕は思う。ここは、丸山正三 ( 1912-2013 ) という第一級の造形芸術家との出会いの場なのである。出会いの場では atmosphere がいかに大切か! ということを痛感するのである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿