アントンK「趣味の履歴簿」

趣味としている音楽・鉄道を中心に気ままに綴る独断と偏見のブログです。

身延線のEF10を追った暑い夏

2020-07-22 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

この時代、首都圏でも急速に数を減らしていったEF10を追って地方に遠征した。何も解らず、ただ車両配置表を持って、目的の電機を追い求めていたが、結果としては思うように撮影出来ず、厳しい現実を見た感が強い。飯田線と身延線とは、それぞれ撮影に行くことが出来たのだが、撮影地も良く調べずに動いて効率も悪くなり、それなりの成果しか得られなかったことを画像から思い出している。

今回は、身延線へと出向いた時のもの。飯田線と同じようなEF10でも、一次型や丸い二次型が最後の活躍をしていた。スカ色の旧国電に乗り、ロケハンしながら途中下車してカメラを構えるという古典的ともいえる撮影スタイル。行き当たりばったりのポイントで構えていると、丸い車体のEF10がのんびり近づいてきた。

1976-07-27  1690ㇾ  EF10 19      身延線:甲斐岩間-久那土


新時代を想わせる「ザ・グレイト」~新日本フィル定演

2020-07-21 15:00:00 | 音楽/芸術

コロナ感染者が再び増加傾向になった東京地方。検査人数が以前より増加しているからとはいえ、毎日数字が更新されて、その数に一喜一憂することはどこか落ち着かず気分のいいものでは無い。最終的には、細心の注意を払って自己防衛しかないのかも。いや、大変な世の中になったものだ。

そんな中、いつもの新日本フィル定期演奏会。今回はホームであるすみだトリフォニーである。もちろん聴衆の人数制限もかかり、出演者やプログラムにも変更が重なる。今までは考えもしなかった状況の中で聴く演奏会だが、アントンKは意外にも簡単に受け入れられてしまった。たとえ厳しい日常であろうとも、音楽の持つエネルギー、大きさに自分の身を置くことで、気持ちが高揚し発想が高まり、終演後の幸福感はほかに例えようがないのだ。

今回は、前半にベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、後半にシューベルトの交響曲「ザ・グレイト」と続く。そして指揮者が来日が不可になった上岡敏之氏に代わって、太田弦氏という超若手の指揮者が登壇した。26歳という新進気鋭の実力派のようで、上岡氏とは違った意味で楽しみ。特に昔は大変聴きまくった「グレイト」を振るとなると、興味深々で会場に向かったのである。

いざ聴き終わってみて、とてもフレッシュな良いものを聴いたという印象が残る。特にシューベルトは、以前から実演やCDを聴きまくった楽曲でもあり、アントンKにとっても思い入れも深い曲なのだが、いずれの演奏とも違う、はつらつとした内容でとても好感をもったのだ。演奏自体は、全体を通してテンポは速めで突き進む解釈だったが、ただそれだけではなく、全体を通して歌があり、特に第2楽章の木管など特質に値すると思われる。しかしこのテンポで突き進んでいく場合、やはり弦楽器群の下支えは重要で、リズム感や刻みの浮き沈みの妙には、聴いていて圧倒された。今回は、弦楽器奏者たち全てがマスク着用しており、演奏を端で見ていて危惧していたのだが、全く影響はなく、それどころか、ここぞのエネルギーの発散は尋常ではなく、それに飲み込まれそうになってしまったのだ。これはもちろんコンマスの崔文洙氏の好演によるものだが、若手指揮者太田氏の意図を読み解きながらけん引していった、崔氏の采配の上手さを見せつけられた想いだった。

今回の演奏は、アントンKの好みからすれば少し違っていたが、明らかに良い演奏であり、実演ならではの躍動感、緊張感は例えようがない。こんな若手のマエストロが、大オーケストラ相手に、これだけの演奏をする。素晴らしい事ではないか。将来に向けて大いに期待したいし、我々聴衆をまた熱くする内容で迫ってきて欲しい。

新日本フィルハーモニー交響楽団 第32回ルビー定演

ベートーヴェン  ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 OP15

シューベルト   交響曲第8番 ハ長調 D944 「ザ・グレイト」

指揮       太田 弦

ピアノ      田部 京子

コンマス     崔 文洙

2020年7月18日  すみだトリフォニー大ホール

 


客車列車で旅気分~EF58

2020-07-18 09:00:00 | 国鉄時代(カラー)

全国に普通客車列車が走っていた国鉄時代。祖父の家が大宮市にあったため、年に何度か顔を出すときに乗車した東北線が、たまたま客車列車だとちょっと得した気分になり、大宮までとはいえ旅気分を味わったものだ。まだ幼少の時期で、親に連れられて動いていたから時刻を列車に合わせていくことは出来なかったが、逆に偶然に機関車が見えて来て、滑るようにホームに止まる客車に乗り込む時のドキドキ感は、今でもハッキリと思い出せる。鉄道趣味が開眼したあと、残念ながら自動車移動が増えてしまったが、たとえ都内と大宮の短い間だけでも、未だに印象的シーンを思い出せる幸せは、これからも大事にしたいところだ。

高崎線を往く上野-高崎間を走っていた普通客車列車。高崎第二区のEF58が長い客車を牽く姿は、いつ眺めても懐かしく良いものだ。開けっ放しのドアのデッキにたたずみ、ジョイント音とともに流れゆく景色を見ながら過ごすひと時は、アントンKにとって大切な時間だったことを今さらながら気づかされている。

1976-03-28      2325ㇾ  EF58 87                         高崎線:大宮-宮原


東北交流機のパイオニア~ED71

2020-07-17 19:00:00 | 国鉄時代(モノクロ)

アントンKが鉄道写真を始めた頃は、首都圏では前出のEF10や、何度も話題にしているEF57が東北線でかろうじて最後の活躍をしていた時代だった。鉄道写真といっても、何をどう撮るかという観点から考えれば、本当に多岐に渡って選別できるだろうが、当時のアントンKは、車両は全て撮影対象といってもよく、普段から見慣れた電車から、雑誌でしかそれまで見たことのなかった車両まで興味は尽きなかった。しかし次第に好みが出てきて、撮影の核が決まってきたと思う。その一つが寝台特急列車で、長年撮影に中心に据えていた列車たちが無くなった現代を思うと、やはり寂しくやり切れない気持ちが湧いてくる。

普段は中々お目にかかれなかった交流電機や交直流電機にも興味があって、いつもチャンスを伺っていたことを思い出す。上野まで乗り入れていた常磐線の客車列車はEF80けん引で、機会を作っては貨物列車や団臨などを牽くハチマルに一喜一憂していたことも懐かしい。同時に、真っ赤な交流機も一目で好きになり、1年の内季節を決めて福島に出向いた時代は、自分の中では宝物になっている。

今回はそんな中から、ED71型の客車列車を掲載しておく。ご存知のようにED71は、後継のED75によって淘汰を余儀なくされてしまった機関車だった。当時は、すでに全機が稼働してはおらず、かなり運用も減少していた印象がある。確か松川以南には乗り入れが無くなった時代。福島を中心に北は白石くらいまでだったか。かろうじて貝田越えの重連ED71が撮影出来たことはラッキーだったと思っている。何キロにもおよぶ25‰の上り坂を重連で越えるED71は、ED75とは違い非力に見えるが力強ったイメージが今でも残っている。掲載写真は、朝夕に残存したED71のよる区間普通列車の松川からの折り返し回送列車。運転区間はとても短いものの、編成は立派なもの。これが国鉄時代とも言えるか。この時は前照灯原型の若番が登場して嬉しかった。

1982-10-15 回1525ㇾ  ED71 7          東北本線:松川-金谷川


武骨な電機EF10一次型

2020-07-16 20:00:00 | 国鉄時代(カラー)

続けて掲載してきたED16の流れを受けて、同じような顔を持つEF10一次型を探して掲載してみる。

ご存知のように、EF10というデッキ付きの中でも最も古い部類に入る電気機関車は、古くは新鶴見区や東京区に配置され、首都圏の貨物列車に活躍していたのだが、アントンKが鉄道撮影を始めた頃には、おおよそ後継にあたるEF13やEF15に代わってしまっていた。いつの時代も同じように、地方路線へと転出していった訳だが、前回掲載したED16を一回り大きくしたような、EF10型の一次型車を一目見たくて、転出先まで出向いたことがあった。当時は、豊橋区と甲府区へそれぞれ配置があったが、そこそこ貨物列車の本数があった飯田線を選び、運よくEF10一次型車と出会うことが出来た。確かこの時は、14号機と16号機とが稼働しており、どちらもカメラに収めることができたのだが、その他のEF10のバラエティな形態に驚嘆し、一次型目的だったにも関わらず、二次型三次型の個性に取りつかれてしまった思い出が蘇ってくる。

写真は、蒸し暑い夕暮れを快調に飛ばしてきたEF1016けん引の貨物列車。ヒサシの付いたかくしゃくとした面構えは、やはりED16を彷彿とさせ、渋さがにじみ出ていたのだ。現代にこの感覚は望めない。元私鉄を象徴するような、架線柱が雰囲気を盛り上げる。

1976-07-20   268ㇾ EF1016          飯田線:東上-野田城