8月はだれもがいやおうなしに、死者と対話しなければならない月だ。ヒロシマ、ナガサキのふたつの平和祈念式典、敗戦記念日、そして旧盆と続く。お盆の真っ盛りに8・15の敗戦記念日があるというこの日付けは天の配剤なのか? と、ずっと思っていた。
だが、今年は生者の世界がオリンピックイヤーでかまびしく、まして8月開催であるためどの家庭からも聞こえてくるのは、高校野球かオリンピック中継のTVの音だ。その生者の世界のさんざめきもきっとさびれた漁村では、あの世からの音に聞こえるのかも知れない。
そうして、死者を迎え火で迎え、3日ほどを過ごしたのち、ふたたびおがらを焚いて死霊をお送りする。精霊(しょうりょう)送りだ。京都の五山をいろどる「大文字焼き」も、その送り火の催しでよく知られている。わが故郷では、初盆の新しい死者のために、それは巨大な精霊舟がかたちづくられ精霊流しされる。
祖父のためにつくられた巨大な精霊舟を見上げたのも、もう50年以上も前の事で、ボクは7歳の少年だった。
もう継ぐものもいない故郷の墓所は荒れていることだろう。無縁仏として処理される時も近いのかも知れない。
その墓に入れなかった母を、おがらと線香で送ってボクもまた母のそばで将来、樹木となるだろう。
樹木はいい。それは、墓石ではない。そこには「家」という係累がない。檀家宗教に拘束されることもない。
個人が一本の樹木となって、思い出とともに緑なす地表の一本になる。この地球にお邪魔して、去っていったものの花実を咲かす最後の意志として……。
だが、今年は生者の世界がオリンピックイヤーでかまびしく、まして8月開催であるためどの家庭からも聞こえてくるのは、高校野球かオリンピック中継のTVの音だ。その生者の世界のさんざめきもきっとさびれた漁村では、あの世からの音に聞こえるのかも知れない。
そうして、死者を迎え火で迎え、3日ほどを過ごしたのち、ふたたびおがらを焚いて死霊をお送りする。精霊(しょうりょう)送りだ。京都の五山をいろどる「大文字焼き」も、その送り火の催しでよく知られている。わが故郷では、初盆の新しい死者のために、それは巨大な精霊舟がかたちづくられ精霊流しされる。
祖父のためにつくられた巨大な精霊舟を見上げたのも、もう50年以上も前の事で、ボクは7歳の少年だった。
もう継ぐものもいない故郷の墓所は荒れていることだろう。無縁仏として処理される時も近いのかも知れない。
その墓に入れなかった母を、おがらと線香で送ってボクもまた母のそばで将来、樹木となるだろう。
樹木はいい。それは、墓石ではない。そこには「家」という係累がない。檀家宗教に拘束されることもない。
個人が一本の樹木となって、思い出とともに緑なす地表の一本になる。この地球にお邪魔して、去っていったものの花実を咲かす最後の意志として……。