風雅遁走!(ふうがとんそう)

引っ越し版!フーガは遁走曲と訳される。いったい何処へ逃げると言うのか? また、風雅は詩歌の道のことであるという。

部族宣言/2008 A Declaration of Tribes

2008-08-12 23:48:57 | アングラな場所/アングラなひと
オレたちは宣言する! この国家・社会というタマゴの殻の中に
もうひとつの 国家とは まったく 異なった
ルールと システムを もった 新しい社会を 形作りつつある、と!

権力とか、統治するとかされるとか そんな個人も 組織もなく
いや そんな言葉さえ 必要としない 自由な社会 フリーダム・ソサエティ、を!

土から生まれたものは 土に返し
海から生まれたものは 海に返し
空に生まれたものは 空に返す

そんな たましいの自由に もとづいて 個人と個人が結びついた
ゆるやかな なんの強制もない 部族社会を 作りつつあると!

アメリカ、ヨーロッパ、日本そしてアジアやアフリカ、ラテンアメリカなどの
多くの 若者たちに よって これまで 繰り返し 繰り返し
トライバルな 部族社会が 作られ 作られようと してきた
都会の真ん中に あるいは 貧民街に 辺境の山地に あるいは 島嶼(とうしょ)部に
廃村になった村に 農村に 世界遺産の島に……ビーチに 森の中に
この 大小多様な 部族社会は それぞれで 独立するのではなく
世界規模での 連帯 連合をもって 永久 永劫の
世界平和をもたらす道であると かって 構想されていた
虹の部族や ガジュマルの夢族 エメラルド色のそよ風族や
イロクォイ族や 先住民 世界中の少数民族や アイヌの
ひとびととの ゆるやかな連合によって この永劫平和は達成されるはずだった

それは 1枚の印刷された紙に ひざまずき 神とあがめるがごとき
貨幣経済を廃止し 雨雲が とうもろこしの 成長を 息子の成長のように
見守る 愛の 贈与経済で 部族社会が長い歴史の中に
いつくしんできた 智慧を 取り入れるシステムだった
私有財産は放棄され だれもが 分け与え シェアすることで
労働の苦痛や 生活の貧苦や ゆがんだ社会から うける
ありとあらゆる 病から解放される 道でもあり
オレたちの 生命(いのち)の継承であり 財産である こどもたちは
社会のものであり 社会の 全成員が 見守り 育てるものだった

教育費はもちろん 医療費も ただであり
仕事をする上での モチベーションは
その仕事が好きであり 生き甲斐であり 使命感であり 達成感のみだった
ゆえに すべての仕事は 労働ではなく ワークになり
報酬がモチベーションになるのではなく
すべてのワークがボランティアとなるはずだった
権威も 権力もなく すべては 水平方向に つながった
ゆるやかな ネットワークで 形作られるはずだった
それが どうだ! 40年前に 構想された
愛のコンミューン構想は ゆるやかな部族社会を 作るのではなく
むしろ ある一国のみが 支配するグローバリゼーションという
パックスアメリカーナの 帝国と それに 追従する 属国をつくり
そのことに よって 世界に 不平等と 富の格差と 絶対的な貧困を
バラまくだけだった

オレたちは警告しよう! このようなシステムで まわる社会は
2012年を 乗り越えたとしても 地球資源を 使い果たし
地球を 熱地獄の 惑星となし
母なるこの星から 逃げ出す羽目に おちいるか
さもなければ 地球に負荷を かけたことによって
滅びの道を 転落するだけだと!

オレたちは だれもが この奇跡の星で
たおやかに 自由に のびのびと 幸福に生きるためだけに 生まれてきたはずなのだ
なにを 苦しむことがあろうか なにを 苦労させられることがあろうか
オレたちは 自由であり 地球部族の一員であり
そして 創造主によって 地球という 美しい星の 庭先で
戯れ 遊び 愛を交わしあうために 存在しているはずなのだ
人生は 生きられるゲームであり それは 神の手の うちにあり
オレたちは ひとりひとりが 部族社会の 主人公であり
オレたちの ことばは 音楽となって 流れ出て
オレたちの ふるまいは 美しいポエトリーとなるはずのものである

オレたちは 菩薩のように みずからを 切磋琢磨し
武道家のように 内面から 鍛え上げる
修行者のように 内面深くに 降りてゆく
だれからも ああやれこうやれと 指示されることも 命令されることもなく
上下の関係もなく あるのは 年をへたものが
その智慧ゆえに リスペクトされ うやまわれることくらいだろうか
老人は尊敬され オジィ オバァは 人生の指針となる
ああ あのように しあわせに 年をとりたいものだ、と。

部族社会は右肩上がりの 経済発展で 評価されるのではない
ゆっくりとした 自然の営みと 時間の 熟成の中で
スローに ゆったりとした 人生の「幸福度」で はかられる 社会となることだろう
だれもが老いて 人生の 黄昏(たそがれ)の年となった時
その しあわせな一生を 子どもたちに 家族に 友人に 近所のひとびとに
そして なによりも マザーアース??地球に感謝することだろう

ひとびとは 死んでも 墓に葬られることはなく
遺灰は 野山に返されるか 生きた証として 記念樹の下に 埋められる
樹木となって 甦り 家族や 友人の思い出として 生き続けるか
あまねく 地表に ばらまかれるか その灰は 思い出深い 場所に散布される

土から生まれたものは 土に返し
海から生まれたものは 海に返し
空に生まれたものは 空に返すのだ 

部族社会は 持続可能なシステムに もとづいて
社会の 全成員と 地球資源や 環境との バランスの上で
すべての ひと 動物 昆虫 鳥や さかな 生き物 樹木の
幸福と 調和のために その智慧と 学びを 総動員するものだ

部族社会は いまあらたなる 甦りをもって
地上に 光明をもたらすものとして 燦然と 輝くだろう!
ひとにぎりの国 そして その国を 牛耳る ひとにぎりの金持ちのために
世界中が 飢えに苦しみ 貧富の差が 拡大し
貧困化している 事態の中で
オレたち自身の 奴隷化された内面を活性化し 生き返らせ
殺されかけている 大地に 息吹を与え
死にかけた 海の 再生をはかり
汚れきった 空に 光を取り戻させる
そして 息も絶え絶えの マザーアースを いとおしく抱き締める手段だと!

オレたちは宣言する! この国家・社会というタマゴの殻の中に
もうひとつの 国家とは まったく 異なった
ルールと システムを もった 新しい社会を 形作りつつある、と!
そう宣言する!

(20108年8月 第1次「部族宣言」から41年目の夏に……)

起草&ポエトリー:フーゲツのJUN
デジュドゥリドゥ:あだっち
ジャンベ:木霊

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 本日、8月12日代々木公園野外音楽堂でおこなわれた「ねた祭(さい)~~バビロンにオアシスを」でプログラムのうしろにプリントされて「部族宣言2008」が配付されました。ゆえに、ここに公開します。(禁無断転載)