
親切ごかしのことばをかけたために、ひとりのひとを傷つけたといふことを知った。ボクのどこか南国的なテーゲー(てきとう)な性格が、徹底した面倒見ができないくせに、やさしい言葉をかけさせたりする。それは、相手にはボクの無責任さにみえるらしい。
ボクは、どこか長く東京に住みながら、東京人になじめないと考えてきた。ボクには冷たく感じるほどの他者への無関心さと言へばいいのか、東京人にはそんな(下町には、それとは別次元の江戸っ子的な面倒見の良さがあることは、日暮里にすんでいたボクは良く知っている、その上で言うのだ)徹底した個人主義があると感じてきたもののことだ。
しかし、けふボクはそんなのは、なんの背景・財力ももたないボクの単なる心情にしか過ぎないことを思ひ知らされた。他者にたいして何もできないのなら、徹底した無関心をよそおった方がいいのだ。
内実をともなわない親切ごかしの言葉など、なんの足しにもならないどころか相手を傷つけるだけなのだ。
夕刻から、ひとり飲み続けた。図書館にリクエストした『現代詩手帖』の「中原中也生誕百年」特集を受け取りに行って、なぜ、その号を買わなかったのかいまさらながら悔いている。中村稔の論考など、まさにボクがテーマとしたいものであって、いやになってしまふ。座談会に高橋源一郎が、おもわずうなずきたくなるやうなことを言っていた。
「若者がふつうに生きていくときに、精神の真空状態が起こって、そういうときに言葉が必要だなと思う。だけど、自分の言葉がない。だれかの言葉をもってきたいというときに(中略)詩人では結局ランボーと中原中也だけになってしまう、そんな気がしました」(座談会「私」を超える抒情)
ならば、中也よ! このやうな夜、ボクは、あなたのどのやうな詩句を引けばいいと言ふのだろふ?
酒を飲みながら、森田童子を聞いていたら泣けてきた。森田童子なんて声量もない、たひして驚くようなメロディを書いた訳じゃない。モジャモジャの時にアフロヘアみたいなヘアに端正な顔だちを隠すようにサングラスをかけ続け、ボクでさえ弾けそうな簡単なコードに曲をのせて暗いリリックを歌っていたのだが、いまも、森田童子をかけると何故か泣けてくる。
森田童子はきっと太宰好きの文学少女だったと思ふのだが、その青臭いリリックがボクを青春のまっただ中に連れ去ってしまふ。決して「甘い」だけではない、「苦さ」も「悔恨」も伴ってしまう青春に……。
「ただ自堕落におぼれてゆく日々に、ひとりここちいい」(森田童子)
「前途茫洋さ、ボーヨー、ボーヨー」(中原中也)
「ああ! 心といふ心の/陶酔する時の来らんことを!」(ランボー/中也訳)