みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

フィリピンのイエズス・マリアの聖心会

2007-05-23 21:25:00 | Everyday is special
今回のフィリピン行きは、2001年5月の会議出席以来ですから、6年ぶり。それよりも前、ぼくが現地での4年間の神学を終えて日本に戻ってきたときから数えると、ちょうど10年になります。

この間、フィリピンも、フィリピンのイエズス・マリアの聖心会も大きく変わりました。

フィリピンにぼくの所属する修道会が設立されたのは1990年で、そんなに古いことではありません。

当地にアジア地域の養成の拠点を作ろうと、司祭がカリフォルニアから2名、ドイツ、オランダから1名ずつ、そして、シスター方がハワイから3名派遣されたのが始まりです。

ぼくが、その養成の最初で唯一の神学生として派遣されたのが1993年。
当時は、カビテ州バコオールからケソン市の神学校まで、「ジープニー」と呼ばれる乗合自動車やバスを3回乗り継いで、片道1時間半以上かけて通っていました。(学校は8時から始まるので、朝6時10分前には修道院を出ていました。いまでは考えられないなあ。)

翌年には、修練所が開設され、カリフォルニアからリチャード神父が修練長としてやってきました。
彼は、ぼくがカリフォルニアで修練を受けていたときの副修練長。フィリピンでの再会を喜びました。

が、修練所開設の一ヶ月前、当時のフィリピンの聖心会の責任者で、地元の主任司祭をやっていたカリフォルニアからのジョン・ケニー神父が突然の病で急逝。本当に大きな痛手でした。

フィリピンがまったく初めてのリチャード神父を助けるため、ぼくは神学生でありながら修道会の会計を任され、宗教法人の代表者や口座名義の変更、新しい修練所の賃貸契約をし、家具や電化製品、食器などの諸々の必要品を揃えるなどの仕事をすることになりました(リチャード神父に頼まれて、彼のピンク色の部屋を白くするために、ペンキもひとりで塗ったっけ)。

最初に借りた家は、マニラ首都圏のサン・フアン市にある2階建てのアパート形式のものを2ユニット借りたもの。とてもじゃないけど、修練にはまったく不向きのところで、わずか数ヶ月程度で隣り町のケソン市ニュー・マニラという閑静な所にある大きなお屋敷を借りることになりました。

当時の修練者は、インドから4名、アメリカから1名。途中2名のインド人が離れ、現在インド人2名とアメリカ人1名が司祭として活躍しています。

あのころ、いろいろと大変だったけど、よくがんばったものだなあと、いまさらながらに思います。いや、やっぱり神さまの助けなしには何もできなかったことでしょう。

今回、出迎えてくれた修練長のパンクラス神父(ぼくよりも7才若いインドネシア人)の運転する車に乗り、空港からマニラ首都圏の街並みを通りながら、道の名前を少しずつ思い出し、不思議と当時の方向感覚を取り戻していくことができました。

写真は、最初の黙想の家にあったグリーン・マンゴー。すっぱくて固いですが、熟す前に塩や魚の塩辛のようなソースをつけて食べます。