ロンドンオリンピック。日本選手はよくがんばっていますね。
さて、「砂の上の足あと」(Footprints in the Sand)という美しい詩がありますが、三浦に行ったとき、朝浜辺を散歩して、そんな雰囲気を味わってきました。
ある夜、この作者は浜辺を主イエスと並んで歩く夢を見ます。
人生が走馬燈のように空に浮かんできました。
が、振り返ると、そこには一組の足あとしかありません。
それで、自分のいちばん必要としていたときに、なぜいっしょにいてくださらなかったのかと、主に聞きます。
すると、主が答えます。
「わたしの大切な子よ
お前がいちばん苦しんで孤独を感じていたとき
わたしはお前をおぶっていたのだよ」
それで足あとが一組しかなかったと分かりました。
・・・・・・
で、ぼくも砂浜をはだしで歩いてみました。
振り返ると、そこにはずっと一組の足あと。
そりゃそうだよねぇ。
そこに二組の足あとがあったらぞーっとしてしまいますよねぇ。
そんな話を、修道院に戻ってシスターたちに言ったら、そりゃずっとイエスさまがおんぶしてくださっていたのですよー、とニコリ。
あ、なるほど、そう思えばいいのだ、と、シスターたちの純粋さに触れて帰ってきたのでした。
朝はまだいいですが、日中は砂が熱くて、はだしでは歩けたもんじゃないでしょうね。
水の中も少し歩きました。
朝の幻想的な風景。
浜辺も、黙想にはいいですね。
さて、「砂の上の足あと」(Footprints in the Sand)という美しい詩がありますが、三浦に行ったとき、朝浜辺を散歩して、そんな雰囲気を味わってきました。
ある夜、この作者は浜辺を主イエスと並んで歩く夢を見ます。
人生が走馬燈のように空に浮かんできました。
が、振り返ると、そこには一組の足あとしかありません。
それで、自分のいちばん必要としていたときに、なぜいっしょにいてくださらなかったのかと、主に聞きます。
すると、主が答えます。
「わたしの大切な子よ
お前がいちばん苦しんで孤独を感じていたとき
わたしはお前をおぶっていたのだよ」
それで足あとが一組しかなかったと分かりました。
・・・・・・
で、ぼくも砂浜をはだしで歩いてみました。
振り返ると、そこにはずっと一組の足あと。
そりゃそうだよねぇ。
そこに二組の足あとがあったらぞーっとしてしまいますよねぇ。
そんな話を、修道院に戻ってシスターたちに言ったら、そりゃずっとイエスさまがおんぶしてくださっていたのですよー、とニコリ。
あ、なるほど、そう思えばいいのだ、と、シスターたちの純粋さに触れて帰ってきたのでした。
朝はまだいいですが、日中は砂が熱くて、はだしでは歩けたもんじゃないでしょうね。
水の中も少し歩きました。
朝の幻想的な風景。
浜辺も、黙想にはいいですね。