みちあき神父のふぉと日記

カトリック教会の司祭です。日記のテーマは「がんばらない―Take it easy―」。ここで、ひと息ついてくださいね。

イエスの聖心

2008-05-30 13:20:20 | Everyday is special
きょうはイエスの聖心(みこころ)の祭日。おめでとうございます。
この日は、ぼくの修道会のお祝い日でもあります。

さて、この祭日に合わせて、遠くからプレゼントが贈られてきました。
それは、ぼくと同じ修道会の会員だったマテオ・クローリー・ブーヴェー神父述、戸塚文卿訳の『司祭黙想会説教集』(東京公教大神学校発行、1936年)という古い本です。

マテオ神父は、1875年ペルーで生まれ、司祭になってからは、チリの大学で教えながら信徒の養成に力を注ぎます。そんなときに起こった大地震で、多くの校舎が崩壊し、その復興に奔走しますが、心身ともに大きなダメージを受けてしまいました。
医師から1年間の休養を勧められ、巡礼でフランスのパレ・ル・モニアルの女子修道院に行きます。そこは、17世紀に聖マルガリータ・マリアにイエスの聖心(み心)が現わされた場所で、マテオ神父は、そこで癒しの恵みを受けたのです。それが1907年のこと。

それからマテオ神父は「聖心の使徒」と呼ばれるほど世界各地を回り、1960年にチリで帰天するまで聖心の信心の布教に専念しました。

ところで、ヨーロッパに留学中だった岩下壮一青年が司祭になるのを決意したのは、ローマでマテオ神父に出会ったからだと読んだことがあります。それから岩下青年は現地で叙階され司祭として日本に帰ってきます。

また、戸塚文卿青年は、医師としてフランスに留学していましたが、ロンドンに滞在していた先輩の岩下壮一神学生を訪ね、ある聖女と思しきシスターとの出会いをきっかけに司祭になる決意をします。
その後、フランスで神学生となり、司祭に叙階された戸塚神父も、叙階直前に訪れたイタリアでマテオ神父に出会い、大きな感化を受けます。
また、戸塚神父自身も、パレ・ル・モニアルに巡礼に行っています。(小田部胤明著『戸塚神父伝』中央出版社、1989年を参照。)

そのような縁があったからでしょう。マテオ神父は、岩下神父と戸塚神父を訪ねて来日し、東京の大神学校で司祭や神学生のために黙想指導や講演をし、岩下神父と戸塚神父が通訳を買って出たわけです。

そのひとつが本になったのが、今回いただいた本です。
また、岩下神父が翻訳したマテオ神父の講話が、モニック原山さん編著の『続キリストに倣いて』(学苑社、1993年)で読むことができます。

このようにして、活字を通してですが、マテオ神父の話に触れることができるのは、本当にうれしいことです。

彼の話ぶりは、じつに熱がこもっていて、圧倒されるほどの力を持っているのがわかります。

初金にミサにあずかるとか、聖体礼拝をするとかの信心は、聖マルガリータ・マリアに与えられた聖心のメッセージに由来しますが、その大切さを現代に伝えてくれたのがマテオ神父であったと言っても過言ではないと思います。

現在、パレ・ル・モニアルの修道院の聖堂正面の壁画には、イエスの聖心が中央に描かれ、その脇に聖マルガリータ・マリアがいて、その片隅にぼくと同じ修道服を着たマテオ神父の姿も描かれています。

ぼくも行かせていただいた1995年に行われたダミアン神父の列福式の巡礼ツアーでは、このパレ・ル・モニアルもコースに入っていました。ぼくはまだ神学生でしたが、その修道院の聖堂に入ったときの静かな感動を、久しぶりに思い起こしました。

マテオ神父については、英語版ですが、イエズス・マリアの聖心会のホームページをご覧ください。(こちらです。

写真は、前回フィリピンに行ったとき、タガイタイのタアール湖を望む「善き牧者」の黙想の家の庭に立ち寄ったときに撮ったものです。