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2022-0925 ジャン=フィリップ・ラモーの誕生日です 【人生のどんな隅にも、やっぱり望みはあるのだ】

2022年09月25日 | 音楽日記
おはようございます。
2022年9月25日(日曜日)、気温20℃の曇り空の朝です。
年始から268日に当たり、年末まであと97日です。
誕生花は、ペチュニアです。ペチュニアはコンテナや花壇などでおなじみの草花です。枝垂れるものやこんもりと茂るもの、大輪~小輪、八重咲きなど、いろいろな園芸品種があり、毎年育てていてもあきません。成長が早くて丈夫なので、初心者にもおすすめです。南アメリカに自生するペチュニア・アキシラリス、ペチュニア・インテグリフォリアをもとに、ヨーロッパやアメリカで品種改良が進み、多様な品種がつくり出されました。
「ペチュニア」の花言葉は、「あなたと一緒なら心が和らぐ」「心の安らぎ」です。

本日は、ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau)の誕生日です(1683年9月25日 - 1764年9月12日)。バロック時代のフランスの作曲家・音楽理論家。青年時代をイタリアやパリにすごした後、父親の足跡に続いてクレルモン大聖堂の教会オルガニストに就任した。その後パリ、ディジョン、リヨンなどでもオルガニストを務め、1723年よりパリに定住、財務官ラ・ププリニエール家の後援を得る。作曲の分野において名声を勝ち得るようになるのは、40代になってからだったが、1733年にクープランが他界するまでには、当時のフランス楽壇の指導的作曲家になっていたと言ってよい。その頃からラモーは専ら歌劇に没頭するようになる。
フランス語オペラの作曲家としてジャン=バティスト・リュリに取って代わったが、ジャン=ジャック・ルソーによって攻撃されることとなった。数々の歌劇でヴォルテールと共作し、とりわけ《ナヴァールの姫君La Princesse de Navarre 》によってラモーは「フランス王室作曲家」の称号を獲得した。

Jean-Philippe Rameau: Cinquième Concert, La Cupis (Concerts en Sextuor); Voices of Music


本日の言葉は【人生のどんな隅にも、やっぱり望みはあるのだ】です。

~小説家 菊池寛の言葉~

(1)
人生は
一局の将棋なり、
指し直す能わず。 


(2)
人間は生きている間に、
充分仕事もし、
充分生活もたのしんで置けば、
安心して死なれるのではないかと思う。 


(3)
約束は必ず守りたい。
人間が約束を守らなくなると
社会生活はできなくなるからだ。 


(4)
来世に希望をつなぐ信仰などよりも、
現世をよく生きたということが、
安心の種になるのではないかと思う。 


(5)
人生のどんな隅にも、
どんなつまらなそうな境遇にも、
やっぱり望みはあるのだ。 


(6)
人への世話は、
慰みとしてしたい。
義務としては、したくない。 


(7)
罠をかける者も卑しい。
が、それにかかる者も
やっぱり卑しかったのだ。 


(8)
とにかく勝つ人は強い人である、
多く勝つ人は結局上手な人、
強い人といわなければならないだろう。



(9)
一局一局の勝負となると、
強い人必ず勝つとはいえない。
定牌を覚えたばかりの素人に
負けるかも知れない。


(10)
最善の技術には、
努力次第で誰でも達し得る。
それ以上の勝敗は、
その人の性格、心術、覚悟、
度胸に依ることが多いだらう。


(11)
悪妻は
百年の不作であるという。
しかし、
女性にとって、
悪夫は百年の飢饉である。 


(12)
人といっしょに物を食ったとき、
相手が自分より
よっぽど収入の少ない人であるときは、
少し頑張ってもこちらが払う。 


(13)
人生に於て何が一番
必要であるかと云うことが
今更ながら分かった。
生死の境に於ては、
ただ寝食の外必要なものはない。


(14)
私は、
させる才分なくして、
文名を成し、
一生を大過なく暮しました。
多幸だつたと思ひます。
死去に際し、
知友及び多年の読者各位に
あつくお礼を申します。
ただ国家の隆昌を祈るのみ。


(15)
左傾にしろ、右傾にしろ、
独裁主義の国家は、
我々人類のために、
決して住みよい国ではない。