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■ 伊香保温泉周辺の御朱印-2(前編B)

現在、新型コロナウイルス感染急拡大により、不要不急の外出の自粛が要請されています。
また、寺社様によっては御朱印授与を中止される可能性が高くなっています。
以上、ご留意をお願いします。

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2019/08/31 UP・2021/0131 補足UP

■ 伊香保温泉周辺の御朱印-2(前編B)
11.箕輪山 慈眼院 法峰寺 (高崎市箕郷町)
12.黒髪山神社 (榛東村広馬場)
13.威徳山 常楽院 長松寺 (吉岡町漆原)
14.玉輪山 龍傳寺 (渋川市半田)
15.慈眼山 福聚院 神宮寺 (渋川市有馬)
16.威徳山 無量寿院 眞光寺 (渋川市並木町)
17.渋川八幡宮 (渋川市渋川)
18.登澤山 照泉院 金蔵寺 (渋川市金井甲)

11.箕輪山 慈眼院 法峰寺
高崎市箕輪町西明屋247
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:新上州三十三観音霊場第24番、群馬郡三十三観音霊場第32番
札所本尊:聖観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第24番)

 

〔 新上州三十三観音霊場の御朱印 〕
中央に札所本尊、聖観世音菩薩の種子「サ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)と「聖観世音菩薩」の揮毫。
右上に「上州第二十四番」の札所印。左下には山号・寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(聖観音)と御詠歌が印刷されています。

「箕輪」を山号とする新上州三十三観音霊場札所の天台宗寺院。
寺院の号は原則音読みですから、”きりんざん ほうぽうじ”と読みます。
観音霊場ガイドブックと高崎市資料を抜粋引用してご紹介します。

平安時代の天安二年(858年)、比叡山延暦寺第三世座主慈覚大師円仁が東国遊化のおりに開創されたと伝えられています。

明応年間(1492-1501年)、長野業尚による箕輪城築城の際、境内が城郭内に入るため東方に2㎞ほど離れた地(現在の箕郷文化会館付近)に移転しましたが、慶長三年(1598年)の箕輪城廃城をうけて旧縁の地である現境内地に復帰したと伝わります。
また、寺門の興隆に努められたのが井伊直政と親交のあった天海大僧正で、当寺中興の祖とされています。

この地は箕輪城跡の南端に当たり、「水の手曲輪(城で使う水が湧き出していたところ)」の跡で、現在でも観音堂の下あたりから湧水があり、旧城下町に向けて流れ出ています。
ホタル園「法峰寺蛍峰園」も設置されています。

伽藍は昭和48年火災により消失し再建されたもので、古寺のわびざびはないものの、高台に落ち着いた趣きを見せています。

こちらは上州観音霊場の札所ですが、2回ご不在、3度目の参拝で御朱印を拝受できました。
御朱印は庫裡でいただけますが、観音霊場納経帳用の書置タイプのみのような感じがしました。


12.黒髪山神社
榛東村広馬場3615
主祭神:大山祇命

 

〔 御朱印 〕
中央に印判(内容不明)の捺印と「黒髪山神社」の揮毫。シンプルシックながら存在感のある御朱印です。

榛名山の一峰、相馬山(黒髪山)を信仰対象とする山岳信仰系の神社。
榛東村公式Web等複数のWebを総合すると、明治16年に相馬山山頂に奥宮が祀られましたが、相馬山は峻険で登拝困難なため、明治20年に当地に里宮が創祀されたようです。

主祭神は大山祇命(オオヤマツミ)。
神産みで伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれた神様で、浅間神社系の主祭神、木花之佐久夜毘売の御父君です。
大山祇命(オオヤマツミ)は、全国の大山祇神社、三島神社、山神社系の神社の主祭神として祀られ、山岳信仰系の神社の祭神となられる例も多くみられます。
群馬県北部で信仰される十二様(神社)の祭神にも大山祇命がみられます。

相馬山(1,411 m)は、榛名山の最高峰掃部ヶ岳(1,449 m)に次ぐ標高の榛名山の一峰で、その特異な山容からか古くから山岳信仰の霊山として厚く信仰されてきたといいます。
相馬山の別名、黒髪山は「くらおかみ」に由来するという説があります。
「くらおかみ」は水神で、雷神の性格ももつという説があります。
雷の本場、上州には雷神を祀る神社(雷電神社など)が多く、山岳信仰と雷電(雷神)信仰が結びつきやすかったのかもしれません。

駐車場は不明ですが、鳥居前に数台分のスペースがあります。
木々が鬱蒼と茂る境内には講社建立の霊神碑が林立し、山岳信仰の地特有の空気が漂っています。
拝殿に掲げられた天狗面も山岳信仰や修験との関連を想起させるもの。

境内には有栖川宮神社も鎮座します。
祭神は有栖川宮熾仁親王で、明治30年頃、有栖川宮のご病気平癒の祈願と、当社先達の施術が卓効ありとして褒賞され、これを受けて創祀されたものと伝わります。

御朱印は、鳥居から道路をはさんだお宅(宮司様宅?)にて書入れいただきました。


13.威徳山 常楽院 長松寺
吉岡町漆原1284
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:新上州三十三観音霊場第31番、上州七福神
札所本尊:矢落観世音菩薩(十一面観世音菩薩)(新上州三十三観音霊場第31番)、寿老人(上州七福神)

 
【写真 上(左)】 長松寺本堂
【写真 下(右)】 長松寺観音堂

〔 御本尊の御朱印 〕

中央に御寶印(種子不明)。御本尊阿弥陀如来の種子「キリーク」と「阿弥陀佛」の揮毫。
左下には寺号の揮毫と寺院印、右上にはおそらく「一隅を照らす」をあらわす陰刻の印が捺されています。

〔 新上州三十三観音霊場の御朱印(御朱印帳) 〕

中央に札所本尊、十一面観世音菩薩の種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)に種子と「矢落観世音」の揮毫。
その横に「通称 ざる観音」の揮毫は専用納経帳とは異なるもの。
右上に「上州第三十一番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

〔 新上州三十三観音霊場の御朱印(専用納経帳) 〕

中央に札所本尊、十一面観世音菩薩の種子「キャ」の御寶印(蓮華座+火焔宝珠)に種子と「矢落観音」の揮毫。
右上に「上州第三十一番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(ざる観音)と御詠歌が印刷されています。

新上州三十三観音霊場第31番、上州七福神(寿老人)の札所で、この界隈ではもっともメジャー感のあるお寺さんです。
寺伝によると、草創は鎌倉時代の元享年間(1321年頃)、舜海上人によるものとされています。
当初は蕎麦石(現在の利根川河床)にありましたが、度重なる水害、火災により移転を重ね、現在の高台に落ち着いたようです。

上州観音霊場ガイドブックによると、当寺は「かつて箕輪衆といわれた『漆原十二紀(騎?)』の拠点のひとつであった漆原城跡の一画に位置」とあります。
ちなみに、上野の戦国史を詳細にまとめられている「上野の戦国史」様には、「漆原十二騎とは、長塩、青木、福田、飯塚、石倉、近藤、栗原、長沢、千木良、斉藤、柴崎の諸氏からなる地侍の集まり」とあります。

矢落観音(通称 ざる観音)という十一面観世音菩薩が御座すことでも広く知られ、正月14日の“ざる市"でも知られているようです。

境内は本堂エリアと西側の観音堂エリアに二分され、駐車場は観音堂エリア下にあるので、初めての参拝のときは境内の全容把握がしにくいです。

山門をくぐると境内正面に本堂。
本堂には阿弥陀三尊と釈迦三尊、さらには弁財天や上州七福神の寿老尊天、千躰観音仏、地獄極楽仏(十界曼陀羅)、釈迦涅槃図などを安置しています。
タイミングがよければ本堂内に上げていただけます。
境内には、左剣不動尊(伝・運慶作)が御座す不動堂、岩船地蔵尊などを安置する二尊堂、鐘楼堂などが並びます。

駐車場側の高台にある観音堂には矢落観音(ざる観音)の通称で崇敬を集めている十一面観世音菩薩が御座し、こちらが上州観音霊場の札所本尊となります。
朱色に塗られた華やかなお堂で、観音霊場の札所感をただよわせています。
観音堂の右手にお籠り堂と、その右の高台に富士浅間社の石祠。もっとも高いところに東屋があり、利根川越しに赤城山を見渡せます。

見どころが多く、じっくりと参詣したいお寺さんです。

御朱印は庫裡にていただきました。
ご住職がおられるときは書入れ、ご不在寺は書置きで、御本尊(阿弥陀如来)、観音様、寿老人(上州七福神)の3種を拝受できますが、筆者は寿老人は拝受しておりません。


14.玉輪山 龍傳寺
渋川市半田1124
曹洞宗 御本尊:釈迦如来 薬師如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第19番

 

〔 御本尊の御朱印 〕
中央に三寶印と「釈迦如来」の揮毫。
左には山号、寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

こちらはご紹介するか否か迷いましたが、群馬郡三十三観音霊場第19番の札所なのでご紹介します。
こちらも利根川右岸に近い場所にあります。上越線「八木原」駅から歩ける距離だと思います。

境内の碑文によると、天正八年(1580年)に剣城(現在の「八木原駅」の南付近にあった)領主半田筑後守(Web記事で真田信幸の家臣説あり)は、本市小字常法院に在った一庵を改めて寺とし玉輪山龍傳寺と称した。
天正九年(1581年)信濃国松代の長国寺第二世角應瑞麟禅師を請して開祖とし堂宇を営む。
天明三年(1783年)浅間山の大噴火により、伽藍ことごとく埋没したためこれを以て寺域を現在の地に移した。
などとあり、中世建立の古刹であることがわかります。

境内はさほど広くはないですが、落ち着いた雰囲気が漂っています。
御朱印は庫裡にて拝受。
ご住職に丁寧なご対応をいただきましたが、群馬郡三十三観音霊場札所本尊の一葉観音?の所在は不明のようです。
御朱印尊格は御本尊の釈迦如来となります。


15.慈眼山 福聚院 神宮寺
渋川市有馬1301
天台宗 御本尊:釈迦如来
札所:新上州三十三観音霊場第30番
札所本尊:聖観世音菩薩(新上州三十三観音霊場第30番)

 

〔 新上州三十三観音霊場の御朱印 〕
中央に札所本尊、聖観世音菩薩の御影印と「大悲殿」の揮毫。
右上に「上州第三十番」の札所印。左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
裏面には札所名、尊格名(聖観音)と御詠歌が印刷されています。

関越道「渋川伊香保IC」にもほど近い渋川市有馬にある寺院。
このあたりはかつて「有馬の牧」と呼ばれ、官立牧場(上野九牧のひとつ)が置かれていたとされます。
中世、軍事力の基盤として軍馬を産する「牧」の存在は不可欠でしたが、赤城山、榛名山の山裾から利根川にかけてなだらかに平地が広がる上野国の国中は「牧」のメッカであったことが想像され、実際、利根川右岸だけでも渋川氏(里見郷(現渋川市))、山名氏(山名郷(現高崎市))、里見氏(里見郷(現高崎市))、桃井氏(桃井郷(現榛東村))など、錚々たる清和源氏系武家の発祥(名字)の地となっています。

またまた話が逸れました。
新上州三十三観音霊場ガイドブック記載の寺伝によると、当寺はかつて長泉寺と称され比叡山末にして寛弘年間(1004~1011年)開創。
天和二年(1682年)二世亮全住職のとき、北側にある天神宮を再建(中興)し別当寺になったとされます。
天満宮は現在の有馬渠口(みぞぐち)神社(御祭神:阿利真公・菅原道真公)とみる説が有力のようです。
神宮寺の寺号は、このような由緒からきているものと思われます。
(なお、神宮寺と別当寺は厳密には性格が異なるという説もあるようですが、これについては稿を改めます。)

有馬の地は三国街道が山あいに入る手前の交通の要衝で、往時、相当の伽藍を備えていたらしい神宮寺はこの地の名所としても知られていたという記録が残っています。
信仰の中心は天神宮境内にあった観音堂御本尊の聖観世音菩薩(伝・恵心僧都作)であったとみられますが、明治初頭の神仏分離により観音堂は解体され、御本尊の聖観世音菩薩は当寺に安置されたと伝わります。

当寺は新上州三十三観音霊場30番の札所で、札所本尊は聖観世音菩薩(有馬聖観世音菩薩)。
こちらが伝・恵心僧都作の尊像であるかどうかは資料類からは読みとれませんでした。
(霊場ガイドには「尊像・聖観世音菩薩(新調)」とある。)

明るく開けた境内で、観音堂のたたずまいにもどこか華やぎが感じられます。
お隣の有馬渠口神社もお参りしました。


有馬渠口神社

御朱印は霊場専用用紙書置きのものを拝受。御朱印帳に書入れいただけるかは不明。
また、御本尊釈迦如来の御朱印は授与されていない模様です。


16.威徳山 無量寿院 眞光寺
渋川市並木町748
天台宗 御本尊:阿弥陀如来(千手観世音菩薩)
札所:群馬郡三十三観音霊場第10番
札所本尊:北向百体観世音菩薩?(群馬郡三十三観音霊場第10番)

 

〔 御朱印 〕
中央に御本尊、阿弥陀如来ないし千手観世音菩薩の種子「キリーク」の御寶印(丸に火焔宝珠)、三寶印と「北向百躰観世音」の揮毫。
右上に「西国三十三、坂東三十三、秩父三十四」の揮毫。左には宗派、山号、寺号の揮毫と寺院印が捺されています。

御本尊の種子御寶印と山内の著名な尊格揮毫を組み合わせる御朱印はときおり見られますが、こちらもその例ではないでしょうか。
ただし、阿弥陀如来、千手観世音菩薩ともに種子は「キリーク」なので、御朱印から御本尊を推察することはできませんでした。

平安時代初期に慈覚大師円仁の開山と伝わる天台宗の古刹。
中世にはこの地の領主白井長尾家の祈願所となり、足利時代には叡海法印(当山開基)により関東天台宗の渋川談義所が設けられ、戦国期には甲州武田家の庇護を受け、江戸時代には朱印地五十石、天台宗の関東五箇所(五ヶ寺)に数えられるなど、当地の中心的寺院として隆盛したものと伝わります。

名刹だけに、真光寺洪鐘(県指定重要文化財)、真光寺涅槃図(市指定重要文化財)など寺宝も多く所蔵しています。
境内には紫陽花(あじさい)が多く植えられ「あじさい寺」としても知られています。

御本尊は、阿弥陀如来、千手観世音菩薩のふたつの情報がとれますが、群馬郡三十三観音霊場第10番札所であり、西国三十三ヵ所、坂東三十三ヵ所、秩父三十四ヵ所の観音像を安置することもあって、観音様のお寺のイメージが強そうです。

周辺の道は狭いですが、駐車場はあります。
高い寺格をあらわすような風格ある山門、本堂も壮麗なつくりのようですが、参拝時は改築中?で、その威容は拝めませんでした。
また、万日堂は県内でも有数の古い寺院建造物といわれ、先日(2019/6)、市指定重要文化財に指定されています。

観音堂は「北向百躰観世音」と呼ばれ、約三百年前の建立と伝わります。
西国三十三ヶ所、坂東三十三ヶ所、秩父三十四ヶ所の各寺札所本尊百躰の観音様を堂内に勧請、南方補陀落山の観世音の聖地から世界を照らす意味で北向きに建てられていることから、「北向百躰観世音」とされているそうです。
御朱印は庫裡にて御朱印帳に書入れいただきました。


17.渋川八幡宮
渋川市渋川甲1
主祭神 応神天皇 比売大神 神功皇后

 

〔 御朱印 〕
中央に神社印の捺印と「八幡宮」の揮毫。右下の蛙は、境内に祀られている勝(立)蛙由来のものかと思われます。
こちらでは御朱印帳も購入しました。
紅葉、青もみじ、だるま、勝(立)蛙が配された華やかなデザインの御朱印帳です。


御朱印帳

渋川氏の初代、渋川義顕は足利氏嫡流の足利泰氏の子で、足利氏嫡流の頼氏、室町幕府管領家の斯波氏の初代家氏とは兄弟にあたり、足利一門のなかでも高い家格を有する家門とされます。
義顕の後代、渋川義季は鎌倉将軍府の重臣として重きをなし、渋川義行は九州探題に抜擢されるなど鎌倉幕府の有力御家人として位置づけられています。
義顕は上野国渋川郷を領し、渋川八幡宮も義顕が建長年間(1249~1255年)に鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請しての創建と伝わります。
その後、康元年間(1256~1257年)に白井城の長尾景煕が諸社殿を造営、江戸時代初期にはこの地の豪族入沢氏が本殿を建立するなど、代々の当地有力者の尊崇を受けていたようです。

八幡神は清和源氏の尊崇ことに厚く、清和源氏の名門である渋川氏の名字の地、渋川に八幡宮が鎮座していることは素直にうなづけるものがあります。

境内は木々が生い茂り、高低差もあって、パワスポ的雰囲気が感じられます。
子宝・子守に霊験あらたかな神社として知られ、私が参拝した3度ともお宮参りの家族の姿がありました。
境内にはいろいろと見どころがありますが、ここではご紹介を省きます。

御朱印は境内右手の「授与所」で拝受できますが、常駐ではないようで授与所のベルをならすと、しばらくして宮司様の奥様らしき方がいらして対応いただけました。
こちらは伊香保神社の御朱印も授与されているので、そちらも拝受しました。(21.伊香保神社でご紹介します。)


18.登澤山 照泉院 金蔵寺

渋川市金井甲1965
天台宗 御本尊:阿弥陀如来
札所:群馬郡三十三観音霊場第8番、群馬郡三十三観音霊場第9番

 

〔 御本尊の御朱印 〕
中央に三寶印と「阿彌陀如来」の揮毫。右上に「南無阿弥陀佛」の六字名号の印判。
左下には寺号の揮毫と寺院印が捺されています。
天台宗寺院の御朱印で、御名号の記載があるものはめずらしいと思います。

応永八年(1401年)に子持の白井城城主長尾清影により、威徳山眞光寺の末寺として建立された天台宗寺院。
当初は諏訪(下金井)にありましたが、金井宿開設を契機に現在の地へ移転し、現在に至っているようです。(以上、公式Webから抜粋引用。)

樹齢三~四百年とされるしだれ桜(県指定天然記念物、別名:いも種ザクラ)で有名で、4月上旬の開花時には花見客で賑わうそうです。

こちらは群馬郡三十三観音霊場第8番の札所につき、ご紹介します。
参拝後、庫裡にお伺いしたところ、ご住職は外出中だが御朱印は郵送可能というご案内をいただいたので、郵送にて拝受しました。
また、御朱印は御本尊のみで、観音霊場のものは授与されていないそうです。

■ 伊香保温泉周辺の御朱印-3(中編A)


■ 伊香保温泉周辺の御朱印-1(前編A)
■ 伊香保温泉周辺の御朱印-2(前編B)
■ 伊香保温泉周辺の御朱印-3(中編A)
■ 伊香保温泉周辺の御朱印-4(中編B)
■ 伊香保温泉周辺の御朱印-5(後編A)
■ 伊香保温泉周辺の御朱印-6(後編B)

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